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ジーナ  作者: 伊藤 克
4/79

四 魔術師の塔・タリナの居酒屋

 三階建ての建物の前でビルが立っていた。二階の出窓の下から『タリナの宿』と書かれた看板が下がっている。

 ビルは戸を開けると大きな声で奥の人影に声をかけた。

 恰幅のいい女が出てきた。ダンと同じくらいの歳だろうか。ジーナを見てその女が言った。

「あんたがダンの知り合いかい? 私はタリナよ。あんた、名前は?」

「ジーナ。この犬の名はバウ。」

 ジーナはバウの頭を撫でながら返事をした。

 タリナはジーナと犬を交互に眺めた。

 長旅をしてきたジーナもバウも決してきれいとは言えない。特に好んで林の中を駆け回っていたバウは白い筈の毛がグレーに見えていた。まるで大きな野良犬である。

「女の子の連れている犬だというから子犬だと思ったのよ。それがこんなに大きな犬だなんて。この犬は本当にあんたの言うことを聞くんだろうね、吠えたり人に噛みついたりしないかい?」 

 バウは尻尾を振りながらタリナに近づき、甘えた声を出した。哀願する様にタリナの目をじっと見つめている。

 こんな時は周囲の空気を察する得意技を発揮する。この要領の良さはケリーランス公国で身につけたに違いない。あの頃は覚えきれない位様々な人たちと出会った。バウもそうだ。

「しょうがないね。二階の奥の部屋をつかいな。ひと月前までエマという娘が使っていた部屋で少しせまいけれど、その代わり安くしとくから。エマというのはうちの居酒屋を手伝ってくれている娘でね。今は一階の私の隣の部屋にいるよ。可哀想な娘だから仲良くしてやってちょうだい。」

「暫くいますので、これでお願いします」

 ジーナはポシェットから金貨を一枚取り出して渡した。

「こんなに要らないわよ」

「足りなくなったら言ってください。それとこの犬の食事もお願いします。残り物で良いですから」

「そうかい、すまないね。あんた何歳なの?」

「十八歳」

「小柄だから子供かと思ったよ」

「あの、ガサの入り口に住むエレナがケガをしたの。当分休むと言っていたわ。」

「どうしたの。野良犬にでも咬まれたのかい?」

 タリナは疑わしい目でバウを見た。

「違うわ。盗賊に襲われたみたいよ。」

 何処の町でも盗賊が横行していて、金を奪われる事は珍しくは無かった。しかし農家の貧しい者は大金を持っている訳がない。

 夜なら別だが、昼間、貧しい女が襲われるのは珍しい事だった。

「あんた、エレナの知り合いだったのかい?」

「通りかかったら街道沿いに倒れていて、近くのお爺さんの家に運んであげただけ。」

「あら、心配だわ。大丈夫かしら。」

「頭を打ったみたい。良くなったら来させるとお爺さんがいっていたけど。」

「明日にでもニコラ爺さんに聞いてみるよ。」

 エレナと暮らしていた老人の名はニコラというらしい。

 まだ営業前らしい、薄暗い店の中へタリナは入った。ジーナとバウもそのあとに続いた。

 一階は食堂になっており、その奥に二階への階段が見えた。タリナは階段脇の部屋へ入り、カギを一つ手にぶら下げて出てきた。

「料理の仕込みの途中なの。掃除道具やベッドのシーツはジーナの隣の部屋にあるから、あとは勝手にやってちょうだい。ランプもその部屋にあるからね。裏口から出ると井戸があるよ」

