一 プロローグ
バリアン大陸の西の外れに高い山々が連なるカテナ山脈が南北に延びていた。
カテナ山脈の北端には大陸で最も高い山、ガナラ山がそびえている。山の中腹までは広葉樹が広がり、山道も通っているが、山頂近くなると、岩肌のみとなり、植物は生えていない。頂上には万年雪があり、美しい湖があると言われているが口伝であり、登頂して確認したという話は聞かない。
大陸の中央部は大平原と湿原がひろがっており、大平原の中央にはバリアン大陸を統治するコリアード王国の首都ハダルがある。
コリアード王国は、今から百年前、エリック・コリアードがそれまで納めてきた寒冷の地、バレモル高地から突然南下し、複数の小国が共同統治していたノマ平原へ進軍して、わずか三年で平定してできた国である。
劇的なコリアード王国の誕生であったという。大陸の北に位置するバレモル高地の貧しい小国であったコリアード家が、無敵の軍隊を引き連れて南下し、一気に平原を制圧したのだ。
七十二歳で病死するまでの四十数年の間に、各地方へと勢力圏を広げ、平原の殆どをその勢力下に納めた。それまで平原を納めていた小国も今は公国という名で残っているだけで、コリアード王国に戦いを挑むほどの力は持っていない。
国とも言えないような豪族が分散して統治していた南地方は、豪族達にコリアード王国への忠誠を誓わせ、その規模によった税の徴収を科した。逆らった豪族は一族を惨殺し、見せしめにした。
その冷酷さこそが、コリアード家を大国へと導く事ができた源ともいえた。
平原を統治していた小国の領主は国を追われ、貧しい地方へ居を構え、公国を名乗った。急速に拡大した王国は地方を統治するだけの人材的余裕がなかったので、高額の税を納める事を条件に公国と名乗る事を許した。
地方に住む人々にとって利点もあった。
コリアード王国の軍隊が進軍した後には、街道ができ、要所には軍隊の補給所ができた。補給所近辺の街道入り口には石壁でできた検問所を造り、軍隊の為の井戸、木造ながら倉庫を造った。休憩所では近くの農家が開く居酒屋、宿も出現していった。
地方の町と町を繋ぐ小道、山道は盗賊や野犬が徘徊する等、危険なものであったが、コリアード軍の進軍と共に姿を消し、明るいうちであれば女子供でも往来できる様になった。これは画期的な事であった。
隊列を組んで戦の先頭に立つ一般の兵士は、必要な時のみ強制的に集められた農民が多く、生活ができる程の給金を貰う事ができなかった。そんな彼らには命がけで戦うほどの気持ちはなく、戦いの場が早く違う場所に移動するのを願うのだった。戦が終われば元の地へ帰り、農業を再開するのだ。稀に戦いが終わったその地で商売をし、生計を立てる者もいた。
一方、職業戦士という一団がいた。彼らは兵士としての給金のみで生活をしている者達で、金になる戦場を渡り歩く傭兵と、一人の主人に忠誠を誓う戦士がいた。
戦士の中でも戦略を立て、多くの兵卒を指揮できる高度な知識を持つ優れた者は騎士と呼ばれ、コリアード家は勿論、他の貴族も優遇した。優秀な騎士を多く抱えた一族ほど、戦果を得る事ができたからだ。騎士の地位が上がるにつれ、彼らに騎士道が生まれた。騎士道を楯に、時には主人に意見を言うなど発言権が増していった。
進軍当時、道路や軍施設作成に労役として強制的に徴集され、戦士に食料を奪われ、家を奪われるなどその傍若無人な振る舞いに涙をのんだ人たちもいたが、一部の警備隊を残し、殆どの兵士たちが去ってしまえば、元の平和な暮らしへ戻ることができた。
検問所の周囲には、自然と人が集まり、また、商人の往来が活発となり、農作物の販路は拡大し、村から町へ、町から都市へと発展していった。
十数年前、ダンク・コリアードが王となってから、バリアン大陸の情勢は一変した。各公国、主要な町には徴税管理官と呼ばれる王家の役人を送り込み、今まで以上の高額な税を徴収する様になった。
ダンク・コリアードは己に楯突く者は貴族でも、騎士でも容赦なく粛清した。逆らう公国、町は賊がはびこる等不穏な状態となった。警備隊を縮小、撤退させるのだ。突然現れる賊はダンクが差し向けたものだと主張する者もいたが裏付けはない。
ダンク王の疑惑といえば、わずか十歳で王家を継いだ前王が一年後に兄弟もろとも死亡した事件がある。狩りにいったとき大イノシシの群れに遭遇し、二人の弟、二歳の妹と数人の親衛隊が命を落とした。中には原形をとどめないほど痛められたものもあり、妹と数人の犠牲者は見つける事ができなかった。
ダンク王は十一歳で死んだエリック三世コリアードと二人の弟と妹の盛大な葬儀を行い、その葬儀の場でコリアード王国の王の座をダンク自身が継ぐ事を宣言したのだ。ダンク王が、事故死した直系の兄弟達とは母違いであったため、兄弟もろともダンクが殺害したとの噂が一時広まった。
ダンク王が大陸中から金を集め、専制統治を強化するのはその偏執狂的性格がなせるものか、他に理由があっての事なのか、それは誰にも分からなかった。その冷酷さは曾祖父であるエリック・コリアードを凌ぐとも言われている。
次第に強力になる中央の締め付けにあえぐ地方の人々は徒党を組み、コリアード王国の首都へゲリラ戦を挑むこともあった。この様にバリアン大陸の平穏は破られつつあった。
カテナ山脈の、のこぎり刃状の山並みは大陸のどこの場所からも眺める事ができた。特に大陸一高いガナラ山は旅人の位置確認、方位確認に重宝した。
その山脈のさらに西に細長い平地が南北に延びている。いにしえの頃、カテナ山脈の北にそびえるガナラ山には魔王が住み、カテナの西の地は魔物であふれかえっていたとの言い伝えがある。しかしそれも、今では神話の一部に過ぎず、静かな農村風景が広がるのみである。
その細長い土地の山脈よりを南のガエフ公国から北のガナラ山へ向かってカテナ街道が通っている。この街道は今から百年ほど前、バリアン大陸を制圧したコリアード王国の始祖、エリック・コリアードが大軍を大陸中に派遣した際にできたものである。
今でも大陸の各所の町や公国の入り口に当時の検問所跡が残っており、当時軍隊の補給所がおかれていた場所は宿場町として繁栄していた。
しかし、ここカテナの西北の地では、農業以外に小さな漁港がある程度であり、ガエフ公国を制圧したコリアード王国の軍隊がこのカテナ街道を残して去った後に宿場町も点在してはいるが繁栄するまでには至っていない。この様な辺鄙なカテナ街道沿いの町や村ではあったが、十数年前に王となったダンク・コリアードが軍を派遣してから不穏な影が忍び寄っていた。