転生したのにチートも何もなかった挙句に魔王への生贄にされたんですが、そのおかげでなんだか人生良い方向に逆転しちゃいそうです!?
いいことなんて、何一つない人生だった。
最初の人生は、それはもう惨めで何もかもが上手くいかなくて。
こんなものかと諦めを引きずりながら大学を出て、働いて、ある日交通事故で死んでしまった。
けれど驚いたことに、私はもう一度目を覚ますことになった。
見慣れぬ壁、見慣れぬ天井、見慣れぬ街。
私は、生前とは違う世界に生まれ変わっていたのだ。
アーシャと名付けられた私は、何か特殊な能力があるわけではないが、随分と可愛らしくなった外見と、生前の知識を持っていた。
生まれ変わったこの世界は、文明レベルで言えば中世か近世か、そのくらいだ。
魔法はあるようだが、一般人がほいほいと使えるものでもない。
であれば、生前の科学知識を駆使すれば、きっと今度こそ私は自分の居場所を作れるはず。
そう、思った。
けれど、現実は残酷だった。
知識、教養よりもその日の労働力が尊ばれる山の農村。
何しろ字を学ぼうとするだけで奇異の目で見られるような土地柄だ、私が謎の知識など披露すれば、向けられるのは尊敬の目ではなく薄気味悪いものを見るような目。
何か提言すれば、煙たがられる。
いつしか私は、魔女か何かに魅入られたのだと噂されるようになり。
ある日。突然来た領主の兵により拘束され、有無を言わさず引っ立てられた。
その時の両親の、ほっとしたような顔が頭にこびりついて離れない。
そのまま、領主である子爵の館まで連れられた私は、下卑た顔の子爵と対面した。
「本来であれば魔女である貴様は即刻打ち首なのだがな。
喜べ、貴様には名誉ある、意味ある死をくれてやろう」
どうやら、魔女に魅入られたどころか、魔女扱いになっていたらしい。
草木灰の灰汁で簡単な石鹸を作って、皿を他の家より綺麗にしていたくらいのことしかしていないのだが。
何やら得意げに語る子爵の話を聞きながら、私はそんなことを考えて現実逃避をしていた。
逃避していても現実はやってくるわけで。
今度は、王都へと送られ、また別の貴族と対面することなった。
じろじろと無遠慮にこちらの顔を覗き込んでくるその表情は、相当に下種な商人のようだと思ったことを覚えている。
「なるほど、この顔ならば問題あるまい」
「ははぁっ、閣下のお眼鏡に適いまして恐悦至極にございます!」
子爵と、閣下と呼ばれた男が繰り広げる三文芝居を、私は随分と冷めた目で見ていた。
ひとしきり茶番を繰り広げた二人が、こちらへと振り向いた時に見せた表情に私は背筋を震わせる。
「喜べ娘。貴様は、魔王への名誉ある供物として選ばれた」
ああ、なるほど。
それは、ああも下種な商人に見えたはずだ。
やつらの顔は、本性は。
下劣な奴隷商人だったのだから。
こうして私は、魔王の住む島へと送られることになった。
島、とは言うが、正確には島国、というべきだろう。
私の聞き知る限りでは少なくとも四国程度、もしかしたらそれ以上、イギリス本土グレートブリテン島くらいの大きさがあるかも知れない。
その島は、私の住んでいた大陸の南の海に、数十年前、いきなり浮上してきたという。
突如として大陸全土の空が曇り、雷が鳴り響き、嵐のような風が吹き荒れ、その風の中に魔王の声を聴いた者もいたとか。
起こった現象、島の位置が伝承にあった魔王の伝説と合致していたため、人々は魔王が復活したと認識。
魔王にどう対抗すべきか、議論が重ねられた結果……人々は、魔王に供物を捧げることを選択した。
見目麗しい乙女たちという供物を。
それも、年に一人二人というレベルではなく、各国が競うかのように。
「それで収まる魔王も魔王よね……」