 タリナは厨房へと戻りながら奥へ声をかけた。

「エマ、今日からジーナが二階の部屋に寝泊まりするからね」

 二十歳くらいの女が奥から顔を出した。

「こんにちはエマ、私はジーナ、旅の途中なの。暫くいるからよろしくお願いします」

「エマ、開店するからテーブルの明かりをつけてちょうだい。今日エレナが休みだからがんばってね」

 薄暗い食堂の壁には幾つものランプが並んでいるが、まだ明かりはつけていなかった。幾つかの丸テーブルとそれを囲むように椅子が並んでいる。

 各テーブルには竹で編まれた花瓶に花が挿してあり、燭台が立ててあったが、やはり火はついていない。どのテーブルにも客はいない。厨房から火種を持ったエマが出てきて壁のランプに火をつけて回った。食堂が少しだけ明るくなった。

 ジーナはテーブルを避けながら階段へ向かい二階へ上がった。古い建物なのか、階段が軋んだ。バウは軽くはないのに、音を立てずに歩く。

 二階の廊下の突き当たりには、二つのドアがあった。右のドアノブを握った。カギはかかっていなかった。ドアをあけると、居酒屋用の椅子、骨組みだけのベッド、机、掃除道具などが無造作に積み上げてあった。奥に窓が二つ見える。

 左のドアはカギがかかっていた。試しにチャンが教えてくれた解錠術を使ってみる。簡単に開いた。この様な錠なら、なりたての盗賊でも簡単に開ける事ができそうだ。この錠は信用できない。念の為にタリナから受け取ったカギで錠の開閉を確認する。ドアを開けると、ベッドが一つと衣類用の棚、小さな机が置いてあるだけの部屋で、人の出入りがなかったのか板張りの床にうっすらと埃が積もっている。

 ジーナがくすんだカーテンを引いて窓を開けると冷たい風が吹き込み部屋の空気が一新した。すぐ目の前に巨木の幹があって視界を遮っていたが、その巨木越しにカテナ山がみえている。

「気にいったわ。」

カテナ山を見ながらジーナは深呼吸した。

 ジーナは隣の部屋から掃除道具とランプ、シーツを取り出した。借りた部屋の壁にランプ用の金具があった。一度一階へいきロウソクを借りる。吊したランプにロウソクの火を移した。長い間使っていないシーツは洗濯の必要がありそうだ。今日はそう汚れていない床の掃除だけにしておこうと決めた。


 桶と雑巾を持ち階段下の扉から外に出た。鍵はかかっていなかった。バウもついてくる。井戸が目の前にあり、馬を繋ぐための木枠がその周りを囲んでいる。

 再び部屋へ戻り、床の掃除をすませる。井戸と部屋を何度か往復した。辺りは暗くなってきている。

 部屋の扉には、内側からかける掛け金が扉についていない。窓の掛け金のもゆがんでいた。明日ダンの所で作ってもらった方が良さそうだ。持ち歩くには目立ちそうなダガーはベッドの下に隠した。

 窓を開けて耳をすます。周囲には誰もいないようだ。ジーナは腰の鎖を一本外して右手にもち、目の前の木に引っかけ、窓から木の枝へと渡った。そのまま下へ降りる。バウは二階の窓から飛び降りてきた。普通の犬と違って高い所を怖がらず、しなやかな体を回転させて着地する。ジーナは鎖を木の枝に引っかけて逆のルートで部屋へ戻ると、一階の階段下にある裏口の扉を開けてバウを中に入れる。犬は木登りができない、何か考えた方が良さそうだ。

 一階の食堂では数人の人が食事を始めていた。

「バウ、食事にしましょう。」

 そのまま食堂へ入り、隅の二人がけのテーブルに座った。周りでナイフとスプーンを使う音と話し声がしている。他の客へ食事を運んでいたエマに声をかけ食事を注文する。バウはジーナの隣で大人しく座っている。

 しばらく待っているとエマが食事を運んできてテーブルに並べた。パン、スープ、野菜と肉の煮込み。エマは金属製の器をバウの目の前の床に置いた。大きめの器の中に調理の残りものが入っている。金貨一枚の効果か、タリナが気を遣ってくれたのか、それなりの量はある。

