二十四 異界の指輪・炎の矢(三)
バウがジーナの元に戻ってきた。咥えていた葉がない。バウが尾を振りながらジーナを見つめる。フレッドにうまく伝える事が出来たようだ。賊が見張っている反対側を宿の裏へ回り込む二人の姿が見えた。
他にも賊がいるかも知れない。バウに二人の部屋のそばで護衛をするよう頼んだ。
ケビンは暫くの間木陰から宿の入口を見張っていたが、商人親娘らしい人影は全くとおりかからない。旅人が食事もせずに部屋へ引きこもってしまったのだろうか。ここまで来て諦める事は出来ない。
いつまでたっても姿を現さない親娘にしびれをきらしたケビンは、宿で小火騒ぎを起こせば部屋から出てくるかも知れないと思い、馬小屋に火を付ける事にした。
ジーナの目の前で賊は宿の馬屋へ向かった。馬から外された荷車が数台置いてある。男が屈み込んで何かを始めた。火が見える。ジーナは走って男を突き飛ばし、藁草についた火を消した。今日の様に乾燥している時に火を付けられては瞬く間に大火事になる。何人もの宿の客に犠牲が出てしまうし、つながれている馬たちもただではすむまい。ジーナは杖の先で火元をつついたので草藁の火が消えたと思っていたが、その程度では燃え始めた火を消す事はできない。アルゲニブが火元をバリアで囲い、外気を遮断したのだ。この程度の知恵は異界でのながい生活で得ていた。
「放火はやめろ。火を付けると大勢のけが人がでる。」
「魔術師か。ダミアンと戦ったのはお前だな。」
賊は剣を抜くと、前屈みになり、体を小さくして両手で持った剣を突き出す。出来るだけ体を小さくし、攻撃を受けにくくするのがケビン流の剣技だ。
ジーナはダミアンと言う名に覚えが無かったが、今日の出来事からすると、馬車を襲った賊の事のようだ。
賊の剣は普通の人よりは巧みだがダミアンよりは格下だとジーナは思った。
ジーナが近づくと牽制するように剣を左右に揺らしながら突き出す。その剣を杖の先で弾いて前に出ると男は下がる。男が前屈みになっているので、ジーナが得意としている喉の急所への突きを繰り出す事ができない。その背中へ杖を振り下ろそうとした時、男は飛び跳ねるように前へ出て突き技を使った。
ジーナは杖で受け流しながら右に避ける。横切りにしてくる男の剣を、返した杖の持ち手側ではじく。敵を懐に近づけない限り、一メータ以上ある杖は七,八十センチしかない剣より有利だがこのままでは決めてに欠ける。
ジーナの杖術にケビンは、ダミアンが手こずったのが理解できた。この小柄な魔術師は剣での戦いに慣れているのだ。騎士に教わった事があるのかも知れない。毒の吹き矢を準備しておいて良かった、とケビンは思った。
ジーナは賊を倒そうとはしていなかった。ダミアンの時のように逃げてくれるのを期待していたのだ。賊といえども人を傷つけたくはない。敵がジーナの杖を避ける度に下がるので、戦いの場は馬小屋から少しずつ林の方へ移動していく。賊の剣はジーナを傷つける事が出来ないからだ。
ジーナには余裕ができたが、後で考えればそれが油断となったのかも知れなかった。
男が懐から棒を出して咥えた。吹き矢がジーナの顔を狙って飛んで来た。思わず左腕で顔を庇おうとしたが間に合わず、マスク越しに頬に刺さった。
一気にかたを付けよう。ジーナは杖を男の肩に打ち込もうと上段に構えた。
しかし、何故か力が入らず杖を落として倒れ込んでしまった。腰のダガーを抜こうとするが手が震えてうまく行かない。
「なんだ、これは。」
「いまさら気づいても遅い。吹き矢の先には毒がぬってあったのさ。」
賊が笑いながらジーナに近寄ってきて顔に刺さっている吹き矢を抜き、マスクを剥いだ。
「女じゃないか。ダミアンがこんな小娘にやられたとは信じ難い。」
体がしびれて動く事ができない。
男が剣をジーナの首筋に突きつけながら言った。