島へと送られる船の中で、私はため息とともに呟いた。
その結果、かはわからないが、確かに魔王が大陸に向けて侵攻して来るような事態は起こっていない。
また、送られた女性達は一人として帰ってきていないという。
性的な意味でか物理的にかはわからないが、食われてしまったのだろう、とまことしやかに言われている。
まあ、そうなのだろう。
伝承によれば、風属性の魔物を引き連れ、嵐を呼び、雷撃を雨あられと落として大陸中を席巻し、人間を絶滅の縁へと追いやったらしい。
後に勇者に倒され、島とともに封印されたと伝承は結ばれているそうだ。
「なんで封印とか中途半端なことするかなぁ。っていうかそのまま寝てなさいよ」
復活した魔王に捧げられる供物としては、そうぼやかざるをえない。
おとなしく寝ていてくれれば、こんなことにはならなかったのに。
いや、あるいは。
「かえって、諦めがついていいのかもなぁ……」
結局、この世界でも私の居場所はなかった。
作ろうと頑張ってはみたけれど、徒労に終わった。
また転生できるかはわからないけれど、あのままじわじわすりつぶされるような人生を送るよりは。
そんなことすら思ってしまう。
「……食べるんなら、一思いにやって欲しいなぁ」
もう、どうでもいいや。
私の心の中は、すっかり冷めきっていた。
十日ほども船に揺られただろうか。
とうとう私は魔王の島へと到着してしまった。
私と、同じ境遇らしき女の子たちが十人以上、港へと下ろされて。
魔王側の役人らしき人? に引き渡したと思えば、彼らはさっさと帰るべく、船を出す。
一分一秒でもこの島にいたくないらしい、見事な手際の良さだった。
そんな彼らの出向を、魔王側の役人は侮蔑の表情を隠さずに眺めていて。
出航してしばらくしたと思えば、私たちの方に向き直る。
「あ~……遠路はるばるようこそいらした、歓迎する、などと言われても、あなた達には迷惑かどうでもいいかどちらかだとは思う。
あなた達の境遇には同情するし、その心情は推し量ることもできないとも思う。
いや、すまない、同情を侮蔑と思われた人がいたら申し訳ない。
そういうつもりはないのだが、私にはそんな表現しか思い浮かばないのだ」
驚いたことに、聞こえたのは女性の声だった。
役人が被っていたフードを外せば、ふわり、長い藍色の髪が風に踊った。
整った顔立ちの中央に輝く瞳は髪と同系色の深い藍。
やや釣り目気味で意志の強そうな顔は、若干の困惑と同情とがないまぜになった複雑な表情を浮かべている。
頭部から生えた二本の角、頬や首筋をところどころ覆う鱗。
背中には立派な翼も生えている。ただし、コウモリのそれによく似た形の。
「……半竜人……?」
思わず、そう呟いてしまった。
すぐに、はっとして自分の口元を両手で押さえる。
人間とドラゴンの相の子である半竜人。
ハーフエルフなどがそうであるように、自らの出自が元で差別されることなどもあり、ハーフと称されることを忌み嫌う者もいるという。
目の前にいる役人がもしそうであったなら……激高した半竜人に、軽く撫でられるだけでも私など吹き飛んでしまうはずだ。
そう思い至り、口を押え、身体を硬直させながら、恐る恐る役人の方を伺った。
だが。
「おお、そうだ、その通りだ!
よく知っていたな、初対面で言い当てられたのは久しぶりだ!」
むしろ、喜んでいた。
後に彼女から教えてもらったのだが、初めて迎え入れを任されて、どうやったら少しでも打ち解けてもらえるか悩んでいたのだそうで。
私が反応を示したことで会話が繋がり、本当に助かった、と感謝された。
むしろ、感謝するのは私達の方なのに、と思うのだけれど。
「あ、いえ、その、たまたま本で読んだことが……すみません、不躾に」
「いやいや、全く問題ないぞ、私は!
