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ジーナ  作者: 伊藤 克
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二 魔術師の塔・カテナ街道

 夏も終わりのこの頃、海岸から数キロと離れていないこの地には冷たい風が吹き始め、ガナラ山頂は白さを増してゆく。道ばたに生えているキキョウ、ヨモギもしおれ気味になっていて、右の山沿いに広がるカエデに似た林は葉に勢いがなく、枯れる日もそう遠くなさそうである。近くを通る村人もフードをかぶり、粗末な外套を身にまとって冷たい風から身を守る。

 頭をすっぽり包んだ灰色のドミノと、同色の埃にまみれた外套をまとったジーナは、背嚢を背負ってカテナ街道の北にあるガサの町へと向かっていた。

 膝下まである外套の下には長めの黒いチュニックを着ている。さらにその下にはいている、黒色のゆるめなブラッカエの、くるぶしの辺りまである裾は紐ですぼめてある。よく男がはくズボンだ。チュニックの腰に細い皮のベルトを巻き、さらにその上に細めの鎖を複数回巻いており、歩く度にその鎖の先にぶら下がっている鋼の輪が音を立てずに揺れている。

 腰の革ベルトには二本の武器がぶら下がっていた。左の腰には装飾のない革の鞘に収まった湾曲したナイフを、右の腰には装飾した革の鞘に収まったダガーを下げていた。柄に巻かれた革紐を見れば、二本とも使いこなされたものであることが分かるが、革に立派な装飾が施された右の鞘は、薄汚れた衣服をまとった女が持ち歩くにはふさわしくない。


 空を見上げると筋雲が空に薄く広がっている。穏やかな日が続きそうだ。

 何に興味を持ったのか、近くの木に留まっているオレンジ色の小鳥がジーナを見ている。ジーナは立ち止まり、警戒心という心の錠を一つ外した。物心ついた頃から動物と仲良くなるきっかけを作る心のイメージ。左手を前に伸ばすと小鳥がその手に舞い降りて留まり、じっとジーナの目をのぞき込む。コマドリだろうか、腹の毛が白く、雀ほどの大きさだ。右手で嘴を突くと、その小鳥も突き返してきた。手を一降りするとその小鳥は元いた木の枝へ戻っていった。この様にジーナは動物と仲良しになるのが得意だった。

 再び歩き出す。そのジーナの脇を寄り添うように一匹の山犬が歩いている。白毛の大型犬だ。冬毛への生え替わり時期なのか、ブラッカエの裾には泥汚れとともに抜けた白毛が貼り付いている。

「もう三年になるのね。」

 独り言の様に隣を歩く山犬のバウに話しかける。

 ジーナは三歳の頃から十五歳迄ガナラ山の麓、北サッタ村ですごした。それは静かな落ち着いた年月だった。でも、もうあの頃に戻る事はできない。そして今のジーナの思い。

『コリアード王国の秘密。魔術で築き上げられた王国の秘密の一端を私は知ってしまった。それは王国に巣くう魔術師と呪われた魔術。人々の知らないところでその魔術が静かに広がりつつある。

 今の私にはその魔術と戦う力も勢力もない。ただ魔術の影響が最も少ないであろうガナラ山の麓、かつて暮らしていた北サッタ村で静かな時を過ごすのが唯一の望み。』  

 だが、ジーナがカテナ街道を北に向かって旅している理由はそれだけではない。

 ジーナは左腕につけている腕輪にさわった。魔石の腕輪。北サッタ村に向かっている真の理由、それはこの腕輪にある。

 ジーナの育ての親であり、戦いの師でもあったローゼンは三ヶ月前、ケリーランス公国の東の地での戦いに敗れ、滝壺へその命を落とした。ローゼンが己の不運を知っていたのだろうか、それとも運命のいたずらなのか、その戦いの前日にローゼンが残した言葉。それは『腕輪の秘密』だった。


 ローゼンは、親でもないのに幼いジーナを男手ひとつで育ててくれた。また、隣に住むソフィーおばあさん。彼女は、ジーナにとても優しくしてくれて、裁縫や料理、食事の作法に読み書きまで教えてくれた。特に礼儀作法と文を書くことには厳しい人だった。 北サッタ村で十五歳までローゼンとソフィーに育てられたジーナはその後、ローゼンと共にケリーランス公国へ来た。それからの三年間をローゼンの仲間と共に暮らしたのだ。

