新たな作戦
政府は新たな作戦を発表した。
避難対象範囲は大きく広がり、バイオ研究所を中心に半径五十キロメートルにもおよんだ。だが、それはやむをえない決定だった。
散布された毒薬は雨水などにより、いずれ近くの河川にも流れ込む。その一帯では、水道水も作れない状況となるのだから……。
住民はすぐさま避難を始めた。
調査隊は避難の誘導をした。各村一軒ごとに家をまわり、残っている者がいないか確認してまわった。
それに平行して。
自衛隊は毒薬の散布に向け、それまで駐屯していた学校から引き上げた。
多くの住民が住みなれた土地を捨て、生まれ育った故郷を離れた。それを見届けた調査隊も避難対象地域からの撤退を始める。
明るい日中という限られたなかではあったが、これらの作業は順調に進められた。
作戦決行の前日の夕方。
吉村刑事たち三人を残し、すべての者が避難対象地域からの退避を完了したのだった。
この日。
鉛色の雲が地上近くまで垂れ込め、闇がすぐにでもバイオ研究所を呑み込まんとしていた。
バイオ研究所に近い公民館には、吉村と坂下の両刑事、そして本部長の三人が残っていた。
任務は毒薬投下直前の明朝までである。
先ほどから坂下刑事は、三人分の夕食の準備していた。とはいっても、急ごしらえのカップラーメンではあったが。
吉村刑事は政府の資料に目を通していた。
その資料には今回の計画のあらましが記載されており、散布範囲、使用量、使用方法の説明のほか、薬の具体的な絵や特徴も書かれてあった。
薬は豆粒ほどのカプセルで密封され、上空からヘリによっていっせいにばらまかれる。
地上に落ちたカプセルはやがて溶け、外に漏れ出た薬が大気と化学反応を起こし、大量の猛毒ガスを発生させる。わずかな量であっても、その効力は広範囲におよぶようになっていた。
ただ……。
散布する対象範囲は広大で、しかもその一帯は大半が森林である。一部でも薬の効果のおよばない場所があれば、そこに潜む巨大蚊は生き残ってしまう。
吉村刑事は資料から目を上げ、気になるふうに本部長に問いかけた。
「うまくいきますかね?」
「信じるしかないだろう」
「毒薬の影響、この資料には載ってませんね」
「まだ解明されていないそうだ。ただいつまでも、土壌に残るのはまちがいないようだがな」
薬は開発されたばかりである。
効果については実証済みだったが、その後の影響まではデータがない。どれだけの期間、どれだけの量が土壌に残留するかは不明であったのだ。
「それじゃあ、わたしと坂下は、本署にずっと出向だってことになりますよ」
「いいじゃないか、それも」
本部長の冗談に、吉村刑事は笑って返してから窓の外を見やった。
「昨晩はひどかったですねえ。あの音にはどうしてもなれません」
夕べは一晩じゅう、大気を震わせる巨大蚊の羽音が聞こえていたのだ。
公民館の窓には、すべて金属製のフェンスが取りつけられてある。中にいるかぎりは安全なのだが、巨大蚊は壁一枚へだてた所にいる。それがわかっているだけに気持ちのいいものではない。
「明かりがあるのはここだけになったからな。付近にいたのが、こぞって集まってきたんだろう」
吉村刑事の視線の先を追うように、本部長も窓の外を見やる。
「ボクも眠れませんでしたよ」
坂下刑事が二人の話に加わった。
手にしたお盆には、できあがったばかりのカップラーメンがある。
「のびないうちに食べましょうよ」
「では、いただくかな」
「今晩はもっと来るぞ」
吉村刑事はカップを手に窓辺に立った。
外をながめやる。
窓の外は、すでに夕闇につつまれていた。
風が出ている。
木々の枝をゆらす音が聞こえた。
北国は本格的な冬を迎えていたのだった。




