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ジーナ  作者: 伊藤 克
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十九 異界の指輪・自我を持つ指輪(二)

 宿に帰り、洗濯物を取り込む。バウをつれて一階の居酒屋で食事をする。いつもは食事をしながら文字の勉強をしているビルは、忙しいのか、疲れてしまったのか、今日は姿をみせない。

 時々くるガサの町の警備兵が居酒屋にやってきた。魔族の彼らは昼間殆ど外にでないが、町の入口にある彼らの詰め所の食事が不味いのか、或いは料理が出来る者がいないのか、時々タリナの居酒屋に顔を出した。

 魔力のないルロワの生み出した魔族は出来が悪かったが、詰め所にいる魔族は完成度が高く、一般人には勿論魔力が弱い魔術師では区別がつかないだろう。

 会話の内容に興味を持ったジーナはそっと聞き耳をたてる。

「魔術師の塔で一悶着あったそうじゃないか。レグルス様がお帰りになってルロワ様の生み出した魔族を全て退治した上でルロワ様をお叱りになったとか。」

「いや、俺が聞いたのでは賊が入ってルロワ様が殺されたという事だったぞ。」

「いずれにしてもレグルス様が一人で退治しちまったそうだ。」

「お年のレグルス様にそんな力があったとは知らなかった。」

「俺たち警備兵には全くお声をかけられなかったのだからな。賊が何人いたか知らないがたいしたものだ。」

「港町ギロの魔術師長シャロン様はどうなのだ。」

「魔術についての噂は聞かないが、いつも警備兵を護衛につけているというぞ。」

「確かに港町ギロは破落戸が多いが、魔術師に楯突くほどのものはいないと思うのだがな。誰かに襲われる危険でもあるのか。」

「そんな事もあるまい、さて、いかさまカードで小遣い稼ぎをしていくか。」

「そうだな。」


 魔族の警備兵からはたいした情報は得られなかったが、たった一日で噂になるとは思っていなかった。今後の行動に注意を払う必要がありそうだ。


 異界の指輪であるアルゲニブは、ジーナのポシェットに入れられたまま忘れ去られていた。異界では人の指から離れた事が殆どなかったのに、今の持ち主は全く興味を示さない。

 魔力を持たない者に拾われた時でもアルゲニブが信号をおくれば、大抵は気づいてもらえる。そして一度指輪を付ければ死ぬまで離さない。それがアルゲニブの自慢でもあった。昨日拾われてから持ち主の心に触手をのばしてみたが、拒絶された上に無視をされてしまった。

 それは強力な魔術師を主人として仕え続けてきたアルゲニブにとって屈辱でもあった。


 夜、ジーナは珍しく夢を見た。

 暗い太陽が空の上にあり、地上を照らしている。辺りはうっそうと茂った森となっていて、森の外の景色は靄に隠れて見ることができない。森の中にある泉のほとりには魔術師の塔の倍は有りそうな大きな屋敷が建っている。カラスだろうか、その大きな屋敷の屋根には不気味な黒い鳥が留まり、顔をジーナに向けている。

 黒い服に長い外套を羽織った男が屋敷の近くに立っていて、この者もジーナを見つめている。目深にかぶったフードの奥は闇になっていて顔はよく見えない。ジーナに話しかけようとしているが、夢の中でジーナは心を閉ざしていて、その男が何を語りかけているのかは分からなかった。

 ジーナが状況を把握できないでいると、夢の中にバウの鳴き声が割って入った。

 バウの声で目覚めると、昼近くなっていた。今の夢は何だったのだろう。魔術師の塔での戦いが影響して夢を見させているのだろうか。


 陽はすっかり高くなっているがバウを連れて散歩に出る。冬に向かって風は冷たさをましている。

 いつもの河原へおり、裸になると、冷たい川でゆっくりと泳ぐ。バウも隣をついてくる。バウの体を抱き寄せ、魔術師の塔でついた汚れを、澄んだ川の水で洗い落としてやり、いつもの通りバウとじゃれ合いながら泳ぐ。この冷たさが心地よいが、さすがに長時間川にいるのはつらい。

