第3話:百合の季節
「よーし。時間になったし始めよっか。えーっと、今日は三年と二年が五人ずつで一年は二人か。いや、四人だね。」
わたしと蓮宮さんがコートに着くと、ちょうど部長が集合をかけたところだった。
月橋高校の部活動は基本的に顧問が練習に干渉してこないのが特徴だ。先生達の負担軽減と自主性を重んじた結果、部長と副部長を中心に動いている。口先だけ自主性を謳う学校が多い中、きちんと実行してる月橋は意外と先進的な学校なのかもしれない。
「お、そういえば。どうやら夏原ちゃんは反省文を授かったようだけど提出してきたのかい?」
「も、もちろんです。」
確かに遅れるって友達に伝言はお願いしたけど! 理由までは伝えて欲しくなかったなぁ! あぁもう、先輩達みんな笑ってるし。
清楚系で売っていこうと思ってたわたしの夢は見事に砕け散った。
「一年のこの時期に反省文はちょっと攻めすぎじゃない?」
「部長、違うんです。チャイム鳴り終わって数秒しか経ってないのに反省文ですよ。ていうか今日のチャイムいつもより短く感じませんでしたか?うん。あれは間違い無く短かった。多分それのせいです。」
「なるほど。夏原ちゃんは全然反省してないので今日のランニング1キロ追加ね。」
「ぶちょー! それだけは……それだけはお許しを! あ、なんなら部長が反省文書くことになったらわたしが代わりに書きますんで!」
「ええぃ! うるさい。2キロ追加で。」
再び降りかかる災難が更にみんなを笑わせる。みんな酷い。
蓮宮さんにいたっては「か、夏原さんそれはアホすぎるよ……っ!」とか、「ひ、ひぃ……! お腹痛い。もう笑わせないでぇ。」とか言ってるし。こんの……蓮宮さんめ……。
「あ、部長。一ついいですか?」
「なんだね夏原ちゃん。内容によっては3キロに増やすけど。」
「くっ……。じ、実は蓮宮さんも反省文くらってます。」
「ちょ、ちょっと夏原さん!?」
腕を蓮宮さんに掴まれる。視線を送ると、蓮宮さんの目は「こいつ正気か?」と訴えるように見開かれていた。いや、それにしても大きい目だなぁ。ショートが似合う小顔な上に、ぱっちりお目目はずるすぎる。
「蓮宮ちゃんそれは本当かい?」
「ちが……いえ、本当です……。」
わたしの大惨事から学んだのか、蓮宮さんは言い訳することなく認めた。
「じゃあ蓮宮ちゃんは1キロ追加で。」
「む、無慈悲……っ!」
「なんか言った?」
「い、いえ!何も!」
よ う こ そ 。 こ ち ら の 世 界 へ
ここまで来たら死なば諸共だ。ズッ友だょ……!(メンヘラ)
「よし。今日の練習は昨日と同じ感じで。昨日居なかった人は友達に聞くこと。じゃ、今日もよろしくお願いしまーす!」
「「よろしくお願いします!」」
つつがなく(?)今日の部活も始まったのであった。
〇 〇 〇
「ちょっと夏原さん!ペース早くないっ?」
わたしの隣を走る蓮宮さんが声を上げる。
「みんなより2キロ多い分速く走らないと。ラケット握る時間が短くなっちゃう。」
指定された距離を走り終えた人は、コートにいる先輩と交代して乱打練習。交代した人はランニングに行って、終わったらまた次の学年と交代———といった練習メニューなのだ。
「それはそうだけどぉ!このペースだと着いた頃には動けないよ!」
ランニングは、走りながら喋れるスピードが目安と聞いたことがある。明らかに喋るのがきつそうな蓮宮さんを見ると、今のペースは確かに合っていないのかもしれない。
「あー……そうだね。うん。もうちょっとゆっくり行こう。」
「むー。でも全然息上がってないじゃん! それもなんか気使われてるみたいでなんかやだ!」
「そりゃあだって———」
きちんと喋ったの今日が初めてなんだから気くらい使うよ。と後に続く言葉は口から出てこなかった。
ランニング追加に巻き込んだわたしが言えた義理じゃないと思ったからだ。
部室での空気に当てられたというか、あの場のノリで蓮宮さんを巻き込んでしまった。
流石にやりすぎちゃったんじゃないだろうか。冷静に考えるとそう思えて少し怖かった。
「な、なに?」
蓮宮さんが観察するようにじっと見つめてくる。走ってるのにこちらに首が固定されてるので違和感がすごい。
