四十五 新しい仲間達・白馬エニブ(二)
塔についた魔術師のジェドは馬を下りて近くの木に手綱を縛った。
竹林のほうから声が聞こえてくる。誰が話しているのかとそちらを見ると、数日前まで港町ギロにある魔術師の館で下働きをしていた子供二人が小ぶりのダガーで竹を切っていた。
「フーゴ、ケルバライト先生の魔方陣はすごかったね。たくさんの竹が一気にバサバサって切れていたよ。」
「ハンス、一本しか切れていないよ。まじめにやらないと鍛錬にならないよ。」
二人は古代語を唱えながら竹に向かってダガーを振るう。小さくはあるが、刃先から三日月輪があらわれては竹を切っていく。
独り言を言ってはダガーを振り回している二人が発する言葉の内容まではわからないが、きっと不満でも言い合っているのだろうとジェドは思った。彼らに魔術を教えた事が無かったし、魔術をそれほど深く研究した事がなかったジェドは、彼らが古代語を唱えながら竹を切っているとは想像出来なかったのだ。
竹を切るなら、鉈か鋸を使うのだが、小ぶりのダガーで竹を切らせるとは、この塔の主であるレグルス魔術師長もシャロン魔術師長に劣らず意地悪なやつに違いないとジェドは思ったのだ。
塔の門が開いていたので、断りなく大広間に入った。
十年以上前、シャロン魔術師長をはじめとする魔術師達は一時期、この魔術師の塔で暮らしていたのだが、仕事の中心となる港町ギロからは遠く、山の中にあるこの塔を気に入らなかったシャロンは、港町ギロに新しい魔術師の館を作らせたのだ。
大広間の全ての窓は開かれていて、差し込む陽の光が中を照らしていた。ジェドが居た時と違い、掃除が行き届いていて、石壁には竹細工の花瓶に野草が飾られている。
昼間だというのに、青いランプが一つ灯っていた。ジェドがこの塔にいた頃はまだ初級の魔術師試験を受けたばかりの頃で、その当時の魔術師長はレスター・マイルズという、真面目さだけが取り柄のような人物だったが、赴任してすぐに他へ転勤となった。
その後を継いだのがシャロン魔術師長だったのだが、『シャロンの罠にレスターが嵌められたのだ。』という噂が立ったものだった。
塔の中には、兵士らしき人影が見あたらず、兵士の代用として魔族を利用している物は多いが、その影もない。
勿論大魔術師長達が生み出す魔族の事は極秘とされており、ジェドのレベルでは知ることの出来ない秘密であるが、酒に酔うと口が軽くなるシャロンから、その内容は聞き出していた。さすがにシャロンでも魔族の生み出し方は知らない様だった
綺麗に掃き清められている床や、蜘蛛の巣がない壁、静まりかえった塔内。魔術師会が塔を去る時に、天井からつり下げられていた燭台のシャンデリアや、壁に吊されていた装飾品等を全て持ち去った。十年以上たった今、ジェド達が去った時と同じく、飾り気のない石壁だけの倉庫といった状態で、唯一異なるのは青いランプと粗末な野草が飾られた竹筒だけだった。それなりに風情のある大広間なのだが、ジェドはそれを感じる事が出来なかった。
兵士も魔族もいないこの塔の警備はどうなっているのかジェドが疑問に思っていた時、五、六歳の幼女が出て来てランプの下に小皿を置くと、ランプだとばかり思っていたものから小鳥が出てきて下の皿に置いてある餌をついばんだ。よく見るとそれは普通のランプではなく魔法がかけられた灯のようだ。その中を小鳥が自由に出入りしている。その小鳥は炎に焼かれた様子は無く、幼女へ顔を向けては鳴き声をあげていた。ジェドは今までその様な仕掛けを見たことが無かったが、名を知られた魔術師のレグルスの仕掛けだと思えば、どんな不思議も納得できそうだ。
小鳥の相手をしていた女の子がジェドに気づいて立ち上がった。
「エレナ姉さん、お客様よ。」
