三十七 新しい仲間達・ガサの町へ(三)
クリフの作業場へ戻ると、フレッドが荷物を積み終えた所だった。子供達も手伝ったのか、汗を流している。
ジーナは背の荷物の中から肉の干物を取りだして痩せたネズミに与えた。一度では噛み切れず、前足でその肉をしっかり持ち、おしゃぶりをする様になめていた。顎に力を入れられないほど弱っていたのかも知れない。
「ジーナそのネズミはどうしたの?」
フーゴはジーナの胸元で動いているネズミに気づいて声をかけてきた。
「新しい友達よ。仲良くしてあげてね。」
前のご主人様だったサイラスの事を思い出したのか、そのネズミは魔術師姿のフーゴやハンスを見つめていた。
一行は再びカテナ街道を北へ向かった。
街道で、フレッドの馬車と同じ、四輪で二頭立ての幌馬車が二台、追い越していった。 幌で隠されてはいたが、子供の声がすれ違っていったのをジーナは聞き逃さなかった。
「フレッドさん、あの馬車には子供が沢山乗っていたみたいね。」
「そうか、私には判らなかったが、もしそうなら、港町ギロへ売られてゆくのではないかな。」
ダンク・コリアード軍によって荒らされた町や農家では貧しくて食べてゆけない家が沢山生まれた。そのため子供を育てる事が出来ない親が子供を売るのだ。見習魔術師フーゴの場合は、僅かな給金で魔術師の館へ働きにいかされただけなので、売られたという事ではなかったが、殆どの子供達は奴隷の様に働かされていた。親と商人で結ばれる契約書に縛られる事になるのだ。
馬車の後ろを馬に乗った男が数人付いている。何処かの町で雇われた傭兵だろう。つけている武具が揃っていず、中には鎧すらつけていない者もいた。
この男達は荷物を盗賊から守るのではなく、馬車の子供達が逃げない様、見張りをしているのだ。しかしたとえ旅の途中で逃げても契約書がある以上、親が違約金の負債を負う事になる。
塞ぎがちなナンシーの気を引こうとしたハンスが男達の一人を指さして言った。
「フーゴ、あの男、随分太っているぜ。体重が何キロくらいあるのかな? よく体にあう鎧が売っていたな。それにあれじゃあ馬が可哀想だね。」
「ハンス、失礼よ。」
ナンシーがたしなめる様にハンスに言ったが既に遅く、大きな声のハンスの会話を耳にした男がハンスに近寄ってきて馬上から声をかけてきた。
「おい小僧、今なんと言った。俺を馬鹿にしたのではないだろうな。」
ハンスは男の様子から自分の失言に気付き、立ち止まった。大柄な男のだみ声に顔から血が引いて青白くなっていた。
その男に道をふさがれたフレッドは馬車を止めた。
子供達を乗せた馬車も止まった。売られた子供達なのだろう、幌の隙間から幾つかの小さな顔が除いている。
馬車についていた男のうちの一人が近づいてきた。一人が子供達を乗せた馬車に声を掛ける。
「チャド、すぐに追いつく。先に行ってくれ。」
「カスパル、いつまでも遊んでいないですぐにこいよ。」
子供たちの馬車に乗った男はそういって馬車を動かした。
カスパルは、幌の隙間から顔を出している子供達に大声で叫んだ。
「ガキども、馬車から逃げるんじゃ無いぞ。一人でも逃げたら、残ったガキを俺が皆殺しにするからな。」
幌から覗いていた子供たちの顔が馬車の中に引っ込んだ。二人の男を残して、他の傭兵達は馬車についていった。
フレッドの馬車は男二人に道を塞がれ、立ち往生してしまった。
一番後ろを歩いていたジーナと犬のバウは彼らの位置からは馬車の陰になり、見えていなかった。
商人のフレッドは、自分の馬車についている子供達では対応できないだろうと思い、金で解決する事を考えていた。ならず者達ではあるが、彼らは馬車を警護する契約をしているに違いないのだ。相応の金を渡せば去るだろう。商人の作る契約書には抜け目が無く、警護の役をサボると違約金を払わされ、場合によっては追われる事になるのだ。契約書はコリアード王国の警察機関でもある警備隊には有効なものであったのだ。
