見えない犯人
食堂に向かう途中、両刑事はいったん捜査本部室に立ち寄った。
本部室内前面には捜査の進みぐあいが記されたホワイトボードが設置されてあり、二人はそれを確認するためにわざわざ立ち寄ったのだ。
午前中に判明したのであろう。
ホワイトボードには検死結果が記されており、死因はやはり失血性ショック死だった。そして凶器の推定図もあった。
その凶器はストロー状であり、管の先が注射針のように鋭くとがってる。
「これって、なんでしょうね?」
「わからん、オレも見たことがねえな」
「血液をじかに吸引されたってことですが、これだけじゃ吸い取れませんね」
「ああ。おそらく、別の装置に取りつけて吸引したんだろうな」
「それには小型のポンプと、モーターみたいなもんがいるのでは? それに抜いた血液を入れる容器も」
「そこらは、今も調査中なんだろう」
「どちらにしろ犯人が内部の者であれば、そういった装置が研究所内に残ってるんでは?」
「だがな、人を殺すのに、なんでそんなものまで使うのかまったくわからん」
「時間はかかるだろうし、それに証拠だって残りますからね」
「研究所の者ならなおさらだ。たんに殺すことが目的なら、心臓を刺すだけでいいだろう」
「ですよね。何が目的で、犯人は血液を抜いたんでしょう? まったく意味不明です」
「とにかく昼メシだ」
「腹がへってはイクサはできませんのでね」
「イクサはなくても、オマエにはメシがいるだろう」
「まあ、そういうことですが」
両刑事は捜査本部室を出ると、慣れない署内を歩いて地下の食堂へと向かった。
午後。
吉村刑事たちは、もう一台の監視カメラの記録を調べにかかった。
それは移動式で、敷地全体をくまなく写すようになっていた。怪しい者が射程内に入れば、レンズの目が確実にとらえる。
最後まで目を通し終えたところで……。
坂下刑事の顔には、落胆の表情が今度こそありありと浮んでいた。
吉村刑事にいたってはさらにひどかった。椅子に座ったまま両手を首のうしろで組み、だらりと足を投げ出している。
「これではなあ」
肝心の現場が、植え込みの木々によって死角となっていた。そしてさらに、カメラの射程は刻々とスライドしながら敷地内を往復する。三十秒ほどの間、どの場所も空白の時間帯が生じていたのだ。
だがそうであっても、敷地内のおおかたの状況はわかる。
坂下刑事がその点をつく。
「カメラの盲点をついて、犯人のヤツ、うまいぐあいにやったんでは?」
「そいつはオレも考えたよ。だがな、犯行前後の行動経路を考えると、どうやっても無理だろう」
「たしかに無理ですね」
犯行現場に近づくとき、また離れるとき、どこをどう通っても犯人は、カメラの射程内に必ず入ることになるのだ。
二本の記録を見るのにまる一日をつぶした。それでもって、なんの成果も得られなかった。
「疲れたな」
吉村刑事はつぶやいてから、ポケットをまさぐりタバコを取り出したのだった。
事件発生から一週間が過ぎた。
その間の捜査状況だが……。
内部の者からは、事件に関係していそうな人物は一人として浮上しなかった。ならば侵入者の犯行、もしくは病死か自殺ということになる。
後者はただちに除外された。死体の胸には刺し傷が残っており、しかも大量の血液が抜かれている。こうした証拠が残っていたからだ。
残るは侵入者の犯行。
これにしぼって県警は捜査を進めていた。ところが進めるほどに、いよいよ先が見えなくなってしまうのだった。
ハシゴなどを使用しての実験も行われた。
だが、どうやっても高圧の電線に触れてしまい、塀を越えての侵入は不可能だった。たとえ侵入できたとしても、今度は敷地から脱出する手段がない。
さらには二台の監視カメラの記録。
侵入者はどちらにも映っていなかったのである。
平行して、凶器についても徹底的に調べられた。
その結果。
死体に残っていた傷跡から、犯行のために特別に作られたものだと考えられた。しかし、わかったこともそこまでである。
捜査は迷路に迷い込み、空を切る日々だけがかけ足で過ぎていった。
県警本署近くにある、警察寮。
両刑事は出向して以来、この寮の一室を仮住まいとして寝泊りをしていた。そして休日も返上して、寮と本署とを往復する毎日が続いていた。
寮生活もすでに一カ月近く、二人が寮に帰るのはほとんど深夜である。
「ここでの生活、しばらく続きそうですね」
「まちがいねえな」
吉村刑事は手にした資料から目を離し、おもむろに顔を上げた。
資料は捜査本部室から持ち帰ったものだ。寮に帰っても事件のことが頭から離れず、毎晩こうして目を通すのが日課となっていた。
「最近、新しい情報が出ませんね」
「ああ、捜査はどんづまりだ。まったく先が見えてこねえ」
毎日のように開かれる捜査会議で、最近はこれといっためぼしい報告がない。いっこうに糸口さえつかめないでいたのである。
「マスコミの連中、その後の経過はどうなってるんだと。新しいネタがないもんですから」
「だろうな」
「しょうがないですよ。ないものはないんですから」
「あれば、こっちが欲しいくらいだ」
吉村刑事は苦笑いしてから、タタミの上に資料を放り投げた。
「こっちの苦労も知らないで」
「寝るぞ、明日も早いからな」
気分がいらだっているのは、ほかの捜査員たちもこの二人と同じだった。袋小路の迷路を目隠しで歩く、そんな日々が続いていたのである。
犯人の影さえ見えないまま……。
カレンダーは六月のページがめくられた。




