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ジーナ  作者: 伊藤 克
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四十九 ギロの魔術師・ギロの荷役仕事(四)

 浜辺で安らぎの一時を過ごしたジーナはバウを伴ってガサの町のはずれにある魔術師の塔に戻った。ガサの町は女達が洗濯を終え、街道沿いの店が開き始める頃だった。

 ジーナは塔の隠し部屋で女の格好に戻ると洗濯物を干しているエレナの所へいった。バウは本来の白毛に戻っている。エレナの手伝いをしていたシンディはバウへ駆け寄って白い頭を撫でている。黒毛のバウと同じ犬だとは気付いていないらしく、黒毛となったバウに対する様な過激なかまい方はしなかった。

「お早うジーナ、あの子達はケルバライト様に連れられて港町へお仕事に出かけたわよ」

「エレナお早う、お願いがあるの」

「ジーナが頼み事をするなんて珍しいわね」

「ケルバライト様が、あの二人にお弁当を作って届けて欲しいと言っていたの。私が届けるから一緒に作ってくれないかしら」

「あら、私も気付かなかったわ。お昼ご飯がないのでは可哀想ね。シンディも手伝うのよ」

「ハンスは私に意地悪をするからいやよ」

 シンディが本気で言っているのでは無いことが判っていたがジーナは一応注意した。

「シンディ、そんな事を言ってはだめよ。お金が無くて昼が食べられない人もいるらしいからその人達にも食べて貰うのよ」

 不満を言いながらもシンディはジーナとエレナの後を付いてきた。旅芸人達とガエフの町で別れてからかなり経つが、憎まれ口をきく癖はまだ直っていなかった。

「ジーナ、昨日牛の肉を買ったからそれを使いましょう」

 この塔の三階にある食堂には隠し戸棚があって、その中には常に金貨が数十枚置いてあった。この塔で働くエレナやニコラの給金と皆の生活費だ。この隠し戸棚は、壁の石を外すだけの簡単なもので、魔術師ではないエレナでも開ける事ができた。塔の主である魔術師長のレグルスは塔の者達を信用していたのだ。買おうと思えば贅沢品を仕入れる事もできたのだが、皆質素な暮らしを好んでいたため、その金貨が減る事はあまり無かった。

 それでも、偶には贅沢な牛の肉を仕入れる事もあった。

「そんな贅沢な物で無くても良いのだけれど」

「二階で寝ているお爺さんにスープを飲んで貰いたくで煮込んでいるのよ。でも僅かしか使っていないから残りの肉を料理してあげると良いわ」

 二階の老人というのは寝たきりでいるルロワの事だ。エレナは老人だと言ったが、本当の年齢は三十歳に満たない筈だった。そのルロワが寝たきりになった原因は自分にあると思ったジーナは胸が痛んだ。

『ジーナ、あれは仕方の無い事だったのだ』

 アルゲニブが心の中で話しかけて来た。指輪のアルゲニブが自分を励ましてくれようとしてそう言ってくれている事は判ったが、返事を返す事は出来なかった。

「エレナ、私も手伝うわ」

「ジーナが料理を作れるなんて知らなかったわ」

 半分信じていないのか、エレナは笑いながら言った。

 魔術師の塔には二階と三階の二カ所に食堂があって、それぞれの隣に調理場があった。二階の調理場は大勢の兵士用に作られたものらしく、三階の食堂や調理場よりも断然広かった。また調理用器具も大きい物が揃っていたが、十人位の人数なら三階の調理場でも十分だった。

 レグルスがルロワによって幽閉されていた地下牢から解放されてから二階の食堂や調理場は使われていなかった。レグルスが幽閉されるまでいた兵士達はルロワが生み出した魔族に殺されてしまい、その魔族達はルロワが倒れると同時に消滅したからだ。その時から二階の食堂が使われる事は無かった。今はこの塔に兵士と言える者は誰もいなかったのだ。

 エレナとシンディが一階にある貯蔵庫へ食材を取りにいっている間にジーナは二つある竈の火を興し、一方にはでは底の深い鍋を置き、もう一方には焼き網を置いた。網の下には肉汁を受ける鉄製の皿を置く。グレビーを作る為だ。二つの竈で肉を焼いた料理と、スープを作ろうと考えたのだ。

