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ジーナ  作者: 伊藤 克
27/79

二十七 異界の指輪・魔術師ケルバライトの誕生(一)

 早朝、起きてこないフレッド親娘を宿へ残してジーナはカテナ街道を南へむかう。右の海岸側の広がっている麦畑は刈り取りが終わっていた。バウはジーナに少し離れてついてきていた。

 道を左へ曲がると突然検問所と警備兵の詰め所が現れた。バウに左の森を指して遠回りするように指示する。検問所前では数人の男達が止められている。ジーナはその男達の後ろへ並んだ。門の横にいた警備兵の一人が、魔術師姿のジーナに気づき走り寄ってきた。「魔術師様、こちらをお通り下さい。」

 並んでいる人たちの脇をすり抜けてガエフ公国へ足を踏み入れる。歩哨に立っていた警備兵達はジーナのマントとペンダントを確認して黙礼し、通してくれた。

 通りかかったカテナ街道と同様、道の両側には刈り取られた畑が広がるばかりで町らしきものは見えない。左側の山裾に茂っていた森は平坦な林に変わっている。

 バウはそんな林の中を遠回りして再び後ろに姿を現す。ジーナから離れるよう指示をした事で不機嫌にはなっていないようだ。バウは意外と森や山歩きが好きなのだ。

 コマドリはジーナの肩に留まったり、周辺を飛んだりしている。


 やがてパピルスを植えている畑が現れ、数軒の農家が寄せ合って建つ村があった。この村の畑はクリフの村と違い、手入れが行き届いており、家の数も多い。刈り取る人影も見えた。ネズミを使って新しい紙の秘密を探ろうとしていた紙商人が取引している村なのだろう。新しい技術が現れると利権を巡って必ず争いが起こる。


 二時間ほど歩いた時、遠くに、左右に長く続く石壁と検問所が見えてきた。これがガエフ公国の中心部への検問所なのだろう。ガエフ公国を守る壁は二重構造になっていて、目の前にある検問所に繋がる壁が、昔から存在する本来のもので、先ほどとおりかかった検問所の壁はギロの町の様に、左右に百メートル程度しか連なっていない、申し訳程度のものだった。

 ここ十数年の間に、ガエフ公国の壁の外に人が住み着き、小さな村ができた事と、公国の大きさを誇示したいためにガエフの領主が、外側に検問所を設置したのだ。これは紙商人のフレッドが言っていた事だ。

 先ほどの検問所では魔術師姿の自分を優遇してくれた。魔術師の姿なら山犬のようなバウでもとうしてくれのではないかとジーナは思った、なにか言われたら『軍用犬だ。』ということにしよう。

「おいで。」

バウをジーナの隣に呼び寄せ、歩く。

 検問所の前では大勢の人が列を作っていた。ジーナがその列に並ぼうとすると、先ほどの検問所と同様、魔術師姿に気づいた兵士がジーナへ近づき、並んでいる人々のわきを道案内して通してくれた。

「魔術師の館へ行きたいのだが場所を教えて欲しい。」

 ジーナはその兵士に場所を聞いた。

「この道を真っ直ぐ二十分ほど歩いた所にあります。ガエフ公国を統治しているブランデル家はこの町の中央にある一番大きな建物ですが魔術師の館はもっと手前にある建物です。門に警備兵がいるからすぐ分かります。」

 カテナ街道からの道は真っ直ぐ町の中心地へ続いている。突き当たりに森があり、その前にはガエフ公国の領主の館と見られる大きな屋敷が建っている。遠目ながら、幟旗が見え、その屋敷前の広場に人が集まっているのが分かる。


 その頃フレッドとナンシーは、ジーナが辿り着いた最初の門から一時間離れた所を馬車でガエフに向かっていた。馬は早足で空の荷車を引いていた。ナンシーは馬の手綱を持つフレッドの隣に座って文句をいっていた。早く起こしてくれれば昨日の魔術師と共に馬車に乗っていたかも知れなかったのだ。名前の聞かずに別れてしまった。