むしろ光栄だな、よくぞ知っていてくれた!」
そう言って快活に笑う彼女の声に、表情に。
私は。私たちは。
自分たちを締め付けていた冷たく重い何かが、ゆっくりと解かれていくのを感じていた。
「私はゲルトルーデ、この国の騎士であり、あなた達を迎え、魔王様の城へと案内する者。
そして、あなた達の身を守る者、だ。
あなた達の安全はこの私が保証する。どうか安心して欲しい」
凛々しく、それでいて優しく。
彼女の告げる声音に、その言葉の意味に、何よりもその率直さに。
私達はただ瞳を潤ませ、声を出すこともできない。
「そうだ、もしよければ、私のことはゲルダと呼んでくれ。
後で皆の名前も教えてもらえると嬉しい」
にっこりと笑顔を浮かべながらそう言われたら、もう堪えることは無理だったらしい。
ぐず、とすすり泣く声が聞こえて。それが、一人、二人、と伝播していく。
やがてほとんど全員が泣き出してしまえば、彼女は覿面にうろたえてしまって。
「なっ、ど、どうしたのだ!?
いや、そんなに嫌だったのならば強制はしないから!
そうだな、すまない、魔族に親し気にされても困るだろうな……」
「違うんです、そうじゃないんです」
なんとか、まだまともに声が出せる私が皆の代弁をする。
私の声も涙声になってしまってはいるけれども。
それでも、誠意を見せてくれた彼女に誠意で返そうと、笑顔を見せた。
「きっと、ですけど。嬉しいんです。ほっとしたんです。
私達、どうなることかと思っていたのに、そんなこと言ってもらえて、安心したんです」
私の言葉に、他の女の子達もうんうんと頷いて見せる。
それを見て、彼女も安心したような笑みを浮かべた。
「そ、そうか、それなら、私も嬉しい。
あなた達の心労は、察するに余りある。私の言動が少しでも役に立てたなら幸いだ」
どこまでお人よしなのだろうか。
そんなことを言われれば、一層感極まって泣いてしまう女の子は増えてしまう。
途端にあわあわと慌て出す姿を見れば、くすくすと笑いだす子が数人。
私も、その中の一人だ。
そして、打ち解けようと頑張っているこの人に、ちょっとだけ歩み寄りたくなってしまった。
「あの。私、アーシャって言います。
お言葉に甘えて、ゲルダさんって呼んでも、いいですか?」
「ああ、大歓迎だ! アーシャだな、よろしく頼む!」
その瞬間に見せた、とても、とても嬉しそうな笑顔は、忘れられないほどのもので。
思わず私は、見惚れてしまった。多分、他の子も。
そして次の瞬間。
「あ、わ、私、キーラっていいます! よろしくお願いします、ゲルダさん!」
「私クリスです、ゲルダさん、クリスをよろしくお願いします!」
「あ、私も!」
次々に、勢い込んで名乗り始める彼女たちを相手に、たじたじとなりながらも。
「あ、ああ、よろしく頼む!
だが、すまない、もう一度ゆっくりと……私は、そこまで覚えが良くないんだ」
ゲルダさんは、恥ずかしそうな笑みを浮かべながら、そう言った。
しかしそれは、かえって女の子達を煽ってしまったようで、さらに押しかけるように群がっていく。
「……それ、逆効果ですよ、ゲルダさん」
多分聞こえていないだろうけれども。ぽつり、そう言わざるを得なかった。
「それにしても……思っていたのとかなり違うんですね、魔族の方って。
魔王様も、多分私たちが思っているのと全然違う気がします、この分だと」
一通り挨拶の交換が終わったゲルダさんへと声をかける。
少し疲れてはいるけれど、とても嬉しそうなゲルダさんは相変わらずにこやかに応対してくれた。
「そうだな、あなた達がどう思っているかは想像するしかないが……ほぼ間違いなく違うと思う。
まあ、だからあなた達が送られてくるのだとも言えるが……」
不意に、表情を曇らせる。
ふぅ、と重くため息を吐いた。
「そして、だからこそ、あなた達が送られてくるのは理不尽なのだが」
とても困ったようにそう告げるゲルダさんの言葉の意味を、そのすぐ後で私達は知ることになる。
そして、私達はついに魔王の城へと連れていかれた。
……正直なところ、案内された、というのが適切なくらいに丁重に。
ガイドよろしく色々と紹介してくれるゲルダさんの姿は、いじましいくらいだった。
その案内のおかげで、私たちは知ることができた。
どうやら、ここに送られてきた人たちで街を作ることになったらしい、と。
「そもそも、私たちは人間を食料になどしていないのだ。
そういう魔物がいることは事実だが、この島にいる魔物は基本的にはそれ以外の動物や植物を食する生態だ。
考えてもみてくれ、ここは元々人間のいない土地だったんだぞ?
