第十話 激突の時はすぐそこに
目覚めた瞬間、首筋に剣を突きつけられた。
「うわっ、なになに何事!?」
縦ロールの少女であった。
シンシヴィニア=セレリーン。師団長の一人は背筋が凍るような威圧感を出しながら、それでいてどこか怯えた目で、
「お前は誰ですわよ?」
「えっ、え?」
「だから! お前は誰ですわよ!?」
「ミリファルナだよう見てわからない!?」
降参するように両手をあげ、慌てて言葉を紡ぐミリファルナ。黒髪黒目の小柄な少女をきちんと嫌悪できていることを確認したシンシヴィニア=セレリーンは舌打ちをこぼして剣を鞘に納める。
対してミリファルナはガッタガッタ揺れている──魔導馬車から落ちないよう、それでいて出来るだけシンシヴィニアから距離を取りながら、
「き、嫌われているのはわかっていたけど、流石に今のはあんまりじゃない? 理不尽っ。もう全体的に理不尽だってーっ!」
「……、ふん」
「うがーっ! そっぽむくなんて感じ悪いなぁっ!!」
もうっ、と吐き捨てたミリファルナはそこで魔導馬車に乗っているもう一人に気づく。
セルフィー=アリシア=ヴァーミリオン。
シンシヴィニアとは一方的に嫌われる関係だが、彼女は基本的にミリファルナとは友好的に接してくれている。
「ねえねえ今の酷いと思わない? 人様に凶器を向けてはいけませんなんてのはわざわざ両親に習うまでもない常識だよっ。生まれた時から一人の私が言うんだから間違いなしっ!」
「……、むう」
「あ、あれ? お姫様、どうかした???」
ぷっくりだった。
頬を膨らませたセルフィーは不機嫌そうにこう言ったのだ。
「今回はミリファさまが悪いですよ。いくらシンシヴィニアさんの態度が悪かったとはいえ、あんないじわるするのはやりすぎですっ!」
「ミリファルナね。それよりイジワルってなに!?」
「……どうせならわたくしにイジワルして欲しかっ、じゃないです! 違いますからねああいうのに興味なんてありませんからね!?」
「もう、全然話聞いてくれないしっ」
今日、というか一時間足らずで何度ミリファルナを放って話が進んだことか。彼女が知らない『何か』を前提として、わかって当然という流れが出来上がっていた。
そこで探求しよう、ではなく、面倒だなと投げるのがミリファルナであった。よくわからないものはわからないでいいから、とにかくぐーたらのんびり過ごしたい。
と、その時だった。
ガッ、ガガブヅンッ!! と魔導馬車が異音を響かせたかと思えば、速度が落ち、やがて完全に動かなくなった。
何しろ巨人との戦闘で吹っ飛ばされたのだ。それこそよく動いてくれていたものであり、それも限界を迎えたというだけだ。
「え、ええと、私たちってどこかに向かっていたんだよね?」
「そうですわね」
「魔導馬車壊れたけど、スキルとか魔法で直すなり別の移動手段用意できたりとかは?」
「スキルは奪われ、魔法は……チッ! 貴様のせいで魔力切れですわよ。ですから、ここからは徒歩となるですわね」
「ちなみに、徒歩だとどれくらいかかる感じ?」
「三日ですわね」
「うええっ。もう面倒だなぁっ。ついていくのやめていい?」
答えは刃で示された。
「はいはいわっかりましたよう。ついていくから返事代わりに剣を突きつけるのはやめてよね」
ーーー☆ーーー
髪に瞳、肌でさえも赤黒く染まったポニーテールの女──魔人エリスはミリファが巨人を打ち倒したその時、上空から襲撃を仕掛けようとしていた。
リーダーじゃない。
それでもそそられる何かを持っている小柄な少女に焦がれ、惹かれ、蹂躙したいがために。
瞬間、彼女は白と黒が流動するように蠢くマーブル状の『どこか』に立っていた。
地面という区別がつかないほどにマーブルに溶けている世界に立っていると認識できていることに違和感が走る。青空に滞空していたはずが瞬く間に『どこか』に飛ばされた魔人エリスは、しかし躊躇なく紅蓮を解き放った。
炎。
膨大な力でもって『どこか』を打ち破り、胸が張り裂けそうなほどに引き寄せられる小柄な少女を殺すために。
ーーー☆ーーー
「悪魔蠢く異界に飛ばしはしましたが、おそらく一日保てば良いほうでしょう。魔人エリスであれば空間に歪みを生み出し、脱出することも可能ですから。……アリス=ピースセンスの判断とはいえ、本当にこれでいいと思います?」
「ひああ……。わたしに小難しい話はわからないわよ」
「…………、」
それは人類に残された希望であった。
第六師団師団長・シェルファ=バーニングフォトン、第四師団師団長・レンディナ=レッドサラマンダー、第五師団師団長・ブリュンヒルデ。巨人の足止めを担当していた彼女たちは転移にて逃げた件の巨人に追いついていた。
