四十一 新しい仲間達・祠祭師の外套
塔の掃除が一段落したところで、ジーナは港町ギロの紙商人であるフレッドに会いにいく事にした。見習魔術師二人の仕事の事で相談に行くのだ。魔術師姿で出かける事にした。
ジーナは塔の左側へ回った。ここに隠し部屋へ入る隠し扉があるのだ。魔法陣を探り、扉を開けて中に入る。以前、幽閉されていたレグルスを救った時に見つけたもので、今ではこの部屋が塔でのジーナの居室になっている。
以前にビルが作ってくれた、明かりの魔法陣が書かれたメダルをポシェットから取りだして首にかけ、ランプ代わりにする。初めて使用した頃は魔石の粉末を使用して光らせていたが、最近では自力で効果を得る事が出来るようになっていた。
自分の魔力が向上している事に気付いていないジーナはアルゲニブの指輪が持つ力だと思い込んでいた。相変わらず自分にはたいした魔力がないと思っていた。
この隠し部屋の事はレグルスとジーナしか知らない。また、この部屋の北の壁には隠された武器庫があるが、その事はレグルスも知らなかった。ガエフの町で、ケルバライトとして活動する時に使用した杖は、その武器庫で見つけたもので、石突き近くの握り手部分には立派な紋章が彫られていた。
鉄にしては軽くしなやかな金属で作られた杖だった。その杖には槍先が隠してあって、振り回す事で槍先が出てくる仕掛けになっていた。
ジーナはその武器庫へ入り、ダンが作ってくれた鉄の杖を置き、その紋章の杖を手にした。マスクをして、スカートから黒緑色の服とズボン姿に変われば男装のケルバライトとなる。アルゲニブが瞳の色を変えたのだろう、周囲が急に明るくなり、薄暗いはずの室内が良く見える様になった。
武器庫には様々な武器があったが、殆どは錆びているのに、いまだ錆びずに輝いている武器がある不思議さは、初めてこの武器庫に入った時に感じていた。
『アルゲニブ、始めてこの武器庫に入った時、ここは魔力で守られているといっていたわね。』
『ああ、そうでないと、錆びていない武器の説明がつかないだろう。』
『でも、武器そのものが魔力を持っている可能性だってあるわよ。』
『それはそうだが。』
『そうだとしたら、どうやって魔力を込めるのかしら。』
『一番簡単なのは、刃の厚いところみ魔法陣を描いてしまう事だな。』
『ダンが作ってくれた私のダガーに魔法陣を描こうかしら。ビルに頼めばきっと彫ってくれるわ。』
ジーナが彫った魔法陣でも多少の効果はあるのだが、ダンの鍛冶屋で修行しているビルは魔法陣を描く素養があるらしく、彼が彫る魔法陣には強い魔力が込められていた。
ジーナはそのダガーには既に別の文様が彫られている事を知らなかった。ダンによって隠し彫りにされた王家の紋章だ。
『早くビルに魔法陣の修行をさせないとね。』
武器庫に細長い片刃のソードがあった。刃は剃刀のように鋭い。両手で握ってみると意外と軽かった。
『切れ味は良さそうだけれど、鎧には通用しないわね。それに私の技量では使いこなせないわ。』
他にも、変わった弓や、鉈を先に取り付けたような形をしているスピア等、バリアン大陸では見かけない形の武器が何種類かあった。
良く見ると、武器が掛けられている壁に古代語が彫られた木の板が打ち付けてあった。どの板も朽ちていて、中には半分落ちかけているものもあった。
『アルゲニブ、この部屋は私達の時代のものではないのね。』
武器を元に戻し、武器庫を出て隣の隠し部屋に戻ると、隅に置いてあった椅子の埃を払い座った。
『この隠し部屋にベッドが欲しいわね。』
『ジーナ、タリナの宿を引き上げると、男の所へ泊まっているのではないかと疑われるぞ。』
『確かにそうね。それよりも稼ぐ事を考えないと、別の意味で疑われるわ。』
『盗賊と思われるかも知れないな。』
『いっその事フレッドに護衛の仕事を紹介して貰おうかしら。この辺りには極悪な窃盗団がいないようだから見習魔術師達の修行には丁度良いと思うわ。』
『たしかに破落戸程度の相手なら見習二人を少し鍛えられれば役には立つかも知れないな。』
ジーナは椅子に座ったまま、いつの間にか寝ていた。石壁の向こう、大広間から聞こえてくる、見習魔術師の気配で目が覚めた。塔の外に人の気配が無いことを確認してから外へ出た。
陽は西に傾きかけているが、まだ明るい。
『アルゲニブ、瞳の色を戻してくれないかしら。眩しいわ。』