 ローゼンはケリーランスで鍛冶屋を営みながら、裏ではコリアード王家の貴族を名乗る者や、王家に巣くう豪商達への襲撃を繰返していた。ジーナはローゼンの命じるまま、見張りや下調べなど、あまり危険ではない仕事をやっていた。小柄なジーナが男の子や女の子の扮装をしても見破られる事は無かった。また、体を動かす事が好きだったジーナは進んでその役を買って出た。 世間の人々が自分達の事を義賊扱いしている事は肌で感じていたが、ローゼンが何を目的に誰を襲撃しているのかは知らなかった。


 その日もローゼンの武具屋の奥にある作業場で、石の作業台をテーブル代わりに食事をしていた。いつもは十人近くの仲間が共に食事をしているのだが、その日はチャン老人、ローゼン、キーラそしてジーナの四人しかいなかった。 流れの魔術師であるキーラは、ローゼンの親しい仲間の一人だ。ふらりと現れては去っていくキーラは、少女だったジーナにとても優しかった。男のローゼンでは教えられない女性としてのたしなみ、流行りの髪形や服装の事など、姉妹の様に教えてくれた。いつもは旅の途中で出会った面白い出来事をジーナに話してくれるのだが、今日は静かに食事をしていた。

 質素なダブレットを着たチャンが言った。

「ローゼン、金目の物は始末したのか?」

「ああ、工具類は鍛冶屋仲間にくれてやったし、地金は売った。」

「じゃぁ身軽になったという事だな」

「ああ、何もかも処分をした」

 チャン老人とローゼンは食事をしながら会話を続けていた。ジーナはローゼンに聞いた。

「ローゼン、お金に困っているの?」

 ジーナはそう聞きながら周囲を見回した。壁にたくさん吊してあった道具類がいつの間にかなくなり、壁のシミが目立っていた。また、新しい武具類の仕入れもしてなかったので、武具屋内は閑散としていた。ローゼンが金に困って道具類を売ったのではないかとジーナは思ったのだ。

「ジーナには言っていなかったのか?」

 チャンはかた眉を釣り上げてローゼンを見た。

「ああ、チャン。余計な心配をかけても仕方ないと思ってな。ジーナ、俺たちは明日の襲撃を最後にしばらく身を隠す事にしたんだ。」

「ローゼン、何故なの?」

「夏頃までは俺たちのようなグループがあちこちにいたんだが、最近コリアード軍に討伐されていてな。今までの様な活動が難しくなったんだ。」

「そうなんだ。活動しているのが我々だけとなれば、何をしても目立ってしまう。どこかの馬鹿が魔術師から指輪を盗んだりするから、魔術師達が本気になって盗賊狩りをしているんだ。ローゼン、盗まれた指輪はまだ回収しきっていないらしいぞ。」

「ああ、普段魔術師の館に籠って外へ出ようとしなかった彼らが本気で盗賊団の討伐に取り掛かったとなると、俺たちも覚悟を決めないといけないからな。」

 その話ならジーナも仲間から聞いていた。ジーナの知っている、他の盗賊団の人達が次第に顔を見せなくなったのだ。盗賊団が消えた噂はジーナの耳にも入っていた。 魔術師の館から出る事がめったに無かった王家の魔術師達が軍の兵隊達と共に盗賊狩りに参加し始めてからは大小含めた盗賊団がその姿を消しつつあった。彼らが盗賊狩りに参加した理由が、連続して起こった魔力の指輪盗難事件にある事を知ったのは最近の事だった。

