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第7話:寂しさの中で見つけた一輪の花



『夢羽へ

 会食の用事が入ってしまいました。

 お金置いときます。』



 制服の着崩し方を覚え始めた中一(ちゅういち)の夏。

 扇風機もクーラーも点けていないリビングはサウナのように暑い。



 それなのに———置手紙を読んだ瞬間、心が冷えていく気がした。



 買ってきてしまった食材たちを冷蔵庫に入れる。

 節約して貯めたお金で買った、ちょっと高いお肉も。

 匂いが強くてわたしは食べられないけど、お母さんが好きだから買ってきたおつまみたちも。

 配置とか何も考えずに無心で入れ続けた。それを(とが)める人はこの家に居ないから。



 手紙をくしゃくしゃに丸めて投げ捨てたが、まだモヤモヤは収まらない。

 捨てても良さそうな物をカバンから見繕う。


 手に取ったのは通知表。

 喜んでくれるかなって思いながら丁寧にファイルに入れた、オール五の成績表だった。


 今日見てくれないならいいや。

 ビリビリに破いてそれも投げ捨ててやった。怒るなら怒ればいい。


 成績表———今となってはただの紙くずは、ゴミ箱から大きく逸れて転がっていく。


「ちっ。」


 わたしが記憶している中で、生まれて初めての舌打ち。

 してしまったという自己嫌悪から、更に気分が悪くなる。

 もう舌打ちはしないと決めた瞬間でもあった。




  そんな最悪な日。

  そしてそれはわたしの人生を変えた日。




 ぱんぱんに泣き腫らした目のまま、フラッと家を出た。

 今のお家には寂しさが詰まりすぎて、どうしても居たくなかったのだ。


 外はいつの間にか暗くなっていて、わたしのイライラを加速させていたセミも鳴いていない。

 都内だから綺麗な夜空なんて見えるわけがなくて、かといって心奪われるような夜景もない。だいたい想定通りの景色だった。


 せかせか歩くサラリーマン、バスを待つ塾帰りの高校生、お店の前でワイワイ騒ぐお兄さんお姉さん。

 そんな人たちを横目にわたしは歩き続けた。頑張って歩いて、「こんな時間だけど、用事があって外に出てます。」アピールをした。


 そんな中足を止めた場所は、東京湾沿いに作られたショッピングモール。子供のわたしでも近寄りやすい明かりがここにしかなかったからだ。

 しかし着いたもののお金もないし、オシャレもしていない。こんな状態でモール内を歩く気力は最早(もはや)なかった。


 砂浜とモールの敷地を区切るために作られた、三段しかない小さな階段に腰掛ける。砂浜にあるベンチは、カップルの優先席にでもなるんだろうなと思ってやめた。わたしにはここしかない。


