第6話:親友の言葉(後編)
痛ぁ! 水が染みる……!
自分でもどんな転び方をしたのか分かんないけど、結構派手にいったみたいだ。腕と手の皮膚に食い込んだ砂利がそう物語っている。
すっかりやる気を失ってしまった私は、体育倉庫の脇に腰を下ろした。
これはサボりじゃない。
幸い、私が転んだ瞬間を見たのは隣を走っていた男子くらいだった。いや、そうであったと信じたい。
だからこれは、精神的被害を増やしたくないという戦略的撤退である。
「はぁ……。」
運動が好きな人が羨ましい———
そう思って、私が視線を向けた先はやっぱり夢羽。
夢羽を見つける速さに関しては誰にも負けない自信がある。
ちょうどリレーの人たちも、休憩兼作戦会議の最中だった。夢羽がなにやら一生懸命に話していて、周りもそれを真剣に聞いている。
そして否応なしにそれは私の目に入ってしまう。
周りを鼓舞するような、そして込み上げてくる興奮を抑えられないといったキラキラした夢羽の表情———
その表情を私は何回か見たことがある。
私がバスケ部の試合を応援しに行った時。
インターバルの間、夢羽が向けるその表情と言葉の数々は常にチームの士気を高めていた。
でも、見たことはあっても私に向けられたことはない。
いくら仲のいい親友と言っても、私がそのステージに立ったことはない。
その事実が無性に寂しいのだ。
体育座りのまま、勢い良く額を膝に打ち付ける。
いつの間に自分は重い人間になってしまったんだろう。その人の全てを知りたい、手に入れたいだなんて。
それに、時々分からなくなる。
みんなから人気で、人を惹きつける夢羽がなぜ私の親友でいてくれるのか。
そんなこと聞いたら怒るかもしれないし、悲しませちゃうかもしれない。打算的に動くような子じゃないことは十分知ってるし、親友であることに明確な理由なんていらないのも分かってる。
だからこそというべきか。
住む世界が違いすぎて不安の波に何度ものまれてしまう。
夢羽の隣に堂々と立てるような人になりたい———
目標は決まっているのに、その方法を見つけられずにいる。
ザッという砂利の強く転がる音が私の意識を戻す。誰だろう。正直今は放っておいて欲しい。
先生だった時の言い訳を考えながらしぶしぶ頭を上げると、そこには男子———たしか名前はレイ君。
本名を覚えてないから心の中で「レイ君」なんて呼んでみたけど、実際にそんなこと言えるわけない。周りから「レイ」って呼ばれてるから多分そうなんだろう。あ、もしかしたらあだ名かもしれない。
男子の種目決めで中心に居たのは彼で、いかにも『爽やか』という感じの人だ。
「うぉ、びびった。なんだ南か。」
「うん……。」
レイ君とは入学してから一度も喋ったことがない。なんなら男子の半分以上と会話してない私は、なんて反応していいか分からずに言いよどんでしまう。
いや、それにしても『うん……。』はないよなぁと自分でも思う。
「こんなとこでなにしてんの。サボり?」
「……ちょっと休憩。」
「ふーん。たしかにここ涼しくていいな。俺も休憩しよーっと。」
レイ君が用具倉庫の壁を背にしてあぐらをかいた。
もし私が夢羽みたいだったら、今確実に『えー』って表情を浮かべてる。まぁ私の場所じゃないから拒否権なんてそもそもないんだけど。
「南って体育祭何にでるんだっけ。」
「ハードル。」
「へー。」
その返事絶対興味ないやつじゃん! さらに掘り下げられても困ったけど。
「あー疲れた。」
レイ君はどうやら本当に休憩場所を探していただけのようで、お家でテレビ見るみたいな体勢になってしまった。あ、私はテレビ見る時こんなゴローんなんてしないよ? ほんとだよ?