食わなくても生きていけていたのに、何故わざわざ、遠く離れたところに住んでいる金属で武装していたりする人間を食おうとする必要があるのだ」
きっと、ゲルダさんの人柄を知る前だったら、そんな理屈も上滑りだっただろう、とは思う。
けれど、こうして良く知ったからには、全くもってその通りと思わざるを得ない。
「つまり、人間側の勝手な思い込みによるものだ、と」
「ああ、正直なところ、そう言わざるを得ない。
もちろん人間にとって我々が人間に比べ強力な力を持っていること、それゆえに恐れることは理解できる。
だが、こちらからの侵略の意志もなく、生贄など必要ないと告知してもなお、となれば……。
ああ、すまない、あなた達には辛い、理不尽な話だな、申し訳ない」
ゲルダさんの話に、顔を曇らせる子も何人かはいた。
だが大半は、ああ、やっぱり、という顔でもあった。
ここに送られた時点で、私達のほとんどは多かれ少なかれ、人間というものに裏切られてきたのだ。
今更、人間のそういう所を見せられたところで、というのが正直なところ。
そんな私達の反応が意外だったのか、ゲルダさんは心配そうな表情を浮かべる。
「なんと言うか……動じないのだな」
「まあその、ここに来るまで色々ありましたから……多分、他の人も」
私は、笑って答えた、はずだけれど。
聞いたゲルダさんは、何だか泣きそうな顔になってしまった。
そんな顔させたかったわけじゃないのだけれど……。
でも、この真面目でお人よしな半竜人の騎士様には、聞くに堪えないことなのだろう、と想像はつく。
しばらく、沈黙があって。
急に決意をしたような顔になれば、ゲルダさんは改めて私たちの方を振り返った。
「あなた達の境遇に、色々と思うところはある。ただ、それを上手く言葉にすることができない。
けれど、これだけは言わせて欲しい。
私は、あなた達を裏切らない。
所詮一介の騎士、できることはたかが知れているが……できる限りで、あなた達を守ることを誓う」
きっぱりと、決然とした表情でそう言い切った。
……あ、そういうこと言っちゃうんだ、と内心で思ってしまう。
「……ありがとうございます。私達も、できる限りでゲルダさんに応えたいと思っています」
なんとか、声を震わせないようにしながら、答えた。
私はもちろんだけれど、他の子達も、感極まったかのように、上手く言葉を出せないでいる。
もしかして、 ここなら。
この人が守ってくれるというここなら。
私の居場所もあるのだろうか。
そんなことを思ってしまった。
そうこうしているうちに魔王の城へとたどり着いた。
正直なところ、あまり大きくはない。
間違いなく私がいた国の王城の方が大きいし、下手をすれば大陸中のどの王城よりも小さいかも知れない。
多分、私だけでなく他の子もそんな顔をしていて、それにゲルダさんも気づいたのだろう。
私たちを振り返って……しかし、浮かべたのは誇らしげな顔だった。
「あなた達が思っていた魔王様の城とは違うのではないかな?
