第四話 理想と現実、その落差
・純粋なエネルギー総力でいえば下からスキル、魔法、『技術』の順となるが、魔法は炎、水、土、風と四大属性の範囲内での超常しか引き起こすことはできず、『技術』は付加する対象によって増幅可能な性質は縛られる。対してスキルは後天的に伸ばすことができる魔法や『技術』と違い先天性な才能に縛られる代わりに転移、治癒、消去など多様な性質を持つ。魔力を元手とするのは魔法のみであり、『技術』やスキルは別の何かを元手とする。
・金色の光は吸収した魔力量に応じて各種ステータスを底上げする。赤髪の女の膂力までなら防ぐこともできるが、肉体の性質を増幅する『肉体技術』が加わると純粋なエネルギー総力によって強引に突破、一撃で両腕をへし折るほどのダメージを受けることになる。
・全体的に赤黒いポニーテールの女はミリファルナの全力の膝蹴りを受けても平然としていた赤髪の女の腕を焼き抉るほどの力を持つ。
・現時点での金色の光では赤髪の女やポニーテール女には敵わない。
ここまでが前提。
では、現状を突破するにはどうすればいい?
(いきなり乱入してきたポニーテール女っ。炎、四大属性が一つ、すなわち魔法っ。あの馬鹿げた力を吸収できれば、もしかしたら赤髪の女にも届くかもしれないっ!!)
大事なのは順番だ。まずはポニーテール女とやり合うことで炎の魔力を吸収、金色の光を底上げすることで二人の怪物と対等にやり合えるよう持っていく。もちろん逃げるのが目的なので必ずしも赤髪の女やポニーテール女に並ぶ必要はないが、一撃貰えば致命的になりかねない状況の中お姫様のもとまで辿り着き戦場を離脱するなんていう一か八かに命を賭ける余裕はなかった。
ポニーテール女の馬鹿げた炎がセルフィー=アリシア=ヴァーミリオンを焼き殺す前にという時間制限があるため悠長なことはやっていられないが、それでも多少の保険は欲しいのが人間というものだ。
だから。
というのに、だ。
「きひひ☆」
立ち塞がる。
あれだけポニーテール女と睨み合っていた赤髪の女が瞬きの後には疾走するミリファルナの眼前に立ち塞がっていたのだ。
『肉体技術』。
肉体に関する性質を底上げする不可視のエネルギーが拳の形で迫りくる。
「お、おお、うおおおおッ!!」
顔面めがけて放たれた拳を横に飛び退くことで回避、ざりざりと靴底で地面を削り急停止、そのまま前に飛び込むように走り出して──
「無視なんて寂しいことしないでよ」
ガッ、と。
左手首が掴まれ、そして、バギンッ!! とクッキーでも割るような気軽さで握り潰された。
「ぎ、ぁ……がァああああ!?」
「経験値取得」
引っ張られる。引き寄せられた勢いのまま逆の拳がミリファルナの脇腹に突き刺さり、ゴギゴギぐぢゅべぢゅっ!! と骨が砕かれ、内臓が潰れる音を響かせる。
「が、は……っ!!」
「ステータス展開」
左手首は離さず、乱雑に振り上げ、落とす。背中から地面に叩きつけられたミリファルナの口から血の塊が飛び出す。
そんな彼女の腹部へと赤髪の女の踵が落ちる。何度も何度も、子供が駄々をこねるように執拗に、だ。
ズンッ!
「ごぶべぁっ!?」
ズンッ!!
「ゴブぅぢゅっがあ!!」
ズドンッッッ!!!!