 ジーナへ料理を教えたのは幼い頃北サッタ村でジーナの子守をしてくれたソフィーとケリーランスで義賊達の料理番だったチャンという男だった。チャンは人が大勢集まった時には、熱した大きな鉄板の上に肉や野菜の食材を放り込んで炒める料理を作っていた。

 食材を持って来たエレナはジーナが作ろうとしている料理を察して食材をぶつ切りにした後、長い鉄串に刺しはじめた。

 シンディは横で香辛料を振りかけている。


 ギロにあるフレッドの倉庫では、フーゴとハンスが倉庫前に並んでいる馬車へ倉庫の荷物を積んでいる所だった。どの馬車も四輪の大きなもので、荷台は鉄の柵に木の板を渡した丈夫なものだった。鉄の部品が沢山使われている所を見るとコリアード軍の荷車に違いない。荷役船への荷物を運ぶのだろう。

 何時終わるのか判らない程の積み荷が倉庫入り口に山積みになってゆく。四人の子供は倉庫番のダニーにしごかれながら荷役の仕事を続けていた。陽が頭上へ昇り切るまでにはまだ少し時間がある。仕事が始まってまだ二、三時間位しか経っていなかった。

「そんな腰つきでは荷を落としてしまうぞ。しっかり力をいれろ」

 ダニーの言葉の鞭を受けながら、それでも頑張っていた。トッシュが連れてきた短い栗毛の二人の子供は体力が無いのか、疲れ果てて、一つの荷を二人がかりで運んでいる。

「ハリー、大丈夫?」

「大丈夫だよ、フロル」

「おい、お前達大丈夫か?」

 ダニーが痩せている二人に声をかけた。

「すみません。すぐ運びますから鞭打ちは勘弁して下さい」

 慌ててフロルが荷物を抱えなおした。

「ばかやろう! 鞭を使ったりしたら益々働けなくなるじゃないか。それとも鞭が好きなのか?」

 フロルは慌てて首を横に振った。

「お前達、四人共少し休憩だ」

 ダニーはそういうと若者達が積んだ荷車の似姿を直しだした。荷車に隙間無く積まないと運んでいる間に荷崩れを起こしやすくなるのだ。人足を派遣する斡旋屋の中にはあくどい親方がいて、給金の殆どをその親方が取ってしまう事をダニーは知っていた。可哀想にトッシュが連れて来たこの痩せた二人の子供はロクに食べさせて貰っていないのだろう。

 そしていつも鞭で打たれているに違いない。だからあんなに怯えているのだ。だがトッシュの陰には魔術師と通じている仲間がいるとの噂もあった。迂闊に手出しをすると、主人であるフレッドに迷惑をかける可能性もあった。二人には可哀想だが、ダニーは見ているしかなかった。


 若者四人は倉庫の入口近くに腰を下ろした。

「ハリーのお父さんはハダルへ行ったきり帰って来ないんだってね」

「そうなんだ。四年前の夏に行ったまま帰って来なかったんだ。僕は幼くて畑の作業が出来なかったからお母さんが三年の奉公に出したんだ」

「僕の家も似たようなものさ。水夫をしていたお父さんが海で遭難したんだ。でも、こんなに辛い仕事が続くとは思っていなかったよ」

「もう三年経ったのだけれどなぁ。僕のお姉さんどうしているかな」

「ハリーのお姉さんは確かミラという名前だったよね」

「よく覚えていたね、フロル」

「ハリーのお姉さんはダルコの村でも評判の美人なんでしょう。毎日の様に聞かされているから嫌でも覚えてしまったよ」

 ハリーには二歳年上の姉がいた。優しくて綺麗な姉はハリーの自慢だった。しかしダルコの村で母を手伝って農作業をしている筈の姉が今年の春過ぎに子供を産んだらしいというのだ。それもガエフ公国の領主の血につながる子だとういう。