 食事を始めるが音は立てない。食事の時、歩くとき、どんな時も音を立てないというのは子供の頃からのローゼンのしつけだった。

『これは戦いをする上で重要な要素だ。』ローゼンは口癖のようにそう言っていた。ローゼンはそのころ、すでにコリアード王家への戦いを予測していたのかも知れない。

 その他に、ローゼンがソフィーおばあさんに頼んだのは読み書きと計算だった。特に文字の形、美しさについてはやかましく言った。子供の頃過ごした北サッタ村では読み書きができる人はいなかったので、なぜローゼンが文字にこだわるのか理解出来なかった。きれいな文字を書くのは看板屋ぐらいのものだ。現に十八歳になった今まで文字を読むことはあるが、書く機会は殆どなかった。


 やがて店内は満席となっていった。

 近所の人だろうか、ジーナの隣の席に座っていた赤ら顔の男がエマに向かって大声でなにか話をしている。

「エマ、こっちへ来て相手をしろ!」

 エマはその声を無視して他のテーブルへ食事を運んでいる。明らかに迷惑がっている。他の客は聞こえないふりをしているのか、うつむいて食事を続けている。

 エマがその男のそばを通りかかった時、男はいきなり立ち上がってエマの手を掴んだ。

 テーブルから下げてきた食器が床に落ち、大きな音をたてる。食堂の全員がその男を見た。

「きゃっ! 何をするのよ」

 エマが悲鳴を上げ、店内が一瞬静まる。

 ジーナはその男に声をかけた。

「食事をしているの。静かにしてくれないかしら」

 静かな声が静まっている食堂に響いた。ジーナをみてひそひそと話す人達。

 男は振り返って座っているジーナをにらんだ。

「文句があるのか! おれはこいつに用があるんだ」

 男がジーナのテーブルをたたきさらに大きな声をだした。

 その間にエマは厨房へ逃げた。タリナが包丁を持って厨房から出てきた。

 ジーナは食事を中断し、立ち上がると男へ向き直った。その男の身長は人並みだが、痩せていて、力がありそうにない。たいして鍛えていないだろう。小柄なジーナの背丈はその男の肩位しかないが、ローゼン一味にいたジーナにしてみれば怖い相手には見えなかった。

「なんだ、子供じゃないか。よけいな口出しをするんじゃない!」

 男が胸元を掴もうと右手を突き出した。

 バウがテーブルに前足をかけ、牙をむきだし低くうなる。

 男が一瞬驚く。

 バウの存在に気づいていなかった様だ。

 それでも男が手を出してきた瞬間、ジーナはテーブルの水を男の顔にかけた。

「うわ! このやろう」

 男は叫ぶと、顔を真っ赤にして腰のダガーを抜いた。刃渡り15センチ程の小振りのリングダガーだ。刃先をジーナの顔めがけて突き出してくる。

 男のダガーよりジーナの動きのほうが早かった。左腰のナイフを抜くと、目の前のダガーを振り払い、男の首筋に突きつけた。男の手から離れたダガーが床にはねる音が響く。

 ひるんだ男の右手首を左手で掴む。

 男は素手で振り払おうとするが首筋に食い込むジーナのナイフがじゃまになる。

 男が後ずさっても、ナイフの先は男の首から離れない。

 さらに男は後ろへと移動するがジーナは前にでで首筋のナイフを放さなかった。

 首筋から血が滲みはじめた。

 とうとう男は出口まで追い詰められた。

「静かに食事をしたいの。出ていってくれる?」

「くそがき、覚えていろよ。今度あったら、ただじゃおかないからな」

 そう言うと、男は逃げるように出て行った。


 これはケリーランスにいたチャンが教えてくれたナイフ術の一つだった。

 首の急所をナイフで突かれると、相手は動きを止める。難しいのは相手がどう動いてもナイフの先を首から離さない事だ。相手がこちらを掴もうとしたらさらにナイフを食い込ませる。恐怖を感じさせる事ができればこちらの勝ちがきまる。躊躇しないことだ。ジーナはチャンに何度もこの技をかけられた。