『では暗くなったら色を変えてあげよう。』
この煩わしい注文に、自然に瞳の色を変える事が出来れば良いのに、とアルゲニブは思った。
『今着ている魔術師のマント、裾がすり切れているわ。』
『古い方が、貫禄があって良いと思うがな。』
まだ日暮れではないのに、冬が近づいているのか、港町ギロへ向かう道に吹く風は冷たかった。
町の入口にある検問所に警備兵が立っている。エマの知り合いのクライドだった。ジーナはいつもの様に声をかけるだけで通り過ぎようとした。しかしクライドは、ジーナの変装である魔術師姿のケルバライトを見た事は無かった。
「魔術師様、申し訳有りません。どちらへお行きでしょうか。」
アルゲニブがジーナの声を低い男の声に変える。
「マントが古くなったので買いにきたのだ。」
「港町ギロでは見かけませんが、どこの魔術師様でしょうか。」
クライドを初めとする警備兵の殆どはこの地区の魔術師を熟知していた。それは、傲慢な魔術師達が些細な事でも警備兵を呼びつけるからで、中には私的雑用を頼む者までいたのだ。また、ガサの町にいるレグルス魔術師長が港町ギロに来る事はなかったが、老齢である事は皆知っていた。
目の前にいる、若くて小柄な魔術師はこの地区では見かけない人物だったのだ。偽者だと疑うのは当然だった。
「最近赴任したので知っている者は少ないかも知れないが、私はガサの魔術師の塔にいるケルバライトだ。」
ジーナはクライドに見えるように、魔術師のペンダントを掲げた。
クライドはジーナの顔を一瞬見つめた後、言った。
「申し訳ありませんでした、お通り下さい。」
ジーナは黙礼して検問所を後にした。去っていく小柄な魔術師の後ろ姿をいつまでも見送っているクライドに別の警備兵が話しかけた。
「どうしたのだ。」
「魔術師の塔にケルバライト様という魔術師が着任したらしい。一瞬瞳が緑色に変わったのだ。不思議なお方だ。」
「煩わしい相手が一人増えたという事か。俺も顔を見ておけば良かったな。」
二人は姿勢を正し、気持ちを街道の警備に戻した。
ジーナは以前に寄った事のある、衣料品店に向かった。その店は魔術師の館の隣にあり、魔術師向けの衣類が沢山あったからだ。
思った通り、店には沢山の魔術師向けマントや冬物の衣類が天井から吊されていた。暗い店内でジーナの瞳が変わり、品物が良く見えるようになった。
ジーナを見て店主のライルが寄ってきた。以前に釣り銭を誤魔化した男だ。ライルは、この魔術師が以前に買い物をした男の子と同一人物だとは思っていない。
「いらっしゃいませ旅の魔術師様、何をお探しですか?」
ライルは、見窄らしい魔術師のマントを着たこの若者が、魔術師の館を首になったフーゴとハンスの代わりに下働きに来た見習だと勘違いしていた。
しかし、その事をあからさまに言う事も出来ない。いずれにしても貧乏人相手では商売にはならないと思ったのだ。見習いでは物を見る目も持っていないだろうと思い、試しに高級なマントを勧めてみた。
「こちらのマントをお買いになる魔術師様が多いですよ。」
ライルが勧めたマントは、黒い生地に金糸の刺繍がちりばめられ、宝石のボタンがついた高級な物だったが、見向きもせずにジーナは言った。
「その様なマントでは戦いの時には役に立たないぞ。自分の位置を相手に教える様なものだ。もっとしっかりしたつくりのマントはないのか?」
若い顔に似合わない貫禄ある声にライルは一瞬後ずさった。確かにこの若い魔術師の言う通りだったが、質素なマントを買おうという物好きな魔術師は今までいなかった。
「少しお待ちください。」
男が店の奥へ探しに行く間、ジーナは店内に吊るされているマントを眺めていたが、魔術師のマントに紛れている変わった外套を見つけた。黒い魔術師のマントに似てはいるが、濃紺のそれには大きめの縦襟がついていた。手にしようとしているところへ男が戻ってきた。
「魔術師様、こちらのマントはいかがでしょう?」
男は手にかかえていたマント何着かを店の棚に広げた。ジーナはその中でも丈夫な生地でできた質素なマントを選んだ。背の低いジーナにはやや長目だが、寒い冬に向かって丁度良いかも知れない。
「ところでこの外套は何用だ?」
濃紺の外套を指し、質問する。
「お客様、それは祠祭師の外套ですよ。魔術師様が着るような物ではありません。」