その男はナンシーに目を留めた。
「可愛い娘がいるではないか。」
胴鎧だけで兜はつけていないカスパルは馬を下りて荷馬車の前に座っているナンシーに近づいてきた。
シンディが手にしていた木の実を投げた。男の顔にあたった。
「このガキ、何をしやがる。」
男がさらに近付こうとした時、ハンスがその男の足元に魔術の炎を投げつけた。土埃が舞い上がった。
「なんだ、ガキの魔術師もいるのか。もう勘弁ならねえ。」
男はそう言いながら、どこかの港で手にいれたのか、もともと船乗りだったのか、刃先が両刃に加工された、太めのカットラスを手に持ち、近づいてきた。バリアン大陸内部ではあまり見かけない剣だ。
「お待ちください。お金ならあげますから、お許しください。」
金より命だと思った商人のフレッドはその男に話しかけたが手遅れだった。
フーゴのっ前にいる太った男は、カルパスと呼ばれていた男を振り返って言った。
「おい、こいつら金を持っていそうだぞ。小遣い稼ぎをしようぜ。」
「ああ、その娘も高く売れそうだしな。ここのところガキどものお守で体もなまっていたところだ。」
動物の毛皮を羽織ったもう一人の男も馬を下りた。
「ガキの魔術師ならちょうどよい肩慣らしになるだろうぜ。」
襲ってくる筈はないと考えていたフレッドは動揺した。ついて来ている子供達だけでナンシーと馬車を守れるのだろうか。興奮している男を見てまずい事になったと思った。
馬車の後ろにいたジーナとバウも前に出た。
「おい、連れにもう一人女がいるぞ。」
二人の男から笑いが漏れた。
「バウ、ナンシーとシンディをお願いね。」
バウにそう話しかけてから男二人に向かった。
『ジーナ、二人組だぞ、大丈夫か?』
『アルゲニブ、大丈夫だと思うわ。』
現れたジーナを見ている二人の立ち姿を見て、顔つきはごついが、ガエフへ向かう時に馬車を襲ってきた男よりは格下だと判断した。その時の男がダミアンと言う名である事をジーナはまだ知らなかった。それでも、ガエフで捕まった偽魔術師のジョンよりは出来そうだ。
先に馬を下りた、太った男はフーゴとハンスの目の前にいる。自然ともう一人の男、カスパルがジーナの相手になった。ジーナは杖を構えた。
「どけ、小僧。」
横では太った男がフーゴへ近寄るところだった。その男がフーゴへ剣を向けた。
再び男の足下で土埃がまう。ハンスは炎の矢を本気で男に向けてはいないようだ。
二人の見習魔術師はダガーを腰にさしてはいたが、その鍛錬を行った事はなかった。二日前にガエフで旅芸人の頭領アモスと戦った経験が生きているのか、フーゴとハンスは両足に力を込めてしっかりと立っている。
誰も気付かなかったようだが、ジーナは一瞬ハンスの体が淡い光に包まれるのを見た。後ろを振り返ると、幼いシンディが何かを投げる仕草をしている。
『アルゲニブ、シンディがバリアを投げているわ。』
『ジーナはあの子が魔力を持っている事を知っていたのか?』
『見たのはこれで二度目ね。』
シンディが、ガエフの山でバウをアモスの剣から守った時にも同じ技を使っていたのを思い出していた。バリアを見る事は出来なくても、届いた筈の自分の剣が弾き返されたのを感じたのだろう。納得出来なかった男は剣とハンスを交互に見ている。
「お前、不思議な術を使ったな。」
シンディが自分を守ってくれた事に気づいていないハンスには何のことだか理解出来ずにいた。
「おい、手加減するな。そんなガキ握りつぶしてしまえ。」
カスパルの声にその男は再び剣を振り上げたが、その手に今度はフーゴが炎をぶつけた。
「あいた、このやろう、こそこそと術をかけやがって。」
