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ジーナ  作者: 伊藤 克
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四十八 ギロの魔術師・ギロの荷役仕事(三)

 検問所から更に西へ歩くとすぐに港のある海岸沿いに出た。潮の香りが清々しいが海から吹く冷たい風はかなり強く、ジーナのマントの裾が大きく煽られている。

 波が石を積み上げて作られた防波堤に当たって泡を作っている。波に揉まれているその防波堤はとても長持ちする様には見えなかった。

 その昔は砂浜でできた入り江で、漁師達の船が並んでいたという。

 漁師の船といっても大きなものではなく、三人は乗れない小さなもので、中央のマストには麻布でできた三角の帆が張られた、遠出には不向きな船だ。港町で取れた魚は荷車に乗せて近郊の町や村へ売りに出ていたのだ。

 それが今から十数年前にダンク・コリアード軍が来て海を掘り返して岸壁を作った。海の底を掘り返し、崩れない様に石と杭で補強して荷役船が寄港できる様にしたのだ。荷役船は岸に着る事が出来たが、離れた所に停泊しているガレー船の様な底の深い船は直接岸に着ける事はできなかった。北の外れにある港町になぜこの様な港を作ったのかは不明だった。


 カモメが空を飛んだり、海面すれすれに飛んで獲物を探したりしている。マストの頂上や帆を吊す横桁で休憩している鳥もいる。

「ハンス、あの大きな船がなんて呼ばれているか知っているかい?」

 無言で歩く事に飽きたのか、二人は再び話始めた。例のカラスは見あたらなかった。

「ガレー船だろう。あの船の船長が魔術師の館にも出入りしていたよ」

「あれは囚人船と呼ばれているのさ。百人以上の囚人を乗せているんだ」

「フーゴ、それじゃあ荷物を載せる場所がないじゃないか。何のために囚人をそんなに乗せる必要があるんだろう。何処かの監獄へ運ぶのかい?」

「囚人が船を漕ぐんだよ。大陸の北を廻る時に風向きが悪くて帆じゃ進めないから漕ぐんだって、誰かが言っていたよ」

 バリアン大陸には監獄が何カ所か存在していたが、陸地にあるのは首都ハダルの監獄だけで、あとは皆離れ小島にあった。北のバレモア高地の更に北にある離れ小島、ケリーランス公国から更に南へ行った所にある離れ小島が有名だった。

「船に乗れるなら監獄よりも良いんだろうな。きっと」

「甘いよ、ハンス」

 ガレー船の話ならジーナも聞いた事があった。ケリーランス公国でローゼンが鍛冶屋をしていた頃の事だ。

 船と言えば聞こえは良いが、フーゴが言った様に、百人以上の囚人が鎖で繋がれて死ぬまで船を漕ぎ続けるのだという。勿論、港に着いてもその鎖は外される事がなく、兵士が常に監視していて、一ヶ月足らずで気が狂う者がでる程過酷な労働なのだ。自殺さえ許されないが、病気や怪我で働けなくなると殺されて海に放り投げられるという噂だった。

 その様な船を造らせたのはダンク・コリアード王で、進言したのは専属魔術師らしかった。人の命を犠牲にしてまで大陸の北を航海する必要が何処にあるのだろうか。ジーナには考えられない事だった。

 何処で仕入れた知識なのか、フーゴはガレー船についてハンスに説明を続けている。ハンスは納得していないらしく、盛んに質問している。


 港の風景に興味を引かれたが、今はフーゴとハンスを商人の所へ連れて行かなければならない。

 海沿いの道を南へ曲がった所に大きな倉庫が見えて来た。倉庫の後ろに屋敷も見える。紙商人フレッドの屋敷だ。ジーナが魔術師姿で訪れるのは二回目だった。庭の掃除をしている使用人がジーナの事を覚えていた。

「ケルバライト様、フレッド様がお待ちです」

 彼はジーナら三人を一階の小部屋に案内した。

 その部屋には厚い木の板でできた丸いテーブルを囲んで幾つかの椅子が置いてあった。椅子には複雑な模様が織り込まれた布が使われていた。

 ジーナは入口に近い所の椅子に座った。続けて隣に座ろうとしたハンスをフーゴが止めた。

「ハンス、こんな綺麗な椅子に汚れた服を着た俺たちが座ったら怒られるよ」

「確かにこの椅子は高級そうだね。こんな椅子、座った事がないよ」

 二人は先に座ったジーナの後ろに立つことにした。

 壁にも椅子と同じ模様が織り込まれた大きな布が装飾として掛けられていた。一目でガナラ山と判る山が右側に描かれカテナ山脈と思われる山並みが左へと伸びている。北にあるガナラ山が右に見えるという事は首都ハダルから見た景色に違いない。夏の風景なのだろう、山の木々が濃い緑色をしている。