「ぁ、……ぶ……ッ!!」
踵が振り下ろされる度にミリファルナの肉が弾け、内臓が破裂し、骨が砕ける。喉にせり上がった血で窒息しそうになるも、さらに奥から押し出された血が詰まったものを押し流す。
踵が振り下ろされる度に地面がメートル単位でクレーターのように沈んでいく。それほどの連撃だ、普通の人間なら一度受けただけで腹部なんて千切れ、上半身と下半身とに分かれていただろう。
なまじ半端に金色の光による防御力の増幅があったために耐えて『しまった』。いっそ何の強化もなければ痛みを感じることなく死ぬことができただろうに、耐えられはするが強烈なダメージは受けるという半端な防御が苦痛を長引かせる。
お姫様を助けたい、なんて想いは最初の一撃で木っ端微塵と潰えていた。馬鹿なことをしたと、なんでその場のノリと勢いに任せたのだと、理想に目が眩み現実が見えていなかったと、後悔ばかりが押し寄せる。
痛いのだ。とにかく痛くて痛くてたまらないのだ。逃げたくとも左手首を掴まれており、いいや掴まれていなくとも逃げ出すだけの力はもう残ってはいない。
ぶぢぶぢぶぢっ!! と左手首を掴まれ、潰される前の激突でとっくに折れていた左腕が悲鳴をあげる。何せ地面にクレーターを生み出すほどの連撃を腹部に受けながら、左腕は逃がさないようにと有り余る膂力でもって引っ張られているのだ。踵が落ちる度に左腕に過度の負荷がかかるのは明白であり、それも限度があった。
ぶぢぃっんっっっ!!!! と。
肘の辺りから左腕が引っこ抜かれるように千切れたのだ。
おっとっと、なんて赤髪の女は軽く言って、千切った左腕をそこらに捨てていた。遅れてぶじゅっ、と勢いよく断面から鮮血が噴き出し、さらに遅れて激痛と共に左腕が喪失したという現実がミリファルナへと襲いかかる。
「ぁ、あぐっ、がぼっ、ぶぇっァぐがああああああああああああああああああああああッッッ!?」
「『技術』に割り振りレベルアップ」
意味が。
分からなかった。
あまりにも凄惨な状況下で幻聴でも聞こえたのかと思った。だって、そんなのはあんまりだ。今でさえ、今のままでさえも、ミリファルナはこんなにも苦しんでいるというのに。もうこれ以上なんて許容できるわけないというのに。
赤髪の女は、何を言った?
あーつ、に、わりふり、れべるあっぷ? 先のその言葉の後には肉体に不可視のエネルギーを付加することで身体能力を底上げする『肉体技術』が炸裂した。では、今は? レベルアップ。進化、その末に赤髪の女は何を手に入れた???
「『肉体技術・限界突破』獲得」
不可視のはずのエネルギーが見えるようであった。厳密にはあまりにも濃密なエネルギーが透明ながらに空気を歪ませ、その存在を猛烈に示しているだけなのだが。
「……ぁ」
直感があった。あれは、ダメだ。
今までだって脅威ではあったが耐えられるものではあった。痛くて痛くてたまらなかったが、未だに生きているくらいなのだから。
だけど、あれは、耐えられない。
一撃でも受けようものなら存在ごと押し潰されると本能が察していた。
限界突破。
ただでさえ脅威だった暴虐の限界を取り払った末に顔を出した絶望。
「ひぅ、ひゅうっ、……がぼっがばべばっ、ぶえっ!!」
肺なんてとっくに潰れていた。喉なんて砕けていた。口から漏れるのは血の塊くらいで意味のある言葉が外界に出力されることはない。
だけど、果たしてミリファルナは自覚していたか。その口はゆっくりと、だが確かに『お姉ちゃん』と呼ぶように動いていたことに。
物心つく頃には姉はおろか両親さえそばにおらず、路地裏で泥水を啜って一人生きていたミリファルナは自分の両親の顔は知らないし、姉が存在するかどうかなんてもちろん知るわけもない。
それでも、募っていた。
左腕は千切れ、腹部はボコボコにへこみ、内臓なんて無事なものがあるのかもわからない有様で、その末にミリファルナは『お姉ちゃん』とそう募ったのだ。
そして。
そして。
そして。
ゴッバァァァッッッン!!!! と。
炎を纏うその拳が赤髪の女の頬を打ち抜いた。
横殴りの流星のように炎に呑まれた赤髪の女が吹き飛ばされる。視認できないほど遠くに吹き飛んだ赤髪の女の代わりに彼女を殴り飛ばしたポニーテール女がじっとミリファルナを見下ろしていた。
こてん、と。
首を傾げる。
「リーダー、じゃない。けど、……? じゃない、のに、大事? 分からない、分からない、分からない。じゃない、は、いらない、のに、なんで???」
「ひゅ、はぅ……ぅ、ぐ」