「……夏原さんって分かりやすいね。すぐ顔に出る。」
「そ、そう?」
思わず自分の顔に手を当てる。いつものわたしの顔だ。
「私は全然さっきの距離感でいいからね。むしろそっちのほうがいい。気使われるのあんまり好きじゃないんだよね。」
考えてたところを見事に当てられ心拍数が上がる。そんなに顔に出てたんだろうか。あるいは蓮宮さんがエスパーだったり。
「まぁ、ヌボーっとしてそうな夏原さんがこんなに足速いとは思わなかったけどね!」
「ちょっとひどくない!?」
「あはは! ごめんごめん冗談。……はぁ、やっぱり無理。私ペース落とすね。先行ってて。」
「……ありがと。」
「じゃあ、また後でね。」
「うん。また。」
そう言うと蓮宮さんがわたしの視界から外れていく。
後ろを振り返るとあっという間に姿が見えなくなっていた。
わたしが気を使ったことにいち早く察知した彼女。
そっちのほうが気使ってんじゃん。わたしだって気使われるの嫌だい。
そう心の中で悪態をついても、口角が上がるのを抑えれない。
やっぱりわたしは顔に出やすいのかもしれない———
〇 〇 〇
「おぉ、もう帰ってきたの?」
走り終えコートに到着すると、休憩中の部長が話しかけてきた。
「ちゃんとプラス2キロも走ってきましたよ。」
途中、並走してきた陸部に触発されて調子乗りすぎた。走ってる間は感じなかった足の疲れが、歩きだとのし掛かってくる。
「えぇー本当かなぁ。それにしては少し速いと思うんだけど。」
部長は探りをいれるようにわたしの顔を覗く。
どうやらわたしがショートカットでもしてサボったんじゃないかと疑ってるらしい。そんなに速かったかな。
「部長、夏原さんきちんと走ってましたよ。すごいスピードで。」
「あ、蓮宮さん。」
すると先にランを終えていた蓮宮さんがタオル片手にやってきた。すごいスピードは盛りすぎだと思います。
「やほ。お疲れ。少し休憩したら乱打しよ。」
「しようしよう。」
「……蓮宮ちゃん!」
「は、はい!」
突然部長に大きな声で呼ばれ、蓮宮さんの背筋が伸びる。
ついでにわたしも伸びた。ふぇぇ。体が勝手にぃ。
「いい子だ! 蓮宮ちゃんはいい子だ!」
「は、はい! ……はい?」
「夏原ちゃんに道連れにされたにも関わらず庇ってあげるなんて! お姉さん感動しちゃったよ!」
「庇ったとかじゃなくて———うわぁ!」
わたしも心の中で「うわぁ!」である。逆に心の中だけで留めたわたしを褒めて欲しい。
部長が蓮宮さんの返事を待たずして抱きついたのだ。何かの大会で優勝したかのようにハグで感動を表している。
対する蓮宮さんは先輩相手に拒否するわけにもいかず、両手があわあわしている。
え、なにこの光景? ご褒美ですか? 世界平和の具現化? なんでわたしは今スマホ持ってないの?
夢羽! 心のシャッターをおろすのよ! あ、そっちのシャッターじゃなかった。シャッターを切るのよ!
「いつまで休憩してんの。あなた部長でしょー?」
わたしがカメラマンに徹していると、副部長が部長を連れ戻しにやってきてしまった。部長は首根っ子を掴まれ、引きずられて行ってしまう。
世界平和が壊された。
もしかして副部長はあれか? 百合の間に入ってきて場を荒らし、読者の全ヘイトを受ける男のような人物なの? あれは重罪だよ。「世界から排除すべきもの」ランキングで核兵器に次ぐ堂々の二位だよ。
ん? ちょっと待てよわたし。早まるな。部長×副部長もありかも……。やきもち妬いた副部長が無理やり連れてったって考えると妄想が捗るぞ。
『私にもギュってして。』
『やきもちやいちゃった?』
『うるさい。』
『正直じゃないんだから。おいで。』
はい尊い。アリですねこれは。ごめんなさい副部長。さっきは重罪とかなんか言ってしまって。心中お察しします。あ、やばい。よだれ出てきた。
「人が大変だった時になんて緩んだ顔をしてるの。」
「はっ! ゆ、緩んでなんかないよ。」
「はいはい。」
見事にスルーした蓮宮さんはコートの脇に腰を下ろす。ここで一休憩しようということらしい。
タオルと水を駆け足で取ってきて蓮宮さんの左に座る。走り終えた時よりも足は軽くなっていた。きっと百合ゆりしいのを見れたおかげだろう。
