第十三話 勇者VS魔人
ミリファ=スカイブルーは光速を体現する。いかに魔人エリスが絶大な力を振るおうとも直撃しなければどうということはない。
だから。
しかし。
ガギンッッッ!!!! と鈍い音が響く。
右肩から斜めに斬り裂かんと振るわれた黄金の剣が薄皮一枚裂くことなく止められた音だ。
単純な話だ。いかにミリファ=スカイブルーが光速を体現するほどに速くとも、速いだけでは決定打にはならない。その速さでもって敵を倒して初めて速度は意味を持つのだから。
そう、いかに速度でもってお膳立てしたとしてもシメか決まらなければそれまで。彼我の力の差が攻撃が通用しないまでに広がっていては暴虐に打ちのめされるのみ。
だから。
攻撃を受けられ、止まったその瞬間だけは光速を体現できようとも関係なかった。
魔人エリスの手が伸びる。ミリファ=スカイブルーの細い首を掴む。
「……ッ!?」
まるで幼子と大人の喧嘩だった。首根っこを掴まれ、ミリファ=スカイブルーの小柄な身体がつり上げられる。黄金の剣を頭に叩きつけ、蹴りを胸に叩き込んでもそのことごとくが鈍い音と共に赤黒い肌に弾かれる。
後ずさることも、表情を変えることもなく、魔人エリスは首を掴むその手に力を込める。
ギシィッッッ!!!! と。
魔力なんて必要としない単なる膂力がミリファ=スカイブルーの気道を潰す。
「か、は……ァッ!?」
力づくで締め上げられ、ミリファ=スカイブルーの顔が真っ赤に膨れ上がる。喉が潰れ、新たな空気を吸い込めない。『勇者』という絶大な称号を得ていながら、その力をフルに使って死に物狂いで抵抗しても、何も変わらない。
苦しい。
もう技術も何もあったものではなかった。とにかく幼子が駄々をこねるようにジタバタと暴れ、黄金の剣や脚が魔人エリスに当たるが、万全の状態でも揺るがなかったポニーテールの怪物相手にこれまでの経験や培った経験を投げ捨てた文字通り駄々が通用するわけない。
苦しくて、仕方ない。
意識が深い沼に沈むようだった。骨が折れたり肉が潰れる時の鋭い痛みはない。粘着質に頭をかき混ぜるような深い苦しみだけがあった。
空気を震わせるほどの轟音を炸裂させるほどの抵抗があった。それも徐々に緩慢となり、ついにはだらんと腕が下がり、カランと虚しいまでに軽い音と共に黄金の剣が地面に落ちる。
「ぐ……、ァ……ッ!!」
「じゃない。じゃない、だけど、この、じゃない、じゃない、よね」
魔に堕ちた狂人の言葉だけが流れる。
魔人エリスは首を掴み脚が地面から離れるほどつり上げたミリファ=スカイブルーを大きく振り上げる。
そのまま、振り下ろす。
ガッゴァッ!! と地面が円状に穿たれるほどに思いきり叩きつけたのだ。
背骨でも折れたのか鈍い音が響く。内臓が弾けて血がせり上がったのか掴む喉が微かに膨らんだ気がしたが、その流れさえも魔人エリスは力の限り握り潰す。
喉を潰す手とは逆の拳が振り上げられる。痛みに叫ぶ声さえも押し潰されたミリファ=スカイブルーの顔面へと振り下ろす。
ゴドンッ!
「じゃない」
ゴッドン!!
「これ、じゃない」
ゴドッッッン!!!!
「じゃない、は、いらない。いらない、消えて、失せて、死んじゃえ」
ゴン! ドゴバゴバギ!! バギガゴバゴベゴバギバギゴギゴギッッッ!!!! と何度も何度も表情を変えることなく、飽きることなく、ミリファ=スカイブルーの顔面に拳が叩き込まれていく。
鼻が潰れ、目が弾け、歯が砕けても何度だって。
「…………ッ、…………」
残ったのは物言わぬ肉塊だけ。
未だ息があるのは流石『異なる大陸』で『異なる理由』で『勇者』の称号を手に入れたミリファ=スカイブルーか。だが、それも、いつまでも保つわけではない。
だから。
だから。
だから。
魔人エリスがいい加減面倒になったのか、首から手を離し、両手を振り上げて、何らかの『大技』を使おうとしたその時、突風が渦巻き、ミリファ=スカイブルーを飛ばす。
それは術者に向かう軌道を描いていた。
それは風系統の魔法であった。
それは自然回復で少なくはあるが回復した魔力でもって具現化されていた。
すなわちシンシヴィニア=セレリーンが魔法でもってミリファ=スカイブルーを引き寄せ、その両腕に抱きかかえるように受け止めたのだ。
「好き勝手やってくれたですわね……」
止血を試みたのか、シンシヴィニアが身につけていた衣服はセルフィー=アリシア=ヴァーミリオンだったモノの胴体に空いた風穴に巻きつけてあった。その程度ではどうしようもなかったらしく、それは静かに横たわっていたが。
止血のために衣服を千切って使ったために上半身をあらわとした少女は搾り出すように吐き捨てる。
「あいつらが命を捨ててでも残した結果を!! 随分と踏みにじってくれたですわねえっっっ!!!!」
「なーんて熱くなりながらも敵が『隙』を見せるまでは動かない、ですか。ああもう、今すぐやりたいくらいそそるですね」
踏み込む。
シンシヴィニアの叫びに呼応するようにアリアが魔人エリスの懐へと飛び込み、その手に握る剣を下から上にと振り上げたのだ。