 ナンシーには親娘を救ってくれた感謝の気持ちもあったが、布のマスクで顔半分は隠れていたが、澄んだ瞳を忘れる事ができない。

「お父さん、すごく揺れるわ。もっとゆっくりいけないの?」

「お前が寝坊するから道を急いでいるのだ。我慢しなさい。」

「起こせば良かったじゃないの!」

「いくら起こしても目を覚まさなかったのはお前ではないか。」

 向かう先、道の端に黒いものが見えた。近づくと倒れている人だった。フレッドは馬車の速度をゆるめ、人を轢かない様、ゆっくり通る。

「お父さん、止めて。魔術師様だわ。」

「私たちを救ってくれた魔術師様とは違う。あの方は小柄だったし、マントだってあんなに汚くはなかった。」

「倒れて汚れたのかも知れないわ。」

 ナンシーはそう言うと、フレッドがもつ手綱を脇から引っ張り、無理矢理馬車を止めて下り、倒れている人の側へ歩いていく。昨日助けてくれた魔術師ではなくても、彼の事を知っている可能性はある。聞けなかったあの方の名を知ることができればとの思いから声をかけたのだ。

「魔術師様、大丈夫ですか?」

 荷物は持たず服もよれよれで、賊にでも襲われたのか顔が腫れ、鼻血を拭った後がある。フレッドの目には胡乱な男にしか見えないが、我が儘娘のナンシーが男の顔を拭いて立たせている。どうやら馬車に乗せるらしい。昨日、襲われて危うく難を逃れたばかりだというのに、旅の危険に無頓着な娘を見て、港町ギロの自宅に置いてくるのだったとあらためて思った。

「魔術師様はどちらまで行かれますの?」

「この道の先にはガエフの町があるが、あなた方は何処へ向かっているのだ。」

「私たちはガエフの町へ商売にいきますのよ。」

「それは良かった私もガエフへ向かっているのだが、乗っていた馬が暴れて落馬してしまった。馬車にのせてくれるとありがたいのだが?」

「どうぞ、乗ってくださいな。」

 フレッドは怪しいその男を置いて行きたかったのだが、ナンシーはその男を馬車の後ろに乗せ、隣に座ってしまった。仕方がない。馬車が進み始める。

「魔術師様のお名前はなんとおっしゃいますの?」

「私はガサの町の魔術師、ジョンという。」

「昨日、別の魔術師様に救われましたのよ。」

 この魔術師は昨日自分達を救ってくれた魔術師の事を知っているに違いないとナンシーは思った。

「ナンシー、よけいな事を言うのではない。」

「お父さん、良いじゃない。隠すような事でもないわ。昨日、賊に襲われた時、魔術師様に助けられたのは本当の事だもの。」

「私の仲間かも知れぬ。どのような者であった?」

「小柄で若そうな方でしたわ。お名前をご存じですか?」

「シェーンかも知れぬな。」

「お父さん、あのお方のお名前を知ってらしたわ。」

「ガエフへ着いたらきいてみるとしよう。ガエフの町ではどこへ滞在するのかな?」

 魔術師様が商人の滞在先に興味を示すなどあり得ない事だ。やはり怪しい。フレッドはまともに答える気は無かった。

「まだ決めていません。ガエフについてから探します。」

 遠くにガエフの北検問所が見えてきた。ガエフの町の検問所は更に南に設置されている。

「お嬢さん、荷物は暴れ馬が持って行ってしまった。申し訳ないが、銀貨を一枚貸して下されぬか? 魔術師の館についたら金の都合がつくので返してあげよう。」

 これ以上つきまとわれでは迷惑だと思ったフレッドはナンシーに言った。

「困っておいでのようだ、差し上げなさい。」

「まぁ、真珠氏様が銀貨一枚では少なすぎますわ。」

 ナンシーはそう言ってポシェットに入っていた銀貨十枚ほどを胡乱な男に渡した。フレッドはやめさせようと思ったが、ナンシーともめて時間を取られても仕方ないと思い直し、口を出さない事にした。