追いついた時には巨人は金色の小柄な少女に打ち倒されている最中であり、魔人エリスが乱入しようとしているのを目撃した彼女たちはアリス=ピースセンスの命令通りに魔人エリスを隔離、シンシヴィニアたちとは合流することなく『ある場所』を目指していた。
ーーー☆ーーー
「うええ。つっかれたーっ! ねえもう暗くなってきたよ休もうようっ!」
金色の光を失ったミリファルナが肩を落としてボヤキをこぼす。力なく枯れかかった草原。昔は瑞々しい輝きに満ちていたのだが、魔族との闘争の直接的な戦場となっていないというのに萎れてくすんでしまっていた。
一面草しかない中、ミリファルナたちは歩を進めていた。障害物がないからか、遥か彼方に見える土のドーム──ヘグリア国が王都に向けて。
魔力があれば今日中に辿り着くことも可能だっただろうが、先の戦闘でシンシヴィニアの魔力は吸い取られ、ミリファルナの金色の光は消失している。夜通し歩いたとしても今日中に辿り着くことは不可能であり、それならばきちんと休息を取ったほうがマシだろう。
何せここは未だ『外』。
いつ何時魔族と遭遇するかわからない致命領域なのだから。
「はぁ。暗闇の中魔族と遭遇するのは避けたいところですし、仕方ないから野宿の準備を──」
「いやっふうーっ! やっとぐーたらできるようっ!!」
「野宿の、準備、ですわよ。座り込んで休んでいる暇なんてないですわよっ!!」
「うへえっ!? 準備って別にそこらで寝ればいいじゃんっ。もしかして今時屋根がないとか虫が出るとか気にする感じだとか?」
「『敵』に見つからないよう最低限の準備をするんですわよっ。まったく、そんな危機意識のなさでよくもまあ生き残ってきたものですわよ」
「ふふんっ。悪運だけはあるからねっ!!」
と。
なんだかんだと会話が弾む様にセルフィーがメラッとした感覚を覚え、ミリファルナの右腕に両手を絡めて、ぐいっと引き寄せる。
「おっと。お姫様、どうかした?」
「むう。二人とも仲良しです……」
「「それは絶対あり得ないから!!」」
「息ピッタリですうっ!!」
セルフィーが嫉妬をあらわとしてむうむう頬を膨らませ、ミリファルナの右腕に豊満な胸が押しつけられていることに気づくことなく絡める力を強くする。
「ちょっ、お姫様っ。あたっ、当たっているってっ。……ハッ!? まさか当ててんのよ的な感じ? わっ私初めては純愛の末にって思っているから、そのう、ごめんなさいっ!!」
「えっ、えっと……? 何を言っているんですか?」
「あれ? お姫様ってば誰彼構わず誘って、ベッドに引き摺り込んで、快楽へとゴーッ! なお人じゃないの? 今、私の中でお姫様ビッチ疑惑が浮上しているんだけど」
「な、ななっ、何を言っているんですかっ!! わたくしはまだ一度だってそのようなことしてはいませんっ!!」
「そっか、良かった。……ん? 良かった???」
真っ赤な顔でビッチ疑惑を完全否定するお姫様の様子にミリファルナは安堵を覚えていた。では、なぜ? とそこまで踏み込もうとした、その時であった。
ドッヂャアッッッ!!!! と。
セルフィーの胸板に大の大人の腕の太さはある鉄の棒が突き刺さった。
ーーー☆ーーー
その頃の自称大天使さん。
「う、うぅ、ん……」
そういえば誰も気にしていなかったが、自称大天使は先の戦闘の余波で吹き飛ばされ、今の今まで気絶していた。薄暗い戦場の跡地、誰もいなくなったその場所で目を覚ますところなのだ。
仰向けに転がっている彼女へと上空から何かが降り注いだ。それはもう勢いよく、だ。
「ぶべっあ!? な、なになになんなのよっ!?」
ベキ、バギバギバギッ!! と空が割れていた。白と黒が蠢くマーブルの異界と現世とを区切る境界を力づくで打ち破り、その女は君臨する。
魔人エリス。
赤黒いポニーテール女は足元がうるさいなんて些事に意識を向けることなく、ただただ真っ直ぐに標的を見据えていた。
その手で白と黒のマーブルの世界で襲いかかってきた淫魔イリュヘルナを無造作に握り潰し、胸の奥の焼けるような想いと共に。
「ぶへ、はふっ。ま、まさかのガン無視!? いやまあ偶像が破損した状態で魔人エリスとやり合えるわけないから無視してもらったほうがいいんだけど、でもまったくもって眼中にないというのもそれはそれで気に食わな……はっふう!?」
足裏から炎を噴き出し、魔人エリスが射出される。狂おしいほどに魂を引きつけてやまない、リーダーじゃない少女を求めて。
……ちなみに自称大天使は炎に煽られて『覚えていろよーっ!!』なんて叫びながら後方へと吹き飛んでいったが、幸か不幸か魔人エリスはそれを認識することはなかった。
ーーー☆ーーー
一部始終を上半身と下半身とに両断された彼女は見ていた。
漆黒のマントにビキニアーマーの女。
その口が、動く。
「にひ☆ さあて、どうすれば楽しい殺しが味わえるかにゃー?」