戦いの始まり
人類と巨大蚊の戦いが始まる。
このとき、だれもが想像だにしていなかった。この戦いが、思いもよらぬ方向へと進み、思いもよらぬ結末を迎えようとは……。
避難対象地域では、役場の広報車がくまなく走りまわり、住民へ早急の避難を呼びかけた。テレビやラジオなども繰り返し避難指示を流す。
午前中のうちに大半の住民が、集落から遠く離れた安全な場所へと移動した。
午後になると、消えた住民と入れかわるように、武装した自衛隊員――地上部隊が割り当てられた学校に結集を始める。
集落のある村へと続く幹線道路は装甲車や戦車の長蛇の列が続いた。
同時に飛行部隊も入ってくる。
彼らは攻撃用と輸送用のヘリコプターを使い、直接空から駐留先のグランドに乗り入れてきた。
自衛隊は三カ所の学校に分かれて駐屯した。
学校のグランドは、戦車、装甲車、ヘリコプターで埋まり、またたくまに臨時の基地となる。
一方の公民館と消防詰所。
それらは各地から応援に入った警察官らでごった返していた。
彼らは四、五人集まるごとにひとつのグループを組んだ。調査隊の編成であり、そのグループは三十組ほど結成される。
午後一番。
調査隊は池や沼が記された地図を手に、それぞれ各グループに割り当てられた目的地に向かった。
ところが……。
地図はあっても土地カンがなく、山の中で何度も道に迷うことになる。さらには道のない目的地も数多くあり、そこへ着くことさえ困難をきわめた。
時間だけが刻々と過ぎてゆく。
県警本署内。
吉村と坂下の両刑事は本部室にいた。調査隊からの報告を受け、それを飛行部隊へ伝達する任務を任されていたのだ。
たった今。
本部長が政府主催の会議からもどってきた。本部室に入るなり、吉村刑事のもとへと歩み寄る。
「報告は、まだ入ってないそうだな」
「残念ながら」
吉村刑事は首を横に振ってみせた。
日没が近いというのに、卵発見の報告はいまだに一件も入っていなかったのである。
「卵はすべて、巨大蚊になったのかもしれんな」
「そうであればいいんですが」
「さっきの会議じゃ、専門家の連中は必ずあると言っておったがな。あっても悪い。あって見つけられんのは、さらに悪い」
本部長はため息まじりの大きな息を吐いた。
夏の太陽は徐々に光を弱めながら、西の山の頂の向こうに沈んでいた。
日没まで時間はさほどない。
そのころ――。
ある調査隊は目的地最後の沼を目ざしていた。
その沼は森の奥深くにあるため、途中で車を乗り捨て、険しいケモノ道を徒歩で進むしかなかった。両側の木々の枝をかき分けるようにして、一歩、一歩、隊員たちは歩き進んだ。
森の中は日暮れが早い。
あたりが薄暗くなるころになって、ようやく地図に記された目的の沼にたどり着く。
その沼は道から見下ろす位置にあり、周囲は三十メートルほどと小さなものであった。
そして、そこには……。
水中を浮いたり沈んだりと、巨大な生物がせわしなく動きまわっていた。さらに沼のふちには、水晶玉のような卵がぎっしりとつらなっていたのだった。
「あれって、ボーフラと卵だろう?」
「ああ、まちがいないな」
「でかいな」
「でか過ぎるよ」
ボーフラは丸太のようで、全身が黒っぽい色をしていた。頭部には二本のツノらしきものがあり、胴体には一定間隔にくびれが入っている。
巨大なボーフラは体をくねらせながら、ひっきりなしに浮き沈みを繰り返していた。そして浮き上がるたび、水面に大きな波紋を作る。
このことは調査隊から、ただちに現地対策本部に報告された。指示を受けた飛行部隊は作戦どおり、ヘリで現場の沼に直行したのだった。
かたや地上部隊。
彼らは万全の攻撃体制を整えていた。巨大蚊がいつどこに現れても撃退できるように……。
ところが。
この夜、巨大蚊は現れなかった。なぜか一匹たりとも姿を見せなかったのである。