魔王様のこの城は政務施設としてのものでしかない。だから、無駄に大きな作りにはなっていないのだ」
その言葉に、おや? と思ってしまう。
城が持つべき機能としては……。
「あの、すみません。
ということは、魔王様は、この城を防衛施設としては考えてらっしゃらない、と?」
「うん、その通りだ。……アーシャ、あなたは中々に聡いな」
感心したようにゲルダさんがそう言う。
まあ、農村出身丸出しの格好の私が、頭が回るなど考えもしないだろうし、その反応も当然だろう。
でも、ということは。
「……もしかして、ですけども。
島国だから、海を外堀と考えて、この島全体を防衛施設としてお考えになっておられる、とか?」
我ながら、結構踏み込んだ話をしてしまったとは思うけれども。
覿面に驚いた顔になるゲルダさんを見て、どうやら当たりだったらしい、とほっとするような、どう思われるか心配なような気持になってしまう。
「……先程の発言は訂正する。アーシャ、あなたはとても聡いな。
どうしてあなたがそんなことを考えられるのかについては、聞かないことにする。
それから、あなたの発言が正解かどうかも答えられない。
私の立場上、それは勘弁して欲しい」
驚きと困惑と興味と。
そんな表情が入り混じるゲルダさんは、少し考えた末にそんな言葉を返してくる。
それが事実上のYESであると私に通じると思ってのことであろうことは、なんとなくわかった。
「すみません、不躾な質問をしてしまいました」
だから、話をうやむやにして話をそこで終わらせる。
頭を下げながら、ちらり一緒にいる女の子達の表情を観察した。
……多分、誰も理解はしていない、と思う。
まあ、ということは、私一人が危険人物扱いされる可能性ができたということでもあるのだが。
「いや、まあ、今後はそういう話は、人がいない時にしてくれたら、構わない」
「わかりました、では、二人きりになることがありましたら」
「やっ、ええと、確かにそうも取れるな……いやしかし、ええと」
わざと、ちょっと意味深な返事をしてみれば、途端に慌てだすゲルダさん。
ああもう、そんな反応されたら。
などと思ったのは、もちろん私だけではなかった。
「ちょっとアーシャ、あなただけずるいわよ、そんなにゲルダさんと仲良くして!」
「ええと、キーラだったかしら。ごめんなさい、そんなつもりはなかったのだけれど、つい」
確か、私についでゲルダさんに挨拶をした子のはずだ。
なるほど、あそこで反応した彼女としては、そういう風に取るのも仕方ないだろう。
なので、頭を下げて謝罪した。
「え、ちょっとそこまで大げさにするつもりはなかったのだけど……。
わかったわ、じゃあ、私もゲルダさんと仲良くしたいから、あなたも私と仲良くしてちょうだい!」
戸惑うような反応の後に、そんな言葉が続く。
今度はこちらが戸惑ってしまう番だ。
顔をあげ、思わずぱちくりと目を瞬かせてしまう。
そして、目に入ってきたキーラの表情は、得意げなどや顔で。
私は、思わずくすりと笑ってしまった。
「ええ、もちろん。私の方からお願いしたいくらいだわ」
「なら決まりね。これからよろしく、アーシャ!」
そう言ってキーラが手を差し出してきた。
その手を見れば、笑顔になってしまうのを抑えきれない。
「こちらこそ、よろしくね、キーラ」
きゅ、と手を握り返す。
いいのだろうか。
私は、この島に生贄として送られてきたのに。
友達までできてしまったのだけれど、いいのだろうか。
そんな愚にもつかないことを思ってしまった。
この島についた時には想像もできなかった和やかな雰囲気で、私たちは謁見の間に通された。
ゲルダさんの指導の下、膝をつき頭を下げた姿勢で待つことしばし。
「シュツラウム陛下の御なりです。一同、控えなさい」
側近らしい女性のクールな声が響く。
私達は改めて姿勢を正した。
一気に、私達の間に緊張した空気が流れる。
ゲルダさんはあんなにいい人だった。
魔王はどうやら想像とは違うらしい。