幼女が大きな声で呼ぶと若い女性が現れたが、使用人にしては清楚できれいな服を着ている。この時代、使用人は僅かな金で朝から晩まで働かされる、奴隷の様な生活を送る者が殆どだった。当然、着飾る余裕は無いのが普通だった。
ジェドは、『まさかレグルスの妻とその子供ということではなかろうな。』と思ったが、老齢のジェドにこんな若い妻がいる筈もないと思い直した。また、シャロンの相手をしている居酒屋の女と違って香水のにおいは感じなかった。
「魔術師様、どの様なご用でしょうか?」
「ケルバライト殿に会いに来のだ。取り次いで貰いたい。」
そのまま塔内に入ろうと足を踏み出したジェドだったが、かつてこの塔に住んでいた身であっても、今は此処の住人ではない。勝手に入る訳にはいかないと思い直してその女性に案内を請うた。
「ケルバライト様は今はおられません。」
「昼間からどこかで遊びほうけているのではないだろうな?」
「ケルバライト様は真面目なお方です。レグルス様のご用でお出かけなのだと思いますよ。」
「ではレグルス魔術師長殿はおられるか?」
エレナというその女性は、壁に飾られた野草と同じ様な刺繍がされている白いエプロンから小さな鈴を出して振った。透明な音が塔内に響く。
幼い子は魔法のランプの下で鳥と戯れていた。
奥の石段を年老いたレグルスが降りてきた。
「港町ギロのジェド殿、塔へくるなんて珍しいな。急な用でも出来たのかな?」
レグルスは、今は部下もいない一介の魔術師長ではあるが、かつては首都ハダルにある魔術修練所の所長を務めた事のある人物で、魔術師会でもその魔術力と人望は幅広い人気を持っている。ジェドは思わず緊張してしまった。
「レグルス殿、私は港町ギロの魔術師、ジェドだ。今日はケルバライト殿に用があって来た。」
精一杯の虚勢をはってレグルスに質問した。
「ケルバライト殿は出かけていて不在だ。用があるなら代わって私が聞こう。」
「彼は最近塔へ赴任して来たと聞いた。しかし、今だに港町ギロにある館へは何の挨拶もないのは無礼な事だ。そこで、館へ出頭する様、言いに来たのだ。」
「ジェド殿、ケルバライト殿が港町ギロへ出頭する必要は無いと思うが?」
「今は港町ギロにいる私達魔術師はこの塔を一時拠点にしていた。この塔は分室の様なものだ。従って、塔へ赴任したものはシャロン魔術師長へ挨拶にこなければならない。」
「そなたらがこの塔を去って廃墟となるところだったのだ。それをそなたらが去るときに私が譲り受けて使用している。港町ギロの館とこの塔は直接の関係はない。」
確かにそうだった。港町ギロにある魔術師の館はガエフ公国にある大魔術師長の配下となるが、塔の長であるレグルス自身に与えられている役割は、魔法陣の研究と研鑽であり、大魔術師長幹部会直結の機関という事になっている。
しかし、事情を知らないジェドにしてみれば、経理上では港町ギロと同じガエフ公国の館の配下となっている塔を、どうしても規模の大きい自分達の館の配下に感じてしまうのだ。
「しかしレグルス殿、給金はガエフの館から運ばれている筈だ。」
「それは事務手続き上の問題だ。私の機関といっても数人しかいないが、役割は魔術研修所の延長線上にあるのだ。帰ってシャロン殿に聞いてみる事だな。」
「ではどうしてもケルバライト殿には合わせて貰えないと言う事か?」
「合わせたくても彼は不在だ。先ほど言ったように、そなたが彼に会う用事は無いと思うが、伝言なら私にいって貰えれば彼に伝えてあげよう。」
レグルスに言い負かされた感のあるジェドだったが、さらに食い下がる。
「聞くところによると、ケルバライト殿は魔術師の初級試験も受けておらず、魔力の指輪も授けられていないという。私よりもはるか格下の者は、上の者に敬意を払いにくるべきだと思うのだが?」
「ジェド殿、私は試験を受けた事も無ければ、魔力の指輪を使った事もない。そなたは私がそなたの格下だと思っているのか?」