 さっきまで歩いてた街中のような雑踏はここには無い。緩やかに砂浜を引いていく波の音は、珍しく荒んだわたしの心を癒した。



「綺麗だね。」


 波の音だけが存在した空間に女の子の声が一つ。


 声をかけられたのかと思った。しかしそうではないとすぐに理解する。

 わたしの後から来たのだろう。砂浜に設置されたベンチに女の子が二人いた。さっきわたしが座るのをやめた場所だ。

 お下げ髪とロングの二人は中学生……だと思う。高校生だったら凄い大人っぽいはずだから分かるはず。


 位置的に、彼女たちの視界にわたしはいない。それでも歳が近い子がいると少し安心した。



「行っちゃうんだよね。明日の朝には。」



 再び同じ子が喋った。もう一人の子ももしかしたら喋ってるのかもしれない。でもわたしには一人の声しか聞こえなかった。



「寂しいな。」



 ひとつ。大きめの波が歩く。



「あのね。」



 三度(みたび)同じ子が口を開く。声が震えているような気がした。


 また波がやってくる。今度の波は穏やかに砂浜を包んでいく。




「好きだよ。」




 静寂が聞こえるようだった。



 女の子同士でなぜ、と思う自分と、どこかでその言葉を想定していた自分がいる。

 色んな感情が生まれて整理がつかなくなっても、彼女の『好き』は考える余地なく()()だと伝わってきた。


 今の関係を壊したくないからと言って告白を思いとどまる子は沢山いた。その状態も一つの()()()だから。彼女たちもそんな居心地のいい関係を作り上げてきたんだろう。


 それでも彼女は一歩踏み出した。


 居場所を壊すことになったとしても。


 ()()()を迎えにいく結果になったとしても。 



 最後、涙を流しながら微笑む彼女の横顔が照らされる。



 その横顔は(はかな)げで美しく、そして尊かった。



 この一時(ひととき)の出来事にわたしは心を奪われた。健気(けなげ)に自分たちの居場所を求めていく百合に夢中になった。



 あの告白の返事はどうだったんだろう。


 あの二人は今どうしているんだろう。


 今でもあの時のことを夢に見る。



 夢から覚めるとあの子の横顔を思い出せなくなっている。



 ◯  ◯  ◯



 お前はいつも元気だなぁ。


 まどろみの中でそう関心しながら、枕元のスマホを手に取る。


 ホームボタンを押すとこいつは一度静かになる。

 しかしそれは幼稚園児に向かって


「静かにしようね〜。分かった人ー?」


 と言って、


「はーい!」


 と返ってきたときの、この返事並みに信用できない静けさなのだ。


 こいつの根源、もとい設定からアラームを切らなければ平穏な日常を取り戻せないということを十六年という長い人生で学んでいた。


「うぅ。まぶしぃ……。」


 どうやらこいつもまだ死にたくないらしい。

 ただでさえ開かない眼をスマホの明かりが攻撃してくる。


 しかしわたしを舐めてもらっては困る。このスマホに変えて一年。アラーム画面さえ開けばあとは感覚で設定解除できるくらいには洗練されていた。


「ふぅ。」


 人類が勝利を掴んだ瞬間だった。人間から嫌われている音の中で、緊急地震速報に次ぐ堂々の二位(わたし調べ)に勝利したんだ。

 これで三度寝———


「えっ。待って。今何時?」


 血圧が上がる感覚と共にスマホの画面を再び確認する。

 低血圧のわたしにとって、血が一気に周り始めるこの感覚はどうしても好きになれない。


「十時かぁ。焦った。」


 ポテッとスマホを落とす。

 待ち合わせは十一時。ちゃっちゃと準備すればなんとか間に合うだろう。

 少々乱暴にベッドから降りる。こうでもしないとこの子はわたしを離してくれない。わたしってば結構モテるのだ。




「ふむ。どうしよう。」


 洗顔と歯磨きを済ませて、クローゼットの前に立つ。服を考えるのもなかなか面倒くさい。わたしと由奈の仲だから、わたしがジャージで行ったところで(なん)にも影響はないはず。


 んーでもなぁ。由奈は多分普通におしゃれしてくる。ジャージで由奈の隣なんか歩いた(あかつき)には警察に取り押さえられそうだ。


「君に決めた。」


 結局、五分丈で白色のカットソー、カーキ色の柔らかいスカートという無難なコーデにした。まぁ、うん。これなら多分捕まらない。


 コテを温めてる間メイクを始める。メイクっていってもそんな大げさなものじゃない。いつも通り簡単に。


 するとベッドの上のスマホが震えた。こいつ、まさか息を吹き返しやがった……!


