十六 魔術師の塔・救出(二)
ダンの鍛冶屋の前ではビルが呆然と立ちすくんでいた。ジーナがダンの鍛冶屋から戦斧を取り出して魔術師の塔へ向かって走り去る後ろ姿を見て、ビルは盗賊が店に入ったものと勘違いしていた。盗賊が手にしていたのは見慣れているダンの戦斧に違いない。
我に返ったビルは、店の中に入り、作業場、奥の部屋と見回すが荒らされた様子はない。武具に使う装飾用の貴金属は奥の部屋の戸棚に入っているが、棚は壊されてはいない。どうやら盗まれたのは戦斧だけだ。
慌ててダンを探しにいく。夕闇が迫る今頃は町の居酒屋が開店する時刻だ。ビルはタリナの居酒屋を覗きにいった。
「ビル食事かい?」
タリナがビルへ声をかけた。
「違うんだ、大変なんだ。親方の店へ盗賊が入った。」
「なんだって?詳しくいってごらん。」
ビルはダンの店で見た事を説明した。
「じゃあ、とられたのは武器一つだけなんだね。」
「うん。親方が大切にしている戦斧だけだよ。」
「高級品なのかい?」
他に盗まれた物がないと聞いたタリナは、斧が貴重品なのかと思ったのだ。
「違うよ。鉄の塊みたいな斧だよ。」
金目のものが盗まれていないと聞いて安心したタリナは、店の客へ声をかけた。
「誰か、他の居酒屋を覗いてダンを探してきてちょうだい。ダンを連れてきたら食事代は只にするよ。」
何人かの男たちが一斉に立ち上がり店を出ていった。
「ダンが戻るまで食事をして待っていな。」
タリナは空いているテーブルにビルを座らせ、軽食をだしてやった。
やがてダンを探しにいった男たちが戻ってきた。
「どの店にもダンはいなかったぞ。」
食事代を只にできなかったのが残念なのか、男たちの声に力がない。
「しょうがないね。一品だけサービスするよ。」
タリナはそういって。奥にいるエマへ声をかけた。よほど嬉しかったのか、店内がざわついた。
「ビル、どうする?」
ダンが、よく裏山で剣の鍛錬をしている事を思いだしたビルはそこへ行く事にした。
「裏山をみてくるよ。」
「もう暗くなってるけど大丈夫かい?」
「親方のの店のすぐそばだもの、平気だよ。」
そう言ってビルは裏山へ向かった。鍛冶屋の裏の坂道を駆け上がる。
いた、ウイップのゼルダと一緒だ。二人が戦っているようにビルには見えた。
「ゼルダ、親方、争いは止めて。」
二人は笑いながらビルを見た。
「ビル、これは鍛錬だよ。剣の練習を二人でしていたのさ。」
「親方、大変だ、店に盗賊が入った。」
「本当なの?ビル。よりによってダンの店に盗賊にはいるなんてよそ者に違いないわ。いつの事なの。」
最初に声を上げたのはゼルダだった。
「一時間位前さ、親方を捜すのに手間取ってしまってごめんなさい。」
「ビル、どんな奴だ。」
「小柄な旅の盗賊だよ、きっと。背中に荷物を背負っていたもの。」
「何を盗られたのだ?」
「親方が大切にしていた戦斧を抱えて走っていったよ。」
「装飾品とか、金は大丈夫なのか。」
「斧以外は何処も荒らされてはいないよ。」
ダンの頭に初めて会った時の小柄なジーナの姿が浮かんだ。男の衣装を着て旅をしていた。ジーナに違いない。彼女が何かを成そうとしているのなら、止めるか、手伝うかしかない。見過ごすのはローゼンとの約束に反する。勿論、ローゼンの約束がどうであろうと。ダンは駆けつけただろう。
幸いボアスピアと剣はゼルダとの鍛錬の為に身に付けている。両刃の大剣が欲しい所だが、取りに帰るのはもどかしい。
「どっちの方角へいった?」
ビルは魔術師の塔の方角を指さす。
「ゼルダ、ビルを頼む。」
ゼルダの返事を待つ事なく、ダンは走り出していた。
ダンは、ジーナが魔術師の塔に関心を持っているとは思っていなかった。二人の間では塔の事を話題にした事は無かった。ジーナは魔術師の塔へ何をしにいったのだろうか。
馬が欲しいがガサの町に戦馬がいる訳もない。街道入口にある警備兵の詰め所にも軍馬は置いていない。ダンは闇が迫る中、森の獣道を魔術師の塔を目指してひたすら走る。
ゼルダはダンの背中を目で追いつつとりあえずビルを連れてダンの店へ戻る事にした。
