第2話:罰から芽生えた友情
帰りのSHRが終わり、学校全体が昼休みとは違う喧騒に包まれる。部活なり帰宅なり、クラスメイトが各々放課後の活動に足を向ける。
そんな中わたしも部活に行きたい気持ちは山々なのだが、それは出来ない。なぜなら——
「つんつん」
「あっ」
「つんつーん」
「あぁん」
「ちょ、ちょっと夢羽。変な声出さないでよ。」
「由菜が意地悪してくるんだもーん。」
「6時間目もSHRも爆睡してるのが悪い。どうせ足でも痺れて動けないんだろうなって思ってたよ。」
「バレてたか。」
「夢羽の事だもん。お見通し。」
机の下で由奈が楽しそうにわたしの足を突き続ける。その度にわたしの足は電流が走ったようにビクンと跳ねる。されるがままである。これだけ書くとちょっとエロい。
くっそー。いつか由奈のこともビクンビクンさせてやる。
「一日休んでディズニー行くって話、いつにするの?」
「え、もう決めるの? 由菜意外とサボるの楽しみにしてる?」
「そ、そんなんじゃなくて。色々準備とかしなきゃでしょ。例えば———」
「じゃーねー夢羽! 今日は災難だったねー。」
「あ、ばいばーい。真衣も気をつけなよー。」
「夢羽。」
「ん?どした由奈。」
「日にち、決めよ。」
「あぁ、うん。そだね。決めよう決めよう。」
「おーい夏原ちゃん! 今日部活行く? あっ。反省文あるもんねぇ。ごめんねー。」
「きちんと後から行くもん。先行っとれ。しっしっ。」
「まじうける。部長に遅れるって言っとくねー。」
「はーい。よろー。」
「夢羽。」
「あ、ごめん由奈。いつにしよっか。」
「夢羽ちゃん、これ昨日借りた千円。危うく返すの忘れるところだったよ。ありがとねー助かった!」
「おー! わたしもすっかり忘れてたよ。あんがとー。」
おぉ、おかえりわたしの野口。道理でお財布の中身が寂しかったわけだ。
「…………ねぇところで由菜さん? 段々突くのが強くなってるのは気の所為ですかね?」
「……夢羽は人気者。」
「何言ってんの。みんなからかいに来てるだけだって。まぁ最後のお金は関係なかったけど。」
みんな、わたしが反省文をくらったことを茶化しに来ているのである。
チャイムが鳴ってからダッシュしたところで当然間に合うはずもなく、由奈と仲良く遅刻してしまった。
現文の山田はマジでやばい。何がヤバいってマジでやばい。一秒遅刻しただけで反省文とか有り得なすぎでしょ。数秒の遅刻とか反省することなんて無いから。
「ていうか何故に由菜は反省文書かなくていいわけ。」
「わかんない。『次は気をつけろ』で終わったよ? 目つけられてるんじゃない?」
まぁ! お下品よ由菜さん。わたしの股の間越しに返事するなんて。
ていうかその角度だと、わたしのパンツ見えてると思うんだけど。そういうのは平気なのね。
「世の中不公平すぎる。」
「先生も、夢羽には絡みやすいんだよ。」
「そんな絡みやすさ要らないんだけど。」
「休み時間とかみんなから引っ張りだこだし。今だって……。」
「それは盛りすぎ。なに、人気者にでもなりたいの? それなら他を当たって欲しいなぁ。」
「違くて……わたしはもっと夢羽と——ってなにしゅるの。」
「いや、なんか由奈のほっぺが膨らんできたから潰してあげようと思って。」
丁度いい位置に由奈の顔があったので、思わずわたしの太ももで挟んでしまった。「そこに顔があるから」とか言うじゃん? うん。言わないや。
ねぇ知ってる?(突然の夢羽しば)
『なぜ山にのぼるのか。そこに山があるからだ』っていう名言は、人生を山で例えたっていう間違った解釈があるらしいけど、実際は違うんだよ~。
彼の言いたかったことはただ一つ。「マジでエベレスト登りてぇ卍」である。
ていうか卍ってもう古くない? 卍が流行ってた時は「あぁ。わたしも高校生になったら言お。」とか思ってたのに!まぁ嘘だけど。
凄まじい時代の流れに打ちひしがれていると、太ももが段々熱を帯びていることに気づく。
ん?由菜の顔赤くない?