 少女が小さなティーカップを持って現れた。ナンシーだ。

「フーゴ、ハンス、座って頂戴」

 若い二人がジーナの両隣に遠慮がちに座った。堅い木の椅子に座り慣れている二人にとってクッションの効いた椅子は座り心地が悪かった。

「ナンシー、久しぶりだね。元気だったかい?」

「ええ、私は元気よハンス。ケルバライト様、あの時は有り難うございました。私、気を失ってしまって申し訳ありません」

 ナンシーは伏し目がちにジーナを見ながら言った。

「もう少しで命を落としかねない事だったからね。仕方のない事だよ」

 ジーナはアルゲニブが作り出す男の声で答えた。普段のジーナには似合わないバリトンの声だが、魔術師姿の時には貫禄のあるその声が小柄な体を一回り大きく見せていた。この声のおかげでケルバライトがジーナと同一人物だと思われずに済んでいるのだ。最近では、アルゲニブに頼らずに低音の男の声を作り出しているのだが、ジーナはアルゲニブがあっての男の声と思っていた。

「ケルバライト様、私、最近裁縫の勉強をしていますのよ」

 ナンシーはそういって手のひらの倍の大きさがある白い布をジーナに見せた。お金に余裕のある女性達の間で最近流行っているハンドチーフだ。そのハンドチーフの周囲には乱れた縫い目ながらもレースのリボンが縫いつけてあった。

 不器用なジーナは繕い物が苦手だったが、ナンシーが付けたリボンの縫い目はそのジーナよりも出来が悪かった。それでも、飽きっぽいナンシーにしては頑張った方なのだろう。差し出されたハンドチーフを一応見てからナンシーに返していった。

「上手になったな」

 カテナ街道でジーナのマントにコマドリ用のなめし革を縫いつけようとして出来なかった時に比べたら格段の進歩といえるかも知れない。ナンシーは褒められるのではなく、そのハンドチーフを若い魔術師に受け取って欲しかったのだが、その心はジーナには届かなかった。

 ナンシーはそれ以上ジーナに話しかける事ができなかった。無言の間ができた。

「ナンシー、美味しい飲み物だね。体が温まるよ」

 フーゴがナンシーに話しかけた。

「それは黒茶よ。東の大陸で取れる草の葉を乾燥させた物だそうよ。詳しい事は知らないけれどお薬の効能もあるみたい。お父様が船乗りに売る為に仕入れたものなの」

 それはカップに注いだ時に紅い色をしている事から紅茶とも呼ばれる飲み物だった。

 暖かい香りが立ち上っている。ジーナの頭に、有る筈の無い記憶が呼び覚まされた。石床の大きな部屋。四ヶ所ある入口には兵士が立っている。足の届かない椅子に座って食べるアーモンドクリームが詰まったパイとミルクがたっぷり入った黒茶。壁には家紋を刺繍した布が吊されている。メイドがケーキで汚れたジーナの口を拭う。これは香りに誘われた幻想なのか、あまりにも鮮明なイメージにジーナは戸惑った。

 最近同じ様な体験をした事があった。初めて魔術師の塔の食堂で感じた思い、ガエフの町で人形劇を見ていた時の思い。いずれも感傷的で切なさがこみ上げてきた。ひっそり暮らしていた北サッタ村での十二年、義賊ローゼンの戦いを見つめていたケリーランス公国での三年。そのいずれにも、今の妄想に該当する生活は無かった。

 物思いに耽るジーナの、他を寄せ付けない雰囲気に皆静かに黒茶を味わっていた。


 扉が開き、フレッドが大柄な使用人と共に現れた。フーゴとハンスは椅子から立ち上がり、フレッドに挨拶をした。

「フレッドさん、この前はありがとうございました」

「気にしなくてもいいのだよ。君たちのおかげで無事にガエフから戻れたのだからね。座ってくれたまえ。この男は倉庫の人足頭をしているホルガーだ」

 大柄で髪を短く刈り上げているその男の背はダンと同じくらいだったが、肩幅が広く、全体的にダンよりも一回り大きく感じた。腰には鍔もとが異様に広くて先が尖っている肉厚のダガーを差している。