 検問所が近づいてくる。ソワソワしだした

「この金は魔術師の館についたら返してあげよう。」

「返すなんて、結構ですわ。どうか遠慮なさらないで。」

「用ができた。後であおう。」

 そう言うと魔術師姿の男は動いている馬車から乱暴に飛び降りた。検問所で偽物の魔術師である事が露見するのを恐れたのだとフレッドは思った。さり気なく後ろを振り返ると、走って山道を林の方へ曲がっていった。

「ここで降りなくても良いのに。」

 ナンシーは不満そうだったが、銀貨一枚で済んで良かったとフレッドは思っていた。


 ガサの町の中心部へ入ったジーナは、兵士に教えられた道を真っ直ぐ歩いていくと、魔術師の館は石畳でできた街道の先にあった。港町ギロの魔術師の館より広く、正面の石造りの三階建の建物と、木と石の組み合わせで建てられている左右の二階建ての建物の三つが渡り廊下でつながっている。

 左の建物は貯蔵庫になっているのか、荷車が大きな入口を出入りしている。

 中央の建物入口の両側には全身鎧をつけ、ショートスピアを手にした兵士が二人ずつたっていて、扉は開いたままになっていた。

 子供が来たと勘違いした警備兵が鎧の顔の部分を開けて声をかけてきた。町の子供達が直立不動の兵士に悪戯をしにくるからだ。

「ここは子供の遊び場では無いぞ。」

もう一人の兵士も声をかけてくる。

「お父さんのマントを着てあそんではいけないぞ。」

 バリアン大陸で魔術師を騙ると、重い罪を問われ、時には死刑になる事もあるのだ。子供の遊びではすまされない。

 ジーナはその兵士に近づき、魔術師を示す胸のメタルを掲げながら、アルゲニブのバリトンの声で答える。

「ランダル・バックス殿にお会いしたい。」

 声に驚いた兵士は目を剥いて一歩下がった。

「ランダル様はガエフ公国の大魔術師長様だが?」

 その問いにジーナは無言でうなずいた。

 ランダル・バックスはガエフ公国の魔術師の長であり、北のガサの町、港町ギロも含めた地域にある魔術師会の総帥であり、この魔術師の館の主でもある。

 兵士は小柄な旅の魔術師を館の中へ入れてよいものか迷ったが、胸にある魔術師会のペンダントがある以上、断る事は出来ないと思い直し、三階の魔術師の部屋へ問い合わせる気になった。魔術師の名前を聞いておかないと怒られる。

「どちらの魔術師様でしょうか。」

 ジーナは一瞬答えに詰まる。偽名まで考えていなかった。これまでに合った様々な人たちの顔と名が浮かぶが、実在の人物名を出す訳にはいかない。躊躇していると異界の指輪であるアルゲニブがジーナの口を使って代わりに名乗ってしまった。

「ケルバライトだ。ガサの町にいるレグルス殿の手紙を大魔術師長のランダル・バックス殿へ届けにきた。」

『アルゲニブ、あなたの異界での主人だったケルバライトさんの名前を拝借しても大丈夫なの?』

『ついうっかり前のご主人様の名を出してしまったが、この世界にいる訳がないから大丈夫だ。長いこと仕えて来たからケルバライト様に成り代わって尊大な話し方を真似できる。』

 アルゲニブの軽い気持ちに一抹の不安がよぎる。ジーナのこの様な不安は外れた事がない。この名前を使った事が原因でいつか騒ぎに巻き込まれる時がくるに違いないが、いまさら口から出てしまった言葉は消すことができない。仕方がない、魔術師姿の時はケルバライトと名乗る事にしよう。軽率なアルゲニブの所為で、この世界での魔術師ケルバライトの誕生となった。