ジーナは若い魔術師二人の事を気にしつつ、外套の隠し袋から投げ矢を取りだしてカスパルの様子をうかがった。隣の男へ声をかけていたカスパルに気づかれずに済んだ。剥き出しの足に投げ矢を放てば男の攻撃力を弱める事が出来るだろうと思ったのだ。
その時、街道の北から、馬に乗った男が近づいて来る事にジーナが気付いた。
ジーナの目線と蹄の音に気付いたカスパルが振り向いて迫ってくる馬の方を見た。
「お!」
カスパルが剣を落として右腕を左手で押さえた。そこにはナイフが刺さっている。若い魔術師二人のもつダガーより一回り小さい小型のナイフだ。揺れる馬上から命中させたのだとしたら相当な腕の持ち主といえる。
「誰だ。」
もう一人の男も振り返った。瞬く間に近づいてきた男は馬から下り、男二人に詰め寄った。
「昼間から女子供をいたぶるとは何処の盗賊だ。」
ジーナは新たに出現した男がガエフにある魔術師の館の警備兵のアランである事に気付いたが、見習魔術師の二人はまだ気付かずにいるようだ。じっと警備兵を見ている。
商人のフレッドはほっとしていた。いくら自分達を二度も救ってくれた魔術師の紹介とはいえ、子供の見習魔術師二人と娘では盗賊二人の相手は無理だろうと思っていたからだ。
「邪魔をするんじゃない。」
フーゴの前にいた太った男がアランへ向けて剣を振った。アランは背中の大剣を抜くと、その男の剣に叩きつけた。鈍い金属音がして男の剣が弾き飛ばされた。早い、アランが背中の大剣を抜く速度は男の剣技をはるかにまさっていた。ギロの港町にいるゼルダより早いかもしれない、とジーナは思った。
「私はガエフの警備兵アランだ。このまま引き下がるなら許してやる。」
アランは一見軽装だが、正規兵の胴鎧を着けている。
「ガキ共覚えていろよ。」
不利と見た男達は剣を引き、馬に乗って北へ去っていった。
商人のフレッドが馬車をおり、アランに近づいて礼をいった。
「アラン様、ガエフで娘のナンシーをお助けいただいた商人のフレッドです。今日もお助けいただいてありがとうございます。」
「ああ、あの時のフレッドか。助けたナンシーも元気そうだな。」
アランがケルバライトと共にナンシーを救った時には、暗くてまともに顔をみる事も出来なかったが、昼間見ると細身の綺麗な娘だった。
「おかげで娘は無事に港町ギロへ帰る事が出来ます。」
「フレッド、助けたのは私ではないぞ。魔術師のケルバライト様だ。」
ケルバライトの名がでたのでナンシーは思わず顔を上げた。レッドブラウンの髪を長めに伸ばしていて、瞳が碧いアランは、ガエフの町では結構人気があるのだが、今のナンシーにはケルバライトの事が気になるばかりだった。
「アラン様、有り難うございます。」
「ジーナか。そなたは小娘ながらアモスやサイラスと対等に渡り合えるのだからな。私が助ける必要はなかったかな?」
「アラン様、そんなご冗談を。」
アランは本気で言ったのだが、周囲にいる者達は本気にはしていないようだ。
「フレッド、コルガの宿はもうすぐだ。宿まで私がついていってあげよう。」
「アラン様、お役目の方は大丈夫なのですか?」
「ああ、私へ用を言い付けたサイラス様はもうこの世の人ではなくなった。大丈夫だ。」
フレッドは再度アランへ礼を言ってから馬車を北へ向けて動かした。
いつもの様に、フーゴとハンスはナンシーらが座っている馬車の前を歩き、ジーナが馬車の後ろへついた。アランは馬には乗らずに手綱を引いてジーナの横を歩いてくる。
アランは、ジーナのなびく黒髪と黒い瞳に興味を惹かれていた。兄や父ほどの見事なブロンドは珍しいとしても、ガエフでは殆どの女がブロンド系の髪だった。また、黒に近い髪の持ち主でも瞳まで黒い女性には会った事が無かった。
「ジーナは何処の生まれなのだ?」
「北サッタ村で育ちました。」
しかし、カテナ街道沿いに黒い髪を持つ人達を見かけた事はない。北サッタ村の人々は自分と同じレッドブラウン系の髪だとアランは聞いていた。