 ハリーが姉のミラに子供が出来た事を知ったのはトッシュが女と話している町の噂話を聞いたからだった。物静かで働き者の姉が結婚もしないで子供を産むなんて信じられない事だった。だから子供がいるらしい事は仲良しのフロルにも話していなかった。

 もし、本当に子供が生まれたのならきっと可愛い子に違いない。早く田舎に帰って姉に会いたいとハリーは思っていた。

「君達二人はダルコの村から来たの?」

 フーゴが話しかけると、痩せた二人は揃ってフーゴへ顔を向けたがそのまま黙ってしまった。

「どうしたんだい、同じ仕事をしているんだから仲良くしようよ」

 今度はハンスが言ったが二人は口をつぐんだままだった。

 ハリーとフロルから見れば、疲れてはいるが、顔色が良く、時々笑みを見せながら仕事をこなしているフーゴとハンスが自分達とは違った世界にいる者達に見えたのだ。それにカラスが見ている。

『カラスには気をつけろ』

 それが、脱走に失敗して鞭打ちの途中で命を落とした先輩の最後の言葉だった。黒くて不吉なカラスだったが、ダルコの村にも沢山いたから怖いとは思わなかった。カラスの何処に気をつけなければならないのか理由は判らなかったが余計な事を言ってトッシュに鞭打たれるのは嫌だった。 

「よし、作業を続けるぞ」

 いつの間に戻ったのか、ダニーが休憩している四人に声を掛けてきた。

 ダニーは子供達に混じって荷物運びを始めた。人足の監視人が自ら荷物を運ぶのを初めて目にしたハリーとフロルが目を丸くして見ている。

「フロル、あの人荷物を運び始めたよ」

「こら、休憩は終わりだぞ、早くしないと今日中に終わらないぞ」

 ダニーは肉が盛り上がった肩に乗せた荷物を早足で運び、次々と荷車に乗せていく。フーゴやハンスではとても叶わない早さだった。その勢いに押される様に四人は荷物運びみ集中した。


 陽が真上に来た。何台かの馬車が積まれた荷物を引いて、荷役船が停泊している港へ向かっていったが、まだ何台も荷馬車が列を作っていた。中には荷を下ろす馬車もあったが、その作業は他の人足が作業をしていた。

 小さな馬車の順番がきた。鉄の補強が殆どない、粗末な馬車だった。心なしか引いている馬も小さく見える。

 付いてきた商人は縁の刺繍で飾った濃い青色の外套を羽織っていたが、馬を引いている使用人が着ている服は着古されて、いつ洗濯をしたのか判らない程汚れていた。

 使用人は馬車から二メートル位の木の棒を降ろすと近くの木の枝にその棒を吊し始めた。長い棒の中央と両端に丈夫そうなロープの輪が付けられている。その棒の中央のロープを鉄のフックで木に吊すと、両端のロープの輪に平たい鉄の板をつり下げた。簡易の天秤はかりだ。

 片方の台に円筒型の鉄のおもりを数個乗せた。

 その商人に気がついたシモンが倉庫の奥から出てきて声を掛けた。

「ランスさんその天秤、ごまかしは無いでしょうね?」

「冗談だろう小僧。昨日お前が自分で調べたではないか」

 ランスと呼ばれたその商人は小馬鹿にした様な笑いを浮かべてシモンに言った。

「あの後、倉庫にある量りで調べたらやっぱり違いが出たんですよ。倉庫の量りを使わせて下さい」

「小僧、変な言いがかりを付けるのなら魔術師の館へ訴え出るぞ。俺は魔術師様と親しいのだからな。お前の主人のフレッドがこの町で商売が出来なくなるぞ」

 それでもシモンは諦めきれなかった。何かの細工をして誤魔化しているに違いないのだ。


 魔術師の塔では料理の仕上げを行っていた。エレナはシンディに料理を運ぶための大鍋の下に生野菜を敷き詰める様にいい、その上に鉄串から外した焼き肉料理を乗せた。肉を焼いた時に出来た肉汁は小さな鍋に移して、少しの小麦粉を水で溶いた物と潰したトマトを入れ、一緒に暖めなおした。