 その男はフレッドの隣に座った。

「魔術師様、この軟弱そうな二人を使って本当に大丈夫ですかい?」

 まだ鍛えられていない子供の二人が心配になったホルガーはジーナに聞いた。

「ホルガー、この二人を死なない程度に鍛えて欲しい」

 そう言ってジーナは頭を下げた。

 フーゴは朝ジーナから受け取ったばかりの腰のダガーをテーブルに置いて聞いた。

「ダガーは外した方がよいでしょうか?」

「おう、また古くさいダガーだな。人足には刃物の使用を禁じているのだ。申し訳ないが、この屋敷へ置いていって欲しい、帰りに返してあげよう。ローブを切ったり、木箱の蓋を空けたりするのにナイフは必要だが、それはお前達が仕事に慣れてからの事だ」

 確かにその様な作業をするにはホルガーが差しているような頑丈なダガーが合っているのだろう。ハンスも腰のダガーをテーブルに置いた。

「魔術師様、昼食は皆持参するのですが、どうします? フレッド様にお願いして作ってもらいますかい? 金が無くで昼抜きの奴らもいますがね」

「ホルガー、教えてくれてありがとう、気付かなかった。塔で作って持っていこう。フレッド殿、給金は毎日彼らに渡して欲しい」

「魔術師様、金を直接渡したりしたら持ち逃げしちまいますぜ」

「ホルガー、そんな心配はこの二人には無用だ」

「判りましたケルバライト様。ホルガー、早速だが二人をうちの倉庫で使ってみてくれ」

 薄い紙の束を持った召使いのシモンが部屋の扉を開けてフレッドに話しかけた。巻紙にしか出来ないパピルス紙ではなく、最近フレッドが船乗り相手に商売している新しい紙だ。何枚もの紙が紐で綴られている。

「フレッド様、帳簿の準備ができました」

「では、倉庫へ行って積み荷の確認をしてくれ。数を誤魔化されないように気をつけるのだぞ」

 フーゴとハンスはホルガーとシモンの後をついて部屋を出て行った。

「シモンが二人に声を掛けてきた」

「仕事はきついけれど、ホルガーは信頼出来る人だから大丈夫だよ」

 二人は屋敷の隣にある倉庫に案内された。

 十数人の男達がたむろしている。

 薄暗い倉庫の板壁は隙間だらけで所々に修理した跡があった。その隙間から冷たい風が吹き込んでいる。誰かが明かり取りの為に窓を開けた。倉庫内が明るくなったが空気は一層冷たくなった。魚は置いていないのだろう、空気に生臭さは無かった。

 床も板が張ってあったが、茶色の乾燥した物がいくつも頃がっていた。その一つを摘んでホルガーが言った。

「これはネズミ取りのパンだから死にたく無かったら食うなよ」

「皆、集まってくれ」

 ホルガーが大声を出すと男達がホルガーの前に集まってきた。

「今日の仕事は昨日の続きだが、こいつらを紹介しておく。フーゴとハンスだ。こいつらはまだ仕事に慣れないから怪我をしない様、気をつけてやってくれ」

 男達が何かを囁いているがホルガーの隣に立っている二人には聞き取れなかった。

「作業開始だ!」

 ホルガーの号令で男達は一斉に作業にとりかかった。シモンは積まれている荷と手にした帳簿を確認している。倉庫の奥で木箱を天井近くまで積み上げる者、重たそうな穀物の袋を下ろしている者など様々だったが、フーゴとハンスは何をして良いか判らずに立ちつくしていた。

 ホルガーは倉庫の扉を開けていた小柄な男に声を掛けた。小柄といってもフレッドやハンスよりは背が高く、肩の筋肉が盛り上がっている。

「ダニー、こいつらの面倒を見てくれ。馬車への積み卸しをさせるんだ」

「ホルガーの旦那、今日は船積みの荷を運ぶ日ですぜ。軟弱な子供二人じゃあ今日中に終わりませんよ」

「大丈夫だ。あと二人頼んである」

「またトッシュの野郎ですか?あそこの奴らは痩せていて力も無いから使い物にならないんですがね」

「急な事だ。我慢してくれ」

 ホルガーはそう言って倉庫の奥にいるシモンの方へ歩いていった。

 フーゴは入口に立っているダニーに挨拶をした。

「ダニーさん、よろしくお願いします」

「ガキ共、途中で荷物を落としたりしたら承知しないからな」

 フレッドの知り合いだと言う事を知っているのだろう、ダニーの声は厳しいが、目は笑っていた。

 倉庫の入口に杖をついた男が片足を引きずりながら近寄ってきた。後ろに小柄な男の子が二人ついて来ている。二人共淡い栗毛で短い髪がカールしているが、顔が似ていないから兄弟ではないのだろう。怯えているのか、その二人はトッシュと呼ばれた男の顔を見上げている。満足な食事が与えられていないのだろうか、骨が透けて見える程痩せた体をしていた。