「チャンは明日の襲撃には参加しないのだろう?」

「ああ、わしの様な老人が昼間出来る事は何もないからな。しばらく身を隠すよ。機会があったらまた参加させてもらうさ。ジーナ、今日でお別れだな。」

「そうなの?私、知らなかったわ。でも私はローゼンの後ろをついて行くだけだから。」

 グループが明日で解散する事をうすうす感じ取っていたジーナたが、ローゼンから言われない以上、知らない振りをするしか無かった。

「ジーナ、明日は危険な襲撃になる。今夜キーラと一緒に身を潜めていてくれないか?」

「そうなのよ。あなたは私と一緒に首都ハダルへいこう?」

 唐突なキーラの申し入れだった。ジーナはローゼンの顔をじっと見つめた。ローゼンは何も言わずに食事を続けていた。キーラは会話を続けた。

「首都ハダルは人口が多いから、私たち二人が潜り込んでも目立たないと思うの。返って安全だと思うわ。」

「ジーナ、そうした方がいいぞ。不安なら途中までわしが送ってやろう。」

 チャンがそう言ってくれた。

「キーラ、ごめんなさい。私、やっぱりローゼンと一緒にいるわ。今までずっと一緒だったのに、今別れるなんで考えられないわ。」

「そうよね。あなた達親子を引き離すなんて無理かも知れないわね。」

 キーラは二人が親子ではない事を知ってたが、あえてそう言った。

 ローゼンはなにも言わなかった。


 ジーナの腕輪の話題をローゼンが唐突に切り出した。

「ジーナ、いつも付けているその腕輪には秘密があるんだ。知っているか?」

 ジーナは黙って頷いた。その腕輪の秘密、それは癒やしの力。ジーナが怪我をしたり、熱を出したりした時に腕輪に触れると何故か癒やされ、治りも早かった。だが、その事は誰にも言った事がない。勿論ローゼンにも。ローゼンは何故この腕輪の秘密を知っているのだろうか。

 キーラがローゼンに続いて言った。

「その腕輪はいくつかの魔石と組み合わせる事が出来るらしいの。腕輪に合う魔石を見つける事が出来れば大きな力を得る事ができると思うわ。」

 ジーナの顔を見てローゼンが続けて言った。

「キーラの言う通りだ。腕輪の魔力を得ろ。その一つは昔暮らした北サッタ村にあるらしい。俺たちが戦いに勝つにはその力にすがるしかない。」

 ローゼンが誰を相手に、何を目的に戦っているのかジーナは知らなかったが、緊迫した空気に黙って聞いているしか無かった。

 もの心ついた時には左腕にすでにつけていた腕輪がただの腕輪ではないことはジーナも知っていた。しかし、ローゼンがいった魔石が何を意味するのか分かってはいない。またこうもいった。

「もし俺になにかあったら、ガサの町にいるダンを訪ねろ。なにかと面倒をみてくれるだろう。だが、腕輪の事は誰にも言うなよ。」

「ダンって誰なの?」

「ガサの町で鍛冶屋をやっている男だ。あの町には鍛冶屋が一軒しかないから、いけばすぐに判る」

 そんなわけでジーナはカテナ街道の北よりにあるガサの町へと向かっていた。


 街道の右側は林が続き、左側の荒れ果てた畑には雑草が茂り、所々に朽ち果てた民家が見える。

 風が街道の埃を舞い上げる。ジーナは周囲の景色を眺めながらゆっくりと歩いた。ジーナと同じ様なドミノに粗末な外套を羽織った村人や、毛皮のチュニックを着、腰にダガーを差した男が足早にジーナを追い越していく。

 寄り添って歩いていた山犬のバウがジーナの足を鼻先でつついた。バウとジーナの無言の会話。

 ジーナは立ち止まって耳をすませる。右手で腕輪に触ると、感覚が広がっていく。

 北サッタ村で過ごすうちに自然に覚えた技だ。右の林の奥で人の動く気配がする。

 目をつぶりさらに集中するとかすかだが、男達の声が聞こえてきた。風に乗って聞こえる、遠くの会話のように。

「おい、死んだか?」

 風のざわめきに邪魔されながらもその会話を聞き取る事が出来た。ろれつの回らない声だ。

「気絶しただけだ」

 相手が答えた。

「金目のものはないのか。盗ったら殺してしまえ。」

 どうやら賊は二人の様だ。周囲に人影が無い事を確認してから、ジーナは外套を裏返し、黒緑色の裏地を表にしてはおり、顔を黒みがかった布で覆う。これは簡単な変装術であり、闇や林の中で目立たなくする工夫でもある。

「バウ、いくわよ。」

 バウを従えて右側の林へと分け入っていく。背の高い木々が周囲にたっている。

 ジーナは腰に巻いた輪付きの二本の鎖を外した。その二本の鎖の輪のついていない方の先にある折りたたみ式の鎌の刃を出す。右手と左手で一本づつ鎖の輪を握った。右手の鎖を頭の上で回し、近くの木の枝にその鎖鎌を引っかける。体を大きくふると、空中で左手の鎖を、さらに先に立つ木の枝へ引っかける。まるで手長猿が木を飛び移る様に林の奥へと進んでいく。