「ご、ごめん! 苦しかった? そんなに強く挟んでたつもりはなかったんだけど。」
急いで足を離すと、耳どころか首まで真っ赤だった。
やばい。危うく人を殺めるところだった。しかも股で。わたしの股圧が凶器すぎる件。
「あっ……ぜ、全然大丈夫……。」
「ちょっと調子乗っちゃったかも。ホントにごめん。」
「ほ、本当に気にしないでいいから……。ちょっと冷静に考えたらもうなんか凄いびっくりしちゃったというか、柔らかすぎたというか……。わわわ、私もう帰るね!」
「それならよかった……って、え? いきなり?」
「用事思い出したの!」
「そ、そうなの?」
「そうなの! じゃあね!」
「うん……。ばいばい?」
わたしが言うのもなんだけど、さっきまで苦しんでた人間とは思えない程の勢いで教室を去っていってしまった。なんなら至る所にぶつかりながら出てったけど。
実は小学生の時に一度由菜を本気で怒らせたことがある。その時は優に一週間は口を聞いてくれなかった。だから、さっきの由菜の反応を見る限り怒ってはないと思う。でも念の為また明日謝ったほうがいいかもしれない。
あ、結局ディズニー行く日決めてないよね?
〇 〇 〇
「……はぁ。」
ため息と同時にノートを閉じる。
今この瞬間、世界で誰が一番不幸かと問われたらこのわたしだろう。
部室に誰もいないのをいい事にひと暴れでもしてやろうか。
いや、やめておこう。それ程の自我は残されていた。世界よ、わたしに救われたな。国民栄誉賞待ってます。
都立月橋高校女子硬式テニス部は強豪でもなく弱小でもない。各学年十人ほどから構成され、運動部の中ではダンス部に次いで人数が多い。
先輩達は親切な人ばかりで、女子によくある人間関係のいざこざは見られない。高校からテニスを始めた人も多いので初心者が入りやすい。こんなところが女子硬式テニス部が人気な理由である。一般的にはね。
え? お前は違うのかって? よくぞ聞いてくれました。
わたしがテニス部に入った理由はもちろん、百合に出会えるかもしれないからだ!!
まぁ待て。皆の言いたいことは分かる。テニス部で本当に百合が見られるのかと。吹部に入って黄◯久美子と高◯麗奈を探したほうがいいのではないかと。そう思ってるんだろう。わたしもそう思ってた若い頃があったよ。
私立月橋女学院———通称月女。それは都立月橋高校から歩いて十分のところにある。月橋と月女は文化祭を合同開催するくらいの友好関係にある。その友好関係は女子硬式テニス部も漏れず、現に月女の綺麗なコートを借りて練習できている。
そんなの入る理由にしかならなくない? 合法で女子校に入れるんだよ。やばくない?
ちなみにこの「やばくない?」は女子校に入れることのやばさと、わたしの思考が犯罪的なやばさという掛詞であることに留意して頂きたい。
しかし広いコートといっても、月女と月橋の両部員が使えるほどの広さは無い。ゆえに月橋には先着順で14人という人数制限がある。月女に行く人が名前をノートに書き残すことで人数を把握することができるというわけだ。
そして冒頭のため息に戻る。お分かりいただけただろうか。
反省文がなかったら今頃わたしは天国に行けてたというのに。現代文の山田マジゆるすまじ。いや、逝くのを未然に防いでくれた山田は逆説的に天使なのでは……?