 スマホの画面を確認するとアラームじゃなかった。由奈からだった。

 送られてきたメッセージは、『おはよ。』とだけ。

 あと一時間もしないうちに直接会えるのに。


「あ、さては由奈寝坊したなぁ。」


 わざわざこのタイミングで送ってくるってことは、実際に今起きたってことなんじゃないかな。わたしの中のコナン君がそう言っている。


 わたしは『おはよ。お寝坊さん?』と送る。するとすぐ既読がついて、わたしがスマホを置く暇なく返事が来る。


『違う。ちょっと確認したかっただけ。』


『なんの確認? わたしが起きてるか?』


『いや、夢なんじゃないかと思って。』


 なるほど。わからん。

 由奈は時々こういうところがあるけど、流石にもう慣れた。そっとしておくに限る。




 ◯  ◯  ◯



「うわ、びっくりした。お母さん帰ってたの。」


 戸締りしてるか確認のためにリビングに向かうと、お母さんがソファーに寝っころがっていた。さっき歯磨きしながら覗いた時は気がつかなかった。


「んー。今朝帰ってきた。」


 うつ伏せのまま間延(まの)びした声でお母さんが返事する。

 てか今朝って。どっか大学で教授をやってるってことしか知らないけど、教授ってブラックなのかな。すごい海外行くし。

 母子家庭な上に、お母さんが教授ってことでわたしは家で一人なことが多い。わたしの独り言が多い理由だったりするのかもしれない。


「お疲れ様。お風呂は昨日のまだ捨ててないから。ご飯も昨日のが残ってるから食べるならそれ食べちゃって。」


「おー。ありがとー。よくできた娘だねぇー。あ、これお土産。アメリカの太りそうなお菓子。」


「いや、いらな……。で、いつまでお休みの?」


「明後日からまた仕事ー。」


「そっか。今日の夜ご飯、買ってきたやつでもいい?」


「なに、出かけるのー?」


「うん。買い物してくる。」


「ふぅーん。」


 そう言うとお母さんは寝返りをうって仰向けになる。疲れてそうな顔だ。まぁ当たり前か。でもなんだか嫌な予感———


「あ。」


 この母親、ノーモーションでスカートめくりしてきやがった。

 しかもピラッとめくるやつじゃない。めくった挙句、手を離さないという一番タチの悪い手法だった。


「何してんの。」


「デートでも行くのかなって。」


「……それとこの状況はどういう関係があるのかな。」


「勝負下着だったら分かるじゃん。」


「わたしの勝負下着とか知らないくせに。」


 あまりの言いぶんに怒りすらない。母と娘という関係の割には久しぶりに会うから忘れかけてたけど、お母さんはこういう人なのだ。授業してくれた教授が、プライベートではこんなんだなんて生徒は思わないだろう。


「分かるよー。娘だもん。今日は友達と遊ぶのね。」


「……はぁ。まぁそうだけど。」


 一瞬でデートじゃないと判断されるくらい、わたしの下着はやる気に満ちてないのだろうか。結構可愛いやつだと思うんだけど。ていうかやる気ってなんだし。


「休日にデートの一つや二つしないなんて。いい人いないの?」


「一日の間にデートが二つあったらアウトだから。てか余計なお世話。」


「えー。」


 ぶーぶーとソファーの上で足をバタつかせる。もういい歳なんだからやめてほしいです。


「じゃあわたしもう行くから。」


「はいよー。行ってらっしゃい。」


「あ。お母さん。そういえば今度学校休んで由奈とディズニー行ってもいい?」


「由奈ちゃんー? 別にいいけど。学校から呼び出しとかされないようにしてね。あとお土産よろしく。美味しいお菓子で。」


「人には変なお菓子押しつけたくせに。まぁいいや。ありがと。」


 サボりの許可っていうのも可笑しな話だけど、お母さんがあんな感じだから隠す必要もない。それに、頑張って働いてるのに隠れて何かするのも気が引けるし。だったらサボるなっていうツッコミは無しの方向で。



「あ、やば。間に合うかな。」


 当初のスケジュールに「お母さんと話す」なんてなかったから待ち合わせ時刻を過ぎちゃいそうだ。



 スニーカーに足を入れ、意味もなくつま先をトントンと鳴らしてわたしは家を出た。


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