「汗、かいてる?」
「ん? かいてるよ。ビショビショで気持ち悪い。」
蓮宮さんが不思議そうに聞いてくるもんだから一応正直に答える。
「そうなの? 顔に全然汗かいてないからびっくりした。」
「あぁ、そういう……。」
「見て。私なんかほら。」
そう言って蓮宮さんは前髪を上げて見せる。ついでに目を見開いてるのは意味があるんだろうか。
ふむ。汗だ。しかしニキビも産毛もない綺麗なおでこは汗すら綺麗に魅せた。
羨まけしからんな。
「いたっ! なんで急にデコピンすんの!」
「痛覚を刺激すると汗って止まるらしいよ。」
嘘である。
「え、そうなの? それが秘訣? 私も真似しよ。」
汗かいた時に自分を痛みつけるやばい子を作ってしまった。反省はしていない。
「蓮宮さん、そういえばさ。」
「んー?」
「さっきはその、部長に言ってくれてありがと。」
改めて言葉にするとお腹の奥底で恥ずかしさが沸いてくるような気がした。
「あぁ、別に、本当のこと言っただけだもん。」
足をパタパタさせながら蓮宮さんはどこか遠くを見る。
本当になんてことはない、というような様子だった。
「まぁ、素行不良だと部長が疑いたくなる理由もわかるけどね。」
「あはは。それは言えてるかも。でもさ、なんで夏原さんはテニ部に入ったの? 足速いんだし、陸部とか。あとはその格好ぽくバスケ部とか。」
「走るのは好きだけど、走って何かをするほうがもっと好きなんだよね。バスケ部にしなかったのは身長が、ね。」
自分の頭のてっぺんを軽く叩いてアピールする。
百合が見れるかもしれないからとは口が裂けても言えない。でもこの理由も嘘ではない。
「あー分かる。走るっていっても、ボール追いかける方が気紛れるし。」
「蓮宮さんはずっとテニス? いつから?」
「小五から。特に理由はないよ。多分、家にテニスラケットとか一式揃ってたからだと思う。」
「テニス一家なんだ?」
「いや。そういうわけじゃないんだけど。」
「ふぅん。」
それっきり会話は途絶えてボールが弾かれる音が明瞭になる。無言といえど、それは嫌な雰囲気じゃなかった。
穏やかに時間が進み、その流れに身を任せたくなる。けどこれ以上休むと次動くのが億劫になるなぁ。
「そろそろ乱打———」
そこでわたしは言い留まる。
蓮宮さんがどこかを真剣に見ていたからだ。
視線の先には女の子二人。何部かは分からないけど、あちらも日陰で休憩してるところみたいだ。ポニテの女の子は目一杯水筒を上に向け、豪快に水分補給をしている。
すると満足したのか、さも当たり前かのように今まで口にしていた水筒を友達に渡す。渡された友達も友達で、躊躇いなく水筒に口をつける。
いわゆる飲み回しだ。
わたしも由奈とよくやるし。全然普通だよね。知ってる。
あ、この手汗? いやー今日暑いよね?
友達同士で回し飲みとか当たり前じゃん? 余裕余裕。
え、なんで鼻息荒いのかって? いや、ランニングの疲れが再発したなぁ。みたいな?
えぇい、うるさい。自分が飲み回すのと、それを観るのとじゃワケが違うんだよ。百合厨はすぐそっち方面に考えちゃう生き物なの! 悪かったな!(逆ギレ)
わたしがどこの誰かへ向けてキレてるうちに、その女の子たちは部活に戻って行ってしまった。あ、やばい。わたしもそろそろ始めないと。
「蓮宮さん。お待たせ。始められるよ。」
「……。」
蓮宮さんからへんじがない。ただの しかばね のようだ。
「おーい、蓮宮さーん。」
「んあ!」
「うわぁ!」
蓮宮さんが驚いたのに驚くわたし。どうも、レスポンスの早いやまびこです。
「な、なに?」
「練習、始めよ。」
「あ、あぁ……。おっけーおっけー。やろうやろう。」
「何か考えてたの?」
「い、いや?何も。」
「ヌボーっとしてたの?」
ランニング中に言われたことを言い返す。
「そうかも。夏原さんのが移った。」
「ごめんね。感染力高くて。」
「いいお医者さん紹介してね。」
「わたしが紹介してほしいくらいなんだけど。」
「言えてる。」
なんだかおかしくなって二人して笑う。
こっちでの練習も悪くない。そんな風に思えた瞬間だった。
もうそろそろ夏が来る。
百合の花が咲き誇る季節がやってくる。