十四 魔術師の塔・囚われの人(二)
ジーナの手元にお使いにいっていたモグラが帰ってきた。放してからずいぶん時間が経っていた。モグラが男の所へいくのに手間取ったのか、男がモグラを見つけられなかったのだろうとジーナは思った。男が物思いにふけっていたためにモグラの戻りが遅くなったとは想像できなかったのだ。
『ありがとう』
心の中でお礼をいう。あとでミミズを集めてあげよう。足の銅板はついたままだった。意識の中では確かに男の手に捕まれた感触があったのに、銅板の存在に気が付かなかったのだろうか。
モグラの足から銅板を外してあげ、穴の入口の近くでそっと放した。念のため、洞穴の入口近くの明るい所で銅板を確認する。裏に闇の男からの返事が書いてあった。男は魔術師の塔の地下に囚われているらしい。確かに洞穴脇の滝から塔が見えていた。この洞穴の向こう側に牢があるという事か。
ジーナはジョンが逃げる時に残した塔の図を取り出して広げた。ジョンがいっていた様に、塔の図は空白が目立ち、役に立ちそうもない。囚われの男にこの塔の図を完成してもらえるだろうか。しかし、羊皮紙は厚く、とてもこの巣穴を通す事は出来ない。
今日はここまでにしておこう。
モグラにお礼をする必要がある。ミミズを集め、モグラの巣穴の入口に置き、洞穴を出た。外は土砂降りの雨で、川は増水していた。囚われの人の地下室は浸水しないのだろうか。
土砂降りの雨の中、泥だらけになっている道をジーナは走った。バウもジーナと並んで走る。雨に濡れた服が体にまとわりつき走りにくい。服が縮んだ気がするのはジーナが成長したからだろうか特に胸周りがきつくなっている。冬支度も必要だし、服を新調するには良いかもしれない。また、囚われの人を逃す時に服が必要になりそうだ。モグラの感覚が同調していたのだろうか、男の痩せた手、長身の姿が頭に浮かんだ。
外の魔術師の気配が消えて時がたった。それでも囚われの男は闇の中でじっとしていた。しかし昨日までの絶望の闇ではない、一度諦めていた己の命に希望がわいたのだ。不思議な力の使い方をするあの者はもう一度現れるだろうか。救われたいという心の他に今までの人付き合いで得られなかった親近感を感じている。
足下を突くものがある。石の床に座っている男の足を上ってくるモグラをつまみ上げ、足を確認した。銅のメダルはついていないが、糸は縛ったままになっている。例のモグラだ。昨日までは食料にしか見ていなかったモグラに愛着を感じている自分に気づいた。この糸を付けたモグラだけは食料にはできそうにない。
外は雨が降っているのだろうか、牢の湿気が増してきた。
翌朝、前日とは違ってからりと晴れ上がり、遠くのガナラ山がくっきり見える。いつも着ている灰色の服は洗濯するため、黒っぽい服に着替えたジーナは前の日に濡れた衣類を持って宿の井戸へいった。
「お早うジーナ。昨日は酷い雨だったわね。その黒い服は止めたほうが良いわよ。いつも以上に男の子に見えるわ。」
「エマ、ジョンはこの町から出たみたいよ。昨日カテナ街道を南へ向かう後ろ姿を見たわ。旅支度だったから当分帰ってこないわよ。」
「ありがとうジーナ、これで安心して買い物に出かけられるわ。」
「エマ、衣料品店が何処にあるか知らない?」
「港町ギロにあるわ。でも男のものばかりよ。この辺りの人は町の北に住んでいるケイラおばさんに作ってもらう人が多いわよ。」
「私、旅を続けるから男のものが良いの。」
「今日、港町に魚を買いにいくの。ジーナも来るといいわ。お店を教えてあげる。」
洗濯物をほしたあと、エマとジーナは港町ギロに向かった。町の入口に立つ兵士の中にエマの顔見知りのクライドはいなかった。
「そこの男、まて。」
ジーナは呼び止められた。
「兵隊さんご苦労さまです。この子はジーナ、女の子よ。私と魚を買いにいくの。」
「なんだ女か、何で男の格好をしているのだ?」
「すみません。旅の途中でタリナさんの宿に泊まっているのだけれど、昨日の雨で着ていた服が乾かなかったものだから。」
「ではこの町で服を買うのだな。破落戸にたかられない様に気をつけな。」
「ありがとう。」
いつも寄る露店でエマと別れ、衣料品店へ行くことにした。