わからないとはミリファルナが言いたかった。魔人エリス、なんて呼ばれていた赤黒いポニーテール女。時間が経ってこびりついたドス黒い血にも似た赤黒い翼を生やす、おおよそ人間には見えない怪物。いきなり炎をぶちまけて木々を焼き、おそらくは魔女モルガン=フォトンフィールドとやらを焼き殺した脅威は、しかし無垢な子供のように不思議そうにミリファルナを見下ろしているのだ。
どうしてそんな反応をしているかはわからない。わからないが、なんでもいい。今はとにかく怪物たちから少しでも距離を取ることが先決。お姫様を回収して、自称大天使と共に逃げる。それさえ果たせれば、後はもうどうでもいい。
だというのに。
首を傾げながらも、ポニーテール女は右手を掲げ、そこに紅蓮の猛威を凝縮し始めたのだ。
炎。
余波だけで木々が弾けるように燃え上がる熱量。しかし、そう、しかしだ。炎とは四大属性。魔法であるのだから、魔力であれば大小や属性に関係なくなんだって吸収──すなわち無効化できるばかりか力と変えるミリファルナには絶好の餌でしかない。
もちろんこれは単なる初見殺し。吸収されるとわかれば敵は魔法を使ってこないので二度も三度も有効に働くわけではないが、少なくとも今この時であれば有効打となる。
だから。
そのはずなのに。
炎が解放されると同時、ビギビギビギッ!! とまともに受けたミリファルナの全身が苦痛に叫ぶ。
「ィ、ぎい!?」
軽く二十メートルはノーバウンドで吹き飛ばされた。地面に叩きつけられた後も肉が削り落ちるのではないかというほど跳ねまくった。
ようやく止まったのは百メートルを軽く超えていた。金色の光で防いでなおそれだけ吹き飛ばされたのだ。全身にかかった負荷は相当なものだろう。
「がはっ、げぶばぶっ!!」
なんで、と疑問が浮かぶ。
ミリファルナは魔力であれば大小や属性に関係なく吸収できるはずだし、加えて金色の光は超常の性質を無効化する。あくまで経験則によるものなのでもしかしたら吸収や性質無効できる量に限りがあるのかもしれないが──ポニーテール女の一撃は例外であったと判断するよりも、だ。
ミリファルナはあくまで吹き飛ばされただけ。もしも魔力を吸収しきれていなかったならば今頃焼き尽くされていたはずだ。熱は感じてすらおらず、しかして金色の光では超常のエネルギー総量を受け止めきれなかった時のように吹き飛ばされたということは──
ブァッ! とほんの僅かではあるが金色の光の力が増していた。
ただし本当に僅かであり、限界突破とやらを使っている赤髪の女にはおろか単なる『肉体技術』を使っていた頃の彼女にすら太刀打ちできるものではなかったが。
「ぁ。あぐ……っ」
『技術』は付加した対象の性質を増幅する。肉体であれば身体能力、剣であれば斬撃力、盾であれば防御力といった具合に対象の種類によって性質を変えるのが『技術』なのだ。
では、もしも。
微弱な魔力により生み出した小規模な魔法に『技術』を付加することで性質を底上げしていたとすれば?
『魔力技術』とでも呼ぶべきか。含まれる魔力そのものは微弱なれど、膨大な『技術』エネルギーでもって威力を増幅しているがために微弱な魔法『だけ』吸収して、残りの膨大な不可視のエネルギーを受け止めきれず吹き飛ばされたということだ。
ミリファルナの体質を知っての対策ではないだろう。あくまで初めからポニーテール女の戦闘スタイルはそのような形であったというだけ。
ポニーテール女の炎を利用すればこの場を切り抜けるだけの金色の力を確保できるなんてものはハナから存在しない幻想の希望だったというだけである。
もうやだ、と。
魂が訴える。
折れて、砕けて、潰える。
絶望的な状況下、それでも唯一すがっていた希望さえも取り上げられたミリファルナの心が諦めという闇に染まっていく。
こんなのは、もう、どうしようもない。
今更お姫様を見捨てて一人で逃げたとしても無駄だろう。走るどころかまともに歩くこともできない今のミリファルナがどうやって拳一つでクレーターを生み出す女や広範囲を紅蓮と焼き尽くす女から逃げ切れるというのか。
ポニーテール女はまだわからないが、赤髪の女はミリファルナを殺すまで諦めることはないだろう。経験値を稼ぐためだけに殺しを撒き散らす。普通なら躊躇するかもしれないが、赤髪の女はやる。良心なんて、常識なんて、あのドロドロとした悪意に塗れた怪物が持っているものか。
だから。
だから。
だから。
『ハッハァ! 食らえ石化光線ッ!!』
響く誰かの声を最後にミリファルナの意識は断裂した。