二十三 異界の指輪・炎の矢(二)
フレッドは親の代から港町ギロでパピルス紙を売っていた。パピルス紙とは、多年草のパピルスの茎を補足裂いて圧接したもので、黄ばんだ色で、折り曲げる事が出来ない、あつかいに国ものだった。
時々やってくる船乗りや、祠祭館の人達等に重宝されていたが、所詮小さな町の事、露店での細々とした商いだった。
十数年前に祠祭館が取り壊されてから買い手が減った為、港町ギロに新しくできた魔術師の館を新しい顧客にしょうとパピルス紙を売りに行った。しかし魔術師の館ではガエフ公国の商人を可愛がっているようでわざわざ遠いガエフからとり寄せていた。
取り壊された祠祭館に暮らしていてフレッドの店からパピルス紙を買ってくれていたランプリング家は消息を絶ってしまったが、一人息子のルロワを置いて何処へいったのだろうか。殺されたとの噂が立たなかったからきっと生き延びでいるに違いない。
魔術師の塔へ初めてパピルス紙を持っていった時には金が払われなかったり、リベートを要求されたりした。以来、魔術師との関わりは避けてきた。
今から十年前、カテナ街道の南、ダルコの町の手前で紙職人をしているクリフが私のところへやって来た。薄いのに折っても痛まない、切り口からほつれる事のない新しい紙を持って来たのだ。
最初の頃は色も悪かったが、やがて、パピルス紙よりも白い紙を作るようになった。
出所を明かさない事を条件に、クリフの新しい紙を商う事にしたのだ。それから十年、さすがに魔術師の館相手には商っていないが、航海誌を書く必要のある船乗り達は喜んで買っていった。彼らの口コミでわざわざ遠回りをして買いに来る客まで現れ始め、その頃から裕福になっていった。今では衣類や装飾品など紙以外の商品も手がけている。
「噂では魔術師は冷血で町人の命など石くれ程にも思っていないとの事でしたがあなた様のような方がいらっしゃるとは思いませんでした。」
馬の手綱を持ちながら、馬車の後ろ側に座っているジーナに話しかける。
「お父さん、この方、鳥を飼っているわよ。」
ジーナの肩に乗っているオレンジ色の小鳥を見てナンシーは言った。
「飼っている訳ではないが、南に行き遅れたのだろう。」
南と北を行き来する鳥の中には群れからはぐれて行き遅れるものがいる。一羽となって取り残された鳥の殆どは餌をとる事が出来ず餓死するか、寒さに耐えきれず凍死してしまう。
「ガエフ公国はその昔この地区の農民がガエフの姓を名乗り、豪族の仲間入りをしたのが始まりと聞いています。その後、ブランデル家に乗っ取られたそうですが。」
商人のフレッドは近郊の歴史について話を続けているがジーナは聞き流していた。
『ジーナ、この世界も私の世界と同じで弱肉強食という事か?』
異界の指輪であるアルゲニブが話しかけてくる。
『そうよ。人間の本性なのかも知れないわ。私は争いが嫌いだけれど。アルゲニブのいた異界はどうなの?』
『人が集まると町ができ権力争いが起こる。町が拡張していくと隣町との争いが起こり焼け野原になる。人がいなくなると元の森に戻る。再び人が現れる。それの繰り返しだな。こちらの世界の方が平穏なのではないか。』
『アルゲニブは戦いがすきなのね。』
『私は戦いをする為に生まれたのだ。』
異界の指輪アルゲニブが初めて自我を意識したのは炎の中だった。ご主人様が戦いに敗れ、敵の放った炎に館ごと包まれてしまったのだ。その時なぜ指輪の自分が消滅を免れたのか分からない。その時強力なバリアを生み出す術を得たのかもしれないが、アルゲニブに判断できる事ではない。すっかり灰となった中を何者かに拾われた。その男が前のご主人の先祖だった。その者は焼け野原となった所に新たに館を建て、仲間を集めて砦を構築した。アルゲニブはその時から何代ものご主人様に仕えてきたのだが、歴代のご主人様は幾度もの戦いを勝ち抜き、その砦と地位を維持してきたのだ。しかし、こちらの世界でのご主人様であるジーナはどうやら戦いを好んでいないらしい。
ジーナは元の世界に帰りたいかアルゲニブに聞こうとしてやめた。帰る当てが無いのにその事を思い出させるのは酷というものだ。
