奇跡の日
その夜。
夜半から強くなった風が、ひと晩じゅう近隣一帯で吹き荒れる。公民館の建物にも音を立て、風はようしゃなく吹きつけていた。
朝、七時前。
公民館の中は、空気が凍るほど冷え切っていた。
三人とも目をさましていたのだが、この寒さになかなか起き出せず、寝袋の中で風の音を聞いていた。
迎えのヘリが九時に来る。
「そろそろメシにしませんか」
坂下刑事が一番に寝袋からはい出した。さっきから空腹をがまんしていたのだ。
「じきに暖かくなりますので」
さっそくストーブに火を入れ、水の入ったヤカンを乗せる。
「お湯がわいたらコーヒーをいれてくれんか」
本部長が寝袋の中から注文する。
「オレも頼むよ」
吉村刑事も寝袋から手を出し、タバコと灰皿をたぐり寄せた。
「ところで、夕べはどうしたんでしょう? 巨大蚊の羽音、夜半になってピッタリやみましたけど」
坂下刑事が問うように、二人に話しかけた。
「オレも不思議に思っていたんだ」
「早くに明かりを消したんで、森に帰ったんですかね?」
「いや、昨日は明け方まで聞こえてたじゃないか」
「ですよね。ヤツら、わたしたちがいたのはわかっていたはずですからね」
「あきらめたとは思えんしな」
吉村刑事は朝の一服を終えると、寝袋からのそのそと起き出した。それから窓辺に立って、外のようすをうかがうようカーテンを引いた。
外は吹雪き、見渡すかぎり真っ白だった。
「おっ、雪だ!」
吉村刑事の声に、本部長と坂下刑事も窓辺にやってくる。
「どうりで冷え込むと思ったよ。夜のうちに、かなり降ったようだな」
「いやあ、おどろきましたよ。こんなに初雪が積もるなんて、わたしも初めて見ます」
吉村刑事は地元の警察署に勤めて長い。それでもこの地域で、この時期、このような大量の初雪は経験したことがなかった。
「うん? 今、何か動きませんでしたか」
坂下刑事が目をこらすようにして、窓の外の一点を指さした。
「どうした?」
本部長が坂下刑事の指さす先を見る。
かなり吹雪いており、遠くの山々は白くかすんでいた。すぐ近くの木々でさえ、降りしきる雪にぼやけて見える。
「ほら、あの木のあるところ。その下です」
そこには黒く細長いモノがあり、それはまわりの雪景色とはアンバランスに感じられた。
「おっ、動いた。あれだな」
吉村刑事も指さす。
積もった雪から突き出た、細長くて棒切れのようなモノ。それがかすかに動いている。
それはすぐに動きを止めた。
「あれって、巨大蚊の足では?」
「まちがいないな。夜のうちに落ちて、雪に埋もれたんだろう」
本部長も確信するようにうなずいた。
「そうか! ヤツら、飛べなくなったんですよ。夜半に羽音がピタリとやんだのは。この大雪のせいだったんです」
吉村刑事の顔つきが、疑問から解き放たれたようになる。
三人はさっそく防寒着をはおると、積もった雪を踏みしめながら黒いモノのある場所へと行った。
黒いモノ。
それはやはり巨大蚊の足だった。息絶えているのかピクリとも動かない。
さらにおどろくことに、付近を捜索してみると、巨大蚊の死骸が転々と転がっていた。
三人からの報告により。
毒薬の散布は、決行寸前でからくも中止されたのだった。
昨夜。
冬の始まりを知らせるかのように、自然はこの北国に大量の雪を降らせた。
木枯らしが、吹雪が、ひと晩じゅう巨大蚊を攻め続けた。人類が作り出し、人類最大の敵となった巨大蚊を、自然はあっけなく滅ぼしたのだ。
それからも、自然は人類に味方をしてくれた。
寒風が吹き荒れ、雪が断続的に降り続く。
こうして皮肉にも……。
人類から破壊されようとしていた自然が、破壊しようとしていた人類を救ってくれたのである。




