二十六 異界の指輪・紙商人(二)
ダルコの宿場町の居酒屋は何処の店も小さかった。その中でも小綺麗な一軒に入る。
ジーナは魔石の腕輪の力を借りて店内の会話を集める。
田舎の居酒屋には似つかわしくない商人らしい二人連れがいた。他の旅人と違い、汚れの無い高そうな服を着ている。長旅ではなさそうだ。
そのうちの一人がジーナを盗み見ながら言った。
「魔術師が従者も連れず一人旅とは珍しい事だ。」
「あいつらが俺たちと同じ店で飲み食いする事も珍しいぜ。」
「ところでエドモンド、ガエフの魔術師様に払った金貨一枚分の情報は得られるのだろうな?」
テーブルに乗り出すようにしてアレックスは聞いた。
「大丈夫だ。君がクリフを引きつけている間に私が作業場の隅に放してきたのは只のネズミではない。魔術師の遣い魔だからな。そのネズミを使ってクリフの会話を盗み聞きするらしい。紙の秘密さえ分かってしまえば、こっちのものだ。そうだろう?アレックス。」
エドモンドは皿の肉を突きながらそういった。グラスを手にしているアレックスはかなり酒を飲んだのだろう、顔が赤い。
「たかが職人のくせに秘密を独り占めするとは許せない事だ。クリフも今は沢山作れないようだが、村の連中が大量に作り始めたら俺たちの商売は奴に取られてしまう。」
クリフが作り出している紙は今までのパピルス紙とは製法が全く異なっているのだ。アレックスは、フレッドが魔術師の館へ売り込みに来たのを魔術師サイラスから聞いて初めてその存在を知ったのだ。
紙の秘密を握れば、大陸中で商売が可能となるが、負ければ百年前にこの地でパピルス紙作りを始めた一族全員の生活に影響してくる。引き下がる訳にはいかなかった。
興奮気味に話すアレックスに対してエドモンドは冷静に答える。
「あいつの紙が出回るとお前や私が商っているパピルス紙は人気が失せるからな。魔術師との契約書は君、アレックスの名にしてあるが金は私が払ったよ。それで良いだろう?」
「申し訳ない、今回のクリフの件ではエドモンドに金の面倒まで見させてしまった。先月、盗賊団に強盗に入られた為に蓄えをすっかり失ってしまったのだ。今回の費用は新しい紙で一儲けしたら返す。」
「商人同士、困った時はお互い様さ。私だっていつ盗賊にやられるか分からないからね。これでアレックスが儲けたら使った金の半分は返してもらうよ。ネズミを放すなんて本当は使用人がやるような仕事だが、私達が魔術師様と組んでいる事を誰にも知られたくないからな。だからネズミの事は秘密だ。」
「勿論、今回の事を俺は誰にも言わずにいるよ。村の連中の口が硬いと思ったが、肝心の材料についてはクリフ以外知らないらしい。」
「アレックスも白い紙を真似して作って見たのだろう?」
「ああ、同じような道具を俺の紙職人に渡して作らせてみたさ。だが、どうしてもうまく行かないのだよ。知り合いの大工に作らせた道具が全く役に立たなかった。」
「クリフの作業場から道具一式盗んだらどうだ?」
「似せた道具で紙をつくれなかったのだから無駄だろうさ。それにあの大がかりな道具は盗んだらすぐに足がつくぜ。」
「材料にも秘密がありそうだな。クリフの紙を水につけたら白い繊維だけが残った。あの繊維の材料は何なのだろう。アレックスは分かるか?」
「いや、分からない。確かに麻に似たあの繊維の秘密を知る事ができれば、クリフの紙を作る事が可能かも知れない。クリフの紙を扱っている商人をエドモンドは知っているかい?」
「いや、知らないな。」
「港町ギロで船乗り相手に商売をしている奴さ。魔術師のサイラス様に始末して貰う様、依頼したよ。」