その外套は今ジーナが選んだマントの様に、しっかりした生地でできていて質素な作りに見えた。しかし、手にして良くみると裾に黒い糸で細かい刺繍が施してあり、胸には見覚えのある文様が同じ黒い糸で刺繍してある。その文様はランプリング家の墓に彫られていた文様と同じだった。
「店主、これを何処で手にいれたのだ?」
「その外套は私の知人が売りに来たものですが良い品ですよ。」
ジーナは魔術師の塔で寝たきりとなっているランプリング家の息子ルロワの為にも手に入れようと思った。
「他にも同じものはあるのか?」
ジーナの問いにライルは二枚の外套を棚から出してきた。間違いない。その二枚にもランプリング家の文様が刺繍されている。
「店主、この三枚の外套はランプリング家が追放された時に盗まれた物だ。ただでとは言わない。そなたが買った値で私が買い戻そう。」
突然妙な事を言い出す魔術師にライルは驚いた。この外套三枚は数年前にダミアンが持ち込んだものだ。ダンク・コリアードが王となってからすっかり没落してしまった祠祭師が買いに来る事も無いと思ったが、彼の顔をたてる意味で置いていたのだ。
「魔術師様、この外套がランプリング家のものである証拠はあるんですかい?」
ジーナが、生地と同じ黒糸で刺繍されている文様を指していった。
「ここにランプリング家の家紋が刺繍されているではないか。」
「私にはみえませんが。」
店内が薄暗い所為もあって男には見分ける事が出来ないのだと気づいたジーナは胸にしまっていた灯りのメタルを出し、刺繍を照らした。濃紺の生地に、丈夫そうな光沢のある黒糸で刺繍されている文様は質素な外套へ気品を与えていた。その文様はライルの目でも確認する事ができた。
ギロの町のほぼ中央にあるこの店は魔術師の館の隣にある。しかし、今目の前にいる魔術師の様に前触れも無く魔術を使う者はいなかった。殆どの魔術師は長い前置きをいい、魔術を行使する事が、有り難い事である事を示してから術を発するのだ。
ランプを灯すように、自然に灯りを生み出す魔術師に初めて出会ったのだ。ライルはランプリング家の家紋を知らなかったが、自信たっぷりに言い放つこの魔術師の言葉を疑う事はできなかった。
日頃からビルが作ったメタルの灯りを使用しているジーナは、店主が驚いているのは、ランプリング家の家紋を確認したからだと勘違いしていた。
「では売って貰おう。いくらだ?」
目の前にいる、小柄な魔術師は金持ちには見えなかったが、それでも魔術師のはしくれなら多少の金貨が持っているだろうと思った。また、今まで買いに来る者はいなかったので、この機会を逃すわけにはいかないと思ったライルは高額で売ろうと思い、値を告げた。
「司祭師の外套は特別な物です。外套1枚金貨二枚になります。」
外套一枚がそんな高額なはずがない。ジーナは、ケリーランス公国での三年間、ローゼンの鍛冶屋を手伝っていたので、それなりの価値観は持っていた。盗品を高額で売りつけようとしているに違いない。金貨を惜しんだわけではないが、元の持ち主であるルロワの事が頭に浮かんだ瞬間、ジーナの腰からダガーが抜かれ、店主の首に突きつけられていた。ダンが作ってくれたジャンビーヤに似せたダガーだ。
「店主、私は血を見るのが嫌いだ。言い間違いなら許してやろう。」
魔術師のダガーが抜かれた瞬間ををライルは見る事ができなかった。それ程素早い動きだったのだ。暗殺者であったチャン直伝の技を素人がかわせる筈もない。
「わ、わかった。全部で銀貨三枚だ。」
「荷造りをしろ。」
銀貨を渡されて命令されたライルは震えが止まらない手で荷造りをする。マント一枚と外套三枚は結構な荷物となった。
ルロワの不憫さが頭から離れなかったジーナは無言で荷物を背負い、店を後にした。
その荷物を背負った魔術師の後ろ姿を見送りながら、何処かで見た光景だとライルは思ったが、思い出す事はできなかった。
港町ギロの南にあるフレッドの屋敷は大きな倉庫が敷地に建っているのですぐに分かった。
門で使用人に案内を請うと、荷物を背負った魔術師姿のジーナを見た使用人がすぐにフレッドを連れて門まで出てきた。
「これはケルバライト様、よくいらっしゃいました。私の書斎へどうぞ。」
フレッドは二階にある書斎へジーナを案内した。
「ケルバライト様、二度にわたって私と娘を救ってくれてありがとうございました。」
そう言いながら金貨の入った巾着と、紙職人のクリフが造った新しい紙を一束ジーナに渡した。