『夢羽は今何してるんだろう。』
もうレイ君と会話が無さそうだとわかるや否や、私の頭に浮かんだのはこれだ。
自分の思考回路の壊れ具合に思わず苦笑いしてしまう。
さっきまで落ち込んでたくせにね。
自分でおかしいと分かっていても止められるものじゃない。
欲望のまま探すと、バトンを持った夢羽が女子体育の先生、花染茜先生と話しているところだった。
遠目で詳しくは分からないけど、フォームの教えを請うているようだ。先生が夢羽の体を触っている。
先生が夢羽の体を触っている。
同じことを二回言った理由は断じて無い。
さらに夢羽は大きく万歳をした。
突然だけど、私の親友はスタイルがいい。
身長が高くて手足もすらっとしているような、いわゆる高身長モデルさんタイプではないけれど、夢羽の体型は身長に合っている。
さらに胸もきちんとあるという贅沢さ。
そのせいで(いや、そのおかげかな?)、体操着のウエスト周りに余裕がありすぎるらしく、体操シャツが簡単にめくれてしまうことを気にしていた。だから最近、夢羽は体操シャツのお腹周りを端っこで結んで、ウエストを締めることが多い。『由奈、見て。お腹が見えないように考案したわたしの新技。』なんて自慢していたけど、文化祭で女子がよくやるやつだから新技では全然ない。ていうかその自慢は私だけにしておいたほうがいい。あらゆる女子から反感を買いそうだから。
そんな秘技発動中の夢羽が万歳をしている。
あの万歳にどんな効果があるのか私には分からない。けど、その新技が裏目に出てお腹が覗いてしまっているのは、あまりにも眼福すぎるのでやめて欲しい。
夢羽のあぁいう無防備なところは私を不安にさせる反面、やっぱり———
「かわいいよなぁ。」
うんうん。レン君分かってんじゃん。見る目あるよ。いや、見る目がなくても選択肢は一つか。
…………ん?
えっ。今レン君、可愛いって……。
中学時代、夢羽に好意を持っていた男子は何人かいた。その噂を聞くたび私は眠れない夜を過ごしていた。
それは今も変わらない。一瞬にして私の心はかき乱されて、目眩すら覚えてしまう。
「……好きなの?」
聞きたくない。知らないほうがずっと楽なのはわかってる。しかし、彼とどっちが優位なのか証明したがる私は止まってくれない。
「うん。好きだよ。」
ちくり、どころの騒ぎではない。心臓を切り刻まれる音でも聞こえてきそうだった。
「そう……なんだ……。」
「一目惚れだったんだよ。それまでは一目惚れなんてありえねーって思ってたんだけど。」
「そう……。」
生まれてこの方一目惚れなんてしたことない。そんな私でも、夢羽に一目惚れする要素はいくらでも見つけられた。その中のどれかをこの人は見つけてしまったんだろう。
「もう学校中に広まってるもんだと思ってたけど、そうでもないのな。告白だってしたんだぜ?」
告白———
今まで受けてきたどの衝撃よりも強かった。
好意があるという噂がたっても、告白まで至ったという事実は聞いたことがなかった。なによりも、そのことを夢羽が教えてくれなかったのが悲しい。
「夢羽はなんて……?」
聞いてしまった。
夢羽の返事がYESなら言うまでもない。NOだとしても普通でいられる気がしないのに。
「夢羽? あはは。夢羽はないない。なんてったって俺、花染ちゃん一筋だから。」
…………え?
「いいよなぁ、花染ちゃん。……おーい南、口すげー開いてるぞ。」
「てっきり夢羽のことが好きなのかと思った……。」
私の勘違い。早とちり。
一気に訪れる安堵感に涙が溢れそうになる。
よかった……ほんとよかった。
「ちげーって。あーそっか。南って夢羽と仲いいもんな。友達のスクープとなれば動揺もするか。でもまぁ安心してくれ。さっきも言ったけど、夢羽はないから。ていうか、花染ちゃん以外ない。」
「動揺なんてしてないし……。」
そう。動揺なんてしていない。動揺をはるかに超えたなにかの状態ではあったけど。
「それに、さっきから夢羽のこと『ないない』ってそれも失礼。夢羽にはいっぱい、魅力が……ある……と……思います。」
「なんだその変な喋り方。まぁ、そうだな。そんなつもりはなかったんだけど友達をバカにして悪かったよ。」
「ゆ、許してあげます。」
私がかつてこんなカースト上位の人に対抗したことがあっただろうか。そもそも人に意見したことすら少ないのに。まぁ、夢羽に好意が無いってわかったから言えたんだと思うけど。