 川から上がり、衣服を着てからバウ用のブラシを取り出す。ポシェットの中でなにかが光った。忘れていた。昨日魔術師の塔で拾った指輪だ。

 バウがブラシを鼻でつついてブラッシングを催促する。

「バウちょっと待っていてね。」

 指輪をポシェットから出して日にかざしてみた。髑髏模様が彫り込まれている。

 突然指輪の彫刻が立体的に盛り上がった。紫色の目がジーナを見つめている様に見える。心に言葉が浮かんだ。

『私はアルゲニブだ。』

「指輪が会話をするの。」

 いきなり独り言を始めたジーナにバウは驚いている。ブラッシングをしてくれないのが気に入らないのか、禍々しい指輪に何かを感じたのか、低く唸った。そんなバウの首筋をやさしくなでる。心の中に響く言葉は続いている。

『私は異界のものだ。』

「私の使う言葉とはイメージが違うわね。」

『こちらの世界で古代語と言われているものに近いのかも知れないな。』

「ひょっとしたら、私の夢の中に出てきたのはあなたね。」

『長時間無視される事になれていないのだよ。』

「無視をしていた訳ではないのよ。忘れていただけ。」

 ジーナはバウをなだめ、ブラッシングを始めながら指輪との会話を続ける。

 アルゲニブは素っ気ない新しい主人の扱いに戸惑っていた。魔力の指輪を手に入れた者は必ずと言って良いほどその力を試そうとするものだが、喜ぶでもなく、命令するでもなく、無視をしたのだ。あらためてアルゲニブの自尊心が傷ついてしまった。

「指輪が話しかけるなんて初めて聞いたわ。」

『私は長いこと生きているのでな。』

「あなた、その禍々しい指輪の模様はセンスがないわ。花模様に変えられないのかしら。自分で出来ないなら鍛冶屋に行って模様を変えて貰うけれど。」

 いままでの主人は、指輪が恐ろしい姿をしていればそれだけ威厳があると思っている者ばかりだった。それを、鍛冶屋ごときに傷を付けさせてまで花模様に変えさせるとは。なんと非常識な事か。

 アルゲニブは怒りと情けなさで言葉を失った。

「バウ、いくわよ。」

 指輪をポシェットにしまおうとした。

『頼むから指にはめてくれ。』

「私の趣味じゃ無いのだけどな。女の子が付ける指輪じゃないわ。」

 そう言いながらもジーナが薬指にはめると、大きめだった指輪が縮んで調度良いサイズとなった。

 指輪が言い足りないのかさらに話しかけようとするので、心を閉じた。


 魔術師の塔へいく。

「バウはお散歩をしていてね。」

 バウの姿が消えたのを確認してから呼び出しの鐘を鳴らした。暫くして大扉の隣にある、裏口に当たる小扉が開いた。

「お食事を作りに来ました。」

 後ろ手に扉を閉めながらレグルスに挨拶をする。

「食事ができたら呼んでくれ。」

 階段の上に現れたレグルスはそう一言いって姿を消した。

 レグルスが階段を上がるのをみつつ、食料庫へいき、食事の材料をみつくろう。

 干し肉などの保存食品はあるが、生鮮食品は見あたらず、野菜類も萎びている。たった二人となったこの塔では食べきるまで日数がかかりそうだが、その前に野菜類が食べられなくなるかも知れない。ジーナはそう言った。

 ジーナは調理が終わった事をレグルスに告げ、塔を出た。

 レグルスは毎日三階から降りるのは疲れると思った。裏口の鍵は新しく来る使用人に渡しておいた方が良さそうだ。


 ジーナはレグルスの救出を助けてくれたモグラに挨拶をしようと、滝の脇でモグラの餌を集めてから洞穴へいく。

 結跏趺坐をして心を静めると、小さな生き物が近づいてくる気配を捕らえる事ができた。もう一つ強い意識を身近に感じる。これは指輪だろう。

 モグラを抱き上げる。足に小さな紙片がついている。レグルスの手紙だ。

 魔術師の塔へ掃除にいった時にでも話かければ良さそうなものだが、ジーナと、救ってくれた魔術師が同一人物である事をレグルスは知らない。

 手紙にはガエフ公国の大魔術師長に今回の件を報告する手紙を運んで欲しいとある。レグルスとの通信を毎回モグラ君に助けて貰う訳にもいかない。一階の隠し部屋を連絡場所にする事を提案してみよう。ルロワのその後も心配だ。とりあえず今夜は男装して魔術師の塔へいく必要がある。