「何故殺すのだ? それにそんな金があるのなら今回かかった費用を払ってくれよ。」
エドモンドは眉をひそめた。テーブルには気まずい雰囲気が漂う。
「どうも田舎の食事は私には会わない。引き上げるとしよう。エドモンドはどうする?」
「私は食事を続けるよ。」
商人の一人は帰っていった。クリフの作業場にいたネズミはあの商人達が魔術師から借りたものらしい。
一人残った商人の後ろのテーブルの男が立ち上がり、商人の前の席に座った。
「首領、あとをつけますか?」
「ラルフ、この町での私は商人のエドモンドだ。首領はやめろ。酔っぱらったアレックスのあとをつける必要はない。それよりも旅芸人のナイフ投げの男を見張ってくれ。」
「あそこの首領アモスは掏摸や置き引きをしている小者ですよ?」
「一座にいるナイフ投げの男は何処かで見た事があるのだ。」
「分かりました。アレックスは何故港町ギロの紙商人を殺そうとするのでしょね?」
「大した意味はないのだろう。紙の秘密を盗もうとしている時に、関係する者を殺したりすればすぐに依頼元が分かってしまうじゃないか。これだから素人は困る。私の闇の仕事に影響しかねない。」
「ところでアレックスは紙以外の商いをしないのですかね?」
「あいつの先祖は首都ハダルの近郊の農民だったのだ。この地では他の商売はやりにくいのだろう。」
紙商人のアレックスは、百年前にコリアード軍がこの辺りまで進軍した時の民兵の一人だった。ガエフの民が逃げた後に残されたパピルス畑や家を、アレックス達が奪って居着いたのだ。
アレックス達は、事情を知っているガエフ近郊の人々から嫌われていたので、自分の仲間が携わっている紙作り以外の商売はやりづらかった。パピルス紙つくりは魔術師の館相手の商売だったので、古くからいる住民を気にする必要はなかった。
「百年たっても恨みは消えないのですかね。」
「代々の恨みは恐ろしいものよ。俺たちは腕だけで生きてきたからな。先祖代々の恨みとは無関係だが、今恨んでいる奴は相当いるだろうよ。」
「エドモンド様は紙の秘密についてどう思っているんですか?」
「俺たちは人の上前をはねるのが仕事だ。その様な秘密には興味がない。」
エドモンドは、新しい紙を誰が作ろうと金にさえなれば良いと思っていた。紙職人のクリフだって忙しくなれば、アレックスの所に紙作りを依頼せざるを得ないだろう。黙って待っていれば紙の秘密は手に入るのに、何故その事にアレックスが気づかないのかがエドモンドには理解できなかった。
「しかし、先ほどはアレックスと熱心に談義されていましたが?」
「ラルフは嘘をつくコツを知っているか?」
「いいえ。」
「まず、自分自信を騙して真剣に取り組む事だ。そうすれば嘘も真実になる。」
「エドモンド様、魔力の指輪は手に入りそうですか?」
「魔術師のサイラスに頼んである。俺たちが直接手を下すのは危険だからな。これでラルフも本格的に魔力を使えるようになるな。」
「首都ハダルではたかが一個の魔力の指輪を盗れずに何人もの部下を失う事になってしまいましたからね。」
「今回はアレックスの名で魔術師に依頼したのだ。失敗しても私の名が表にでる事はないだろう。魔術師のサイラスの奴、私をアレックスの使用人だと思い込んでいるからな。」
「魔術師様を騙したりして大丈夫なんですか?」
「あいつは金で魔術師試験に合格したような奴だ。たいした技を持ってはいまいよ。」
「それにしてもよく頼みを聞いてくれましたね。」