 子供の頃、ガナラ山の麓でバウと遊びながらいつの間にか身に付けた技だ。

 幸いに、夏の終わりを告げる風に木々の梢がなびき、ジーナがたてる葉音をけしてくれる。

 少し進むと、下の草むらに篭と花の刺繍をしたスカーフが落ちていた。さらわれたのは女らしい。

 話し声をめざして再び移動する。バウは木を飛び移るジーナの下を走ってついてくる。

 林の奥に小さな空き地があった。そこに一人の男が立っている。剣を右手に握っているものの、どこかで拾ったものだろうか、サビの浮いた鎧を上半身に着ているのみで兜は付けていず、足もむきだしだ。盗賊に違いない。

 もう一人の屈んでいる男は剣を持っているだけで鎧はつけていない。その男が、倒れている人の体を探っているのが分かる。よく見ると、屈んだ賊の服の下から短いしっぽの様なものが見える。ジーナにだけ見える人間ではない証。魔族だ。

 普通の人では見破れないが、魔石の腕輪をしているジーナの目を騙す事はできない。それに中途半端な化身のこの魔族は、よほど下手な魔術師が生み出したものにちがいない。それでも一般の人の目で見分ける事はできないだろう。


 コリアード王家の秘密、それは魔族による賊の存在だ。一般の人は勿論、下級の魔術師では見分ける事が出来ない。特に高度な技を持つ魔術師が生み出した魔族は、上級の魔術師でも見分ける事が難しいのだ。

 ダンク王は、逆らう公国や町に魔族の一団を送り込み、治安を乱している疑いがある。魔族は生み出した魔術師には絶対服従で、裏切ることをしない。また、死を恐れる事もない。

 魔族の一団は兵士にも紛れていた。決して死を恐れず、ひたすら前進する彼らの事を、魔族と知らない人たちは突撃兵という名で恐れていた。兵士にも、盗賊にもなる魔族たち。

 初めて魔族に会ったのは三年前、ケリーランス公国へ行った時の事だ。ジーナはローゼンに「あの兵士は人間じゃない」と言ったが、なかなか信用してくれなかった。

 ほとんどの魔族兵士がオオトカゲの化身であると感じたジーナは、魔族の背中に刃物が通じない事、湖や川に引き込まれては勝ち目が無いこと、力が強いが動作が鈍い事、倒すには顔か首を狙う事等をローゼンに教えた。魔術により人間に化身しても元から持っている性質はあまり変わらない。

 普通の人間だと思って戦うと、その性質に気がつかず負けてしまうことも多いが、殆どの魔族は頭脳が弱く、動作もおおざっぱだった。そんな魔族の元の性質さえ知っていれば倒せない相手ではない。楽ではないが。

 その攻撃の効果が出始めた事でローゼンはようやくジーナの言う事を信用する様になった。

 バリアン大陸の魔術師はほぼ全員が王国の魔術師会に属しており、厳しい階級制度のもとで活動している。魔術師会に逆らう魔術師は公然と粛清してきた。そんな今では、魔術師会に属さない魔術師に出会える機会はまずない。今までだれも魔族の存在に気づかなかったのも無理はなかった。


 ジーナは外套の下に隠し持っていた投げ矢を掴むと屈んでいる魔族の背中に向けて放った。魔族の男は背中に投げ矢がささったまま立ち上がった。投げ矢が効いていないのだ。やはりオオトカゲが魔術により化身したものにちがいない。オオトカゲの背の皮は厚いのだ。

 ジーナが隠れている木の真下でバウがジーナを見上げている。ジーナはバウに合図を送った。

 バウがほえる。

「誰だ!」

 胴鎧を着けて立っていた魔族はバウに気がついた。その魔族は剣先をバウに向けながら近づいてくる。普段は穏やかなバウの目が細くなり、低い吠え声をあげて威嚇する。

 飼い主が近くにいると思ったのか、或いは犬の仲間がいると思ったのか、魔族はジーナが隠れている木の近くへやってくると太い首を回し、周囲を見回している。

「なんだ野良犬か。行かないと殺すぞ。」

 木の上でナイフを構えるジーナに気がついていないようだ。

 バウが数歩後ずさって木の陰に回った。ケリーランスでの三年間で学んだ戦術。バウがおとりとなって敵をつり出すのだ。思った通り、つられた魔族が木を回り込むように近づいてきた。