何枚の金貨が入っているのかは分からなかったが、礼儀上、目の前で金貨を数える事はできない。ジーナは金貨と紙を有り難く貰う事にした。
「フレッド殿、ガエフの町からの帰りに同行した見習魔術師二人について相談があるのだ。」
「なんでしょう?」
「社会勉強と体力をつける為に、フーゴとハンスに町の中で仕事をさせたいと思っている。馬車の扱い方や船の漕ぎ方を知らないようでは一人前とは言えないのでな。」
フレッドは驚いた。いくら見習とはいえ、魔術師が力仕事をするなど聞いたことがない。しかし、ケルバライトの言う事にも一理あると思った。
「魔術師ではなく、普通の若者としてなら私の倉庫で働いて貰う事ができますが、しかし若いとはいえ、魔術師様。本人たちが納得するでしょうか?」
「分かった。本人達には私から言っておくのでお願いする。給金は毎日本人に渡してくれれば良い。漁師の仕事でも倉庫の荷役でも良いので彼らを鍛えてくれ。ところでナンシーは元気か?」
「最近は真面目に読み書きの勉強をしています。今日、食事でもどうですか、ナンシーが喜ぶと思います。」
フレッドはガエフへの旅を共にした魔術師がいれば娘ナンシーの気が晴れるのではないかと思ったのだが、ジーナはナンシーが苦手だった。食事の誘いを無視して話を続ける。
「力仕事だけでは経験が偏る。経験を積むためにも護衛の仕事等があれば紹介してほしい。」
「おお、それは皆喜ぶでしょう。実は、傭兵探しでは困っていたのです。この辺の破落戸達はいつ盗賊に早変わりするか分かったものではないのですよ。私の仲間達につたえておきましょう。」
港町ギロでは信用のおける傭兵を捜す事は困難だったのだ。現に、ガエフへの旅ではフレッド自身が傭兵に裏切られ、殺されそうになったところを魔術師姿のジーナに救われたのだ。
フレッドの屋敷を出る頃には辺りはすっかり暗くなっていた。
検問所には来た時と同じ兵士が立っていたが、顔を覚えてくれたのか、声をかけられずに通る事ができた。
「従者をつれず、荷物を自分で背負うなんて不思議な魔術師様だな。」
歩哨に立つ兵士の一人が言った。
「それに、この暗がりでランプを持っていなかったぞ。」
塔についたジーナは自室にしている隠し部屋で荷を解くと、祠祭師の外套を持ち、二階のルロワが寝ている部屋へ行った。レグルスは寝たきりのルロワの世話を誰にもさせず、自らが行っていた。それでもエレナが部屋の掃除をしているらしく、枕元には花が飾られていた。
ジーナはルロワの体に祠祭師の外套をかけた。
『アルゲニブ、あなたの力でルロワの体を動かす事が出来ないかしら。このままでは、ルロワの魂が戻るまで持ちそうにないわ。』
ジーナはガエフの町で見た人形劇の技を思い出していた。作り物である筈の人形の表情を操る技だ。
『ジーナ、魔族を生み出すときに使っている指輪を作る事が出来れば可能かも知れない。』
『レグルス様に聞いてみようかしら。』
ジーナは姿を女性に変え、タリナの宿へ戻った。
翌朝、タリナの宿で洗濯を済ませたジーナはシンディと共に塔の大広間の掃除をしていると、レグルスが下りてきてジーナに声をかけた。
「ジーナ、ルロワのベッドに祠祭師の外套が置いてあったが、どうしてなのか知らないかね。」
ジーナはレグルスに報告するのを忘れていたのだ。
「レグルス様、申し訳ありません。昨日ケルバライト様がランプリング家の外套を見つけたといって持ってきたので、私がベッドに置きました。」
「ケルバライト殿にありがとうと伝えてくれ。」
レグルスは階段を上りながらルロワの父であるアルファルド・ランプリングの事を思い出していた。
祠祭師の跡取りとして生まれたアルファルドは当時名が売れていたレグルスの元へ修行にきていた事があったのだ。
祠祭師とは町の行事を取り仕切る者と一般的に思われていたが、星の動きを読み、暦を作り、天候の予測をする事が本来の仕事だった。殆どの祠祭師は過去に作られた暦や記録からその仕事を行っていたが、アルファルドは自ら暦を作成しようとしていた。
また、行事に使う数々の魔法陣の意味を知り、物によっては操作する事もできた。
アルファルドは真の祠祭師といっても良かった。しかし、その息子であるルロワにはその才能は受け継がれなかったらしい。
アルファルドは今、何処にいるのだろうか、そして息子に起こった出来事を知っているのだろうか。