「何処かの魔術師長の座を狙っているらしくて、金をばらまいているのだ。それでいくらでも金を欲しいのだろう。しかしラルフ、大魔術師長のランダルには気をつけろよ。俺たちの嘘などすぐ見抜くぞ。あいつの魔術の技は凄いらしいからな。」
「アレックスは先月入った盗賊がエドモンド様の部下だとは全く気づいていませんでしたね。」
「ラルフ、誰が聞いているか分からん、気をつけろ。」
そういってエドモンドは魔術師姿のジーナを振り返った。ジーナは気づかない振りをして食事を続けた。エドモンドはラルフを連れて居酒屋を出ていった。
エドモンドという名をジーナは聞いた事があった。多くの人を殺してきた盗賊一味だとローゼンが言っていたのだ。直接会った事は無かったが、ローゼンは彼らを嫌っていた。会話の内容からすると同一人物に違いない。
暫くして、十五、六歳前後だろうか、若い魔術師が二人入ってきた。腰には片刃のダガーをぶら下げているが、柄の巻き革がすり減っていない所を見ると、二人はダガーを使った事が無さそうだ。居酒屋に不慣れなのか店内を見回している。魔術師姿のジーナを見ると安心したのか近くのテーブル席に座った。
魔術師を表すペンダントを下げてはいるが、マントの裾が腰までしか無かった。見習いなのかも知れない。二人はジーナに黙礼して食事を始める。ジーナに遠慮しているのか最初は無言だった。
二人が見習魔術師だと知って、からかいたくなったのか、兵士に似せた格好をした二人連れが若い二人の席に近づいてくる。賊は二人とも兵士が持つショートソードとは違うスモールソードを腰にぶら下げている。どう見ても軍隊の兵士とは思えない。
スモールソードは、ショートソードと比較するとやや小ぶりで細物剣となっている。一般人が入手しやすい剣だった。
「おい、魔術師さん、俺たちに酒をご馳走してくれないかな?」
「俺たちちょいと金が足りなくなったのよ。」
「すみません。俺たち明日ガエフ公国の魔術師の館までいくんです。」
「にいちゃん、助けを呼びたくてもここダルコの町からガエフの魔術師の館まではまだ一日かかるぜ。おとなしく一緒に酒を飲もうぜ。」
その男は隅の席についているジーナを見た。
彼らは離れた席にいる小柄なジーナも見習いの一人だと思ったらしい。
見習魔術師の一人が助けを求めてジーナを見た。ジーナは若い二人に自分のテーブルへ移動するように手招きをした。二人は食器を手に同じテーブルへ移動してくる。
兵士の格好をした男の一人がジーナを見て言う。
「見習い魔術師が何人そろっても俺たち相手ではどうにもなるまい。金貨一枚で勘弁してやる。魔術師様はみな金持ちだからな。その位持っているだろう。誰が出すか、三人で相談するのだな。」
言い返そうとする若者二人を手で制し、与太者二人を無視して若者二人に食事を続けさせる。足下にうずくまっているバウに気がついた若い二人は食事をやめておそるおそるバウの顔を見ている。薄暗い所で黒毛のバウを見ると狼の血を引く顔がさらに凶暴に見えた。ガサの魔術師の塔でケルバライトという異界の魔術師の腕を咬んだ影響があるのかも知れないとジーナは思った。
「聞こえないのかよ!」
目の前に立つ男がスモールソードを手にして大声を出す。
若者二人は怯えきって震えている。
ジーナは異界の指輪であるアルゲニブの、良く響くバリトンの声で答える。
「静かに食事をしたいのだが、汚い声を出すのは止めて貰いたい。消化にわるいのでな。」
「なんだ、おまえ子供じゃないのか。」
バウに合図を送る。
「私の犬が腹を空かしているのだ。腹でも足でも良いから生肉を分けて頂けると嬉しいのだが。謝礼に金貨一枚出しても良いぞ。」