「黒い髪を持つ女性は珍しいな。」
「そうですね。私、孤児ですから、生まれは北サッタ村ではないかも知れないんです。」
ジーナはそう言いながらアランの方を向いた。背の低いジーナの目の前に、長身のアランの胴鎧が目に入った。そこには、見たことのある文様が彫られていた。
忘れられない、今年の春に首都ハダルで自分を襲った警備兵の兜についていた家紋とおなじだ。
『この人は私が殺してしまった男の一族なのだろうか。』
ジーナはアランの顔を見上げた。アランは、襲われた時に左目を刺して殺した男には全く似ていない。あの男は切れ長の目で髪は見事なブロンドだった。男を刺した時の手応え、そして痙攣して地を這う男の姿をハッキリと思い出したジーナの瞳から涙が流れた。
アランはジーナの涙に気付いて質問をやめた。孤児だといったジーナに悲しい事を思い出させてしまったのかも知れないと思ったのだ。
「失礼な事を聞いてすまなかった。」
アランはジーナに謝った。
ジーナは自分が思っている事をアランが知る筈は無い。同じ一族かも知れないと思うと、あの忌まわしい思い出を口に出す訳にもいかない。黙って頷くだけだった。
アランとジーナは暫く無言で歩いた。
気まずい空気が漂ったままだ。ジーナから話しかけた。
「アラン様、先ほど子供達が沢山乗った馬車と出会いました。」
「きっと港町ギロに売られていくのだろう。」
「さっきの男達は子供が乗った馬車に雇われた傭兵の様です。」
アランはダルコの町に住むミラの母親イリヤの事を思った。イリヤは三年の約束で港町ギロに連れて行かれた息子が帰ってこないので迎えに行ったのだ。
ミラが言っていた事を思い出して、港町ギロで昨日一日イリヤを探したのだが、何処にいるのか見つける事はできなかった。その失敗が、アランが付けている胴鎧の所為だと、自分では気付いていなかった。
港町ギロは破落戸が多く、正規兵は嫌われるのだ。イリヤ達一行の事を知っていたとしても、本当の事を話してはくれなかったに違いない。
「商人は契約書を交わしているのだろう。可哀想だが子供達を助けてやるのは難しいな。」
「でも、小さな港町でそんなに沢山の仕事があるとは思えないわ。」
「最近は船で他の大陸と往来するようになったからな。船への積み荷の運搬や、倉庫の荷役仕事が増えていて、人手が足りないらしいぞ。それに港町に暮らしているのは殆どが男だ。身の回りの世話や酒の相手をしてくれるメイドとして娘を求める者も多いのだ。可哀想な事だ。」
「北の方は風が強くて、帆船では往来できないと聞いていたわ。大きな船はどうやって風の強い海をわたっているのかしら。」
ジーナの問いにアランが答えた。
「確かに小型の船なら海岸沿いを、風を避けながら行き来してるらしい。優秀な船乗りがいればの事だが。しかし、いくら優秀な船乗りでも浅瀬の海岸沿いを大きな船を走らせる事はできない。また、底が深い外洋には強い潮の流れがあるらしい。帆だけでは逆らう事ができない程の流れもあると知り合いの船乗りがいっていた。だから最近まで大型船が北の海を走らせる事はなかったのだ。それが最近では、沢山の櫂を両横に突き出して漕ぐ、ガレー船と呼ばれる船が作られるようになったのだ。どうやら罪を犯した囚人が強制的に乗せられ、船を漕がされている。一度乗せられると死ぬまで漕がされ続けるという噂もある。あ、こんな話、若い娘には興味がない事だったかな?」
メイドの事はジーナも知っていた。メイドと言えば聞こえは良いが、その殆どは奴隷の様な生活を強いられる。ジーナが三年過ごしたケリーランス公国でもそうだった。
『着飾る者がいれば、その下に涙する者が大勢いるのだ。』
保護者だったローゼンが言っていた言葉だ。贅沢をする者が僅かでもいれば、贅沢を支える貧しい者達が大勢生まれるのだ。