『アルゲニブ、仕方がないわね。でもありがとう。』

 ジーナは心でアルゲニブに伝えた。喜んでいない事が伝わったアルゲニブは返事をしなかった。

 少々お待ち下さい。

 その警備兵が三階へ上がって行った。十数年この地で任務についていた警備兵は、ガエフの町、ガサの町、最近出来た港町ギロの魔術師達の殆どの顔を知っていた。それはガエフの魔術師の館が、それぞれの地区の魔術師達を管理していたからだ。しかし、今の魔術師に会った記憶は無かった。多少の疑問は残るが、ガサの町にいるレグルス魔術師長が古くからいる人で、彼の弟子は大陸各地にいる。知らない顔の魔術師がいても不思議ではないと自分に言い聞かせた。


 ジーナは暫く待たされたが、警備兵に案内されて三階の会議室へ通された。

 ガサの魔術師の塔にある大広間の半分程の広さの部屋で、南側と東側についている大きな窓は全て開けられており、ガサの町の魔術師の塔と異なり、部屋が全体的に明るい。天井はアーチ型に石が組まれていて高く、その中央から大きなランプがぶら下がっていた。

 壁にはいくつものランプと燭台が交互に掛けられているが、勿論昼間のこの時間に点灯していない。

 数人の魔術師が、中央に置かれた大きな円卓を囲むように席についていた。一番奥の席だけ両隣が少し空いている。ジーナに背中を見せている小太りな魔術師が振り向き、ジーナを見てから警備兵を叱った。

「子供を連れて来てどうするのだ!外へ追い返せ。小僧、どこで盗んだのかは知らないが着ている魔術師のマントを脱いで去るがいい。」

 小柄なジーナが男の格好をしているのだ。兵士同様、勘違いしてもおかしくはないが、余程短気なのか癇癪持ちなのだろう。子供相手ならもっと優しく諭せば良いものを、とジーナは思った。これでは自分の所為で怒られている兵士が可哀想だ。案の定、案内した警備兵が困った顔をしてジーナを見ている。

「その兵士に罪はない。そなたも間違えたのだからな。ランダル・バックス殿にお会いしたい。」

 ジーナは、異界の指輪であるアルゲニブ得意の低い声で誰へともなく話しかける。

 バリトンの声を聞いて間違いに気づいたその男は顔を真っ赤にした。それでも罵声を浴びせた事を謝る気持ちはないらしい。その小太りの魔術師が舌打ちをしたのが聞こえた。

 この魔術師を見て、クリフの村にいたネズミを思い出した。ネズミの意識にあった小太りな影がこの魔術師の体型と重なるものがある。

 卓の中央には他の魔術師とは異なり、一人だけ金の刺繍で縁取りされたマントを着た男が中央に座っている。その男はジーナの持っている杖に興味を引かれたのか、持ち手の近くに彫られている彫刻をじっと見つめた。その彫刻は二重輪の中に七角形の星があり、周囲を、古代語にも見える複雑な模様が囲む紋章が掘られている。バリアン大陸に古くから伝わる紋章は五角形で、魔術師を示すペンダントにもその五角形が彫られている。ガサの町にある司祭館跡にあった墓石にも、様式は違うが魔除けを意味する五角形の紋章が彫られていた。勿論、一般市民の小さな墓石の紋章は簡単な五角形だったが。

 杖の紋章を見ていた男は視線をあげ、ジーナに話かけた。

「私がランダルだが、そなたは何者だ。」

『アルゲニブ任せたわよ。話す内容は私の頭から掠め取ってね。』

 ジーナは、意志を持つ異界の指輪アルゲニブと心を通じて古代語で会話をする。おかげでジーナの古代語に対する理解は相当深まってきた。

『ジーナ、そんな簡単に私に心を開いて良いのか? ジーナの心を乗っ取るかも知れないのだぞ。』

『私の不細工な裸を見ても笑わなかった友達のアルゲニブはそんな事はしないわ。』

 この緊迫した事態を目の前にしてジーナは何を考えているのだ。アルゲニブは呆れてしまった。しかしいつまでも無言でいては怪しまれる。得意の良く通るバリトンの声で答える。ジーナの喉もこの声の出し方に慣れてきたと見え、スムーズに声を作れるようになってきた。