「どれ小娘、俺が楽しみを教えてやろう。」
賊はジーナの体に馬乗りになる。
ジーナの頭に過去の記憶が蘇ってくる。ケリーランスでの記憶だ。
賊が剣の先で胸のボタンをはじき飛ばし、下着を引き裂く。胸が露わになった。
賊の顔がケリーランスでジーナを襲った兵士の顔に入れ変わる。恐怖のフラッシュバック。ジーナは叫びながら動かない筈の右手を、賊の体に打ち込んだ。ジーナは気づいていないが、手の先から炎がわき上がった。強力な炎は火柱となって賊の全身を包んだ。遠くから見れば男がジーナに火を付けている様にも見える。
やがてジーナは意識が遠のいて行くが強力な炎は増すばかりだ。男が立ち上がる事も出来ずにジーナの体に倒れ込む。
このままではジーナも炎に焼かれてしまう。異界の指輪であるアルゲニブはバリアを張ってジーナの体を守りながら、強力な炎を支えるジーナの魔力を弱めようとする。アルゲニブの力は主人の為にバリアを張る事と、主人の魔力を増幅する事だ。主人の魔力を弱めるのは初めてだったが、間に合ったのか炎が急速に弱まる
『おい、ジーナ!』
ジーナの心に話しかけるが意識を回復する素振りはない。
指輪のアルゲニブには信じられなかった。たった一度受けた小さな炎の矢をこの様な強力な火柱に再現して見せる。アルゲニブの主人としては十分な素質といえるかも知れない。しかし、今は感慨にふけっている時ではない。アルゲニブはバリアを張り続ける。
男の叫びを聞きつけたのか、バウが走ってきてジーナの体の上で燃える男を突き飛ばした。
魔力の炎に焼かれた男の体はジーナの脇で灰となって崩れ落ちる。その体は燃え尽き、鉄の武具だけが残された。賊の炎が燃え移らなかったバウはジーナのそばによってきて心配そうにジーナの顔をのぞきこむ。
指輪のアルゲニブは指を通してジーナの体が無事で有る事を確認した。
心配しているのか、バウがジーナの顔をなめる。不安そうなバウの心がジーナの体を通してアルゲニブにも伝わってくる。ジーナの意識に接触してみる。壁のイメージ。そこには沢山の扉があった。一番大きな扉は鎖で絡められていて、全てを拒絶している。アルゲニブも接触をためらう。僅かにあいている他の扉を見つける。中からバウの顔がのぞいている。ジーナの顔を舐めているバウなのだろうか。その隣のドアの隙間からはアルゲニブのものらしい二つの目がついた指輪が見える。もう一つ開きかけの扉を覗くと巨大な腕輪のイメージがあった。ジーナがよく言っていた癒しの腕輪に違いない。アルゲニブはその腕輪の扉を開くと癒しの霧が心の中に広まっていった。あくまでも意識の中でのイメージ。アルゲニブはその癒しの霧を応援する様に、自分が使える癒しの魔力を精一杯注ぐ。癒しの霧は深い青へと変わり、ジーナの心の中にある、巨大な指輪のある部屋を満たしてゆく。やがてその指輪が見えなくなるほど濃い霧となり、巨大な指輪の部屋から漂い出、ジーナの心全体を満たしてゆく。ジーナの顔をなめているバウにもわからぬであろう、アルゲニブだけが感じ取る事ができる、ジーナの心のイメージ。しかし、ジーナの心にあるバウの部屋では、そこを漂う、濃い青となった霧の動きを追うバウの瞳があったが、アルゲニブはその事を知らない。
ジーナの顔に赤みがさし、右手が動いてバウの頭を撫でる。矢の毒による麻痺がとれかけている。ジーナはゆっくり立ち上がった。はだけている胸に夜風が直接当たる。
コマドリが戻ってきて肩に留まり、ジーナの傷がない方の頬へ、よくバウがやる様にやさしく顔をすりつける。そのコマドリはいつのまにかバウのやり方を学んだのかも知れない。
灰となった男の抜け殻が目に入った。無意識のうちにこの人を殺してしまったのだろうか。自分には魔力が無いのだと思い、異界の指輪であるアルゲニブが私を救うためにした事に違いないと思い直した。