だが、それが良い意味か悪い意味かはわからないし、いずれにせよ私達など簡単にひねりつぶすことができる力があることは間違いない。
言わば殺戮兵器と対面するにも等しいものだ、緊張するなという方が無理というもの。
そんな私達に気づくも、さすがにゲルダさんも声を掛けることがこの状況ではできるわけもなく、ただ心配そうな視線を送ってくるのみだ。
まあ、そんなところにも彼女の優しさがにじみ出ているのだが。
そんなことを思っていると、カツ、カツ、と硬い足音が響いてきた。
魔法の使えない私でも感じる程の、圧倒的な力を持った何かが、入ってきた。
……無理だ。
こんな存在を前にして、緊張するなだとか固くなるなだとか、無理だ。
むしろ気を抜いたら心臓が止まってしまいそうですらある。
それほどに圧倒的な存在が入ってきて、私たちの正面に移動し、玉座に座った。
「うむ、一同、面を上げよ」
凛とした声が響く。
……あれ? と思いながら、私は顔を上げた。
だって。
「遠路はるばるご苦労、大儀であった。
……まあ、それだけに申し訳ないのだが」
そう。聞こえてきたのは女性の声で。
私が目にしたのも、女性だったのだから。
私も、周りの女の子達も、あまりのことに完全に固まっていた。
「やはりそのような反応になろうのぉ……。
今まで送られてきた贄達もそうであった」
ふぅ、と重たい溜息が聞こえる。
外見年齢で言えば、20代半ばくらい。実際はどうかわからない。
まず目を引くのが、艶やかなプラチナブロンドの長い髪。
さらっさらのストレートヘアが、巫女のような清楚さを醸し出している。
また、整った顔立ちの中央にある、ぱっちりとした瞳は少したれ目気味で。
柔和な表情と相まって何とも親しみのある、それでいて理知的な光を宿していた。
だというのに、着ている衣装は悪の女幹部か! と言いたくなるような黒を基調とした際どいもの。
それがまた、豊満で成熟した大人のボディラインを持つ彼女に良く似合っている。
正直なところ、女である私ですら、ごくりと喉を鳴らしてしまう程だった。
「見ての通り、妾は女じゃ。
それゆえ、女の贄など必要ない。……まあ、男の贄も要らんのじゃが。
つまり、そなたらは本来必要のない贄なのじゃ」
彼女の姿を見て、漠然と受け止めていたことを、言葉によって明確に理解させられてしまう。
だったら、なんのためにこんな思いをしてまでここに送られたのだ、とも思う。
……いや、私はむしろ、清々したところはあったのだけれど。
大半の子達は、やはりショックを受けているようだ。
「妾とて、必要ないことは何度も通達しておるのじゃ。
なのに、彼らはそなたらのような贄を送り続けてくる。
その理由としては、魔族が人間を好んで食らうという迷信が一つ。
妾の言うことを真に受けたらそれを口実として戦を仕掛けてくる、と思い込んでいるのが一つ、と」
そこで、言葉が切られた。
ゆっくりと、私達を見回していく視線に、私の視線が一瞬だけ重なり、離れた。
「何割かは、面倒で厄介な女子を体よく処理できる、というふざけた理由がもう一つ、であろうの。
妾としても噴飯ものなのじゃが……断っても断っても、送りつけてくる。
まさか罪のないそなたらもろとも船を沈めるわけにもいかぬゆえ、結果としてこのざまじゃ。
妾の至らなさゆえに、そなたらを理不尽な目に遭わせてしまい、申し訳なく思う」
その言葉と共に。
彼女は、頭を下げた。
魔王たる、彼女が。
魔族であろうと王は王、そんな存在が私達に向かって頭を下げるなど、想像もしていなかった。
私たちは、言葉を発することもできぬ程に驚き、固まってしまう。
「そして、本来であればそなたらを送り返すべきだとも思っている。
思ってはいるのだが……そうもいかぬ事情があってな……」
もう一度、ため息を吐いた。
そうだ、彼女がそう思っているのならば、送り返すだけでいいはずだ。
なのに、街が形成されてしまう程に生贄の人たちがここに残っている理由とは?