 素顔を見せる事にためらいはあったが、ガエフに自分を知る者はいるまい。ジーナはマスク代わりの布を外した。アルゲニブの幻術なのか、ただの雰囲気の違いなのか、席に着く魔術師達には、凛とした男の顔に見えていた。

「私はガサの町のケルバライトだ。レグルス殿の依頼でこの手紙を届けにきた。」

 ジーナは円卓の右側を回り込み、蝋で封印された手紙をランダルに渡した。ランダルは腰に差した小型のナイフを使い、蝋の封印を解き、読み始める。

 その間、他の魔術師達は小柄で、肩にコマドリを乗せたジーナを物珍しげに眺めている。ランダル以外の男達は杖よりもコマドリの方に興味があるらしい。

 ジーナの左後ろ、円卓でランダルと向き合った席についていた、ジーナに罵声を浴びせた魔術師が声をかけてきた。

「その小鳥は食用か? その大きさでは焼き鳥にしても腹の足しにはなるまい。」

 首だけ男の方を向き、ジーナの代わりにアルゲニブが言う。

「どなたかは存じぬが、ご心配感謝いたす。不足の時はそなたがマントの中に隠しておいでの肉を分けていただけないだろうか。」

『アルゲニブ、昨日の居酒屋での私の台詞を勝手に使わないでちょうだい。この人達を怒らせてどうするのよ!』

『すまぬ、ちょっと言い過ぎたかも知れないな。』

 手紙を読んでいるランダルとその男以外の魔術師達がジーナの皮肉を込めた返答に、一斉に声を出して笑った。よかった。ジーナはほっとした。少なくとも此処にいる魔術師全員を敵にまわさずに済んだ様だ。どうやらジーナのコマドリを話題にした魔術師は他の仲間から良く思われていないらしい。 

「お見事。さすがレグルス殿がいる魔術師の塔の者。お若く見えるが、なかなか知にたけている。その小鳥は魔力で生み出したものなのか?」

 ランダルの隣の魔術師がそう声をかけてきた。

「いや、街道で旅の仲間になったのだ。ただのコマドリだよ。」

 ジーナはそう答えたが、ただのコマドリがおとなしく人間の肩に留まっている筈はない。魔力で引き寄せているのだろうと魔術師達は思った。

 レグルスの手紙を読み終わったランダルは何を考えているのか、暫く目を閉じている。

 ランダルは師であるレグルスが出した難題を解いていたのだが、彼の思いを察するものは誰もいなかった。間を置いてジーナに質問する。

「そなた、この手紙の内容を存じているのか?」

「レグルス殿の書いた内容は存ぜぬが、ガサの魔術師の塔で起こった事は承知している。」

 小柄で華奢なジーナの体格と威厳のある声の落差にランダルは戸惑っているようだ。

 ジーナはアルゲニブの声で言葉を続ける。

「私はレグルス殿から連絡を貰い、急遽ガサの町にある魔術師の塔へいった。塔についてみるとレグルス殿が地下牢に幽閉されていた。細かい事情を私は聞いていないが私とレグルス殿で、ルロワが生み出していた魔族を片付けたのだ。上階の魔法陣の部屋へ行って見ると、ルロワが魔法陣の中央で死ぬところだった。」