コマドリの爪を肩に感じたジーナは、小鳥を肩から下ろして馬車の木枠に留まらせ、ポーチからなめし革の切れ端を出す。ビルの文字の勉強に使った物の残りで五センチ四方に少し欠ける歪な形をしている。魔術師のマントを脱ぎ、その革をコマドリが留まっていた左肩に縫いつける。
ジーナが縫い物を始めたのをみてナンシーが話しかけてくる。
「あら、私が縫って差し上げますわ。」
「ナンシーは縫い物が得意なのか?」
「お母さんやメイドがやっているのを横で見ているからやり方は分かるわ。」
ジーナは革を縫いつけかけているマントをナンシーに渡した。
布同士の縫い物と違い、硬い革を生地に縫いつけるのは結構力がいる。ナンシーは不器用に手を動かし、一所懸命に縫いつけている。半分も縫い終わらない所でとうとう諦めた。
「裁縫はだれも教えてくれなかったわ、お父さん。」
「お前がいやがって逃げてばかりいるから教えられないと家庭教師は言っていた。人のせいにするのは良くない事だぞ。」
ジーナはナンシーからマントを受け取ると、縫い目が不揃いでマントの生地に撚れが出来ている。糸を抜き、最初からやり直す事にした。
「ナンシー、練習が必要だな。」
「すみません、長女だと思い、親の私が甘やかして育てたものだから。」
ナンシーに替わってフレッドが答えた。ナンシーが簡単な縫い物すらできない娘に育ってしまったのは親である自分のせいだとフレッドは思っていた。四歳下の妹は良くできる娘なのに、と思ったがそれを口にだしてはいけない事くらいはフレッドも知っている。
ナンシーはふくれっ面で横を向いている。革を縫いつけたマントを再び羽織る。コマドリはジーナに言われなくても左肩の革の上に留まった。これでコマドリの足でマントに穴を開けられる心配がなくなった。いままでコマドリは遠慮していたのだろうか?ジーナの肩をつかむ足の力が増したのを感じた。
今のフレッドは大きな倉庫と十人前後の使用人を持っていた。娘二人が遊んで暮らすには十分な稼ぎがある。妻は三年前に病死していた。その時からメイドと家庭教師を雇っているが、二人とも我が儘なナンシーのいいなりになってしまった。幼い頃からいる使用人について考え直す次期がきたのかも知れない。
ナンシーはゆれる馬車の上で、手綱を持つ父親と会話をしながら、隣に座る魔術師の事が気になっていた。港町ギロではナンシーが歩いているだけで若者が声をかけてくる。中には花をプレゼントする者もいる。その様な町の若者達を、お父さんは財産狙いの鼻持ちならない奴らだといって会う事を禁じていた。
この魔術師は背が低くて、マスクで覆っている顔がナンシーの好みかどうか分からない。しかし、ナンシーはこの魔術師の様に自分を無視する男に出会った事がなかった。どの様な男なのだろうか。思いに耽っているうちに睡魔に襲われていた。
ナンシーが話しかけて来なくなった。疲れたのか、馬車に揺られながら寝ている。
三ヶ月前、ジーナの保護者であるローゼンがケリーランスの滝に落ちるまではローゼンに見守られ、指導され、行き先を示されて生きてきた。そのローゼンは、ジーナの生きる先や目的について語る事なく死んでしまった。ローゼンが死ぬ前日にジーナにいった話。
『北サッタ村にある、魔石の腕輪に合う魔石を見つけろ。俺たちが勝つにはその力が必要だ。』
魔石が何を意味しているのか、そして誰に勝とうとしていたのか、まだ十八歳のジーナにローゼンは話していなかった。
ローゼンが死んで三ヶ月、ジーナはケリーランス公国周辺をさまよい、散り散りになった仲間に会おうとしたが、何処へ姿をけしたのか誰にも会うことが出来なかった。それからローゼンの言葉に従って子供の頃暮らしていた北サッタ村へ向かう途中、ガサの町に立ち寄ったのだ。
コリアード軍や魔術師会をローゼンが嫌っていたのは知っていたが、成り行きで変装し、ガエフ公国の魔術師の館へ向かっている。ローゼンが生きていたら何というだろうか。そして、私はこれからどうしようとしているのか。ジーナ自身にも分からなかった。心の中でローゼンに問いかけるが勿論返事はない。
その問いかけを心の中で聞いていた異界の指輪のアルゲニブは、ジーナの心を占めているローゼンという名の男に嫉妬をした。ジーナにとって異界の指輪に過ぎない自分がローゼンと呼ばれている男の様な信頼を得る日がくるのだろうか。やるせない心のジーナに同情も感じたアルゲニブだが、ジーナにかける言葉を持っていなかった。