 木の下にきた瞬間、ジーナは魔族の背中に飛び降りた。何事がおこったのか理解出来ない魔族は短い手を必死に背中へ回そうとするがジーナには届かない。ジーナは素早く手にしていた鎖を魔族の短い首へ巻き付け、両足を胴にからめた。

 驚いた魔族は暴れて背中に乗るジーナを手で振り払おうとする。しかし不器用なその手はジーナをなかなか捕らえる事が出来ずにいる。

 首に鎖を巻き付けた程度では、どんなに力をいれても外皮の硬い魔族に効き目はない。時間がかかって仲間が来てはいけないと思ったジーナは一気にかたを付ける事にした。

 魔族の首のすぐ下にある、柔らかい場所をめがけて右手のナイフを突き立てると、横へ一気に引き裂いた。

 魔族は叫ぼうとするが、吹き出す血に邪魔されて声にならない。背中にいるジーナにはその血はかからなかった。力が抜けた手から剣を落とすと、間もなく魔族は倒れた。

 ジーナは素早く鎖鎌を使ってもう一度木の上に隠れる。

「どうした?」

 異変に気付いた、もう一体の鎧を着ていない魔族が近づいてくる。

 魔族は死体を見つけて立ち止まると、首の皮が裂けて横たわっている仲間を見下ろした。警戒しているのかそれ以上近づいてこようとしない。

 バウがその魔族に向かって身構えている。

「のら犬、おまえがころしたのか?」

 普通に考えれば、武器を持たない犬が、きれいな切り傷をつけられる筈がないのだが。

 また、横たわる魔族の背中に刺さったままの投げ矢に気付かなかったのか、その魔族は剣をバウに向けたまま呟いた。バウが低く吠えると、魔族は剣を構え直した。

 バウが魔族の周囲を回りながら吠え声で威嚇する。

「なんだ、このやろう。」

 魔族は手にしている両刃の剣でバウに切りつけた。

 バウは普通の犬ではない。あのローゼンも認めた闘犬だ。闘犬といっても戦う相手は犬ではなく人間だ。ケリーランスでの3年で仲間達の鍛錬に加わり、また幾たびも守備隊の兵士達と戦ってきた実績がある。いまバウの目の前にる、魔族程度の腕では負ける事はないだろう。

 ジーナは木の上から成り行きを見守っていた。 

 犬がその姿勢のまま飛びかかって来ると思っていた魔族は、剣を斜め下へ構えなおしたのだったが、バウは真上へ飛び上がった。意表を突かれた魔族の動きが止まる。、バウは、突き出されていた剣を持つ魔族の手に噛みつき、魔族の後ろ側へ着地した。しかし、その程度では魔族へ打撃を与える事はできない。ケリーランスでも、ローゼンの仲間達が悩まされた事だった。勿論バウもその経験があり、一度で打撃を与える事ができるとは思っていないだろう。

 再び飛び上がったバウはまた魔族の手に噛みつく仕草を見せた。魔族は左手でバウを振り払う仕草をしたが、隙が出来た魔族の顔へ飛びかかったバウは、前足の爪でその顔を引っ掻いた。

 魔族は思わず剣を落とすと、顔を手で覆った。目の当たりをケガしたのか、指の間から血が流れている。弱点である首の皮が伸びきっている。

 木の上のジーナは投げ矢を取り出すと、魔族の首めがけて放った。

 投げ矢は魔族の首に突き刺さった。刺さった投げ矢を抜こうとした隙を突いて再びバウが敵の顔を襲った。

 ジーナは木から飛び降りると、魔族に走りより、先ほどの魔族と同じように、首へ深く

 ナイフを突き刺し、横へ裂いた。

「うわっ!」その魔族はうずくまると、顔や首のあたりから血を吹き出しながら転げ回った。

 ジーナは少し待ってから近寄り、とどめを刺した。やがて魔族は動かなくなった。


 二体のオオトカゲの指の先には指輪がついている。一体の魔族の指輪は簡単にとれたが、二体目の指輪はなかなか抜けなかった。二つとも魔石のかけらの指輪だ。

 近くの草の生えていない箇所の土を掘り、そこに枯葉を押し込んだ。枯葉の上に二つの指輪を置いて火をつける。

 二つの指輪が炎に包まれた事を確認したジーナは、二体の倒れている魔族を見た。人間の形をした二体の魔族の体は次第に縮んでいき、元のオオトカゲの形に戻りながら、灰となり崩れ落ちた。足下の枯葉が燃え切ってしまった穴の後には、灰となった指輪がその形のまま残っている。