ジーナはこの武具が人目についけないと思い、林の奥に放り投げた。
アルゲニブはジーナの心の葛藤と勘違いに気づいたが、本当の事を言っては更に苦しめそうな気がする。誤解のままで良いと思った。
落ちている衣類のボタンを拾うのをコマドリも手伝ってくれた。
「バウ、川に行こう。」
はだけている胸をマントで隠しながらジーナは走る。
バウの鼻が、そう遠くない所に小川を見つけた。民家は近くになく、辺りは闇となっている。
「バウ、荷物の番をしていてね。」
ジーナを気遣って不安そうな顔を向けるバウ。
衣類を全て脱いで裸になると、川に入った。水は膝上までしかない。それでも横になれば全身を浸せた。両手で川底の石を掴み、流されない様にする。背中まである長い髪が流れの中で広がってゆく。その流れが、賊が触った胸の汚れを洗い清めてくれる。 どの位そうしていただろうか。癒しの腕輪の効果で体の毒もぬけ、頬の傷も消えた様だ。
「ありがとう、アルゲニブ。」
アルゲニブは返事をしなかったが、ジーナの心の中にアルゲニブの部屋があったのを嬉しく思っていた。友達とは心の中にその人の為の部屋を用意するという事なのだろうか。ガサの町を出た頃のジーナとの会話を思い出す。
ジーナは体が水の冷たさで動かなくなる頃、川から上がった。
二度目の殺人。忘れる事はないだろうが、己を取り戻す事はできた。
「バウ、見張りをありがとう。」
体が濡れているので服はまだ着られない。冷えた体をほぐす為に裸ではあるが、杖を使って基礎的な鍛錬をする。まとめていない髪が夜風に流れる。冷気の中でジーナの体から白い靄が立ち上る。ジーナの体温に温められた空気が白い気体を生み出しているのだ。真冬に息を吐くときにできる靄にもにていた。
体が暖まった。裸のままポシェットから針と糸を出して切られた服を繕った。ボタンも付ける。肩に乗っては肌に傷つけると思い、遠慮したのか、或いは手を動かす邪魔になると思ったのか、小鳥はジーナの頭に留まった。頭を揉まれているようで意外と気持ち良かった。
マスク代わりにしている布で濡れた体と髪を拭いてから服を着た。
明日、何事も起こらない事を祈りながら宿へ向かった。
ダミアンは馬の手綱を握りながら、港町ギロの魔術師館の裏口で痩せた魔術師と立ち話をしていた。コルガの町から帰る途中で馬を休ませなかったのだろう、馬は汗をかいていた。
「どうした?ダミアン、こんな時間に俺を呼び出して。」
「兄貴、せっかく紹介してくれた獲物だが失敗したぜ。」
「魔力を使えるお前なら間違いは無いと思ったのだが。俺も小遣いを稼ぎ損なったという事か。何があったのだ?」
「魔術師が奴らの警護をしていたぞ。」
「流れの魔術師なら俺たち魔術師会で粛清しなければならないが。」
「首から魔術師会のペンダントをぶら下げていた。この館から旅にでた魔術師はいないのか。」
「見習魔術師の二人が今朝、ガエフ公国へ向かったが、彼らはまだ子供だ。他の魔術師は皆この町にいるぞ。ガサの町のレグスル殿ではないのか。」
「兄貴、腕の立つ小柄な奴だぞ。」
「見習いの子供二人で無い事は確かだが。ガサの町にある魔術師の塔で一悶着あったとの噂もあるし、調べて見るか。ダミアンの隠し技は通じなかったのか?」
「兄貴が教えてくれた炎の矢は簡単に跳ね返されたぜ。」
「魔法陣で結界でもはられたか。お前に教えた炎の矢より結界をはる古代語の方が早いからな。」
「俺の炎をあいつは杖でたたき落としたぞ。」
「ダミアン、見間違いだろう。魔術の炎を結界やバリアで守る事は出来るが、人の目で捕らえる事の出来ない魔力の矢だ。投げ矢や礫をたたき落とすのとは違うのだぞ。」
実際に弾き飛ばされたのを目にしているダミアンだったが、剣技に疎い兄貴にいくら説明しても無駄だと思い、説明するのを止めた。