レグルスは語気を強めて生徒をさとす様に言った。
若いジェドがレグルスに直接教えを請うたことは無いにしても、先輩魔術師達からレグルスの噂は聞いており、レグルスを自分より格下だ等と間違っても言える筈はない。ジェドには返す言葉が無かった。
「レグルス殿、この塔には警備兵が居ない様だが、お困りなら私が連れてこよう。」
立場がなくなったと思ったジェドは話を変えた。
「この塔の事なら心配は無用だ、私とケルバライト殿、それに見習とはいえ若い魔術師が二人いる。これで賊を防げないようなら魔術師の塔とは言えまい。それに、この塔には賊に入られて困る様な金品は無い。」
確かに、最初にジェドが感じたように、この塔には金目の物は無さそうだ。魔術師長であるレグルスですら港町ギロの魔術師達では考えられない程粗末な格好をしており、貴金属は身につけていない。
「分かった。しかしケルバライト殿に落ち度があった時には私が罰を与える事になるかも知れないぞ。」
ジェドは精一杯の虚勢を張って塔を出た。二人の会話を黙って聞いていたエレナとシンディはその後ろ姿を見送った。心配そうにシンディが聞いた。
「レグルス様、ケルバライト様はあの魔術師様に虐められちゃうの?」
「心配無いよシンディ。あんな男相手ではケルバライト殿は魔術を使う必要もあるまい。」
数多くの魔術師に接してきたレグルスは、初めて会ったジェドの魔力がひ弱である事を感じ、その様な男が中級魔術師試験に合格したのが不思議に思えた。真摯に魔法陣を研究してきたレグルスには、不正を働いて試験に合格する者がいる事を想像だに出来なかった。
魔術師の塔に来ては見たものの、ジェドにとって全く良い所はなく、レグルスに体よくあしらわれたジェドは不機嫌だった。疑念のケルバライトなる人物に会う事すら出来なかったのだ。
塔の外には待っている筈のクライドは居ず、立木に繋いだクライドの馬は不機嫌なまなざしをジェドに向けて来る。ジェドのいらだちはつのった。
男女の話し声が聞こえてきたので街道へ出る道を見ると、兵士のクライドが少女と談笑しながら歩いて来るのが見え、その後ろから白馬が付いて来ている。ジェドは大声でクライドを呼んだ。
「おい、何をしている。馬を処分して早く来いといったろう。」
クライドに迷惑をかけてはいけないと思ったジーナはジェドに近寄って話しかけた。ジーナはその魔術師が、数日前にカテナ街道で戦った男の兄だとは気付いていなかった。
「魔術師様、申し訳ありません。私が無理をいって塔まで付き添いをお願いしたんです。」
「兵士、処分しろと言った筈だがその駄馬をどうするのだ。」
クライドはジーナを見ながら、
「この娘が塔で飼いたいというので連れてきました。ジェド様が捨てた馬なので構わないと思いますがよろしいでしょうか。」
白馬の姿を再び見て勿体ないとも思ったジェドだったが、いまさら連れて帰るとも言えない。
「女子供が馬に乗れるとも思えないが、この辺ではその馬を金に換える事は出来ないぞ。シャロン魔術師長殿の持ち物だった事で有名だからな。」
「ありがとうございます。魔術師のケルバライト様はきっとお喜びになると思います。」
自分に敬語を使うのは恥ずかしく思いながら、ジーナはそう言って頭を下げたが、ここでケルバライトの名が出たことでジェドはますます不機嫌になった。
「娘、駄馬の扱いに困ったからといって魔術師の館に返しに来るなよ。ケルバライトがどんな若造かは知らないが、私でも乗りこなせなかった馬なのだからな。」
乗馬の下手なジェドが乗れるのなら、ジーナというこの娘でも乗る事が出来るに違いないと思ったクライドは思わず吹き出しそうになった。
白馬が目の前にいるジェドを嫌っている事がジーナに伝わってきた。
後になってから、『馬を譲った覚えが無い。』とこの魔術師が言い出しても困ると思ったジーナはこの馬のためにもだめ押しをしておこうと思った。