 指輪が灰になると共に二体の魔族も灰となってしまったのだ。指輪の力で人間に化身したものは、その効力がなくなると、この世に留まる事ができないのだ。

 ジーナはその指輪の残骸をそっとつまむと、布きれで包み、腰のポシェットにいれた。この指輪の残骸から魔石の粉末を取り出すのだ。続きの作業は後にしよう。

「人間に化身している魔族は魔石のかけらを身につけている」

 そういってその後の処理の仕方を教えてくれたのは、ジーナの腕輪の秘密について語った、女の魔術師キーラだった。

「あんたは立派な魔術師になる素質を持っているよ。」

 キーラはジーナに様々な事を教えてくれた。

「この世界には三種類の魔術が存在するの。一つはあなたが持っている腕輪の様な魔石の力、もう一つは古代文字と言われる文様で作る魔法陣の力。そして言葉により魔術を生み出す古代語の詠唱。魔族を生み出すには魔石、魔法陣、そして古代語を詠唱する術者の力にも影響される。魔石はこの世にたくさんある訳じゃないから、かけらを使っているわけ。王家の魔術師会ではこの術を厳しく制限しているわ。魔石のかけらは粉末でも魔力を持っている。ちょっとした事に役立つよ。どこかで死んだ魔族に遭遇したら指輪から魔石の粉末を作っておくのだね」


 あのキーラはローゼンが死んだ事を知っているのだろうか。

 今ジーナが持っているのは癒しの腕輪だけ。いくら才能があっても魔法は使えない。


 魔族が消えた後には衣類と武器が残されている。衣類のベルトについているポシェットを広げて見る。金貨一枚、銀貨数枚と小銭が入っていた。

「これじゃ盗賊だわ」

 そう思いながらも、所詮魔族の持ち物、ありがたく貰っておくことにした。

 魔族の剣を手に取ってみる。両刃の大剣だが、鍔の部分が粗雑で、刃も欠けたところが目立つ。安物だ。二つの剣を林の奥へ投げた。

 魔族が消滅した証拠は残さない方がいい。魔族の秘密を知る者がいる事を知られる可能性があるからだ。灰で白くなった地面は土をかけ目立たなくし、残った魔族の衣類と鎧を抱えて林の奥へ運んだ。適当な窪地を見つけると、衣類と鎧をその中に押し込み、上から土をかけておく。どうせ探索に来るのは魔族達、彼らは集中力も忍耐もない。近場を探して見つからなければ諦めて引き上げる。


 ジーナは倒れている人の所へ戻った。

 やはり女だ。声をかけたが起きる様子はない。

 しかたなく女を抱え街道へと運んだ。女でよかった。男だったら小柄なジーナでは運べない。それでも街道まで運ぶのが限界だった。

 街道へ出て女を寝かせてから篭とスカーフを拾いにもう一度林へ入った。篭の近くに転がっている野菜も拾い、女のもとへ戻り、かがんで女の様子を見る。後頭部に殴られた後がある。命はあるが息を吹き返す気配はない。長袖の上着にくるぶしまであるスカート。裾には、スカーフにされていたものと同じ刺繍が施されている。どこかで靴が脱げたのか、裸足だった。