ダンの鍛冶屋についたゼルダは、まず、店の周囲を回り、不審なものはないか確認する。次に入口に戻り、中の様子を伺う。静かで人のいる気配はない。ビルを外に待たせて作業場に入るが、ビルが言ったように店に荒らされた跡は全くなかった。
盗賊とはケリーランスで壊滅して消えた白い狼の残党ではないだろうか。今までその影すら見えなかったのに、此処で出会うとは。物事を深く考えず、思いこみの激しいゼルダは勝手に決め込んでしまった。ダンの後を追う事で面白いものが見られるかも知れない。
「ビル、留守番をしていなさい。」
そう言い残してゼルダも魔術師の塔へ向かった。取り残されたビルはあっけにとられてその走る後ろ姿を目で追っていた。
魔術師の塔の地下牢に通じる石段の、一階の物置部屋への出口でジーナは後ろから付いてくるレグルスに立ち止まるよう、手で合図を送った。肩のモグラはいつの間にか消えていた。腕輪の力を借りて壁の向こうの様子をさぐる。狭い石段の通路で二人とバウは一塊になっている。大広間は静かだ。壁を押して出ようとしたが、開かない。後ろからレグルスの手が伸びて左側の壁を探っている。開いた。何処かに仕掛けがあるらしい。
外は夕暮れになっていてランプの付いていない塔の大広間は暗い。丁度よかった。長期間暗闇で過ごしたレグルスの目はいきなり明るい所へ出ると失明する恐れがある。
そのまま共に外に出ようとすると、レグルスがジーナの外套を引っ張り引き留めた。指で上を指している。塔にある魔法陣の所へ行きたいのか、それともルロワの事が気になるのかジーナには分からなかったが、ここは一刻も早く塔から離れる事だ。問題があるのから、後で体勢を整えて出直せば良い。もし、大勢の塔の番人達が出てきたら弱っているレグルスと非力なジーナの二人きりではとても戦えない。
「レグルス殿、駄目だ。この逃げるチャンスを逃すと危険だ。」
しかし、レグルスは引き下がらない、どうしても上に行きたいらしい。
ローゼンの戦いの教え『目標は一つに絞り成功したら速やかに撤退する。途中で欲は出さない』に反する。この様な時に無駄な時間を費やしたくはないが、ジーナの無言の説得にレグルスは同意しない。
塔の上への階段のところで二人が立ち止まっていると、大広間の入口で大勢が入ってくる物音がした。見ると魔族達が荷車を大広間へ押し入れようとしている。魔族の一体がジーナ達に気づいて大声を上げた。荷物を置いて二十体近くいる武装した彼らが剣を抜いて二人に迫ってくる。二人は階段を上らざるを得なかった。
ここまで来てレグルスを置いて一人逃げる訳にはいかない。命をかけよう、ジーナは覚悟を決めた。レグルスを後ろにかばい、使い慣れていない手斧を左手に持ち替えて右手にローゼンのダガーを握った。バウはジーナの足下で様子をうかがっている。
魔族が階段を上がり、剣で攻撃を仕掛けてくる。狭い階段では複数で攻撃を仕掛けてくる事ができない。階段で良かった。大広間では囲まれてしまったにちがいない。
魔族の剣を左手の戦斧で受け、右手のダガーで相手の顔を狙って切りつける。動作の鈍い魔族は素早いジーナの攻撃を避けきれず倒れ、階段から落ちた。しかし、二十体近い魔族を倒しきるまで体力が持つだろうか。後ろで待機しているレグルスは病み上がりの様で、荒い息をしている。立っているのがやっとという状態だ。戦力にはならない。大広間で我先に階段を上ろうとする魔族達の騒ぎ声、仲間通しでぶつかり合う武具の音が次第に激しくなってゆく。
さきほど落ちた魔族なのか、階段下から一体の魔族が剣を突き出す。ジーナは左手の斧で受け流し、開いた胴へダガーで斬りつける。そのジーナの隙をついて正面にいた魔族が切り付けてきた。ジーナの足元から飛び出したバウが飛びかかると、その魔族はバランスを崩し、後ろに並んでいた他の魔族も巻き込んで階段を落ちてゆき、後ろにいた魔族の剣に誤って突き刺さり倒れた。バウはジーナの邪魔にならない様、再びジーナの後ろへ移動する。