 タリナの宿へ向かう途中、指輪がまた話しかけてくる。いつも冷たくするのも悪い。彼もこちらの世界へ来て独りぼっちなのだから。

「アルゲニブ、なにか用なの?」

『不思議な術を持っているな。あのような場合、この私の力を使うものだぞ、ご主人様。』

「なんの事?」

『洞穴で術を使って気配を探っていただろう。』

「でも魔力のない私に魔法の指輪であるあなたを使いこなす事は出来ないわ。それに今のやり方で不自由していないし。ご主人様と呼ぶのは止めてちょうだい。私の名はジーナ。」

『向こうの世界では指輪を填めた者は誰でもご主人様と呼ばせていたぞ。』

「前のご主人様はなんという名だったの。」

『魔法貴族のケルバライト様だ。』

「ケルバライトさんは魔術師だったのね。」

『低位の魔法使いではない。代々魔力を伝えていた貴族なのだ。』

「私を呼ぶ時は名前で呼んでね。」

『たかが指輪にそれで良いのか。』

「私の事を皆ジーナと呼んでいるからそれで良いのよ。アルゲニブの方が年上だろうし。」

『ジーナは何歳なのだ。』

「十八歳。」

 指輪はやっと無言になった。

 いくら自我があるとはいえ、人でも、生き物でさえもない、たかが指輪を人間扱いするジーナにアルゲニブは驚いていた。確かに十八歳のジーナよりは遙かに歳を重ねているが、異界では所詮持ち物の一つとしての扱いしかされてこなかった。

 また、アルゲニブの心の触手を簡単に撥ねつけるだけの力を持っているのにジーナ本人は意識していない。魔力の無い者とアルゲニブは絶対に会話をする事はできないのだ。それもこの様に明確に意志の疎通ができるなんて。

 勿論かつての主人だったケルバライトは自在にアルゲニブを使用していた。

 今度主になったジーナという女はアルゲニブが今まで出会った事のないタイプの人間だった。

 また指から外されてはかなわない。指輪の外観については妥協しよう。どんな形が良いのか考える事は、魔力による戦いとは別の楽しみになりそうだ。元の世界で咲いていた花、小動物を思い浮かべる。


 宿へ帰ったジーナは昨日塔で戦った時の衣装に着替え、湾刀型のダガーのみ腰に下げた。外套を裏地の黒緑色を表にして羽織る。バウに黒い鎖帷子を着せた。

 バウの毛色が次第に濃くなるのに気がついた。初めてだった。その毛はやがて真っ黒となった。

「バウ、どうしたの?」

 バウは気がついていないのか不思議そうに首をかしげてジーナの顔を見る。

『私のご主人様だったケルバライト様の家系は皮膚の色を変える事が出来た。世界の裂け目に手を入れてしまった時、あちらの世界は夜で、彼は皮膚を黒に変色させていた。ケルバライト様の手を咬んでしまった為、能力を受け継いだのかも知れない。』

「ケルバライトさんはどうやって皮膚の色を変えていたの。」

『私への会話は声を出さなくても良いぞ。こちらの世界の言葉は聞き取り難い。ケルバライト様は無意識に行っていたのだ。』

 試しに黒い鎖帷子を外すと、毛の色が次第に薄くなっていく。

「バウは魔犬になってしまったのかしら。」

 やさしく頭を撫でながら心でバウに問いかける。バウはいつもの様に甘えてきた。性格は変わっていないらしい。変装には調度良いと思い直し、再び鎖帷子を着せる。


 黒毛に変身したバウを連れて再び魔術師の塔へ向かう。

『ジーナ。』

『アルゲニブ、何か用なの。』

『俺を見てくれ、模様を変えたぞ。』

 指輪を見ると、血管を思わせる赤い筋が浮かんだ、何枚かの薄い紫の花弁が中央の葯を囲んでいた。中央にびっしり生える微小な葯の奥から濃い紫の目が二つ、ジーナを見つめていた。髑髏模様だったものが得体のしれない花に変わっている。それだけは外す事ができないのか、瞳に見えた二つの紫色の宝石が相変わらずついている。

『アルゲニブ、努力は認めてあげるわ。もう一歩ね。』

 これ以上可愛い姿になるのはアルゲニブにとって屈辱的ではあったが、ご主人様であるジーナの言いつけを無視する事もできない。アルゲニブの楽しみに悩みが伴ってしまった。


 魔術師の塔についた。昨日きた時は慌ただしく侵入したので分からなかったが、深夜に月明かりの中でこうして下から眺めると、ガサの町や港町ギロの石造りの建物とは作り方が違って感じた。