「バウ、この人の靴を探してちょうだい。」

 バウは倒れている女性の匂いを確認したあと、林へ走り込んでいった。

 他に落とし物はなさそうだ。

 再び立ち上がり、辺りを見回す。ジーナは、誰も見ていない事を確認して外套を裏返し、元の灰色地を表に戻す。

 バウが麦わらで編まれたパンプスをくわえて林から戻ってきた。ジーナはそれを篭に入れた。

 街道から逸れた小道の奥に民家があり、隣には屋根が半分崩れ落ちた、壊れかけた牛小屋が見える。勿論牛はいない。その牛小屋の側に人影が見えた。

「バウ、そこで見張りをしていてね。」

 理解したのか、バウは意識のない女性のそばに座り、ジーナの顔を見てしっぽを振っている。ジーナは牛小屋のそばに見える老人へと走った。

「すみません」

「なにかな」

 声をかけると老人が出てきた。つぎはぎだらけの長袖のジャーキンを着、木靴を履いているところを見ると農民のようだ。

「人が倒れています」

 ジーナは倒れている女を指さした。

「おお、これは大変だ!」

 老人がその女の元へ走っていく。ジーナもその後を追う。

 老人はバウを見て驚き、立ち止まった。

「私の犬です」

 バウを呼び寄せた。その場の空気を察したのかバウは人懐っこい様子でしっぽを振って近づいてくる。凶暴な山犬にはとても見えない。こんなバウの性格が憎めないとジーナは思う。

 老人はおぼつかない足取りで倒れている女に駆け寄った。

「エレナ、エレナ!」抱き上げて何度も呼びかけるが目覚める様子はない。

「頭を打っているの。血は出ていないから気絶しただけだとおもうわ。盗賊に襲われたのかも知れない。」

 ジーナの言葉を聞いた老人はエレナの頭の傷を確認してからその胸に耳をあてた。

「良かった、息はしている。家に運ばなければ。すまないが手伝ってくれ」

 老人とジーナでエレナを家へ運んだ。篭はバウに咥えさせる。

「利口な犬だ」

 大人しく従うバウに老人は感心したようだ。

 入口を開けると土間になっていて、竹篭や笊等の竹を編んだ小物が置いてあり、細く裂かれた竹が脇に積まれていた。質素ながらきれいに片づいているのが分かる。

 奥の部屋のベッドへエレナを寝かせ、エプロンとベルトをとり、体をくつろがせる。

「水と布きれ、包帯はありますか?」

 老人は部屋から出ていった。

 悟られないように、さりげなくエレナの体がジーナの左腕の輪に触る様に体をずらす。

 そうしておいて、背嚢からいくつかの薬草を取り出して揉む。

 老人がキッチンから水の入った盥と布切れを持ってきた。

 ジーナは布を水に浸し、良く絞ってから薬草を挟み、枕と頭の間に置いた。

 作業にはたっぷり時間をかける。頭と布を持ち上げ、包帯でエレナの頭に固定する。

 しばらくすると顔に赤みが差してきた。

 エレナの体を腕輪から離した。この回復は薬草のせいではない。この腕輪の効力だ。ジーナは子供の頃から、腕輪の世話になってきた。熱が出たとき、ケガをしたとき、腕輪に手をあてると何故か痛みが和らいだ。

「しばらくそっと寝かせておく必要がありそうですね」

「エレナはガサの町のタリナの居酒屋で働いている。今日も野菜をタリナの居酒屋へ持っていかせたんだ。都市では盗賊がはびこっていると聞いたが、この辺も物騒になってきたものだ」

「持ち物は大丈夫ですか?」

 老人は女の持ち物を見た。

「盗まれたものは無いようだ。あんたが来たのでなにも盗らずに逃げたのかもしれない。しばらく居酒屋の仕事を休ませる必要がありそうだな」

「私、これからガサの町へ入るので、話しておきましょうか」

 老人に薬草を分けてあげながら言った。

「おお、すまないね。居酒屋の二階は宿になっているから泊めてもらうといいぞ」

 老人は宿の場所を教えてくれた。


 ジーナはガサの町を目指して歩き始める。

 街道を挟むように町並みがまばらながら続いている。

「バウ、そばをはなれちゃだめよ」

 バウは、鼻をジーナにこすりつけた。肯定の合図。

 家々の隙間を埋めるように植えられているバデの木。

 元々この地方はブナの木に似た広葉樹が茂っていて、林、森を作っていた。これらの木は秋の終わりに木の葉が紅葉するが散ることがなく、春先の木の芽が吹く頃に新しい葉と入れ違うように散る。小さな実がなるが、鳥がついばむ事はあっても人が食べる事はない。鳥、リス等多くの小動物にとっては過ごしやすい所となっている。