「というか、その……告白したんですね。そういうのって普通隠すものじゃないんですか。」
「んーそうかも。でも言わないと伝わんねーしなぁ。」
「言ったら相手が困るかもとか考えたりしなかったんですか? ……あ、ごめんなさい。」
普段だったら夢羽以外にこんな踏み込んだ質問はしない。どん底だった気分から救われた分、少しテンションが上がってしまったのかもしれない。
「いや、全然いいよ。そりゃ考えたよ。実際困らせたしな。」
「そうですよね……。」
「でも好きなもんは好きなんだよ。俺、器用にできないし我慢強くもないからさ、告白を選んだ。」
「怖く……なかったんですか。多分、私だったら……きっと———」
「そりゃあ、超怖かったよ。でもなぁ……花染ちゃんが誰かのものになるほうが怖かった。」
『結局断られたんだけどな。』と笑うレン君。
そんな彼を見て、すごいという感情を通り越して尊敬すら覚えた。
「私が言うのもなんだけど……きっといい人見つかると思う。」
「なに言ってんだ。」
そう言ってレン君は立ち上がり、お尻をはたく。
「まだ諦めてねぇよ。」
「え……」
「呼ばれたしそろそろ戻るわ。南も、これ以上休憩してたら花染ちゃんから怒られるぞ。」
「う、うん。」
彼は先生と生徒という垣根を越えようとして、行動した。そして未だなお行動しようとしている。
一方私はというと、具体的に考えたことすらなかった。そりゃ妄想くらいはしたことある。でも所詮妄想は妄想で、終始ご都合主義の賜物だった。
彼が去ったあと、試しに少し考えてみる。私が行動しようとするifのはなしを。
「あはは……。」
自分でも驚いてしまった。そして呆れた。こんなにも考えが進まないなんて思いもしなかったのだ。
やっぱり私には———
◯ ◯ ◯
帰りのHRが終わったようだ。
大切な連絡があったかもしれないし、なかったかもしれない。
いつもの夢羽みたいに机に突っ伏していたから、殆ど先生のお話を聞いていなかったのだ。
体育で疲れたからじゃない。さっきからのアンニュイな気分を引きずって、こんな態度をとってしまった。
はぁ……そろそろ帰る準備しなくちゃ———
顔を上げようとすると、私の頭が何かに抑えられた。否、ふわりと撫でられた。
あぁ……今はダメだって……。そんなことされたら……。
「どしたの。由奈。」
私の知る手が穏やかに髪を梳いていく。言外に「言いたくなかったら別に言わなくてもいいんだよ。」と含んだように。
「夢羽……。」
今一番話したいけど話したくない人。
うまく言葉が出てこない。醜い私を見せてしまいそうで怖かったから。
「こんなに強く握りしめてたら痛くなっちゃうよ。」
私の指が優しく解かれていく。
一瞬、傷口を触られて肩がビクンと跳ねてしまった。
「顔、あげて。」
「い、嫌。」
今の私の顔は絶対ブサイクだ。夢羽には見られたくない。
「具合悪いの?」
「違う……。大丈夫……。」
「そっか。それならいいんだけど。みんな帰ってるのに由奈だけなかなか動かないからびっくりしたよ。」
「ご、ごめん。本当に大丈夫だから。」
「そ? 由奈って今日部活ないよね。 わたし、部活だけど一人で帰れる?」
「平気……。帰れる。」
優しい言葉ひとつひとつが、しっとりと沁み渡っていく。
「そっか。流石に子供扱いしすぎたか。」
「ほ、ほんとだよ。もう。」
「ごめんごめん。」
それから少しの間会話がなくなった。それでも撫で続けてくれる夢羽の手が心地よい。
「……日曜さ。」
「うん。」
「由奈が元気だったらさ。」
「うん……。」
「おでかけしよっか。ディズニー行くならやっぱりディズニーっぽい格好も準備しなきゃでしょ。」
「……行く……っ!。」
思わず顔を上げてしまう。だって丁度私もそれを言いたいと思っていたから。
「……元気だったら泣いちゃだめ。」
そう言うと夢羽は私の下瞼をそっとなぞる。
「元気だもん……。」
「あはは。分かった分かった。十一時に駅前でいい?」
私が頷くと、夢羽の口元がほころんだ。そして夢羽の手が何度か頭に置かれる。「もう大丈夫だね。」と言われているようだった。
「じゃあ、またね。」
「うん。ばいばい夢羽。」
夢羽は知らない。
夢羽の言葉が一瞬で私の心を満たしてくれることを。
夢羽は知らない。
夢羽の言葉に何度私が救われてきたかを———