「シンディ、一階の食料庫からビンに詰めたハーブを取ってきて頂戴」

「どれでも良いの?」

「シンディの手の平より小さな葉っぱなら何でも良いわよ」

 シンディは石の階段を下りて一階奥にある食料庫へ向かった。この塔へ来てまだ二週間しか経っていなかったが、塔での暮らしにもすっかり慣れ、夜に泣いてエレナを困らせる事も無くなった。

 食物庫には一週間分の食べ物があった。魚の干物や乾燥肉を入れれば、今の人数では倍以上は暮らせそうである。どの木箱にもカギがかかっていなかった。

 旅芸人のキャラバンにいたシンディがこの塔に来て不思議に思う事は沢山あった。塔には下着でうろつく女が誰もいない事もそうだった。旅芸人の間では人前で裸になる事は儘ある事だった。芸用の衣装に着替えるのに一々男の視線を気にしていられないからだ。それに頭領のアモスの部屋では、服が汚れるという理由でシンディは裸で身の回りの世話をさせられていた。若い男達は卑猥な笑いを浮かべてシンディを見ていたのだがその理由を幼いシンディは知らなかった。

「下着で部屋を出てはだめよ。人前ではキチンとした服装をしているのよ」

 キチンとした服装の中には、清潔な事も含まれていて、シンディが服を汚すとすぐにエレナが着替えさせて洗濯をした。汚さない様に気をつける事は大変だったが、清潔な服を着ると、気持ちが爽やかになる事にも気がついた。

 シンディが一番不思議に思ったのはお金の事だった。三階の食堂の脇には、石をはめ込むだけの隠し戸棚があって、そこには金貨や銀貨が沢山置いてあった。皆、その事を知っているのに無断で取ろうという人がいなかったのだ。これが旅芸人一座であれば、次の日には空になっていたに違いない。

 しかしシンディ自身、この塔に来てからお金は全く使わなかった。決して贅沢ではないけれど毎日エレナが作ってくれる暖かい食事があり、服や髪飾りはエレナが作ってくれた。

 町の小物屋で売っている飾りは金や銀を使っていて華やかだったが、シンディは竹やリボンで作ったエレナの髪飾りの方を気に入っていたので店の飾りを買おうとは思わなかった。ガエフの町でジーナから貰った銀貨五枚はベッドの中に隠したままだった。

 旅芸人達があれ程金を欲しがったのは一体何の為だったのだろう。

 食物庫の棚には様々な食材が入ったビンが沢山並んでいて、その殆どがシンディの知らないものだった。迷っていると後ろから声がした。

「どうしたのかね」

 外から帰って来たニコラがシンディに声を掛けたのだ。

「お肉料理に使う葉っぱを取りにきたの」

 ニコラは棚から一つのビンを取ってシンディに渡した。

「こんな早い時間から肉料理なのかい?」

「ううん、料理を沢山作ってハンスの所に持っていくんだってジーナ姉さんが言っていたの」

「手では持っていけないな。馬車の準備をするけれど、シンディ手伝ってくれるかい?」

 この塔はいい人ばかりだと思った。シンディは頷いてニコラの後をついていった。


 シンディがハーブを取りに行っている間に、二階に寝ている老人の為に煮込んであったスープに新しい肉や野菜をいれてボリュームのあるスープに作り直した。

 仕上がった料理を大鍋にいれて運ぶ準備をしていた。ソースとスープはそれぞれ土焼きの壺に入れている。

「随分大きな荷物になってしまったわね」

 ジーナは独り言の様に言った。小柄なジーナ一人では運べそうにない。

 ニコラがシンディと共に厨房に入ってきた。

「シンディから聞いたよ。若者二人の為に料理を持って行くそうじゃないか。荷馬車を準備しておいた。馬車はエニブが引いてくれるだろう」

「お爺さんありがとう。良かったわね、ジーナ」

「有り難う、ニコラさん」

「だがジーナ、港町へ着くまでに冷めてしまうぞ」

「向こうで暖め直すわ」

 シンディが持ってきたビンからハーブを一掴み取り出してポシェットに仕舞った。食べる直前に料理の上に乗せるのだ。

「では、二階の竈から鍋用の台を外して馬車へ乗せてあげよう」

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