 人間は、冬場の薪や、家を造る材料として多くの木を伐採してきたが、成長が早いためか、今の所森や林が痩せた様子はない。

 元からあるブナの木と違って、近年見かけるバデの木は東の地から移植したものだ。数百年も伸び続け、大きく育つ事からこの地方では風よけとして植えられる様になった。

 どんぐりの様な堅い実をつけるが、こちらも食用にはならない。

 ジーナは道ばたに落ちているバデの実を二,三個拾い、手の中でもてあそぶ。

 木になっているバデの実を見つけると、手の中の実を投げた。命中して落ちるその実をバウが走り寄り、落ちる前に口で咥える。今度はバウに向かって投げた。それも体をひねって器用に口で受ける。三個目はさすがに避けきれず、体にあたった。

 二個のバデに実をはき出しながら悔しそうな顔を見せるバウ。

 十年前、ジーナがまだ北サッタ村にいてバウを飼い始めた頃、幼かったジーナにローゼンはこう言った。

「力の無いおまえが剣で戦うのは無理だ。投げ矢を練習しろ。力が付いたと俺が認めたら剣を教えてやる。」

 なぜ戦う必要があるのか、なぜ強くなる必要があるのか、幼かったジーナには分からなかったがローゼンの必死さは伝わってきた。

 その日からジーナはいつもバウとバデの木を相手に練習をしてきた。固いバデの実をバデの木になっている実に当てて落とす。誰がみても子供の遊びにしか見えない。その方法を教えてくれたのもローゼンだった。

 北サッタ村では村人との交流は殆どなく、遊び相手のいなかったジーナはガナラ山のふもとでバウとじゃれ合うのが日課だった。バデの実投げの遊び、森の中でのバウとの追いかけっこ、指導する者がいないながら、現在のしなやかな身のこなしを作る基礎作りには十分であったといえる。

 特にバウはバデの実の投げ技を磨くのに格好の相手だった。

 三年前、北サッタ村を出てケリーランス公国についた頃、ジーナはまだ十五歳で身長も百五十センチと小柄だった。ローゼンが小柄なジーナの為に、鍛冶屋の作業場で投げ矢の作り方と使い方を教えてくれた時には、すでに飛んでいる鳥を落とせる程の腕になっていた。

「おまえは天才だな。俺でも出来ない事を子供のくせにやりやがる。」

 その時ローゼンはそういってほめてくれた。初めて褒められてうれしかったのを覚えている。

 当時、ローゼンの仲間に料理番のチャンという小柄な老人がいた。鍛冶屋に出入りする人達の食事を一人で作っていたチャンは、暇を見つけては鍛冶屋の裏庭で、バリアン大陸では見かけない細身の湾刀を手に剣舞を行う変わった老人だった。湾刀は東方の大陸では普通に使われているのだそうだ。

 ジーナがじっと見ていると剣舞の手ほどきをしてくれた。はじめは素手で剣舞のまねごとをしていたのだが、

「ローゼンが剣を教えてくれない。」

と言うと、

「それは可哀想だ。」

 そういって、ローゼンが留守の時に湾刀を小型にしたナイフを作ってくれた。彼の故郷ではジャンビーヤと言うらしい。その時から剣舞が剣技の練習になった。

 いつもアジトである鍛冶屋にいたチャンはケリーランス公国にいる三年間そのナイフの扱い方をみっちり教えてくれた。

 ある日ローゼンがチャンに

「暗殺剣をジーナに教えるのは止めろ。」

と言った。その日から二人のナイフ修行はローゼンの目を盗んで行うようになった。

「なぜ私にこんな熱心に教えてくれるの?」

「わしの暇つぶしよ。孫娘と遊んでいるようで楽しいのさ。おまえも少しは強くなってわしを楽しませてくれ。」

 その頃からジーナも真剣に取り組むようになった。

 都会で体を動かす事があまりなかったジーナにとってチャンの鍛錬は楽しかった。

 街道沿いでエレナを襲っていた魔族を倒した技もチャン直伝のものだ。

 チャンが教えてくれたもう一つの技に解錠術があった。一本の真っ直ぐな針金と、独特な形にゆがんだ針金の二本を使って、当時仲間が暮らしていた鍛冶屋や宿の様々な鍵を開けては閉めて遊んだ。子供のジーナが辺りをうろついていても誰も疑う者はいなかった。この技を身につけている事はローゼンすら知らなかった。

 大剣だけは教えてくれるものがいなかった。尤も体力のないジーナに大剣を振り回すのは無理だったろう。


 ジーナは十八歳になった今でも小柄なままで、身長は百六十センチに満たなかった。

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