「ま、そんなわけないんだけどね。」
独り言にしては大きめのボリュームで呟く。その独り言を皮切りに胸を張った。
うだうだしてても仕方ない。今日のところひとまず許してやろうじゃないか。人によく言われるが切り替えは早いほうである。
ウェアに着替えるために部室の奥へと進む。
授業で既に体育着は使ってしまったので、着るのはバスケ部時代のウェアだ。あのダボッとした感じのやつね。もちろん顧問から許可されてるし、テニスのショーパンよりバスパンのほうが開放感あってわたしは好き。殿方にはテニスウェアのほうが人気なんだろうけど。
スカートからバスパンに履き替えた後、ワイシャツとキャミを手早く脱ぐ。
ブラ姿になると流石に梅雨寒がわたしの肌を締めた。
その時、タイミングを見計らったように部室の扉が勢い良く開いた。
入ってきた人物——蓮宮……下の名前は確か琴音だったかな。クラスは違うが同じ1年生で、テニス経験者である。
彼女はわたしに脇目も振らず、さっき見ていたノートに近寄った。
わたしに気づいてないのかな。というか寒いから早くドアを閉めて欲しい。そしてちょっと恥ずかしい。
恥ずかしさを自覚して自分の体に目をやる。そこで初めて、胸を手で隠していたことに気づいた。
胸を咄嗟に隠せるのは漫画やアニメの世界だけだと思っていたのに。思ってた以上にわたしの中の女の子は仕事するらしい。
ウェアを取り出し、上から被る。外見は完全にバスケの人のそれだ。まぁ当たり前か。
再び蓮宮さんを一瞥すると、心做しか肩が震えてるように見える。
「蓮宮さん大丈——」
「はぁぁ……。」
わたしの声をかき消すほどのおっきい溜息。声をかけるべきか放っておいてあげるべきか。
……というか数分前にこの光景見たな。見たというより、身に覚えがありすぎる。蓮宮さんの溜息はわたしの古傷(数分前)を抉った。
「残念だよね。あっちで練習出来ないの。」
知らないフリするのもアレなので話しかけてみると、蓮宮さんの肩が跳ね上がった。やっぱりわたしに気づいてなかったらしい。
「あ……あぁ、うん。月女コート広いし綺麗だから使えなくて残念。あ、ていうかごめん。私ドア開けっ放しにしちゃってた。」
蓮宮さんは困ったように頭をかいて笑う。
ショートヘアでテニスが上手な女の子。
そこに「笑った時に八重歯が覗く、可愛い女の子」が追加された瞬間だった。
「平気平気。もう少しで準備終わるから。」
「それならよかった。私もさっさと着替えよっと。」
そう言うと蓮宮さんはドアを閉め、わたしとは反対側のロッカーの前に立った。
「じゃあわたしはお先にコートに……あ。」
「ん?どうかした?」
ちょうどシャツに頭を潜らせた蓮宮さんが問いかけてくる。お、出てきた。
「ブラ変え忘れた。」
「え、どういうこと?」
「スポブラ。部活の前にいつも着替えてるの。」
わざわざ口にすることじゃなかったな、と思ったけど、言ってしまったことはもう仕方ない。
「えー! そうなの! 私だったら家から着てきちゃうな。夏原さん偉い。」
「多分勘違いしてると思うけど違うよ?女子力が高いとかじゃないよ?締め付けられるのが苦手なの。でも部活で普通のブラだと気になっちゃって。」
「あーなるほどね。だからいつもゆるっとした格好なんだね。前から気になってた謎が解けた。」
納得しましたというように蓮宮さんは何度か頷く。
というか前からわたしは認知されていたのか。
思い返すと、一対一で会話したのはこれが初めてかもしれない。地味子というわけではないけど、蓮宮さんの記憶にわたしがいることに少し驚いた。
そんな関係性なのに初手にブラの話を持ってくるわたしも大概である。けれど蓮宮さんにはそれすらも許してくれそうな快活さがある……と思う。あくまでもわたしのイメージね。
「そのうちテニスのウェアにも慣れないとなって思ってはいるんだけどね。試合とか困るだろうし。」
「そうかも。本番動けなかったら意味ないもんね。……ていうかさぁ、聞いてもいい?」
「…………できれば聞かないでほしい……かも。」
「もしかして私のブラ見て自分のブラのこと思い出した?」
「い、言わないでって言ったのに!」
顔が少し赤くなるのが自分でも分かる。いざ聞かれるとちょっぴり恥ずかしい。
「別にいいのにー。減るもんじゃないし。」
蓮宮さんは悪戯っぽく笑う。
それなら改めて指摘しないで欲しかった。けれど同時に、蓮宮さんは心の距離の詰め方がうまいなとも思った。
「もうそれはいいってば。それより、もしよかったら今日の練習相手して。初心者だけど。」
「全然いいよ! ブラのよしみってことで!」
「さては蓮宮さん、めんどくさいタイプだな!?」
蓮宮さんと接点を持つ日は遅かれ早かれ来ただろう。同じ部活なんだから。
それでも。
他人同士だった二人は今一緒に部室を出た———
なんだかちょっぴり青春っぽいな、なんて。
「そういえば今日はなんで蓮宮さん遅くなったの?」
「え。んーと……反省文書いてた……。」
「え。もしかして現代文の山田先生?」
「え。うちらの授業の前でも反省文くらった人いるって言ってたけどそれって……。」
「それわたしだ。」
「……ぷっ。私たち似たもの同士かもね。」
「いや、わたし別に蓮宮さんほどめんどくさいタイプじゃない。」
「えーひどーい!」
わたし達のキューピットが山田だった件について。