 居酒屋内に食事のざわめきが戻る。ジーナは目立ってしまった事を後悔したが、今更仕方がない。

 エマとタリナが寄ってきた。エマは飛び散った食器を片付けはじめる。

「ありがとう。あんた、あんな事をして大丈夫かい?」

「タリナ、今の人はだれなの?」

「ジョンとかいう流れ者さ。数ヶ月前から見かけるようになったけど、仕事をしている様子もないし、毎日ぶらぶらしているよ。気をつけな」

「ありがとう」

 ジーナは自分の席に戻るとバウの頭を撫でてやり、食事の続きを始めた。

 バウも食事をはじめる。

 店内は平静を取り戻し、どこのテーブルも宴席状態となっていく。

 客たちが、時々ジーナの方を向いてなにか囁いている。

 明日には町中の噂になりそうだ。

 からんでくる男がいなくなるのは好都合だが、今日は失敗だったかも知れないと思い始めた。

 ジーナは早々に食事を終え引き上げる事にした。


 男は港町ギロへの道を歩いていた。あの小柄な女は何者なのだろう。今までこの町で見かけた事がなかった。流れ者なら食事を終えたら去るだろう。あそこの宿で寝泊まりしているのは女だけだ。夜中宿へいき、強引にさらおう。

 ギロの入口には検問所があり、コリアード軍の歩哨が常駐している。ギロに軍船が停泊しているためだ。

 顔なじみなのか、止められる事なく通る事ができた。

 ジョンはギロの町の中央通りを歩き、大きな建物の裏にある居酒屋に入った。その居酒屋の軒下には骨付き肉の絵を描いた看板がぶら下がっていて、小さな字で居酒屋チョップと書かれていた。文字が読めない一般人の為に店名を絵で表している店が多かった。

 居酒屋で酒盛りをしている男達は皆、何かしらの武器を携行している。

「アンセル。ちょっとこい」

 奥のテーブルのカードゲームを見ていたまだ十代に見える若者へ声をかけた。まともな食事をしていないのか、がりがりに痩せている。

「なんでしょう? ジョン」

「アンセル、ダガーの使い方ぐらい心得ているのだろうな?」

 男は呼び寄せたアンセルの耳に口をよせ囁く。

「これからガサの町へエマをさらいに行く。手伝ってくれ。銀貨2枚だ」

「その女は何処にいるんですか?」

「タリナの宿の二階の奥の部屋にいる。あの宿に寝泊まりしているのは女だけだから楽な仕事さ。お前は縛るロープを持ってこい。俺はガサの町への裏道を先にいっているからな。検問所は通るなよ、最近はカツアゲをする兵士がいるらしいからな。当たり前だが、他の連中に悟られるんじゃないぞ」

 ギロの酒場ではカツアゲをする兵士の事が話題になっていた。初めてその話を聞いた時には、ギロのならず者が兵士の格好を真似て強盗を働いているのだと思った。しかし一ヶ月前、ジョン自身が夜中に二人連れの兵士に出くわしたのだ。その男達の見かけない顔と体つきから、来たばかりの兵士が小遣い稼ぎをしているのだと納得した。兵士達は意外と臆病で、ジョンが剣を抜いて身構えると走り去ってしまった。

 ジョンはギロの居酒屋チョップを出ると街道とは別の道を使いガサへ向かった。


 ジーナはタリナの居酒屋の二階の部屋で寝ようとしていた。

 隣の物置部屋できれいなシーツを選んだつもりだったが、誰が使っていたか分からないシーツは洗濯前だった。バウと抱き合って衣服のまま、床で眠る事にした。それでも野宿をしてきた旅の事を思えば天国だ。一人旅のジーナとバウは野宿で熟睡する事がない。野犬、夜盗の危険があるからだ。たとえ真っ当な宿で寝るといっても付いた習慣は変わらない。