「魔術師様、お名前をお教え下さい。」
「その馬に名はない。」
「魔術師様の名はジェド様と仰るのだ。」
クライドがジェドの誤解に気付いて言った。聞かれたのが自分の名である事に彼は気付かなかったのだ。
ジーナはポシェットから布きれを出すと『魔術師のジェド様から白馬を頂いた記念。ジーナ。』と書き、続けて日時を書き込んだ上で、ジェドにサインを頼んだ。
子供の頃から読み書き、特に文字の形を厳しく教えてくれたソフィおばあさんのおかげで、ジーナは綺麗な文字を書く事ができた。旧コリアード王家の家庭教師が使っていた字体だ。
だが、地方出身のジェドがその事を知る筈もない。勿論、本人のジーナも知らない事だが、王家と手紙のやり取りをしていた事のあるレグルスだけはその事に気付いていた。
塔でレグルスに気まずい思いをさせられていたジェドは、早く立ち去りたい事もあって、何の考えもなくサインをすると、クライドの馬に乗った。
「兵士、この馬は港町の館に繋いでおく。後で取りに来い。白馬から外した鞍は持ってこいよ。高級品だからな。」
そう言い置いて去ってしまった。
「私の馬にして良かったのかしら。」
「大丈夫だよ。ジェド様が捨てた馬だからね。それに、サインまでしてはさすがの魔術師様も取り返す事はできまい。」
「立派な白馬ですもの。傷が治れば元気になるわ。その鞍、直した方が良いかもしれないわね。」
「そうだな。次の馬もまた鞍傷ができてしまう。ジェド様が帰ったので私の用は無くなってしまった。帰るとしよう。エマにあったらよろしく言ってくれ。」
クライドは話しかけるように馬の首をやさしく叩いてから鞍を手に持ち、港町へ向かった。
「とりあえず、レグルス様に報告しましょう。」
ジーナは白馬の手綱を近く木の枝に引っかけて塔へ入ると、魔術師の後ろ姿を見送っていたシンディが抱きついてきた。旅芸人一座から離れてからはジーナが保護者だった。
「シンディ、新しい仲間が出来たわよ。優しい馬だから怖がらなくても良いわよ。」
「馬ならみんなと旅をしている時に乗ったりしていたから平気よ。」
シンディにとって旅芸人一座のキャラバンは物心ついた時からいた場所であり、生活の全てだった。他の生活を知らなかったのだ。頭領アモスの虐待に耐えていたシンディを救ってくれる者はあの一座には居なかった。
アモスはガエフのサイラスという魔術師に殺されたが、他の者による虐待が続くに違いないと思ったジーナは、アモスの死を機にこの塔へ連れて来たのだった。
来た当初は辛い生活を思い出すのか、寂しさからか、夜中に良く泣いていたが、最近は落ち着いている。
五、六歳の幼いシンディにはまだ難しい事は分からないだろうが、ここには見習魔術師や犬のバウ、ダンの鍛冶屋にいる子供のビルがいる。この馬もシンディの友達になってくれると良いとジーナは思いながら馬の首筋をなでた。
「この馬の名前は何というの?」
クライドは、この馬に名前が無いといっていた。
「シンディ、まだ名前が決まってないのよ。」
「名前がないなんて可哀想だわ。」
背の低いシンディは手綱を引いて強引に身分に顔を向けさせた。
「シンディ、乱暴にしちゃだめよ。馬が怒ってしまうわ。」
シンディは馬に語りかけているようだが、何を言ってえいるのかジーナには解らなかった。馬には理解できたのだろうか、それともシンディの優しさが伝わったからか、うなずく様に頭をゆらしている。
『アルゲニブ、馬の名前をどうしようか。』
悩んだジーナは異界の指輪であるアルゲニブに問いかけた。
『私が付けるなら古代語から選びたいな。』
『ホワイトとかブラウンみたいな普通の名前じゃだめなの?』
暫く間を置いてからアルゲニブが言った。
