死因と凶器
午後になると――。
バイオ研究所の敷地内は県警本署の刑事と鑑識官らであふれていた。
この中には吉村と坂下の両刑事の姿もあった。最初にかけつけたこともあって、そのまま引き続き捜査に加わることになったのだ。
県警の刑事たちは、手なれたようすで捜査活動を進めていた。警備詰所を中心とした現場検証もすこぶる順調に進んだ。
平行して事情聴取も行われた。
職員全員が研究所の会議室に順次に呼ばれ、おのおの簡単な聴き取りがされた。不審な者については明朝から県警本署内で、あらためて事情聴取が行われることになっている。
犯行現場には、死んだ警備員の外形だけが白いチョークの線として、警備詰所の壁とアスファルトに残されていた。遺体は検死のために、すでに大学病院へと搬送されていたのである。
夕暮れ前。
おおかたの捜査員は現場を引き上げ、残った数名の捜査員らも帰り支度をしている。
吉村刑事と坂下刑事は植え込みの縁石に並ぶように腰をおろしていた。やることもなくなり、沈みゆく夕日をぼんやりながめていたのだ。
山ぎわに落ちる寸前の斜陽は、わずかな残光をまわりの山々に投げかけていた。
「疲れたな」
「朝早くからですからね。とにかく腹がへって、腹がへって」
坂下刑事が苦笑いを浮かべる。
自分たちだけ身勝手が許されるはずもない。朝食と昼食は、昼過ぎに食べた弁当だけであったのだ。
「死因は失血性ショック死らしいぞ。かなりの量の血液が体内から出ているそうだ」
吉村刑事が鑑識官との立ち話を教えた。
「失血死ですか?」
死因を知らされて、坂下刑事は意外だという顔をした。猛毒によるものと思いこんでいたのだ。
「でも、出血の跡はなかったですよね。そのことについては何か?」
「心臓からじかに吸引されてるらしい」
「吸引って、血液を吸い取ったと……。そんなことができるんですか?」
「できるんだろうよ。実際に、ああしてやってるんだからな」
「で、その凶器のたぐいは?」
「そこまでは話してなかったな。今日の段階では、鑑識官も断定できんのだろうよ。まあ、これから死体解剖が進めば、それも特定できるだろうがな」
「だったら、あの皮膚の変色は?」
「毒薬のことか?」
「でなきゃあ、皮膚があんなにはならないでしょう」
「当然、鑑識官はそのことも疑っていた。だが、そいつは検死をしてからだと」
「そうですか」
「毒殺であれば、犯人が血液を抜いたことに説明がつかんだろう」
「ですね。そんな必要、まったくありませんので」
「それも、いずれわかるだろうがな」
吉村刑事はタバコに火をつけると、大きく吸い込み一気に煙を吐き出した。
白い煙が夕暮れの空に吸い込まれてゆく。
その日の夜。
捜査本部が県警本署内に立ち上げられた。
本部は署長を本部長として、捜査課に所属する十名ほどの刑事全員で構成される。その中には、吉村、坂下の両刑事も名前を連ねてた。ことのなりゆきから署長に参加の要請をされたのである。
二人の勤務する地元の警察署は、県警本署から北の方角にかなり離れており、車を使っても二時間ほどかかる。
で、やむなく……。
警察寮に仮宿泊しての、県警本署への一時的な出向扱いとなった。捜査本部が解散するまで本署勤務ということである。
あわただしい一夜が明ける。
吉村と坂下の両刑事は、早朝から捜査本部室とは別の一室に閉じこもっていた。研究所から提供された監視カメラの記録を調べていたのだ。
まず、正門ゲートの監視カメラから調べた。
この監視カメラは固定式で、レンズのとらえる範囲は正門ゲート付近のみであるが、現場の詰所に近いことから犯人の写る可能性が高い。それで先にチェックしたのである。
警備員が交代した時刻から、死んだ警備員が朝に発見されるまでを見通した。時間帯が来客のない夜間であるせいか、ゲートは一度たりとも開閉されることはなく、なんら怪しい者も確認できなかった。
記録を見終えたところで、坂下刑事は無念そうにくちびるをかんだ。
「これに期待していたんですがね」
「まあ、そうがっかりするなよ。もう一本あるじゃないか」
吉村刑事が椅子から立ち上がり、玄関から写されたテープを再生装置にセットしようとする。
「もちろん、それにも期待しています。でも、昼メシを食べてからにしませんか?」
坂下刑事が昼食を申し出る。
「もうそんな時間か」
吉村刑事はあわてて腕時計を見た。
すでに十二時半をまわっていた。一本をひととおり見るだけで、かなりの時間がかかっていたのだ。
「とりあえずメシだな」
「はい、ずいぶん腹がへりましたので」
坂下刑事は人並み以上の体格をしている。それだけに人並み以上に腹もへるのだ。
二本目のテープは午後に調べることにして、さっそく二人は腹ごしらえにと、署内にある地下の職員食堂に向かった。