 ローゼンが死んでから三ヶ月たった。最初の一週間はローゼンの仲間を探してケリーランス公国をさまよい歩いたが、逆賊狩りの追っ手は執拗で、また首領のローゼンが死んだとあっては仲間をまとめる事もできない。再起を約束して散り散りに逃げるのが精一杯だった。

 幸いだったのは、まだ子供のジーナの存在を追っ手が知らなかった事だ。ローゼンは、他にも仲間の子供がいたのにジーナの存在だけは秘密にする様、皆に徹底していたらしい事を仲間の会話で知った。真の親子では無いことは知っていたが、まるで実の親の様にジーナの事を愛し、見守ってくれたローゼン。彼がいない今、全ての事をジーナ自身が判断していかなければならない。

『ローゼンを殺した者達への憎しみを持つ私が、ローゼンが私を愛してくれた様に他の人を愛する事ができる日がくるのだろうか』

 ささくれだった心を、今は寄り添っているバウの体温が癒してくれる。ジーナの涙がバウの体毛を濡らした。

『ありがとう、バウ』


 深夜、バウがジーナを起こした。耳をすますと、階段下で物音がする。ジーナは音を立てずに起きて外套、背嚢を持ち、鎖を使って窓の外に立つ木に飛びついた。枝の陰に隠れる。バウは下に飛び降りたようだ。腕輪の力を使い、かすかな音を拾う。二人連れの足音が階段を上がり、ジーナの部屋の鍵をこじ開ける音がする。やはり部屋の扉の簡単な錠は盗賊にとっては無いも同然だったのだろう。一人の男の影が部屋の中へ入り、中を見回している。

 ベッドのシーツは部屋を借りる前のままで、荷物も置いていない。ローゼンのダガーをベッドの下に隠しておいて良かった。賊は空き部屋だと思ったに違いない。

 突然大きな物音がし、他の部屋のランプが一斉に付く。宿中が大騒ぎとなった。

 もう一人の男が物置にしている部屋へ入ってなにかに躓いたのだろう。不要品が積み上げられた部屋にいきなり入り込むとは間抜けな事だ。

 ショートソードを腰にさし、ダガーを手にした賊が階段下の裏口、ジーナが隠れている木の下を逃げていく。手にしているダガーは夕方タリナの居酒屋で暴れた男が持っていたものに似ている。もう一人、ナイフを手にした痩せた男が後を追うように出てきて一緒に街道へむかって走り去った。


 万が一の為にジーナは外套を闇で目立たない黒緑色に返して同色の布で顔を覆ってから賊を追いかけて走りだした、足音は立てない。バウはジーナの横を走っている。男達は街道を港町ギロに向かっている。疲れたのか、男たちは道を西へ曲がった角で立ち止まった。一人の男の背格好が居酒屋で暴れていた男に似ている。もう一人の痩せた男は息が苦しいのか、背を向けてむせ込んでいる。ジーナは大きめの石を数個拾い、痩せた男の頭めがけて投げつけた。その男が倒れる。