次に現れた魔族はジーナの足を狙って剣を横殴りに振ってくる。ジーナは飛び上がり、無防備になった敵の頭へ戦斧を叩きつける。
魔族を二体片付け、三体目と向き合っている時、大広間の入口に、大きな両刃の穂先がついたスピアを担いだ男が飛び込んできた。ありがたい事に、ボアスピアを担いだダンだ。誰にも言って来なかったのに、どうしてこの事が分かったのだろうか。ダンは大広間の混乱に乗じて何も言わずに魔族の背後からボウスピアで攻撃を開始した。大広間は新しい戦士の乱入でさらに大混乱となった。
ルロワは居室となっている塔の隠し部屋にいた。
ジョンが消えてから魔族の体の元となるオオトカゲの入手が困難になっている。ジョンが取引していた相手をようやく突き止めたものの、出来損ないの魔族数体で取引にいかせると、足下を見られ全く相手にされなかった。そこで、今回数匹のオオトカゲをまとめ買いする事で話をつけて今日、荷物を引き取りにいかせた。
また取引相手になめられては困る。魔族全員に武装させて送りだした。壁の細長いのぞき窓から外を覗くと闇が濃くなってきている。もう彼らが戻っても良い時刻だ。
大広間と繋がっている空気穴から喧噪が聞こえてきた。何事か起きているようだ。
ルロワは剣を一度も使った事は無かったが、念の為、壁に掛けてあるショートソードを右手に握り、ランプを左手に下げて階段へ向かう事にした。魔族兵士達が持っている雑なつくりのショートソードと違い、その件は、握り手に細かな装飾がついた、刃先も磨かれているきれいなものだった。儀礼用の高価な剣なのだが、実用には向かない事をルロワは知らない。
階段を下りると、一階の大広間へ続く階段の途中で、ルロワが生み出した魔族兵士達と二人の男が戦っている。軍用犬を連れた盗賊だ。最近魔族二体が行方不明となり、ジョンには盗みに入られたばかりだ。
一瞬ジョンが仲間をつれて盗みに入ったのかと思ったが、盗賊の一人はジョンよりも小柄で、もう一人は痩せている。しかし、それだけではジョンの仲間なのか、別口の盗賊なのか判断に迷う。
いずれにしても武装した魔族が二十体近くいるのだ。二人の盗賊を倒してくれるだろう。倒された魔族は、今日入手したオオトカゲを化身の材料に使って生み出せばよい。ルロワは下の盗賊に見つからない様、柱の影に隠れながら戦いの行方を見守る事にした。
階段の途中で戦っている二人の男は数体の魔族を倒すが数に圧倒されている。入口から盗賊の仲間が乱入してきた。大男がスピアを振り回しながら魔族の中に挑んでゆき、一気に数体の魔族がたおされてしまった。形勢が逆転しそうだ。ルロワは思わず悲鳴を上げる。
その声が聞こえたのか、痩せた男が振り返り、ルロワを見つけた。
ダガーを振り上げて無言のまま階段を上がってくるその男は、地下牢に幽閉した筈のレグルスだった。
急に後ろの気配が消えた。ジーナが振り返ると階段を上る男をレグルスが追いかけているところだった。追っている相手が誰かは知らないが、あの体で戦うのは無理だ。
しかし、せっかく助けに来てくれたダンを一人にする事もできない。
「バウ、後を追ってちょうだい。」
とりあえずバウを支援にいかせる。魔族がまだ十数体もいるのだ。今はジーナが数体を引きつけているが、いくらダンでも全ての魔族に囲まれては危ない。
ルロワが階段で振り向き、レグルスを剣で突き刺そうとしたが、レグルスは後ずさってよけた。突然、ルロワの後ろから犬が挑みかかってくる。剣で犬を突き刺そうとするが、鎖帷子を着た軍用犬は下手なルロワの剣を楽々とかわした。なぜレグルスがここにいるのだ。剣を恐れずに牙を剥いてかかってくる犬に恐怖を覚えたルロワは再び階段を上った。
後ろを振り返ると、体力がないのかレグルスは休みながら後を付けてくる。犬がいなければ殺せるかも知れないが盗賊の軍用犬は動きが素早く、凶暴だ。剣で犬を牽制しながらルロワも必死に上り続ける。
ゼルダは、剣技でいつも自分を負かしているダンが魔族に囲まれそうになり、苦戦しているのを見ながら大広間に入ってきた。