コルガの宿場町が近づいてきた。
ケビンは一本道のカテナ街道を早足で乗馬して馬車に追いついた。遠くに見える馬車の荷台に、後ろ向きに魔術師が座って乗っているのが見えた。ゆっくり進む商人の馬車に会わせる為に馬を下り、手綱を引いて後を追った。また、魔術師を警戒してかなり離れて付いていく。
馬車に座っていた魔術師は小柄で、ダミアンより剣技が上手とは思えない。ダミアンは襲撃に失敗したといって帰ってしまったが、娘連れの商人と魔術師一人、失敗したダミアンは大きな怪我をした様子は無かった。一体何があったのだろうか。
港町ギロで大きな顔をしている彼の剣の腕は確かだが、ケビンには吹き矢という隠し技があった。吹き矢の先に毒を塗り、敵を仕留めるのだ。剣では劣ってもこの裏技がある限り滅多に遅れをとる事はない。魔術師を吹き矢で倒せば、商人一人、楽な仕事だと思った。
いつ戦いになっても良いようにケビンは毒矢の準備をした。
ジーナ達一行は日が暮れようという頃にカテナ街道の宿場町、コルガの町についた。
ガサの町と違い、街道の途中に居酒屋と宿が数件と、旅人向けの小間物屋が存在しているだけで町を示す標識も警備兵の詰め所もなかった。町というより、村の中央に宿場が有るだけといった方が相応しく思えた。
フレッドは十日宿とかかれた宿の裏で馬車を止め、馬を馬車からはなすと、木の柵に手綱をくくりつけた。ジーナは馬の鼻を撫でながら感謝の心を送った。
『ありがとう。』
馬は鼻を背の低いジーナの顔に押しつけながら、大きな瞳で見つめ返す。
動物と仲良くなるのかジーナの特技なのだ。
『ジーナ、たかが馬に気を遣う事もあるまい。』
『アルゲニブ、僅かの時間でも世話になったのだから礼をするのは当たり前よ。』
『向こうの世界では軍馬は消耗品だったな。』
『戦いでは人も消耗品よ。だから私は戦いが嫌い。』
『ちょっと前戦ったばかりなのに、矛盾しているぞ。ジーナ。』
黒毛のバウが寄ってきた。異界の指輪であるアルゲニブの会話を中断して、フレッドとナンシーの後について宿に入る。
フレッドが宿のカウンタにいる男に聞いた。
「二階に二部屋空いているかい。」
「予約が入っているので無理です。旦那。一部屋しかありません。」
「何とかならのか。予約の人はまだ来ていないのだろう。」
「すでに頂いている前金分を負担していただければ交渉してみますがね。」
宿の主は値をつり上げようとしているのだ。
肩にコマドリを乗せ、黒犬を連れたジーナがカウンタに近づき、宿の主人を睨みながらアルゲニブの声で話しかける。
「部屋が空いてないのなら他の宿へいこう。」
ジーナを不思議そうに見ていたが、商人の連れの魔術師である事にようやく気がついた。
「魔術師様がご一緒ですか。上の二部屋はすぐに空けさせますので、はい。先におっしゃって頂ければ便宜を図りましたものを。」
宿の主はさかんに言い訳を繰り返す。魔術師のマントの効果をジーナは実感した。
宿の主は三人を二階の部屋に案内した。バウを連れている事については何も言わなかった。
ジーナはあてがわれた部屋へ入った。
窓を開けて夕暮れを眺める。カテナ山脈が、迫る夕闇の中でシルエットになって見えている。
ケリーランスからガサの町にやってきた時は人の目を避けながら何回も野宿を重ねた。今、同じ道を反対向きに、堂々と旅をしている。私の旅に終わりは来るのだろうか。保護者であったローゼンとの、北サッタ村での生活を懐かしく思い返した。
『ジーナでも感傷に浸る事があるのか。』
『友達という言葉が理解できないアルゲニブが感傷について語るなんて思わなかったわ。これでも十八歳の乙女よ。』
『乙女とはなんだ。がさつな女の事か。』
ジーナはため息をついてアルゲニブとの会話を打ち切った。
宿に食堂がなかった。
バウを連れて宿の向かいの居酒屋に入る。一瞬店内の喧噪が静まった。犬と小鳥をつれた、魔術師のマントを着たジーナを不思議そうに見ている。一番奥の隅に座った。店の女性を呼び、多めに金を渡してバウの食事も合わせて注文する。
他の居酒屋か食堂にいったのだろう、商人の親娘はここにはいない。
