人類の危機
北国は本格的な秋を迎えていた。
朝夕は肌寒ささえ感じさせる。
増加に転じた巨大蚊は、じわじわと飛来する地域を広げていた。一度に、そして一カ所に現れる数も、ふたたび多くの集落におよぶようになる。
現地対策本部室の隣室。
壁には地図が貼られており、研究所を中心点に三キロごとに円が描かれていた。
巨大蚊が現れるたびに、その地域の調査隊員から報告が入る。それを受け、坂下刑事は地図上に赤いマークを落とした。
それは日を追うごとに放射線状に広がっていた。
今では中心からもっとも遠いマークはすでに七本目の線、つまり巨大蚊の飛来する範囲は半径二十キロを超えていた。
「調査隊も大変だぞ。いくらつぶしても減らねえんだからな」
「それに最近、たびたびおそわれていますね」
「ああ、みんな命がけだ」
昨日も一名、調査隊の隊員に犠牲者が出ていた。
薄暗い森の奥では、調査中の隊員が巨大蚊とはち合わせをして、いきなりおそわれることがある。よって最近は、そうした事態に備え、隊員全員が巨大蚊を追い払う催涙ガスを携帯していた。
「どうもひっかかるな」
吉村刑事が独り言をもらす。
「えっ、なんのことですか?」
「肌の色だよ」
「まったく変色してないってことですね」
今朝の会議で鑑識官から報告があった。
それによると……。
今回犠牲になった隊員は、半日を過ぎても肌の変色が見られないのだという。
「血液は抜かれていたのによ」
肌の変色の度合いは以前に比べ少しずつ弱まっていたのだが、それは毒液の量によるもの。催涙ガスで追い払うことにより、巨大蚊に注入される量が減ったからだと考えられていた。
だがこれでは、今回の件は説明がつかない。
「なんでですかね?」
「こいつはオレのカンだがな。何かが変わったんじゃないか……巨大蚊の何かがな」
吉村刑事は窓辺に行き空をあおぎ見た。
北国の地は、早や日が暮れようとしていた。
北国の秋はかけ足で深まる。
朝晩はめっきり冷え込むようになった。それにつれ山々は鮮やかに色づき、木々は次々と色づいた葉を落としていった。
そんな寒さにも、巨大蚊はいっこうに衰えを知らなかった。
太古よりるいるいと生命をつないできた蚊。
その生命力に対し、人類の文明がいかに無力であるかを、人々は思い知らされたのだった。
季節が晩秋へと移る。
巨大蚊の勢いは、まったく衰えを見せなかった。それどころか、さらにその生息範囲を広げていた。
退治し続けても、いっこうに数が減らない。繁殖地を徹底的につぶしても、ちがうどこかを新たな繁殖の場としてしまう。
こうして今では、生息範囲が半径二十キロメートルを超えるまでになっていた。
巨大蚊の飛行距離と繁殖力から、専門家たちは今後の生息範囲を推測した。
その結果。
わずか数年で北国全体にまで拡大してしまう。さらには日本各地が、いずれ巨大蚊に占領される日がやってくる。
そんな日が必ず来ると予想した。
北国は冬を迎えた。
県警本署内は以前に比べ閑散としていた。巨大蚊の生息範囲が広がり続けるにつれ、メンバーの多くが現地で活動することを余儀なくされ、活動拠点を公民館や消防詰所などに移していたのだ。
これまで――。
重油で繁殖地のすべてをつぶす。
現れた巨大蚊を退治する。
この二つの作戦を柱として、政府は巨大蚊の絶滅を目指して展開してきた。
だが……。
もはやこれらは、高くして厚い壁の前で立ち往生していた。壁を越えるには、これまでとはちがう……まったくちがう作戦を迫られていた。
次なる新たな作戦は、政府内でひそかに検討がなされていたのであった。