「兄貴、この魔力の指輪は炎の矢しか作り出せないのだろう?他に強力な魔力を使える指輪はないのか。」
「魔力の指輪は皆同じ物なのだ。指輪は持ち主の魔力と共に成長する物なのだよ。お前の魔力では炎の矢以外の技は習得が難しいな。お前との関係を他の魔術師に見つかるとまずい、俺は部屋に戻るぞ。ダミアンも無理をするな。今お前が持っている魔力の指輪を魔術師に見つかるなよ。魔術師会の者から盗んだ事を知られると互いに死刑になるのだからな。」
「兄貴、良い獲物がいたらまた紹介してくれ。」
ダミアンには言っていないが、商人を襲うよう依頼してきたのはガエフの魔術師の館にいるサイラスだ。彼とは魔術師会の同期仲間で、魔術師会に登用された年も、承認試験を受けた年も一緒だった。何かと馬が合ったが、二人が結束しているのは互いに秘密を共有していたからだ。
ガエフ公国で二年前に受験した中級認定試験での不正だ。ジェドはシャロン魔術師長から聞いていた試験内容をサイラスに教える代わりに、魔力の弱かった自分の手伝いをサイラスに頼んだのだ。おかげで二人揃って試験に合格できた。
ジェドは上級認定試験を受ける事はなかったが、サイラスはその後魔術師会の上級認定試験に合格し、ガエフに赴任した事で別れたのだ。そのサイラスから、フレッドという商人を始末する様、依頼があったのだ。今は自分より上の地位にいるサイラスの依頼を断る事はできない。
魔術師仲間での暗殺依頼は密かに行われていた。噂であるが、港町ギロの魔術師長シャロン・ベイトンは前魔術師長を暗殺する事でその地位についたと言われている。
魔力を隠し技にしている弟のダミアンが失敗するとは思わなかった。文使いを雇い、ガエフのサイラスに知らせる必要がある。見習い二人のガエフ行きを一日ずらせば良かった。そうすればその二人に文使いを命じる事ができたのに。サイラスに恩を売るつもりでいそいで見習い二人をガエフへ向かわせた事が裏目に出てしまった。
暗殺専門の人間を雇うには大金を必要とするが、今のジェドには手持ちの金がない。
ガエフへ初級認定試験を受けにいった若い二人が数日で帰ってくる。どちらかは合格するだろう。弟の為に魔力の指輪を入手した時のように、彼らの帰りを弟に襲わせて魔力の指輪を奪い、金に換える事も考えられるが、売却先から足が付く可能性もあるので危険だ。
自力で処理できれば良いのだが、魔術師の中級認定試験でさえ裏口合格した程度の魔力では無理がある。剣は一度も握った事がない自分では返り討ちに遭ってしまうだろう。やはりフレッド殺しはダミアンに頼むしかないとジェドは思った。
一緒にコルガの町にいったケビンが帰っているかもしれないと思いダミアンは馬に乗って居酒屋近くの貸し馬屋へいったが、ケビンが使っていた馬は帰っていない。馬屋のおやじが馬が一頭しか返ってこない事に文句をいったが、背中の大剣を抜いて黙らせた。もちろん、脅しただけてけがを負わせたわけではない。馬を返してから居酒屋へ向かった。
居酒屋に入ったがやはりケビンの姿はない。女盗賊のゼルダが話しかけてきた。
「ダミアン、腕の傷はどうした?」
傷をさすりながらゼルダに逆に質問する。
「ウイップのゼルダ、トッシュが怪我をして医者の所へ行ったらしい。あいつと戦ったのはお前か?」
「なんで私がトッシュ相手にケンカをしなければならないのさ。私はそれほど暇ではない。」
「最近、よくガサの町で見かけるが、鍛冶屋の親爺を誑かしても金目の物はないと思うぞ。」
「あんたらとは違うよ。ケビンと一緒に出かけたと聞いたけど奴はどうしたんだい。ケビンとケンカして腕に傷を付けられたのかい。あんな変態の剣にやられるとはあんたも口だけだったのかね。」
「ケビンと一緒にしてくれるな。」