石畳の中央通りには魔術師の館を含めた石造りの建物も多くあり、商人や役人と覚しき人達が出入りしていた。商店らしい建物は三階建てもあり、一階より二階、二階より三階がせり出して隣同士寄り添う様に建てられている。家と家の間の一階部分には人が一人ようやく通れる程度の隙間があいていた。
衣料品店は町のほぼ中央にある魔術師の館のそばにあった。
入口に簡易テントを張って色とりどりの衣類を吊してあったが、本当の店の入口は意外に狭く奥行きのある店だった。農耕用の衣類よりも商人、役人向けの衣類が店内に数多く吊してあった。魔術師の館の横という事もあって数少ないながら魔術師が着るようなローブもあった。
奥の椅子に座っていた店主のライルが寄ってきた。
ジーナの姿をじろじろ眺めながらいった。
「坊や、何を探しているのだ。金はあるのか?」
「大丈夫。」
「最近万引きが多くてな、この前万引きした奴は袋だたきにしてやったぞ。」
旅で着ている洗いざらしの黒っぽい衣服を見て店に合わない貧乏人が来たと思っているようだ。
中から、自分の体に合いそうな旅用の衣類と、女性物一着、念の為に囚われの人に着せられる衣類とスカーフを数枚購入し、銀貨で支払いをした。
「なんだ、坊やはご主人様に頼まれて買い物にきたのか。」
店の主人ライルは少なめに釣りをよこした。誤魔化していることは明らかだが、ここで騒ぎを起こすのも賢くはない。ジーナは買った衣料を背負って店を出た。
ライルは表に出てその小柄な客を見送る。
「おいライル、何を見ているのだ?」
「ダミアンか。見かけない小僧が買い物にきたのだ。」
ライルはジーナの後ろ姿を指さした。
「何が珍しいんだ?」
「貧相な格好をしている割には銀貨で買い物をしたのでな。釣り銭を誤魔化したが気づかなかったが誰の使用人かと思ったのさ。」
「よそ者が随分紛れ込んでいるからな。軍の船が駐留してからこの港町も大きくなったものだ。俺もよそ者、人の事は言えないがな。」
「ダミアン、最近トッシュを見かけないが、ケンカでもしたのか?」
「ここ何日か見かけていないんだ。この店に顔を出さなかったか?」
「見ていないな。そう言えばジョンも見かけなくなったな。ダミアン、おまえがジョンとトッシュを殺したのではないか?」
「まさか。一ギルにもならない事を俺はやらんぞ。実はトッシュとたむろしていた連中が二人殺されていたので心配しているんだ。」
「どうやって殺されたんだ。」
「噂ではナイフの傷と大剣で刺した傷跡があったらしい。」
「二人組か。ウイップのゼルダがこの町に戻っているだろう。あいつじゃないのか?」
「あいつはいつも一人さ、組んで殺しなどしないだろう。他にも消えた連中がいてウイップのゼルダが殺したという噂もあるが、盗賊のあいつが警備兵に目を付けられる様な事はするまい。」
「何処かの盗賊グループが来たという噂も聞いていない。ダミアンも気をつけるのだな。」
二人は道路の向こうを見たが男の子に間違われたジーナはすでに去っていた。
宿へ帰ったジーナは買い物した衣類を広げる。
今日一日相手をしてあげられなかったバウが側を離れない。
大きめの衣服は丸めて棚の一番下に置いた。
購入した中から白無地のスカーフを広げ、次にジョンの置きみやげである羊皮紙に書かれた塔の図を出した。
バウがジーナの膝に前足をおき、興味ありげにのぞき込む。
スカーフを十五センチ四方に切り取り、塔の図を見ながらその内容を布に刺繍していく。
ケリーランスにいた頃を思い出す。仲間が戦いで裂いてくる服を繕ってあげたものだが蝸牛の歩いた後の様に不器用な縫い目は不評だった。それでも賄いの手伝いをしていたアレシアから手ほどきをしてもらい、練習したが、剣技や投げ矢と異なり、上達する事がなかった。ローゼンだけは文句を言わずにジーナの繕った服を着てくれたが、他の仲間はジーナがいないのを確認してアレシアに持ち込むのが常だった。
おぼつかない手で作った刺繍の図を囚われている者が読み取れるだろうか。
刺繍に間違いが無いことを確認してから布をまるめて糸で固める。親指の先程度にまで小さくなった。これならあのモグラくんが運んでくれるだろう。
バウは飽きたのか、ジーナの不器用さに呆れたのか、横で寝息を立て始めた。