『私の名も古代語なのだよ。たとえ馬であっても私と同じ世界の名前が付けば親近感が沸くというものだ。』
ジーナもある意味独りぼっちだったが、アルゲニブは本当に独りぼっちなのだとジーナは改めて思い、馬の名前をアルゲニブに決めさせる事にした。
『そうね。古代語の名を付けたからといって馬が魔力を持つ事は無いだろうけど、でも、アルゲニブがいうのなら私は構わないわよ。』
しかし、古代語をバリアン大陸で使われている言語に置き換える事は非常に難しい事でもあった。
『名前なら多少言葉が違ってもよかろう。ジーナが勝手に借用してしまった、異界の貴族であった私の元のご主人様のケルバライトという名も古代語なのだからな。こちらの発音とは異なっているが。』
『人聞きが悪いわね、ケルバライトの名はアルゲニブが決めたのよ。私のせいじゃないわ。』
確かに、この名を言ったのはアルゲニブで、ガエフの魔術師の館での事だった。
『ジーナ、エニブにしよう。』
『どうして?』
『この馬、鼻先に星形があるだろう。エニブというのは古代語で馬の顔先という意味があるのだ。発音は少し違うが、ま、いいだろう。』
アルゲニブの記憶には、前にいた異界の世界でエニブという名の馬に出会った記憶が微かにあったが、定かではなかった。ジーナとの絆が深まるにつれて、前にいた異界での記憶が少しずつ薄れているのを感じた。
「シンディ、この馬の名はエニブよ。エニブもシンディと仲良くするのよ。」
ジーナは手のひらを通して馬へ自分の心を送った。エニブという名を嫌ってはいないらしい。
馬に気付いたフーゴとハンスも竹刈を止めて近寄ってきた。
「その馬は怪我をしているから気をつけてね。」
馬の傷ついた背を指し、皆にそういってからジーナは塔に入ると三階に上がり、レグルスの扉をノックした。
「レグルス様、ご相談があります。」
「馬の事なら聞こえていたよ。私は馬の世話をする事が出来ない。若い者達で世話をできるならこの塔で飼っても構わないだろう。」
「ありがとうございます。」
ジーナは馬の事は詳しく無い。細かい事を聞かれたらどうしようかと思っていたが、あっさり許してくれたので、逆に驚いてしまった。
もっとも、レグルスにしてみれば、今までいた何処の場所でも兵士達がいて、彼らが飼う馬がいるのは普通の事であり、逆に兵士も馬も居ない事が不自然なくらいだったのだ。
再び塔の外へ出ると、若者達がまだ馬のそばにたむろしていた。
「みんな、仕事をしないとレグルス様に怒られるわよ。」
フーゴとハンスは慌てて竹林へ戻った。
「シンディ、ビルの所へいくわよ。」
ジーナは、馬の飼い方について相談するために、シンディと白馬をつれてダンの鍛冶屋へ向かった。馬の扱いに慣れていないジーナは手綱を持つ事に気が回らなかったが、垂れ下がる手綱を邪魔そうにしているエニブに気付いたシンディが手に持ってジーナの後を歩いた。シンディがいた旅芸人一座では馬が近くにいるのは日常の事だったので、ジーナよりは馬の扱いに慣れているといえる。
すれ違う町の人達は幼いシンディが馬を連れているので驚いて振り返って見ている。
ダンの鍛冶屋が見えてきた。店の前でビルが老人と言い争っている。
ジーナは小走りで鍛冶屋へ向かった。シンディがその後を追うと、エニブも早足で後をついて来た。
「お爺ちゃん、そんなゴミみたいな鉄の塊持って来たって使い物にならないよ。」
「坊や、そんな事言わないで幾らでも良いから買っておくれ。ダンの親方ならいつも買い取ってくれるぞ。」
「だってそんなもん、使い物にならないじゃないか。」
「ビル、どうしたの?」
老人は不思議そうにジーナを振り向いた。秋も深まるというのに、上着は継ぎ接ぎだらけで、ブラッカエと呼ばれる昔ながらのズボンは生地が薄くて穴が空いていた。
「ジーナ、久しぶりだね。このお爺さんがお金をせびりに来るんだ。帰ってくれっていっているのに、言う事を聞かないんだ。」