短気なダミアンが剣を抜いたが、その先にはゼルダのウイップが巻き付いていた。ゼルダの方が素早い。毎日鍛錬している者と居酒屋に入り浸っている者の差が出た。ゼルダは毎朝ダンを相手に大剣の鍛錬をしているのだ。
居酒屋内に張り詰めた空気がただよう。
「ダミアン、短気を起こすと命も縮まるよ。」
ゼルダはさとすようにいった。
「冗談だよ、ウイップのゼルダ。」
ダミアンは人前では決して魔力を使わない。使う時は相手を殺す時と決めていた。知られては必殺の隠し技にならないからだ。
ゼルダの事よりも帰らないケビンが気にかかる。ダミアンは居酒屋を出た。
翌朝、ダミアンはケビンのねぐらに寄ったが帰っている様子はない。彼が借りた馬の借り賃まで面倒を見るはめに成りかねない。もう一度コルガの町へ行ってみよう。
昨日使った馬はまだ疲れが取れていないだろう。貸し馬屋から別の馬を借りてコルガの町へ走らせた。脅しが効いたのか、馬屋のおやじは何も言わなかった。
通りにケビンが歩いていないか気をつけていたが、それらしい人影はなかった。
コルガの町の入口に近い宿で乗り手のいない馬が一頭繋がれていた。水もエサも与えらていなかったのだろう、ダミアンの顔を覚えていたその馬は何度かいなないた。鞍に港町ギロの馬屋の印が押してある。間違いない。ケビンが借りたものだ。空の馬を引いて二頭で町に入る。
近くの宿で飼い葉と水桶を貰いケビンの馬にあてがう。ケビンの馬は飼い葉桶を壊す勢いで餌を食べ始めた。馬屋の世話をしていた男へ小銭を与えながら聞いた。
「昨日、この宿に親娘連れの商人が泊まらなかったか?」
「この宿はがさつな男達が泊まる場所でさ。旦那さん。女づれなら数軒向こうの十日宿ですよ。」
ダミアンはケビンの馬の隣に自分の馬を繋いで、男が教えたた宿へ向かった。
十日宿のカウンタにいた男は、ラメールアーマーを着て大剣を背負ったダミアンの格好を見て話しかけてくる。
「お客様、こちらの宿は商人向けでして。兵士のお方は遠慮頂いているのですよ。」
その失礼な物言いに、短気なダミアンは剣に手をかけたが我慢した。
「私は客ではない。この宿に親娘連れが泊まらなかったか。」
「女性連れのお方は大勢いらっしゃるので、私には分かりませんが。」
そこへ宿の使用人らしい男が入ってきた。カウンタの男が向こうへ行くようにと手を振ったが遅かった。
「やはり昨日、馬屋で小火があったようですぜ。」
その男は宿の受付へなにかを報告しているらしい。
「どこだ、案内しろ。」
二人の会話に割って入ったダミアンの声に押されて使用人の男が裏の馬屋へ案内する。
「ここです。」
そういって柱の一カ所を指さした。確かに焦げ跡がついている。
「夕べ何があったのだ?」
男は小銭を要求する様に手をダミアンへ向けて差し出した。
「価値がある内容ならくれてやるから話せ。」
「夕べ、この辺りから争う物音がしたんで覗いたんですよ。そうしたら止めてあった馬車の辺りから火が出たようで急に回りが明るくなったんですがね、火はすぐ消えて争っていた男達もいなくなりやがった。」
確かに馬屋の柱に焦げ跡がついている。
「その二人は何処へ行ったのだ?」
小銭を男に渡してやりながら聞いた。男は近くにある林を指さす。
足下を見ると、雑草が踏みしだかれた跡がある。
ダミアンは争った跡の、草が踏みしめられた所を林へ向かって歩いた。林の中に人型の焼け跡を発見した。そばに剣と吹き矢の筒が落ちている。さらに奥へいくと焼けた武具が一塊になって捨てられていた。
間違いない。ケビンが得意としていた毒の吹き矢が通用しなかったのだろう。彼はあの魔術師にやられたのだ。止めておけというダミアンの忠告を聞かなかったのだ。自分の勘に間違いはなかったと思った。
いつかあの魔術師と戦う機会が来るだろうが、今の自分では勝つ自信がなかった。ダミアンは乗馬したまま、乗り手のいなくなった馬を引いて港町ギロへ向かった。