「トッシュか。この前手伝いに来た子供は途中でへたってしまったが、今度の子は大丈夫なんだろうな」

「ああ、大丈夫だ。代わりは幾らでも都合できるからな。そこの二人のガキは魔術師の館にいた小僧ではないのか?」

 フーゴとハンスはその男を見た。この町にある魔術師の館近くで見かけた事のある男だった。腰には両刃の剣を差している。トッシュが、数週間前にエマを襲おうとしてジーナに足を切られた男だとは知らなかった。

「はい、そうです。でも、首になりました」

 フーゴがそう答えた。

「そうか、魔術師も出来損ないだと悲惨だな」

 そう言い残してトッシュは帰っていった。痩せた男の子二人は不思議そうにフーゴとハンスを見ている。

「お前ら、怒るなよ。あんな輩はこの辺りにゴロゴロしているからな。相手にしていてはキリがないぞ」

 ダニーはそう言って二人を慰めた。彼もトッシュ同様、フーゴとハンスが魔術師の館を首になって町で働く事になったと思っていた。魔術師修行の為に荷役労働に来ているとは思っていなかった。

 空の荷車が倉庫の前に止まった。四人の子供はダニーの指示で倉庫入り口に積み上げられている荷を荷車に載せ始めた。


 見習魔術師の二人がフレッドの屋敷を去るとジーナも席を立った。ナンシーは窓辺へ寄って、屋敷を出る魔術師の後ろ姿を見えなくなる迄見送っていた。


 ジーナはフレッドの屋敷を出てから更に南へ曲がり、祠祭師の館跡への坂道へと向かった。この細い道は、嘗てギロにある魔術師の館を建てる時に石造りの祠祭師の館を壊して港町まで運ばせた時の道だ。ランプリング家が代々守ってきた祠祭師の館に使われている石を、魔術師の館を作る材料にしたのだった。

 ジーナはその坂を登らず、右側の海岸沿いの細い道を歩いた。その道は崖下で行き止まりとなっていた。おそらくガサの町の墓石の真下ににあたるに違いない。

 崖に背を向けて大きな岩の上に座った。左にある港町を横から眺める事が出来た。小さな港で大きなガレー船がひときわ目立っていた。あの大きさでは直接港に繋留する事ができないのだろう、やや離れた位置に錨を降ろしている。

 岩に当たる波が、小さな体で張り付いているフジツボやその周囲を徘徊している小さな蟹の体を洗っている。海流の関係なのか、その辺りの海底は深くえぐられていて、底が見えなかった。

 波が早朝の弱い陽の光を反射して碧い海に模様を作り出し、その光の断片の隙間目掛けてカモメが飛び込んでは魚を咥えて昇っていく。

 寄せる時の岩に当たる飛沫と短い音、返す時の小さな、尾を引く波の音。聞きながらジーナは浅い眠りについていた。

 横腹に温もりを感じてジーナは目が覚めた。いつ来たのか、バウがジーナに寄り添っていた。北サッタ村でもケリーランスでもバウとジーナはいつも一緒だったが、魔術師の塔に来てからは、そこで生活する者も増え、バウとジーナだけで過ごす事が殆ど無くなっていた。ジーナは黒毛になっているバウを横抱きにしてあごの下を撫でてやりながら再び目を閉じた。

 体温と共に、やや早いバウの鼓動を感じる。この子は今何を思っているのだろうか。

 

 浅い眠りを楽しんでいるバウとジーナの為にアルゲニブは薄い膜のバリアを張り、冷たい風が直接体に当たらない様にした。ジーナの心の隅に浮かぶ子守歌の断片を盗み聞きながら、荒ぶる事しか知らなかったアルゲニブは、己の意識の中に優しさという芽が育ちつつ有ることを感じていた。

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