シンディがビルを睨みながら、ポシェットから小銭を出してその老人の手に掴ませた。
「お爺ちゃん、私が買うわ。ビルは意地悪だからもう行った方が良いわよ。」
「お嬢ちゃん、ありがとう。」
その老人は何度もシンディの手を握り、鉄の塊をシンディの小さな手に掴ませてから去っていた。
「意地悪なビルはだいっきらい。」
シンディはそう言うと、鉄の塊をジーナに渡してからエニブの後ろに隠れた。
「ビル、今のお爺さんは誰なの?」
ジーナがビルに聞いた。
「分からないよ。時々鉄屑やゴミの様な物を持って来るんだ。ダン親方は買ってあげるけど、使い物にならないゴミを持って来たって困るだけだろう。ジーナ、その馬どうしたの?」
馬の陰からシンディが答えた。
「ジーナ姉さんの馬よ。素敵でしょ。でも意地悪なビルには触らせてあげないわ。」
「ビル、どうしたんだ。」
所々に焦げ跡が付いた革のエプロンを着けたダンが作業場から出てきた。
「親方、いつものお爺さんが、また屑を売りつけに来たんだ。」
「ビル、お年寄りには優しくするものだぞ。それに屑といっても鉄は貴重なんだ。魔術師会が買い占めているからな。」
「そうよ。買ってあげなきゃだめよ。」
ジーナはシンディから渡された鉄の塊をダンに渡した。
「ジーナが連れてきたという女の子というのはこの子か?」
「私シンディ、ジーナ姉さんの妹よ。」
ダンに挨拶をした。
「ダン、今のは何処の人なの?」
「北の方に住んでいるらしい。ジーナは北サッタ村にいた事があるのだから知っているのではないのか?」
ジーナは首を横に振った。北サッタ村でローゼンと暮らしていた頃は村の人達との交流は殆ど無かったし、村とは言っても粗末な家がカテナ山の麓に広く点在しているだけだったのだ。ジーナは自分の世話をしてくれたソフィーお婆さん以外の村人と親しくした覚えは無かったのだ。今思えばローゼンが、ジーナを人に会わせない様にしていたに違いなかった。
ダンはエニブに目をやった。
「ジーナ、この立派な白馬はどうしたんだ。金貨数十枚で買えるそこいらの馬とは訳が違うぞ。」
「港町ギロにいる魔術師のジェド様に頂いたのよ。」
「ただでか?」
「兵隊のクライドさんの話だと、馬がジェド様に乗られるのを嫌がるのだって。それで怒って捨てようとしたらしいわ。」
ダンは馬の周囲を一回りした。白馬はダンの事が気になるのか、目で追いかけている。
「それはないだろう。こんな立派な馬なら買い手は幾らでもいるぞ。」
「ダン、これを見て。」
ジーナはジェドがサインした布きれを見せた。一見、記念の書き付けに見えるが、日付、贈られた馬の事と両者のサインが描かれており、正式な契約書として十分通用する内容になっている。
「ジーナ、抜け目がないな。何処で修行したんだ?」
「ケリーランスでの三年間に色々あったわ。その頃の知り合いには会う事が出来なくなったけれど。」
「立派な馬だが、運動不足だな。」
「背中に傷があるのよ。」
そういってジーナはエニブの背中についている傷を見せた。
「これは癖になっているな。」
「どういう事?」
「何度も同じ場所がすれて鞍傷が出来やすくなっているんだ。当分鞍は付けられないぞ。」
「でもいいわ。乗る予定があるわけではないから。」
そういって、ジーナは手のひらを馬の背中へあてた。傷を癒そうとしての事だったが、気づいた者はいない。エニブだけは気づいたのか、首を曲げてジーナの顔を見つめた。
「ダン、馬の世話の仕方を教えて欲しいの。」
「なんだ、世話も出来ないのに魔術師から取り上げたのか?」
「取り上げたなんて人聞きが悪いわよ。向こうから私にくれたのよ。」
「馬の世話は大変だぞ。」
「私が世話をするわ。」
シンディがダンにそう言った。
「幼い子に馬の世話は無理だろう。」