……ふと、あることに思い至り……私は、嫌悪感を隠すことができなかった。
私の表情に気づいたのか、魔王が私に視線を向けてくる。
「気付いた者もおるようじゃな……。
そう。この島に、そなたらは生贄として送られてきた。
この土地に上陸した時点でそなたらは、色々な意味で汚されたと見なされるのじゃよ。
肉体的にか、精神的にか、呪いの類でか。
魔物に汚された人間が、国に帰ったとして……どんな扱いを受けるか、想像がつくであろう?
……妾は、実際にそれを知った。
ゆえに、そなたらを安易に帰すことができぬ。
もし、それでも国の者を信じている、送り返して欲しいと思うものがいたら申し出て欲しい。
妾の名に懸けて送り届けよう。どうか?」
問いかけた後に、しばらくの沈黙が落ちる。
……誰も、申し出ることができなかった。
私もそうだけれど、きっと、他の子も同じような思いをしてきたのだろう。
信じることなど、とてもできなかった。
「……うむ、そなたらの気持ちは当然である。
だからこそ、妾はそなたらを受け入れたい。
仮初であっても、紛い物であっても。
そなたらがこの国を己が住む土地と思ってくれるように」
……私たちは、身じろぎすらできない。言葉なんて、出てくるはずもない。
人間に居場所を奪われた私達が。
親や友人から見捨てられた私達が。
それでも、居ていい場所を、魔王から与えられた。
そこには大きな混乱と。
少しだけど。確かな安心が、あった。
「もちろん、決して大きくはない国だ、そなたらには明日からでも働いてもらわねばならぬが。
どうであろう、この国の民になってはくれぬだろうか」
その問いかけに、すぐに答えることができる人はいなかった。
私も、そうだったけれど。
魔王様の顔を見て。
……私達を心配そうに見ているゲルダさんを見て。
私の心は、固まった。
「陛下、発言してもよろしいでしょうか」
「うむ、もちろんだ、妾が問いを発したのだから」
「ありがとうございます。
……お願いいたします、どうか私をこの国に置いてくださいませ。
非才なる身ではございますが、陛下のため、この国のため、尽力したく思います!」
最後には、声が上ずり悲鳴のようになってしまったけれども。
それでも、言い切った。
そんな私の言葉に、魔王様は嬉しそうに目を細める。
「ありがとう、そなたの言葉、確かに受け取った。
そなた、名前はなんという?」
「はっ、恐れながら申し上げます。
私、アーシャと申します」
「そうか。では、アーシャ。
そなたは、今この時より我が国の民じゃ。
尽力せよ。規律を守り、誠心誠意、尽くせ。
そなたが尽くす限り、妾はそなたを守ろう」
そう言うと、私に笑顔を向けてきた。
花が咲くような、笑顔を。
……ただでさえカリスマ溢れる美人さんが、そんな笑顔を私にだけ向けてきたら、それはもう、魂がどうにかなってしまいそうな衝撃がある。
くらり、と頭が揺れて、意識が飛びそうになった。
なんとか踏みとどまれた自分を、自分で褒めてあげたい。
「あのっ、陛下、私も尽力いたします! どうかこの国に置いてください!」
「わ、私も、私もお願いいたします!」
キーラの声が、みんなの声が、響く。
その度に魔王様は、嬉しそうに頷き、みんなに声をかけていく。
この光景は、なんだろう。
私は夢でも見ているのだろうか。
人間に見捨てられた私達が、居場所を手に入れた。
人間の敵であるはずの、魔王様によって。
なんとも皮肉だけれど、こんな世界なら仕方ないのかも知れない。
もしかしたら。
私の知識は、このためにあるのかもしれない。
そんなことを思い始めていた。
考えてみれば、この国と同じくらいの大きさであるイギリスは、かつて日の沈まない国などと言われる程の国土を持っていたのだ。
であれば、この国をそこまで押し上げることだってできるんじゃないだろうか。
まあ、そこまで大それたことができるかはわからないけれど。
この国の発展のために。私達の、そして、今までここに送られた人達のために。
できる限りのことをしよう。
そう、心に誓った。
そんな私の決意が、やがて大きな変革となっていくなど、この時の私は、思いもよらなかった。