第七話 六人の師団長、その三人
林の中を十二の魔導馬車が走っていた。
馬を用いない──魔力を燃料とした簡易的な風や炎を具現化する魔法道具によって──無人ならぬ無馬での走行を可能とした魔導馬車は基本として長細い箱のような形をしているのが一般的なのだが、それらは荷馬車のごとくモノや人を乗せる床と車輪だけあればいいといったシンプルな構造をしていた。
ガッタガッタ景気よく揺れる魔導馬車には天井どころか壁すらほんのわずかな出っ張りがあればいいといった感じなので、ひとたび体勢を崩せば外に投げ出されてミンチとなること間違いなしである。
十人一セットを十二。計百二十人を運ぶ魔導馬車の中央にミリファルナとセルフィー=アリシア=ヴァーミリオンは乗っていた。
「みっみみっ、ミリファさま落ちる落ちちゃいます怖いですっ!!」
「ミリファルナだって、ああもうシンシヴィニアさんの顔が怖くなってるっ。って、むっぶ!?」
そこらの魔獣程度なら軽く追い越せる──時間辺り六十キロは進めるほどの──速度の中、支えを求めるように涙目で震えるセルフィーがミリファルナへと抱きついていた。
……平坦なそれのミリファルナとは比べ物にならない胸部でもって小柄な少女のお顔を生き埋めとしていることにはどうやら気付いていないようだ。
「随分とはしゃいでいるですわね。余裕の表れですわね?」
「いやあ、普通の人間ならこんなもんに乗せられて静かにはできないっすよ。魔族相手に魔導馬車程度の装甲は無意味だからと壁やら天井やら取っ払って索敵能力底上げしよう、なーんて考えるのは少数っすしね」
ドレスの縦ロール女がシンシヴィニア=セレリーン、青のレザーアーマーの少女がノワーズ=サイドワームというらしい。
セルフィー曰く『最終守護領域』の防衛を司る幹部、師団を統括する六人の師団長なのだとか。
半年前に魔族と呼ばれる超種族は大陸に出現、侵攻を開始した。膨大な魔力を宿し、並大抵の攻撃なら皮膚で弾き、地形を変えるほどの膂力を持ち、類い稀なるスキルを振るう彼らの侵攻はまさしく天災に等しかった。
数百もの少数で何十万もの兵力を誇る国家を滅ぼす彼らに不運にも目をつけられた者は等しく鮮血と死に沈むことになる。
国家なんてほとんどが滅びた。
そこらを歩くだけで肉や骨や血が飛び散っているのを見つけることができる。死が身近に溢れた、どうしようもなく追い詰められた時代に突入したというわけだ。
もちろん人類も抗戦したが、大陸最強を誇る『勇者』や軍事を極めた帝国で最も強き帝王といった猛者たちのことごとくが殺されては反撃なんてできるわけもない。どうしようもなく追い詰められた人類にできるのは少しでも長く生き残るために逃げるだけである。
そんな中、王都を超常で強化した巨大な土のドームで覆い、耐え忍ぶことを選択した勢力が現れた。
『最終守護領域』。
できるだけ生き残った人間たちを受け入れた『かの国』の守りが破られたならば、ほとんどの人類が滅び去るとまで言われているほどに生命が逃げ集まっているということだ。
……王都一つに収まる程度の命が残った命の大半、という現状を見るだけでもどうしようもなく追い詰められていることがわかる。
そんな『最終守護領域』の軍部を司るのが六の師団であり、特に師団の長たる者の実力は人間離れしていると言われている。
第一師団師団長・シンシヴィニア=セレリーン。
第二師団師団長・アリア。
第三師団師団長・ノワーズ=サイドワーム。
第四師団師団長・レンディナ=レッドサラマンダー。
第五師団師団長・ブリュンヒルデ。
第六師団師団長・シェルファ=バーニングフォトン。
大陸内だけでなく、すでに魔族に滅ぼされた他の大陸から逃げ延びた実力者さえも加わった六人の師団長、そして彼女たちを統括する女王アリス=ピースセンスの存在が今日まで『最終守護領域』を存続させてきた。
それだけの実力を持つ師団長が三人、ミリファルナと同じ魔導馬車に乗っていた。右にガッタガッタ揺れるたびに縦ロールを肩や頬にばんばん当ててくるゴージャスすぎるシンシヴィニア=セレリーンと青のレザーアーマーのノワーズ=サイドワーム。左に漆黒のマントにビキニアーマーという完全な痴女アリア。ついでに反対側には元公爵令嬢らしいシンシヴィニアの護衛を務めてきた私兵が五人ほど。
逃げる気なんてないというか、別に悪いことなんてしていないしする気もないしそんなことよりぐーたらしたいのでなすがままなミリファルナは柔らかくて暖かくてなんだかいい匂いまでするけどそれはそれとして息ができない天国兼地獄から顔を出し、首筋をセルフィーの胸元に埋める形で──すなわち下から唇と唇がぶつかりそうなほど至近まで距離を詰めて、
「お姫様。お姫様は私とは何の関係もないんだから、なんだか雲行きが怪しくなったらすぐ逃げてね。まあめちゃくちゃ怪力な女や炎バンバン撒き散らす女と何の前触れもなく遭遇するのが今の時代だから、師団長、だっけ? 強そうな人たちが守ってくれる間は便乗するのが安全にしてもさ」
「何の関係もないだなんて寂しいこと言わないでください。わたくしはミリファさまと一緒ならどこにだっていきますよ。例えどれだけ危険だろうとも、いいえ、危険だからこそミリファさまをお一人になどしません。もちろんミリファさまがご迷惑だと言うなら……無理にとは言いませんが」
「…………、」