「だれだ!」

 もう一人の男が振り返った。やはり居酒屋で争った相手だ。ジーナはナイフを構え、近づきながら男に話しかけた。

「さっきタリナの宿へ盗みに入ったのはあなたね。」

「俺達はここを歩いていただけだ。」

 男はジーナとその隣にいるバウを交互に見ながら返事をした。

「嘘をついてもだめよ。私は宿から追いかけて来たのだから。失敗したようだけど何をしようとしていたの?」

 男がジーナへ向かってダガーを繰り出すとバウが吠える。素手の左手をバウに向けるが全く威嚇になっていない。

 その姿を見てジーナは失笑した。


 ジーナは手にしていた石を投げた。男の手のダガーが弾き飛ぶ。バウが飛んだダガーのそばへかけよった。

 一度ダガーを拾おうとした男だったが、諦めたのか、腰の剣を抜いた。刃渡り50センチ程度の、細身のショートソードだ。

「ダガーでは油断したが、俺の剣にはかなうまい。」

 しかし、賊の中で暮らしてきたジーナの目には恐ろしい剣使いには見えなかった。落ちたダガーの前で身構えているバウでさえ本気ではなさそうに見える。

 男は剣先をジーナに向けたあと、左右に振りながら近づいて来た。

「子供のくせに俺をばかにしやがって。その顔をずたずたにしてやる。」

 剣を持った事で自信を取り戻したようだが、その鈍い動作を見れば、剣の修行をした事がない事はあきらかだった。

 今度は2個の石を連続で投げる。男は1個の石を剣で防いだが、2個目の石が男の顔に当たった。目に当たったのか、顔を手で押さえている。

「あなた程度の腕では私に傷をつける事は出来ないわ。宿の迷惑になるから二度と宿に現れないでくれる?」

「覚えてろよ!」

 ジーナを振り向く事なく、男は倒れている男を置いて走り去った。

「バウ、後をつけて」

 ジーナはバウが男の後を追うのを確認して、倒れている男へ寄った。その痩せた男の顔を覗くと、ジーナより若い、子供にもみえる。気絶しているだけで命は大丈夫な様だ。

 ジーナは小走りでバウの後ろ姿を追いかける。

 遠くに立派な石壁が見えてきた。別の町の入り口なのか、警備兵がランプを持って立っている。男は警備兵へ挨拶をして、その町の中へ入っていった。辺りが真っ暗なうえにランプを持っていないジーナに警備兵は気づいていない。

 バウはジーナの心が読めるのか、道の途中でジーナが追いつくのを待っていた。

 ジーナとバウは普通の飼い犬との関係よりも心の繋がりが強く、互いに心を読み取る事がある。これは魔石の腕輪と共に生活してきた事が影響しているのだろうとジーナは思っている。

 これ以上は追いかけても無駄だろう。倒れている男もやがて目を覚ますに違いない。ほおって置くことにした。


 男は港町の先ほどいた居酒屋チョップへ戻った。深夜だというのに酔客でにぎわっている。旅人、兵隊くずれなど衣装は違うが、どの男もダガーか剣をぶら下げている。ならず者の集まりだ。テーブルの上ではカード、サイコロ賭博をやっていて盛り上がっている。カード賭博を冷やかしている一人がジョンに話しかけた。

「こんな時間に手ぶらで戻ってきたところを見ると失敗したようだな。」

「なんだと、ダミアン。」

「アンセルが俺の所にロープを借りに来たから何に使うのか聞いたのだ。そうしたら、お前がエマをさらいに行くと言っていたぜ。あんな馬鹿をつかうなんてお前も焼きが回ったか」