ジーナの心を先読みした黒毛に変身しているバウは、わざとよだれを垂らして唸った。 そのうなり声を聞いて、他の客たちもバウを恐ろしそうな顔で見、ささやきあっている。
気味悪くなった兵士崩れの二人連れは出口へ後ずさった。
「金を払ってからいけよ!」
店の奥から店主が二人連れに声をかけた。
「おい、店主。俺たちはガエフの兵士だ。コリアード軍にたてつく気か?」
「お前達、昨日も金を払わずに帰っただろう。二日分を払って貰おう。」
魔術師がいると思って店主が強気に出ている。
兵士を名乗る男の一人が手にしているスモールソードを横凪に振り回して近くの卓の食器を床へぶちまけた。大きな音が店内に響く。その男は言った。
「ここの店主は命がいらないと見える。」
バウの恐ろしい姿にやけになっているらしい。
店主が大きな肉きり包丁を持って出てきた。しかし、剣を持った与太者二人が相手では危険だ。
ジーナは杖を持って立ち上がり、男二人へ無言で近づいていく。見習魔術師の若い二人は座ったまま成り行きを見守っている。
「金を払いな。」
ジーナは低い声で話しかけながら、剣を構えようとした男に近づく。男は細身の剣を正面に槍の様に真っ直ぐに突き出した。
その時、見習魔術師が放ったのだろう、男に向かって小さな炎の矢が飛んできたが外れて後ろの壁に当たった。命中率が悪いと関係ない人に当たって怪我人を出す。
「危ないから魔術をつかうな!」
ジーナはアルゲニブの声で若い二人を叱った。
目の前の男はもう一度突きを試みた。体重が乗った突きだったが、ジーナは右に避け、すれ違いざまに男の右手を杖で強打した。よほど痛かったのか剣を落としてうずくまる。
もう一人の男が背中を見せているジーナに剣を振りかぶった。ジーナは杖を短く持ち替え、振り向きざまに上段に構えている男の喉に当てた。ジーナはうずくまっている男に言った。
「もう一度いう。金を払っていけ。」
戦意を喪失した男二人は落ちている剣を拾ってから、小銭を床にばらまいて店を出ていった。
「魔術師様、ありがとうございます。」
居酒屋の店主は一度頭をさげてから戦ってくれた魔術師を見つめる。戦っているときにも小柄な人だと思っていたが、近づいてみると思った以上に小柄で、その身長は店主の肩ほどしかなかった。
「騒がせて申し訳ない。」
ジーナは店主に謝り、自分の席へ戻った。
「ありがとうございます。」
若い魔術師二人は直立不動でジーナに礼を言った。
「座っていいぞ。この様な所で下手な魔術は使うな。木や衣類に炎が燃え移ったら大事になるぞ。」
若い二人は恐縮してジーナに謝ったが、恐ろしげなバウから目を離せないでいる。
「私の犬にも礼をしてくれるかな? 頭を撫でてくれるだけで良いぞ。」
二人はバウの頭に触れたが、手をすぐに引っ込めた。バウは尻尾を振って応える。白毛の時は可愛らしさがあるが、黒毛では何をしても恐ろしく見える。
時々バウに食事を分け与えながらジーナは無言で食事を続けるが、戦いを見て興奮したせいもあるのだろう。若い見習魔術師の二人はジーナが目の前にいるのも忘れて会話を絶やさずに食事をしている。
「魔術師長のシャロン様からガエフ公国へ行けと言われた時は驚いたな、フーゴ。」
「ああ、二人で魔術師の初級認定試験を受ける事が許されたのだからな。」
「でも、俺たち魔術師の館に入って五年以上たったよ。金持ちの息子達は三年位で試験を受けさせて貰えるのに。」
「仕方が無いよ。世の中金が全てだからな。」
「フーゴ、僕は夕べ寝られなかった。」
「ハンスは随分はしゃいでいたな。」