つい先程出会ったばかりにしては随分と好かれている気がしたが、ミリファルナとしてもセルフィーが一緒のほうが嬉しいと感じているのだから不思議なものだ。
シンシヴィニアたちが襲いかかってくるようならミリファルナとは無関係だからと見逃してもらうにしても、シンシヴィニアたちが聞き入れてくれるとは限らない。だが、このどうしようもなく追い詰められた世界に安全な場所なんてなく、戦う力を持たないセルフィーだけを放り出してもすぐに殺されるのがオチ。ゆえに万が一の場合は一目散に逃げてもらいたかったのだが、この様子ではそれも難しそうだ。
困ったように息を吐き、その息が肌を流れたからか身を震わせるセルフィーへとミリファルナは言う。
「私はミリファルナだって」
と。
そこで魔導馬車が急停止した。
時間辺り六十キロは軽く走行可能な速度を急激にゼロとした結果、体勢を崩したミリファルナやセルフィーをシンシヴィニア=セレリーンが抱きとめる。
「な、なに!?」
「あ、ミリファさま……」
「ミリファルナね」
胸元から飛び出たミリファルナをセルフィーが名残惜しそうに見つめている間にも状況は進行する。
「チッ、シンシヴィニアちゃん風系統の魔法で隠蔽するっす!!」
「もう終わっているですわよっ。音が漏れることはないとはいえ、無駄に騒がないようにですわよっ!!」
ズッズゥゥゥンッッッ!!!! と。
瞬間、十二の魔導馬車の数十メートル先に何かが降り立った。
ぶぅわっ!! と音源より吹き荒れた土埃が、しかし十二の魔導馬車を避けるように走る。風系統魔法による空気の膜。空気の密度を操ることで光の屈折を曲げて視覚を、真空を間に挟むことで音の波が外に漏れないようにすることで聴覚を、内部の匂いを空気の膜で外に漏れ出ないようにすることで嗅覚を動作不良とし、もって敵に見つからないようにするシンシヴィニア=セレリーンの隠蔽術である。
対して四十メートルもの巨躯を誇る怪物はゆっくりと周囲を睥睨する。林のほとんどの木が折れ、砕け、爆心地のように円状に吹き飛んだ中、巨人は何かを探しているのだ。
「『魔の極致』第八席ノールドエンス、ですわね」
ミリファルナとセルフィーを縦ロールで絡めたシンシヴィニア=セレリーンは立ち塞がる巨躯を見上げて、
「数百の魔族の中でも最強の十人とされる『魔の極致』、その八位っ!! 奴に関しては対策していたですわよっ。それを、犯罪組織の頂点に君臨していた『あの男』! わらわから奪った力で嫌がらせとはやってくれるですわねっ!!」
「ん? 『魔の極致』ってどこかで聞いたような???」
ミリファルナがそんな風に呟いた、その時だった。
ばき、バキッ、と折れかかった太めの木の枝がミリファルナたちと十メートルも離れていない近くで揺れており──ついに折れて、地面に落ちる。『ふぐうっ!?』という悲鳴と共に、だ。
「いっいきなり突風が吹くなんて現世は物騒よねっ。でも、はっはっはっ! これで自由の身になれたわよ、もうこのままずっと木の枝にぶら下がって一生を終えるんじゃないかと怯える必要はないのよおーっ!!」
純白の片翼の自称大天使。
どうやらミリファルナたちとは少々違う地点に転移された彼女は何がそんなに嬉しいのか、両手を上げてはしゃいでおり──その目がピタッとミリファルナに向けられた。
視覚、聴覚、嗅覚による感知を防いでいようともお構いなしにびしっとミリファルナを正確に指差して、
「あーっ! 不遜なる魂っ。せっかく助けてやったってのに邪魔なの始末することなく逃げてからにっ。ちゃんと戦ってよ、人類の平和のために!!」
「ばっ、ばーかっ。この自称大天使っ、静かにしてよっ!!」
「自称じゃないわよっ。どこからどう見ても大天使っ。天使長の一つ下、多くの天使を支配下と置くナンバーツー、すなわち超絶有能天使様なんだからっ!!」
「何でもいいから静かにしてよおおおおっ!!」
いかにシンシヴィニアが十二の魔導馬車を空気で覆い、隠蔽を施したとしても、その外、しかも十メートルも離れていない場所で大騒ぎされてはどうしようもなかった。
巨人の目が自称大天使へと向く。
彼が何を探していたのかはともかく、『とりあえず』目についた生命は殺すのが魔族というものだ。
四十メートルもの巨躯、そこから繰り出される一撃は自称大天使だけでなく、すぐ近くのミリファルナたちも巻き込むことだろう。
「何ですわよ、あの傍迷惑な電波女はっ!? いや、まさか、ミリファ? ミリファルナ? とにかくこいつの仲間がなし崩し的にわらわたちを始末しようと八位を誘導しているんですわよ!?」
「疑心暗鬼になりすぎっす。見たところ、あれは悪気なく被害を増大させる迷惑な天然さんじゃないっすかね? そんなことより! 私たちとあの巨人とは相性が悪いっすっ。まったく、隠密的に進めるためのメンバー選出だったっすけど、こうなってくると面倒なことになるっすよ!! これからどうするっすか!?」
「決まっている、です」
ぼそり、と。
これまで退屈そうにしていたビキニアーマー痴女、第二師団長アリアが一転、獰猛に笑いこう言った。
「略奪あるのみです。さあ殺し合うですよお!!」
「私と同じで剣を振るしか能のないくせになんだってあんな巨人に真っ向から立ち向かおうとしているっすか踏み潰されるのがオチっすよおおおおお!!」
猶予なんてあるわけもなかった。
どうするか、と選択する余裕もなく、巨人の暴虐が炸裂した。