 小太りの魔術師が質問する。

「牢で幽閉されている者が遠くにいるお前に連絡を取れる筈はなかろう。」

 ネズミの事を思い出したアルゲニブは言った。

「高位の魔術師ならばその程度の技はいくつも持っている事は想像がつくだろう?もっとも、近場を移動するだけの小動物しか使い魔にできない下位の魔術師ではその事に思いが至らないのは仕方のないことだが。」

 周囲の魔術師が口に手をあてていっせにうつむいた。笑いをこらえているらしい。

 ランダルがジーナの顔を見て質問する。

「何故死んだのだね?」

「私には分からない。ルロワの死と共に、倒した魔族もルロワ自身も消滅してしまったのだ。」

 小太りの魔術師がジーナに質問する。

「おぬしの様な軟弱者が魔族と戦えるとは思えないが、陰に隠れて震えていたのではないかな? だから詳細は分からないのであろう。」

 サイラスは目の前に立つ魔術師を子供と勘違いして恥をかかされたと思っていた。軟弱に見える魔術師の隙をなんとか見つけて優位に立ちたかったのだ。

 しかし一々相手をしていたのではきりがない。アルゲニブは辛辣な皮肉を言いたい様だったが、ジーナはその魔術師を無視する事にした。


 ランダルは目の前の魔術師が体は子供に見えるが、風格を感じる堂々とした話し方をする事に違和感を抱き続けていた。

「そなたは何歳になる?」

 無言でいるアルゲニブに会話を促す。

『アルゲニブ、正直に答えてちょうだい。おばさんの歳はいやだわ。』

 この隙を見せられない緊迫した状態をジーナは正しく把握しているのだろうか。答えまいと思っていたが、アルゲニブの持ち主であるジーナがそう考えているのでは仕方がない。

「十八歳。」

 アルゲニブはジーナに替わって捨て鉢に答える。

 ランダルはジーナの目をのぞき込む。ジーナの心へ魔力の触手を伸ばしてきたのだ。

 アルゲニブがランダルの触手をバリアで弾こうとするとジーナの意識がそのバリアを一瞬で消してしまった。アルゲニブの生み出すバリアを消す等という危険な事をした指輪の主人は今までいなかった。それよりも、強固な筈のアルゲニブのバリを一瞬で消したジーナの力に驚いた。

 ジーナはじっとランダルの瞳を見つめ返しながら疑惑という心の鍵を一つ外した。こうする事により相手の疑念は消える。ジーナは目の前にいるランダルをレグルスと同様信頼できる人だと感じていた。

 ランダルは戸惑っていた。目の前にいる、ケルバライトと名乗る魔術師の意識に接触しようとした。一瞬強い魔力ではねのけられたと思ったが、恐怖心も疑惑もない何の作為も感じられない心が目の前にある。真実に見える心に疑念が沸かないでは無かったが、純粋に素直な心にも見える。

 ジーナは左肩から何かが肩のコマドリに向かって飛来するのを感じてさり気なく体を横へずらした。コマドリは肩から頭に移動した。ごく自然な動きで、他の魔術師達は気づいた様子はない。

 飛んで来たのは木の実で、ジーナの目の前まで真っ直ぐ飛んできたが、ランダルの右肩の手前で床へたたきつけられた。ランダルが魔力を使ってはじき返したのだろう。緊張する男の気配を感じる。

 ランダルが眉をひそめて木の実を投げた男を見る。

「サイラス殿、私に何か話しでもあるかね?」

「失礼した。ハエを追い払おうとしたまでの事。」

 あと少しでケルバライトの小鳥に当たったものを、惜しい所だったとサイラスは思った。皆の見ている前でランダルに木の実を当てたりしたら反逆の罪で粛清されてしまう。魔術師会では縦の関係は絶対なのだ。まして魔力ではとうてい太刀打ちが出来ない相手なのだ。