ここの居酒屋でもガサの町と同じ様に、村人たちが隅のテーブルでカード賭博をやっている。田舎町ではカードと酒以外の娯楽がないのだ。しかし、魔族兵士はいず、魔力によるいかさまカードが使われている様子はない。
ジーナはテーブルの食べ物からバウに肉を取り分けて与え、手にしたパンをコマドリに自由に突かせる。この小鳥がジーナの何を気に入ったかは分からないが、このままだと何処までもついて来そうだ。
ケビンはコルガの宿場町入口の宿へ馬を置いた。馬屋で世話をしている間に馬車は見失ったが、狭い町だ。簡単に見つかるだろう。そう心配はしていなかった。
商人達は食事をするに違いないと思った彼は所々に開いている居酒屋を覗きながら、町の中央の通りをゆっくりあるく。ある居酒屋の奥に魔術師の黒マント姿が見えた。
開いていた扉越しに店の様子をうかがうと、ダミアンが手を焼いたという小柄な魔術師が脇に黒犬を従えて食事をしている。
暫く様子を見ていると、魔術師は居酒屋の向かいにある宿へ入った。商人と娘も同じ宿に違いない。ケビンは木立に隠れる。やがて商人親娘も帰ってくるに違いない。念の為、すぐ使える様に毒の吹き矢を準備しておく。
ジーナは宿へ戻る途中、背後に男の気配を感じ続けていた。居酒屋で揉めた男か、あるいは街道でフレッド親娘を襲った男だろう。自分を襲うのは構わないが、せっかく助けた親娘がまた襲われるのは困る。ガサの町でジョンが宿へ押し入った日の事を思い出す。
まだ帰っていないのだろう、親娘の部屋は静かだ。その男が宿の前で見張っている事も考えられる。窓から下を覗く。得意の鎖鎌を使えば降りられそうだ。
「バウ、いくよ。」
ジーナとバウは宿の入口とは反対側に付いている窓から地面へ飛び降りて建物を回り込み、宿の入口を見る。やはり男が木陰で見張っていた。街道で親娘を襲った賊と同じラメールアーマーを着ているが別の男なのだろう、体格が違う。
ジーナはすぐそばの木がタラヨウの木である事に気がついた。これは都合が良い。賊から目を離さずに葉を一枚ちぎり、裏に投げ矢の先を押しつけるようにして文字を書いた。
バウの頭を撫でる。
「バウ、この葉を商人のフレッドに届けてちょうだい。」
バウは葉を咥えたまま、地面の臭いを嗅ぎながら闇の中を行く。黒毛が闇にとけ込んでいて賊は気づかない。間に合うだろうか。
フレッド親娘はジーナが食事をした居酒屋の隣の店で食事をしていた。店内は落ち着いていて客も身なりの良い人ばかりだ。
「おとうさん、魔術師ってやさしいのね。」
「あのお方は特別なのさ。私が港町ギロであった魔術師は皆鼻持ちならない輩だったからな。賊が化けていた傭兵だって、魔術師の紹介があったというぞ。」
今回の旅にあたって、使用人をつれてゆく事も考えたが、冬を前にしたこの時期、港へ寄って衣類、食料を調達する船乗りも多い。使用人を連れてくれば商売へ影響が出ると考えて傭兵を雇う事にしたのだ。紹介してくれた男によれば、魔術師の館の紹介があったと言っていたが嘘だったのかも知れない。
「でも、あのお方、優しい目をしていたわ。顔はマスクで分からなかったけれど。」
店内が静かになった。一匹の黒犬が店内に入ってきた。大型の山犬だ。食事をしていた客達は恐ろしげに犬を見つめている。良く見ると一枚の葉を咥えている。フレッドの卓へ近づいてきて卓に咥えていた葉を落とすと店外へ去った。店が喧噪を取り戻す。
ナンシーが卓の葉を取り上げた。
「おとうさん、何か書いてあるわ。」
目をこらすと、葉の裏に文字が書かれていて、時間と共に浮き出してくる。
「文字だわ。綺麗な字で何か書いてある。」
「おまえ、読めるようになったのか。」
「違うわ。形が綺麗といっただけよ。私が字を読めないのは家庭教師の教え方が悪いからよ。」
「縫い物ができない、文字が読めないでは来てくれる婿もいないな。帰ったら今の家庭教師を首にして厳しい家庭教師をつけよう。」
家に置いてきた下の娘はどうしているだろうかと思いながらフレッドは小さくため息をついて木の葉をナンシーから受け取った。
『賊が入口を見張っている。賊に見つからない様に宿の裏口から帰ること。』
「どうやら賊が見張っているようだ。こっそり裏口から帰るぞ。」
ぐずるナンシーをなだめながら店の女性を呼んだ。