「アンセルは何でお前にロープを借りようとしたのだ?」

「要領の悪いアンセルがこんな夜更けにロープを都合出来ると思うか? 誰かに相談するしか無いじゃないか。お前、なんで失敗したのだ?」

「軍の兵士がうろつきやがって邪魔をされたよ。」

 ジョンは女一人に邪魔をされたとは言えなかった。そんな軟弱者はこの居酒屋チョップでは馬鹿にされた上、誰からも相手にされなくなる。


 誰かが言った。ダミアンの手下のトッシュだ。

「あいつら、ガサの町じゃやることも無いから暇を持て余しているのだろうよ。ジョン、どうせ魔術師の塔のルロワにでも頼まれたのだろう?」

「まったくルロワもなんであの女に固執するのか分からねえな。その女に惚れたなら自分で連れて行けば良さそうなものだが。」

「ジョン、手伝ってやってもいいぞ。」

「いやダミアン、大丈夫だ。俺の所の若いのを使うよ。」

「ジョンの所の若いやつらは半端野郎ばかりじゃないか。ガサの町でせこい悪さばかりして追いだされた連中だろう。金を出せば俺がやってやるぜ。」

「あの女は時々港に顔を出すからその時にやるよ。所詮女ひとり、ガサの町よりは簡単にいくだろう。」

 近くにいたトッシュがジョンに声をかけた。 

「俺なら手数料を安くしてやるぞ。」

「トッシュ、止めておけ、ジョンの仕事じゃろくな事にはならんぞ。」

「分かったよ、ダミアン。」

 週に一、二回エマが魚を買いにこの港町にくる事は分かっている。この町なら仲間もいるし物騒な事は日常茶飯事、うまく行くだろう。ダミアンに頼むと稼ぎを根こそぎ横取りされかねない。ジョンは、腕力でもダミアンに叶わない事は感じていた。それにしてもあの小柄な女は何者だろう、やけに強かった。


 居酒屋チョップのドアがあいて大柄な女が入ってきた。革の銅鎧をつけ、膝下まである革のスネ当て付き編み上げサンダルを履き、両刃の大剣を背負っている。明らかに盗賊の首領といった風格だ。そして右手に鉄の棘を編み込んだ鞭を持っている。

 居酒屋内に緊張が走る。

「ジョン、どこにいる!」

「やあウイップのゼルダ、いつ帰って来たんだ?」

「ジョン、この子を街道に置き去りにしたね。殺されていたかも知れないんだよ」

 ゼルダの後ろからアンセルが顔を出した。

「アンセル、大丈夫だったか?」

「ジョン、易しい仕事だといったじゃないか!」

「アンセル、誰の所為でああなったと思っているんだ。宿で失敗しやがって」

 何かを言いかけたジョンの首にウイップのゼルダの鞭が走った。首にまとわりつきジョンを引き倒した。その頭をゼルダがサンダルの踵で踏みつける。

「この子には無理な事くらい分かるだろう。いくら孤児だからといって子供達を騙すやつを許せないんだよ。私は!」

「ウイップのゼルダ、違うんだ。ガサの町の警備兵が邪魔をしたんだ」

「あんたがガエフ公国で名のある盗賊の首領だというから、その言葉を信じて顔を立ててやっているんだ。その割にはやっている事がこそ泥以下だね。アンセルは私の弟分だ。街道へ捨てて来るなんて、タダじゃ置かないよ」

 ゼルダが更に力を込めると首が絞まったジョンの顔は真っ赤になっていく。タリナの居酒屋でついた傷跡が再び開き血が流れる。屈強に見える周りの男達はウイップのゼルダの剣幕に言葉を失っている。皆、彼女が他人の命を軽くあしらうのを知っているからだ。誰もつまらない事で命を落としたくはない。