 サイラスから目を離してランダルは再び手紙に目を落とした。

 小太りな魔術師の名はサイラスと言うらしい。

 周囲の魔術師達は今の出来事に気づかなかったらしく、ランダルとサイラスの会話を不思議そうに聞いていた。

 ランダルがどのような魔力で木の実を弾いたのか興味はあったが、ジーナにはその手法が全く分からなかった。アルゲニブには分かるだろうか。

「ケルバライト殿、この手紙の内容に追加する事はあるか?」

「手紙の内容を知らない私が加えたり減じたりする言葉を持たないが、レグルス殿直筆の手紙ならばそれが真実。出来事の全てだ。私の知っている事は先ほど述べた以外にはない。」

 レグルス師に対しても尊大な物言いをするこの小柄な魔術師を、顔にこそ出さなかったがランダルは面白がっていた。手紙を届けるだけなら兵士を文使いに使えば良いのにわざわざこの男を自分の所に寄越したのはレグルス殿が自分にこの魔術師を見せたかったのではないかと思い至った。

 魔術師の塔にいるレグルスがランダルに出題した問題は手紙にあるのではなく、持参した若者にあるのだ。確かにこの小柄な魔術師は不思議な雰囲気を持っている。ランダルはレグルスが目をかけているらしいこの小柄な男をからかいたくなった。レグルス殿が思う程価値ある男なのか、あとで問題を与えてみよう。

 いつまでも無言でいるランダルにしびれを切らしたジーナは引き上げようと思った。

「これで失礼する。」

 誰へともなく声をかけてジーナが出口へ向かおうとすると、サイラスがジーナを引き留めた。性格が粘着質のようだ。

「本当にガサの町から来たのか。従者も馬も無いようだ。魔術師であるならその証が欲しい。」

「私はその手紙をランダル殿に届ける様、レグルス殿に頼まれたのだ。手紙に間違いがないのであれば、私の事など些細な問題だと思うが、いかがであろう?」

『アルゲニブ、私がビルの銅板を出すから、その間に部屋の全ての燭台の蝋燭を灯してちょうだい。』

『ジーナ、私が彼と話している間に、燭台を見ながら炎の古代語を心の中で唱えてくれ。小声で、小声で良いからな。中央の大きいランプは見るなよ。』

 アルゲニブはジーナが誤って燭台のついた壁ごと破壊してしまう事を恐れていた。特に中央の大きなランプを破裂させて火の付いた油を飛び散らせたのでは、下にいる魔術師達が火だるまとなり大惨事となる。だがジーナは術を破られない為のアルゲニブの気遣いなのだと勘違いしていた。

 ジーナはポシェットの中でビルの銅板に魔石の粉末を付けてから出して皆に見せる。仄かな明かりを発している。

「サイラス殿、私は皆様にお見せできる様な高度な技の持ち合わせはないが、この様に魔力を使う事はできる。これで納得されただろうか?」

 アルゲニブが会話をしている間に素早く古代語を唱え、壁の全ての燭台に視線を向ける。

 銅板が僅かに光ったのを見て、魔術師達から失笑が漏れる。作業の途中でジーナの視線とランダルの視線とが交錯した。彼だけは気づいたようだ。

 サイラスは小馬鹿にした様な笑みを浮かべていった。

「確かに魔力を持っていそうだ。良いだろう。しかしその程度では子供の練習にもならない。魔術師のマントを脱いだ方が良いぞ。ランダル殿、この者がレグルス殿の弟子なら相当の技を持っていると思ったが、子供騙しでしたな。」

『アルゲニブ、ありがとう、さすが異界の指輪ね。魔術を使えない私では彼の言う通り子供だましの技しか見せられないところだったわ。』

 何故ジーナは自分自身の魔力に気がつかないのだろうか。アルゲニブは不思議だったが指輪の存在でしかない自分が、主人であるジーナの魔力に関する重要な問題を指摘する事はできない。聞かれれば別だが。

「諸君、手紙には続きがある。レグルス殿が、ガサの町の魔術師長の名でこのケルバライト殿をガサの町の魔術師として登録したいとの提案が書いてある。ルロワが死んだ今、ガサの町はレグルス殿一人となっている。」