「エニブの世話ならエレナ姉さんも手伝ってくれると思うわ。それにニコラお爺さんもいるし。」
「その馬の名はエニブというのか? 変わった名だな。しかしシンディ、ジーナは塔を留守にする時もあるぞ。本当に大丈夫なのか?」
ダンは、ジーナはいつまでもガサの町に居るつもりはあるまいと思っていた。この町に来て一ヶ月が立つというのに、未だに宿屋住まいをしていて、持ち物が増えている様子もない。初めて会った時の様にいつも質素で、旅支度ともいえる服装をしている。この町に腰を落ち着ける気が無い事はその服装からも分かる。
「ダン、エニブの事なら大丈夫よ。なんとかなると思うわ。」
「私、いままで大勢で旅を続けてきたの。だから馬の世話には慣れているのよ。」
「ダン、シンディは芸人一座にいて、馬の世話には慣れているみたい。」
ダンは、この馬がジーナの物になるとは本気で思ってはいなかった。港町ギロの魔術師の事だ。すぐ取り返しに来るだろう。しかし、短い間であっても馬の世話をする事はジーナにとって良い経験になるに違いない。
「もうひとつ相談があるのだけれど。」
「何だ。これ以上迷惑を掛けられるのはごめんだぞ。」
口ではそう言ったが、本気で思っているわけではない事は笑っている目が語っていた。
「仕事の合間で良いからビルを魔術師の塔によこしてほしいの。」
「何故だ。」
ジーナはシンディの顔を見ながら言った。
「この子は塔ではひとりぼっちなの。だから、時々ビルに相手をして欲しいわけ。その代わり、文字を教えるわ。最近文字の勉強をサボっているようだし。」
ジーナがビルを魔術師の塔へこさせるのはシンディの事ばかりでは無かった。魔法陣を描く素養のあるビルのその才能をレグルスの元で伸ばしてやりたかったのだ。しかし、何も知らないダンに、今の時点で本当の事をいう訳にはいかない。
普通の魔法陣と違って、ビルの描く魔法陣には魔力が込められているのだ。それは古代語を唱えなくても魔法の効果を持つという、あまり聞いた事が無い才能なのだ。魔法陣を研究してきたレグルスなら、その才能に気付き、伸ばしてくれるに違いない。
「分かった、ビルの事はジーナに任せよう、冬場は農具の注文も少ないから良いだろう。但し、一日二、三時間にしてくれ。俺の仕事も手伝わせなきゃならないからな。」
そういってダンはビルの頭を軽くこづいた。
三章 「新しい仲間たち」での主な登場人物
ジーナ………………………旅の少女(魔術師としての別名ケルバライト)
バウ…………………………ジーナの飼い犬、狼との雑種犬
アルゲニブ…………………異界の指輪(ジーナの指にはまっている)
レグルス・アバロン………魔術師の塔に住むガサの魔術師長
エレナ………………………魔術師の塔の使用人
ルロワ………………………祠祭師の一人息子
フーゴ、ハンス……………見習魔術師
シンディ……………………旅芸人一座の子供
フレッド……………………港町の紙商人
ナンシー……………………フレッドの娘
アラン・ブランデル………ガエフの警備兵
エドモンド…………………ガエフの強盗団首領
アレックス…………………ガエフの紙商人
サイラス、ヴァル…………ガエフの魔術師
シャロン・ベイトン………港町ギロの魔術師長
ジェド………………………港町ギロの魔術師
ダミアン……………………盗賊、港町の破落戸
エニブ………………………ギロの魔術師ジェドの馬
「ジーナ 三章 新しい仲間達」が終了しました。
ここまでお読みいただき有り難うございました。
(ちょっと強引ではありますが、一区切りにしたいと思います)
「四章 ギロの魔術師」(仮題)では、港町ギロの魔術師との確執、争いを中心にしたいと思っています。
ご意見、ご感想などありましたら、お寄せいただけると幸いです。
(春を迎えようとするこの時期、ジーナの世界では未だに秋です。)