頸動脈を狙ったその斬撃を魔人エリスは受け止め──ることなく、後方に飛び退くことで回避する。
回避してから、彼女は不思議そうに首を傾げていた。
「……? 嫌悪、する。でも、なんで???」
「確定、と。さあシンシヴィニア、今のうちに逃げるですよ」
言って、アリアは魔法陣を展開、風系統の魔法でもって己やシンシヴィニア、セルフィー=アリシア=ヴァーミリオンだったモノを飛ばす。
──ミリファ=スカイブルーに直接風系統の魔法が接触しないよう、彼女を抱きかかえるシンシヴィニアを動かすことで間接的にミリファ=スカイブルーもまた移動させていた。
高速で景色が流れ、浮遊感と共に魔人エリスから遠ざかる中、シンシヴィニアは疑問をそのまま口にしていた。
「アリア、魔法使えないという話ではなかったですわよ!?」
「奥の手です。切り札は味方にだってそう易々と開示するものではないとは思わないです?」
「アリアらしくもあるけど……せめて同じ師団長であるわらわにくらい教えてくれてもよかったですわよ」
「まあまあ。うまく状況打破できたんですし、細かいこと言いっこなしですよ。それとも、私のことは何でも知りたいくらいに私のこと大好きだとかですか? 何なら付き合うなんてものも私的にはアリですけど。その後のアレソレのためなら絶対に幸せにすると約束するですよ?」
「そっ、そんなことはっ、いえ嫌いというわけではないけど、そういう好きじゃなくて、だから、その、ええとっ! わっわらわにはゼリシアがいるから!!」
「残念です。しかし、ふふ。そんなに顔を赤くして可愛いですね」
「ばっ馬鹿なこと言っているんじゃないですわよっ。まだ完全に魔人エリスを撒けたわけでもないんだし、真剣にやってくださいですわよっ」
「『相性』考えれば問題ないですよ。もちろん実際に勝てるかどうか、は別ですが、あそこまで本能丸出しなら本能的に避けるですしね」
「???」
ーーー☆ーーー
「やあ、魔人エリス」
それは唐突に現れた。
魔人エリスの目の前に立ち塞がるは顔がもやに包まれたように識別できない何者かであった。
声からして男らしい彼は言う。
「円滑なる世界の循環を果たすためにちょろっと大人しくしてもらうぜ、ベイベー」
「リーダー、じゃない。じゃない、なら、死んじゃえ」
ゴッドォ!! と。
激突があった。
ーーー☆ーーー
そうしてミリファ=スカイブルー、シンシヴィニア=セレリーン、アリア、セルフィー=アリシア=ヴァーミリオンだったモノは土のドームまで辿り着く。
ヘグリア国、その王都へと。
「わらわはセルフィー抱えているからアリアがドームを開放してほしいですわよ」
「…………、」
「アリア、どうかしたですわよ?」
女王の力によって強固な土のドームに囲まれている王都は特定の文言と血を少量捧げることで開放できるよう調整されている。もちろん師団長であれば誰だって開放できるが、『認証』されていない者であれば女王を軸として大陸各地から集めた魔法道具でもって強化された土のドームには傷一つつけることはできない。
その強度の信憑性はヘグリア国が王都が未だ健在であることからも明らかだろう。
そう、魔人エリスが再び襲ってくる前に土のドームの中に入ることができればその強固な防壁で足止めできるし、何なら残り三人の師団長や女王を集めて反撃することだってできるだろう。
だから。
しかし。
ぼろっ、と。
アリアが軽く触れただけで土のドーム、その壁が崩れた。
「なっ!?」
正しく『認証』、開放していればそんな風に崩れたりはしない。では、なぜ、こんなことが起きた?
その答えは。
崩れたその先から漂う鉄錆臭いニオイが物語っていた。
赤黒いモノが転がっていた。
王都の街並みは傷一つなく、しかして住民だっただろうモノが中身をばら撒いて赤黒く王都を彩っていたのだ。
足の踏み場もないほどに地面は血に染まり、臓物が建物の壁に張り付いており、そして何より気配が感じられなかった。
人々が生活している気配が、微塵も。
「な、にが……起きたんですわよ!?」
ーーー☆ーーー
その頃の自称大天使さん。
「はひ、ふひい! わたしを放っていくなんて酷くない!? もーう、世界平和のために生かしてやった恩を忘れて……ふぎゃっ!?」
どてん、と誰もいなくなった森の跡地を薄暗くなるまで歩いて息を絶え絶えな自称大天使が顔面から地面に倒れる。
じわっ、とその瞳に涙が浮かぶ。
「もうやだ、『天上』に帰りたい甘やかして欲しい働くことなく雲の上で寝ていたいよーっ! わたし大天使なんだよ? 天使の中でもナンバーツー、すっごい天使なんだよっ。それが、なんで、こんな扱いなの、もっと敬ってよわたしの思い通りに動いてよーっ!!」
駄々っ子のように叫んで、その場に座り込む自称大天使。肉体の破損によって力を外界に出力できない自称大天使はしばらくその場でぶーぶーと文句を垂れ、そして、
「は、ははは。こうなったらスーパーエンジェルパワー使っちゃうもんっ。わたしの思い通りに動いてくれないのが悪いんだよ、ばぁーかっ!!」
バッと両手を広げて、眩い限りの光と共に『それ』は炸裂した。