「試験内容はフーゴも知らないのだろう。誰も教えてくれなかったし。」
「昇級認定試験で不正が発覚した者は死刑だとジェド様はおっしゃっていたぞ。」
「あのお方は僕たち二人には日頃から意地悪だからね。どこまで本当の事だか知れたものじゃないよ。今まで不合格になったものはいるのかな?」
「初級認定試験に不合格になった者は魔術師の館から去るらしいよ。」
「試験に合格したら僕たち、魔力の指輪を与えられるのだろう?楽しみだな。」
「俺たちの先輩の中に、ガエフからの帰り道でその指輪を盗まれた者がいるらしいぞ。俺たちも気をつけないとな。」
どうやら魔術師会には認定試験なる制度があり、彼らはその試験を受けにいくらしい。魔力の指輪とはどのような物なのだろう。数ヶ月前、ローゼンが死の前日にいっていた『北サッタ村にある魔石』でないのは確かだ。ローゼンの言う魔石が、魔術師なら誰でも入手可能なものである魔力の指輪であるはずが無いからだ。
試験の内容に興味が沸いたが、二人はその中身を知らされていないようだ。ジーナが目の前にいる事を思い出した二人は黙った。正体不明の魔術師であるジーナの前で言い過ぎたと思ったらしい。
「二人とも明日があるのだろう。食い過ぎるなよ。」
若い二人の会話の邪魔になりそうだと察したジーナは三人分の食事代を払って引き上げる事にした。
若い見習魔術師二人はジーナが店を出るまで立って送った。
「フーゴ、あのお方は何処の魔術師様だろう?」
「軍用犬を連れた魔術師の噂は聞いた事がないぞ。」
「ただの飼い犬かも知れないだろ。なんで軍用犬だと言えるんだ。」
「ハンス、気がつかなかったのか。あの黒犬は鎖帷子を着ていたぞ。軍用犬に決まっているよ。」
「僕、怖くてよく見ていなかったよ。さすがフーゴだな。」
「あのお方は二人のならず者を追い払うのに魔力を使わなかったな。」
「港町ギロのシャロン魔術師長様は外出する時はいつも兵士を連れているよ。魔術だけでは戦えないのかな?」
「シャロン様は臆病なだけだろう。俺たちが出かける二日前に魔術師の塔に賊が入った噂をきいたか?」
「うん、ルロワを殺した賊をレグルス様が一人で全員殺したという噂だけど。」
「そうだとしたら、塔の護衛兵を殺した賊を全員レグルス様がやっつけた事になるぜ。」
「嘘だろうフーゴ。レグルス様はお歳だからそんな事が出来る訳ないよ。」
「ハンスはお会いした事があるのか?」
「無いよ。」
「俺は文使いを仰せつかって手紙を届けた時にお会いしたよ。レグルス様の魔力はガエフ公国のランダル大魔術師長様より上だそうだが、冷たいお方だったな。」
「フーゴ、今回殺されたルロワという男だけど、彼は魔力を持っていなかったらしい。どうしてレグルス様は弟子にしたのだろう。」
「さあな。俺たちみたいな下っ端にはだれも真実を話してはくれないからな。」
「けれど、今回の試験に合格すれば一人前の魔術師として認められるのだろう。いままで掃除や使い走りでこき使われていたけれど、合格後は楽になるね。」
「ハンス、たとえ合格しても俺たちが港町ギロの魔術師の中では下っ端である事に変わりがないよ。あのジェド様が態度を変える訳はないし。」
「ジェド様が中級認定試験を受けた時、シャロン魔術師長様がこっそり試験内容を教えたというのは本当かな。」
「ハンス、余計な事をいうな。ジェド様に殺されるぞ。」
「分かったよ。フーゴありがとう。僕、初めての旅だし、一人じゃとても此処まで来る事ができなかったと思うよ。金さえあれば馬車か馬でゆけたのにね。」
「なんだかなハンス、まだ一日しか旅していないのに。」