「ダン、手伝いはいらないかい?」
「ゼルダ、暇なら手伝え。」
「私は見物で忙しいのだがね、ダンを助けるような暇はないよ。」
そう言いながらも戦いの輪の中に入っていった。しかし、この騒ぎは何なのか、王家が管理している魔術師の塔で暴れても大丈夫なのか、疑問はあるが、今はダンの手伝いをするしかない。
「ゼルダ、ありがとう。」
女の声がしてゼルダは顔を上げたが、塔の大広間にはダンとゼルダの二人しかいない。今の声の主はだれなのだ、辺りを見回していると魔族の一人がゼルダに剣を振りかざして来た。危ない、避けながらゼルダ得意の大剣を力一杯横殴りにする。魔族は壁際まで吹っ飛んでいった。しかし、ゼルダは魔族の存在を知らない。塔の守衛である王軍の兵士と戦っていると思っている。いくら顔見知りのダンの為とはいえ、ここまで暴れては当分ガサの町を離れざるを得まい。方針が決まった。ゼルダは遠慮する事なく兵士達を倒してゆく。しかし、この連中は見かけの割には弱い。最近の王軍は人手不足なのだろうか。そう思っていると、倒したはずの兵士が起き上がり、再び挑みかかってきた。このしぶとさは、どんなに大けがをしようと命ある限り戦い続ける、巷で噂の突撃兵なのかも知れない、とゼルダは思った。
ジーナが、ダンの為にも階段に留まって戦うかレグルスを追いかけるか迷っていると、もう一人、大柄な女が戦いに乱入してきた。あの体は見間違いようがない。港町ギロで会い、また、ダンと剣技をしているのを見たウイップのゼルダだ。思わずゼルダに礼の声をかけ、一気に階段を駆け上がった。レグルスと男の姿は見えないが、後を追い、最上階を目指す。
レグルスとルロワは最上階の中央にある広間にいた。壁に掛けられた数個のランプが石造りの壁を仄暗く照らしている。以前ガサの警備兵が噂していた、魔族を生み出す事のできる魔法陣だろうか、床の中央には大きな魔法陣が描かれていた。ジーナも部屋に足を踏み入れる。
入口でうずくまっているレグルスに背を向けたバウが、襲いかかろうとしている男へ吠えかかっている。右手に戦斧を持ったジーナは慌ててバウと男の間に割って入った。男が離れたとき、レグルスが『ルロワ』の名を床に書き、その男を指さした。この男が以前にエマが言っていた、元祠祭師館に住んでいたランプリング家のルロワか。確か王家の魔術師会に家を取り壊され、この魔術師の塔につれてこられたといっていた。復讐の為にしでかした事なのかも知れない。
床に倒れたレグルスの右手にはジーナが渡した湾刀型のダガーが握られ、その近くにはルロワがぶら下げていたランプが置いてある。ルロワが今にもジーナに襲いかかろうという時、彼は別の物に目をやっていた。
壁に掛けられているランプの光が届かない天井に文様が映り込んでいる。部屋へ入ってきた小柄な魔術師がルロワとの間に割って入ったので、襲おうとしている男がルロワである事を教えると、戦いを引き受けてくれたが、天井の文様から目が離せなかった。右手のダガーを動かすと、天井の文様が移動する。
ダガーを見るが、その刃には紋章が刻み込まれている様子は無い。これもあの魔術師の術なのか。
天井に映った文様は王位継承権を持つコリアード家のみが使用する事ができる王家の紋章だ。元魔術修練所の所長だったレグルスはその紋章をよく覚えていた。現王のダンク・コリアードはまだ独身で、十数年前に前王一家が事故死して以来、ダンク王以外に王位継承権を持つ者はいない筈だ。レグルスは、心の中ではダンク王に王位継承権が存在するのか、疑問視していた。口にこそ出さないが圧政を敷くダンク・コリアードに反感を抱く者の中には同じような思いをもっている者が少なくない。
市井の者が、複雑な紋章を正確に彫り込めるとは思えないし、紋章を正確に記憶できる立場にあるものは、その重要性を知るがゆえに偽造しようとは思わないだろう。
もし、この小柄な魔術師がコリアード王家の正当な当主にゆかりのある者ならば、今後、面白い事が起きるかも知れない。今は気づかなかった事にしておこう。そうレグルスは思った。