「ウイップのゼルダ、その位にしておかないと本当に死んでしまうぞ。死んでは後が面倒だから離してやれよ」

「なんだ、ダミアンもいたのか。暫くこの町にいるからね。皆、子供達に手を出すんじゃないよ。アンセルお前も子供のくせに居酒屋へ出入りするんじゃないよ」

 ウイップのゼルダはアンセルをつれて居酒屋チョップをでた。


 翌朝、日はまだ昇ったばかりで肌寒かったが空は晴れわたっていた。絶好の洗濯日よりだ。

 背中まである髪を後ろで束ね、シーツとカーテンをはずして裏の井戸へ向かった。バウを散歩に出す。たまには私から離れて一匹の時を過ごしたいだろう。

 井戸の周りでは女達が洗濯を始めていた。ジーナも仲間に加わる。

 エマが声をかけてきた。

「おはよう、昨日の夜中盗賊が宿に入ってきたけど、ジーナは大丈夫だったの?」

「私、バウと寝ていて気がつかなかったわ」

 他の女達が一斉に声をあげた。

「信じられないよ。あの騒ぎでみんな起きてしまったんだから」

「あなた、昨日すごかったね。ジョンをナイフ一本でやっつけるなんて。尻尾を巻くように逃げていったわ。あんた、何者なの?」

「盗賊じゃないでしょうね」

「私の父が鍛冶屋をしていたの。子供の頃から武器は扱い慣れているのよ。それに旅をしていると危険な事も多いし」

 嘘も混じるが、女達を納得させないとこの町に住みにくい。

「なぜ旅をしているの?」

「母が死んだので父にそのことを伝えようとしたら、行方不明になっていて。ダンなら知っているかと思って来てみたの、エマ、あんな男に狙われて大変ね」

「私、ジョンに言い寄られて困っていたの。買い物に出ると後をつけ回すし、私を誘拐する気かしら」

 エマは、数ヶ月前から港町ギロにたむろしているジョンと面識がなかった。それが最近タリナの居酒屋に現れては難癖をつけ、襲うそぶりを見せるようになった。

 エマにはジョンが襲ってくる事が理解できなかった。

「エマも大変ね、あんな男に言い寄られて。でも昨日の事があるからもうこの居酒屋には来られないでしょう。あの男、私には目もくれなかったけどね」

 その小太りな女の話にみんなが笑った。

「ジーナは黒い髪が素敵だし、日焼けをしていなければ顔も可愛いわよ。もっとおしゃれな格好をすればいいのに」

 井戸端の女達は皆くるぶしまであるスカートをはき、白いエプロンをつけている。エプロンの裾に手作りなのだろうか、それぞれ違った花や木の刺繍をしている。草木染めだろうか、淡い色のスカーフを頭に巻いている。

 ジーナは旅の衣装そのままに、洗いさらした半ズボンと灰色のチュニックを着ていて、髪は後ろで束ね、フードに隠す。まるで男の子の格好だ。

「私、旅をしなければならないから」

 旅をする者にとって衣類は最もかさばる荷物となるため、着替えも最小限しか持ってない。

「ジーナ、はやくお父さんに会えるといいわね」

 エマが同情の声を出すと、他の女達も「困ったら相談にのってあげる」と言ってくれた。

「ジョンには悪い仲間がいるという噂だけど、大丈夫なの、ジーナ?」

「私、何日か前に見たわよ。古くさい鎧をきていたけど兜も着けていないし、警備兵じゃないね。ぜったい盗賊よ。悪いことが起きなければ良いけど」

 他の女が言った。

 ジーナは無言で頷くと洗濯に専念した。カーテン、シーツ、旅の衣類の洗濯に二時間ほどかかった。

 部屋に戻って、カーテンをつるし、シーツは出窓に干した。それでも足りないので、隣の物置の出窓も使わせて貰うことにした。中は昨日の賊が散乱させたままだ。ジーナは洗濯物をほしたあと、部屋のかたづけを行った。この天気だと夕方には乾くだろう。

 タリナの宿は良い人たちばかりだ。

 自分の部屋へ戻り、昨日できなかった細かいところの掃除をする。天井の蜘蛛の巣を払い、部屋に隅に置かれた小机、椅子、ダガーを隠したベッドの下、ついでにススがついたランプのガラス、傘もきれいにする。

 井戸にいって小桶に水を汲み、机の上に置いた。

 ジーナは背嚢をあけ、道具の中から薬草用のすり鉢を出して机の上に置く。昨日手に入れた魔族の指輪の灰をすり鉢にいれてすり、粉末状にしてから小桶の中の水にまいた。

 ゴミが浮かび、重たい石粉は下に沈んでいる。浮いたごみと上澄みは窓から捨てた。小桶の底に残った石分を布切れの上に出した。巾着状にしばり小机の上に置く。不自然に見えないよう、薬草の束、粉末にした薬草などもそばに置く。あとは乾燥するのを待つだけだ。


 薬草はエレナの家で使ったので減ってしまった。この町に薬草は生えているだろうか。

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