「ガエフの大魔術師長様はやさしいお方だという噂だけど、本当かな?」
「港町ギロのシャロン魔術師長様は意地悪だからな。」
「フーゴはなぜ魔術師の館へきたの?」
「両親が貧しくてね。小さい弟もいるし、親子四人で食うのがようやくという状態だったんだ。」
ダンク・コリアードが王となってから貧しい者が増えた。フーゴの家も例外ではなく、食に困る有様だった。
ある日、フーゴの父親が見習魔術師の試験の噂を聞きつけた。試験に受かれば魔術師の館で暮らせるという事だった。家族はバラバラになるが、フーゴが食べるのに困らないのならその方が良いと思った父親はフーゴに魔術師見習の試験を受けさせたのだ。
フーゴは話を続けた。
「魔術師になれば一生食うに困らないからといって、俺に魔術師見習の試験を受けさせたんだよ。それで間違えて受かっちまったという訳さ。」
フーゴの両親は港町で漁師をして暮らしていた。十数年前に突然現れたダンク・コリアード軍は、フーゴが暮らしていた漁師町のうち中央の一区画の土地と漁場を奪ってしまった。
大勢の兵士がやってきて何の説明も無く家や桟橋を壊したのだ。フーゴの家を含めた十数軒は住居と仕事を失ってしまい、たちまち貧乏になってしまった。船と家の残骸はコリアード軍が新たに作った港の材料にされてしまったのだ。
生活ができなくなった者たちは、北や南の知り合いの漁師に雇われたり、町を捨てて南へ引っ越していったりした。また、仕事を奪われた若者達は破落戸となってガサの町や港町ギロに徘徊しはじめた。
コリアード軍の軍船が村を破壊してまで、ガサの隣にある小さな港町ギロに来た理由は誰も知らなかった。
五年前に鍛冶屋のダンがガサの町に来てからガサから破落戸はいなくなったが、追い出された彼らは港町ギロへ移動して、相変わらず辺りを徘徊して町人達の嫌われ者になっていた。また、ギロの町が大きくなるにつれ、他方から入り込んでくる、仕事を持たない者たちも増えていった。今のギロは決して治安が良いとは言えない町になった。
「ハンスはどうして魔術師になろうと思ったんだい?」
「僕は、ま、言ってみれば家出だね。ここへ入ってしまえば親でも僕を取り返す事は出来ないからね。」
二人はいつまでも食事を続けていた。
翌朝、ジーナは日が昇る前に宿を出た。フレッド親娘へメッセージは残さなかった。
フレッド親娘が旅支度を終える頃には陽はすっかり高くなっていた。
「ナンシー、旅の時は朝早く起きて支度をしろと夕べも言ったが、起きるのが遅いからこんな時間になってしまったぞ。」
「おとうさん、女子は支度に時間をかけるものなのよ。」
「昨日は、そんなに時間をかけなかったじゃないか。」
「スカートの皺がとれなかったのよ。」
今日も助けてくれた魔術師と一緒に旅をすると思うと、綺麗な服を着たかった。皺だらけの服を笑われたくなかった。
「我が儘は家の中だけにしてくれ。早く出ないと、明るいうちにガエフ公国に着く事ができないぞ。」
カウンタで支払いをすると、宿の主人が魔術師は陽が昇ると同時に出発したという。
馬屋から馬を出して馬車を繋ぎ、ナンシーを乗せてガエフ公国へ向かった。足手まといになる娘を連れてきた事をフレッドは反省していた。今は馬を急がせて、陽のある内にガエフにたどり着く事だ。
ナンシーはガエフ公国まで魔術師と一緒に旅が出来ると思っていたが、すでに宿を出たと聞いて気落ちしていた。なぜ私達を待っていてくれないのだろうか、一緒の方が楽しいのに。お父様はなぜ魔術師を引き留めてくれなかったのだろう。
原因が寝坊した自分にあるとナンシーは思っていなかった。