ジーナは女の衣装を着てみた。旅も含めて北サッタ村を出てからの三年間は男の子と同じような姿で過ごしてきた。スカートをはき、薄緑色のスカーフを頭に巻いて見るが、着心地が悪い。誰にも見られなくて良かったと一瞬思う。それでも新しい服を体に馴染ませる必要があると自分自身に言い聞かせながら、明日の朝他の女性達の前にこの姿でいてみようと思った。女らしい姿をして過ごしたい気持ちと、ローゼンに代わって戦いたい気持ちが交錯する。十八歳になったジーナはやはり女である。
普段着に着替えたジーナはバウの頭を抱えながらいつの間にか寝入っていた。
深夜ダミアンは港町の、いつもの酒場で酒盛りをしていると、アンセルが声をかけてきた。
「なんだ、アンセル。ジョンが見つかったのか?」
「ジョンの知り合いを探している兵隊が裏に来ているけど、どうしようか?」
「ここの警備兵が何の用だ?」
「武具がちょっと違うからガサの町から来たんじゃないかな。」
「俺が行ってやる。」
ダミアンが居酒屋の裏にゆくと、ランプの灯を避けるように胴衣だけの鎧をつけた数人の兵士が立っていた。
「ジョンに何か用か?」
「ジョンはある荷物を俺たちに届けていた。その荷物をくれ。」
会っていきなり何を言い出すのだ、この連中は。ダミアンはその言い方に怒りが沸いたが用件に興味があったので我慢してその先を聞いた。
「荷物とはなんだ?」
「お前がジョンの手下なら言わなくても分かるだろう。」
「お前達、誰にものを言っているのだ?」
短気なダミアンはいきなり大剣を抜くと目の前に立つ兵隊の右腕に切りつけた。兵隊は思わず剣を落としたが我慢しているのか、鈍いのか声を立てない。
「あんな破落戸と俺を一緒にするんじゃない。そんな口の利き方をしたら次は殺すぞ。」
ダミアンがそう言うと、別の兵士が前に出た。
「ジョンに頼んでいる荷物が欲しい。銀貨五枚で頼んでいる物だ。」
ジョンが皆に内緒で何かの荷物を売っていたらしい。ダミアンはかまをかける。
「どの大きさの物が欲しいんだ?」
「二メートルぐらいのオオトカゲだ。」
この兵士達は頭が悪いらしい。ジョンが秘密に行っていた取引の内容をダミアンの正体を確かめもせず簡単に口にしている。ジョンが誰から入手していたのか、確かめる必要がある。時間稼ぎをしよう。それにこの連中の武具を見る限り、正規の兵隊とは思えない。破落戸を集めたのではないか。
「金貨のまちがいだろう。出直して来い。」
「それがないとルロワ様が困るのだ。」
ダミアンは再び剣を振り、兵隊の顔に軽く切りつける。それで殆どの者は恐れをなす。
よたりながら去ってゆく兵隊達の背中を見ながら、彼らが忘れていった剣を拾うが、この辺の連中が見向きもしない粗雑な剣だ。売れはしないだろう。その辺に捨てる。
オオトカゲの話は初めて聞くが、これは金になりそうだ。しかし、魔術師の塔が相手と聞いて深追いは危険だとも思った。
ジーナは朝、買ったばかりの女性向けの服を着た。頭にスカーフを巻くと少女らしい姿になった。
腰に鎖を巻いた。武器でもあるこの鎖は手放せない。鎖の輪の所にビルが加工してくれた銅製の飾りをつけると鎖が装飾品の一部に見える。さらに鎖の上からエレナが用意してくれた細長い布を巻いた。鎖が目立たなくなった。
洗濯をしに宿裏にある井戸端へいく。
エマが先に来ていた。
「珍しいわね。似合うわよ。」
「ありがとう。」
他の女性達にも冷やかされる。
洗濯を終えるとバウを散歩にだす。
ダンが作ってくれたダガーは女性服に似合わない。ケリーランスでチャンが作ってくれた小振りのナイフを腰に吊し、木製に似せて塗装した鉄製の杖を手にしてダンの鍛冶屋の裏山にある草原で鍛錬をする事にした。
今日はまだダンがいない。スカート姿で杖の型を一通りこなす。男物のズボンと違い、足裁きに制限がある事に気がついた。裾をたくし上げて再度型の練習を行う。足を繰り出したり、蹴り上げたりする度に素足が冷たい風をきる。ダンが居なくて良かった。これでは下着が丸見えになってしまう。
近づいてくる人の声に気づき近くの木の陰に隠れた。ダンが女と話しながらやってくる。港町ギロで見かけた両刃の大剣を背負った女が二本の大剣を持っている。その女がもう一本の大剣を草むらに置いてから背中の大剣を抜き、いきなりダンに斬りつけた。
ジーナが鍛錬していた場所でダンが得意にしているボアスピアと女の両刃の大剣で剣技が始まった。
女の大剣をスピアの柄で受ける。鉄製で無ければダンもろとも両断されていたにちがいないと思わせる程女の剣は力強く、そして早かった。