 若い魔術師が異議を唱えた。

「ランダル殿、ガサの町には反逆者も盗賊もおりませんし、近くに港町ギロの魔術師の館があります。レグルス殿一人で十分だと思います。」

「ヴァル殿、そなたは何歳になった?」

「二十三歳になりました。」

「レグルス殿は七十歳を超えていると聞いている。そなたの様に若ければよろしいが、老齢のレグルス殿には助手が必要だと思う。」

 他の魔術師達が同意した。

「手紙の最後にこう書かれている。」

「ケルバライトは十五年前、首都ハダルで孤児であったのを拾い、弟子とした。後見人を私レグルスが務めるので、この者をガサの町の魔術師としたい。」

「私は、大魔術師長の名でこの者、レグルス・アヴァロンの養子、ケルバライト・アヴァロンをガサの町の魔術師として任命する。警備兵、ケルバライト殿のペンダントにケルバライト・アヴァロンの名を彫刻するよう、町の鍛冶屋へ依頼してくれ。勿論、ルロワの名と見習いを示す記号は消すのだぞ。ルロワと異なり、この者は魔術を使えるのだからな。」

 ジーナはレグルスから預かったペンダントを兵士に渡した。

 サイラスが手を挙げた。

「明日、港町ギロの見習魔術師二人の初級魔術師認定試験を行います。その場でケルバライトと名乗るこの者の技を披露させてはいかがでしょうか。」

 サイラスはそれ以上ジーナが魔術師会に登録する事を反対しなかった。ケルバライトと名乗る若い男を笑いものにする事で、レグルスと、その弟子であったランダルの人気を落とす事ができるとサイラスは考えたのだ。また、ヴァルの様な、実力がある者がガサへ派遣されるよりも、魔力の弱い者がガサの町で魔術師になる事はサイラスにとって好都合だった。魔術師の塔の威力が半減するからだ。もしジーナが力強い魔力を発揮していたら、サイラスは魔術師登録に強く反対していただろう。

 サイラスはジーナが全ての燭台を灯した事に気がついていなかったのだ。

 他に手を挙げるものは誰もいない。

「ケルバライト殿、明日来てくれたまえ。警備兵、蝋燭が勿体ない。燭台の灯を消してくれ。」

 ランダルが近くに立つ別の警備兵に命じた。

 全員が壁の燭台を見た。確かに全ての蝋燭が灯っている。

「真っ昼間から蝋燭を灯したのはお前か? 気を利かす時が違うぞ。頭を使え。」

 サイラスは小鳥に礫が当たらなかった悔しさを警備兵にぶつけていた。

 ランダルはジーナの技に気づいていた。小鳥がサイラスの木の実を避けたのは偶然ではない。また、誰にも気づかれずに部屋の燭台を灯す技も簡単なようで手が込んでいる。レグルス師は面白い弟子を持っているものだとランダルは思い、自分がレグルスの弟子であった若い頃を思い返した。目の前にいる若い魔術師の様に優秀だっただろうか。

 燭台を灯したのがケルバライトであることはサイラスには黙っておこう。


「では解散しよう。」

 ランダルが宣言し、魔術師達は会議室を出、ジーナは魔術師の館を出た。

 ランダルは誰もいなくなった会議室で手紙をもう一度読み返す。レグルスの手紙にたった二行、こう書かれているだけだった。

『私信。ルロワの謀反により幽閉されるも、この者に救われ賊を一掃、ルロワも死す。この手紙、弟子に託す。』

 その手紙を暖炉で燃やした。


 皆の前で読み上げた手紙の内容はランダルの創作だったのだ。ランダル自身が孤児であったのをレグルスに拾われ、今の地位についている。

 この一件がレグルス先生への恩返しになれば良い、と思った。またあの若者に魔術師会という重荷を背負わせる事にならなければ良いが、とも思った。

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