 暫く眺めてようやく気がついた。石組みの方法が全く異なるのだ。町の石造りの建物は、大きさを揃えた石を整然と積み上げているが、この塔は不揃いな石を雑に積み上げている様に見えるが、隙間が全くない。建物を造った工法が全く違うのだ。

 裏に回ると昨日食料を探した貯蔵庫だろう。平屋の建物が塔に密着して立っていて、その側に馬屋がある。長い間馬を使う人がいなかったのだろう、床には枯葉が溜まり、屋根も所々に穴が開いている。一応馬具らしい物も壁にぶら下がってはいるが、雨ざらしだったのか、錆びだらけで使い物には成りそうにない。

 レグルスに教わった壁の隠し扉を開き、隠し部屋へバウと共に入る。塔の壁が二重構造に作ってあるのだろう、部屋の壁が外壁に沿って湾曲して作られた部屋だ。外側の扉を閉めると真っ暗になったので、ジーナはビルが作ってくれた銅板に魔石の粉末を振りかけて光らせる。

 もう一方の、大広間へ通じる隠し扉を開けようとすると、アルゲニブが話しかけてきた。

『おい、向こうの壁にも隠し扉があるぞ。』

 壁を拳でたたくと向こう側が空洞なのが分かる。

『本当だわ。なぜ分かったの?』

『僅かだが魔力を感じる。』

『だれかいるのかしら。』

『大昔の魔術師が作った仕掛けだろう。人は誰もいない。』

 レグルスから教わっていないその壁を調べるが、長い間使われていなかったのかジーナの目には扉の境目や、開閉した跡は見つける事ができなかった。

 壁を良く見ると、苔むした石組みの足下に文様らしきものが彫ってある。

 魔法陣に見えるが、ケリーランス公国でキーラが教えてくれた魔法陣とも、昨日の戦いのとき、レグルスから流れて込んできた魔法陣とも異っている。

『私が元いた世界の魔法陣に近いな。』

『アルゲニブは目がみえるのね。昼間川で泳いでいる時私の裸を見たでしょう。』

『小娘に興味はない。』

『それって別の意味で失礼よ。』

 迂闊な会話はできない。面倒な女だとアルゲニブは思った。

『私は誰かの所為で小物入れに入れられたままだったのだぞ。そんな事より壁の模様をもう少し近くで見せてくれ。』

 ジーナは指輪を壁に近づけた。

『これは魔法陣の一部をわざと省略して彫り込んだものだ。似た模様を彫り込んだ石が別にある筈だ。探してくれ。』

『ご主人様に命令するのね。』

 そう言いながら狭い部屋の中を見渡すが、他の壁には魔法陣らしき彫刻は見つからない。バウが隠し部屋の隅で唸っていた。みると床にこぶし大の石が転がっている。拾って裏側をみると、同様の文様がほってある。

『私の世界では割り符としてよく使う手法だ。一つの魔法陣を二つの物に半分ずつ書き、合わせる事で効果が出るようにするのだ。この場合、扉の鍵として使っていたのだろう。』

『でも、壁の模様はちゃんとした魔法陣に見えるわよ。』

『正しい魔法陣らしく見せているが、彫ってある文様の半分は本物に似せている出鱈目なものだ。』

 ジーナは両方の模様に魔石の粉末をかけてから模様が合う様に石を壁に押しつけたがなにも変化は起きなかった。

『私、魔力がないから古代語を唱えても魔法陣を探れないわ。』

『ジーナの口で唱える事を許してくれるなら私がやろう。』

 異界の指輪特有の技なのだろうか。ジーナは、指輪が持ち主の口を使って古代語を唱える技があるとは今まで知らなかった。

『いいわよ。』

『石の模様を壁の模様と合致するようにしてくれ。』

 ジーナが屈んで足下の模様に石の模様を合わせた。

 アルゲニブが唱えたのだろう、ジーナの口から低いバリトンの通る声が出てきた。 いつもと違うジーナの声にバウは驚いているが、ジーナが撫でるとおとなしくなった。

 壁の奥で仕掛けが動く鈍い音がした。模様の辺りを押すと壁の一区画がゆっくり動いた。ランプ代わりの銅板で奥の部屋を照らす。ジーナが今いる隠し部屋の倍以上の広さはありそうだ。壁に剣、スピアなどの武器が並べられている。近づいてみると、どれも古い形のものばかりだ。中には全く錆びていない剣が数本あった。