この女の動きとダンの受け技はきっと役立つにちがいない。その二人の動作を頭に焼き付けようとジーナは食い入るように見た。
「ダン、最近港町ギロで破落戸が何人か消えているのだけど、あんたの仕業じゃないでしょうね。」
「鍛冶屋の俺はそんな物騒な事をしないぜ。」
「五年前、私がガサの町に顔を出した時は、この辺には兵隊くずれの暴れ者や破落戸がうようよしていたわ。それを誰かさんが片付けていったのを私は知っているのよ。おかげで港町ギロにその連中が集まって来てしまったの。本当に迷惑な話よ。」
「言いがかりはよせ。俺は近所の町の人たちが困っているのを助けただけだぜ。誰がいなくなったんだ?」
「流れ者のジョンとトッシュというダミアンの手下よ。他にも居なくなった若者の噂があるの。」
「港町ギロへ行って余計な手出しをする程俺は暇じゃないぞ。」
会話をしながらも互いに手をゆるめない。会話をすると、腹の力が抜け、剣の試合には不利なのだが二人ともその早さと力強さは変わっていない。
「私が港町で事を起こそうとしている、と噂されて迷惑な事になっているの。やめてくれると有りがたいのだけど。」
「ウイップのゼルダともあろう者がそんな噂の一つくらいどうと言う事もあるまいに。」
ようやく二人は動きを止めた。
「ダン、この剣を見て。」
ゼルダは草むらに置いた剣を拾い、ダンに見せている。
「これは酷い出来だな。何処でゴミあさりをしたのだ。」
「昨日、アンセルが港町の居酒屋の側で拾ったのよ。自慢げに持っていたから、そんな剣で戦いをしたのではすぐ折れて殺される、といって取りあげたの。」
「これは剣の練習用のものだな。刃が欠けて擦り傷だらけの所を見ると、一度捨てられたのを拾ったのだろう。」
「港町ギロの警備兵がそんな剣を持ち出す訳ないわね。誰の仕業かしら。」
「ところでゼルダ、北サッタ村へ行ったのではないのか?」
「行ったわ。でも何もなかった。ただの寂れた村で冬支度に入っていて忙しいのか、誰も私の相手をしてくれなかった。」
「あそこの連中は意外と生真面目な連中だからな。お前の相手をしなかったのは盗賊だからだろう。ウイップのゼルダと言えばこの辺りでは有名だからな。」
「あの村の人たちはなぜこの町へ下りで来ないのだろう、ガサの町の方がよほど過ごし易いと思うけど。」
「どうかな。」
「だれ、そこにいるのは!」
ゼルダが腰のナイフをジーナに向かって投げた。ジーナは思わず持っていた杖ではたき落とす。落ちたナイフを拾い、二人に向かって歩いていく。勿論、たくし上げていたスカートは直した。
「あんた、祠祭館跡の道であった女の子ね。今日は可愛い服を着ているじゃないの。ここで何をしていたの?」
「二人のお邪魔をしてごめんなさい、薬草取りに来ていたの。」
ナイフの柄をゼルダに向けて差し出す。
「あなた、ジーナと言うのね。ビルと仲良くしてやってね。」
「ビルを知っているの?」
「この町の子供達の事は大抵知っているわよ。」
「ダン、私帰るわ。」
この女に対して深い会話は出来ないと持ったジーナはその場を離れる事にした。
去るジーナの後ろ姿を目で追いながらゼルダはいった。
「私のナイフを避けるとは見かけでは分からないものね。」
「まぐれだろう、おれは行くぞ、仕事が有るからな。」
「ありがとう、この辺のやつらは弱すぎて相手にならなかったのよ。ダンのおかげで一汗かく事が出来たわ。」
港町ギロには力自慢や兵隊崩れの腕自慢が町の居酒屋を根城に多数いて、時々諍いをおこしていた。しかし、本格的な剣技を扱える者がいる訳ではなく、隙を見て後ろから刺す様な手合いばかりだった。勿論、駐留している王軍の正規兵の中には剣技に長けた兵士もいるだろうが、居酒屋にたむろしている破落戸の中に、今相手をしてくれたダンのような本格的な剣技を使える者は居なかった。
ダンがジョン達を消したので無ければ誰がやった事だろう。ダンがまぐれだと言っていた小柄な女の技がまぐれで無い事はナイフを投げたゼルダ本人が感じていた。あの小柄な女に仲間がいるのだろうか。自分の知らない事柄が存在するのをゼルダは良く思わなかった。いつかハッキリさせてやろう。
ジーナは歩きながらゼルダとダンの練習試合を反芻していた。動きが単純に見えるがゼルダの剣はジーナより早くて力強い。振り下ろされるゼルダの件よりも早くその懐に飛び込む事は出来るだろうか。