『錆びているものが少ないわね。』

『魔力で守られていたのだろう。』

 一メートル半位の杖を見つけた。石突き近くの握り部分に手の込んだ彫刻が施されているが錆び落ちてしまったのだろうか、肝心の槍先がついていない。

 振り回していると錆のない長さ三十センチの刃が柄の中から出てきた。石突きを床に強く当てると先が柄の中に消えた。仕込みスピアといったところか。面白い。ジーナはダンが作ってくれた鍛錬用の杖を置いて仕込みスピアを借りる事にした。

『ローゼンのダガーや私の貴重品もここに置かせて貰おうかしら。いくわよ。』

 元の隠し部屋へ戻り、武器庫の扉を閉めた後で壁の触った箇所や開閉した箇所の苔を指で周囲と馴染ませ、触った痕跡を隠した。誰も入る事のない隠し部屋でもそのように痕跡を隠す事に念をいれるのはケリーランスで死んだローゼンのやり方だ。

『いつ、何があるかは誰にも予測出来ない。準備とは予測できない事に備えるものだ。』

 ローゼンが言ったその時には予測できない事に備えるのは不可能だと思っていたが、一人旅を続けてきた今は理解できる。

 ローゼンが側にいて様々な事を教えてくれていた頃を懐かしく思った。


 腕輪の魔力を使って塔全体の様子を探る。レグルスは四階の隠し戸棚がある部屋にいる。しかし、寝ているルロワの気配は全く掴めない。消えたのだろうか、或いは命を失ったのだろうか。念のため二階のルロワの寝室にいくと、生きてはいるが、気配が全くしないのだ。そっと扉を閉め、レグルスの元へ向かう。足音は立てない。レグルスの執務室は扉が開いたままだった。何かに集中しているのか、ジーナに背を向けたまま気づかずに作業を続けている。

 ジーナは開いている扉をノックしてから部屋に入った。

「おお、来たか、ルロワの事件の顛末が書いてあるこの手紙をガエフ公国の大魔術師長のランダル・バックス殿に届けてほしいのだ。私はこの塔を離れる事ができないのでな。」

「分かった。」

「手紙にはルロワが魔法陣に吸い取られて消えた事とルロワの生み出した魔族は私が始末した事が書いてある。あなたは旅に出ていた私の弟子という事にした。都合が悪ければ書き換えるが。」

「弟子ということで良いと思う。」

「ランダル殿は元私の教え子だった者だ。私とは気心が知れているが他の魔術師には注意した方がよいぞ。」

 レグルスの目の前には魔法陣が書かれた羊皮紙の束がある。一枚一枚には魔法陣と

 その解説が書かれているようだ。ジーナがその束を見つめているのにレグルスが気づいた。

「興味があるのならいつでも来れば良い。見せてあげよう。」

 レグルスは用意してあった魔術師のマントと首から下げるペンダントをジーナに渡した。

「今着ている衣服では盗賊と間違えられてしまう。これを着て欲しい。そのペンダントはガサの町の魔術師である事を証明してくれる。魔術師として旅をする方が盗賊も近づかないし、何かと楽だぞ。」


「レグルス殿、徒歩では往復で一週間はかかりそうだ。」

「馬が有れば良かったのだが、急には準備できない。申し訳ないがよろしく頼む。」

「一階の隠し部屋を私に貸して欲しいのだが。」

「なぜかね?」

 ジーナは連絡方法について提案する。

「私へ用がある時は一階の隠し部屋にメモを置いて欲しい。用件は古代語で書く事と、横書きと見せて縦に読む簡単な暗号文にしようと思う。」

「それは名案だ。ところで、この金貨を旅費に使ってくれ。」

 ジーナは旅費の金貨を受け取りながら、レグルスには申し訳ないが一階にある隠し武器庫の事は伏せておこうと思った。自分だけの秘密の場所があってもレグルスなら怒らないだろう。


 ジーナは深夜、宿の自分の部屋でバウの鎖帷子を外してから眠りについた。夢は見なかった。

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