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「天狗の子は天狗」10  作者: 西尾祐
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5.邂逅

 地方都市・知切。

 古くから栄え、たしかな歴史と伝統を持つ街である。観光地としても人気があり、旅行誌にはいつも名を連ねている。地元ゆかりの作家も多く、文学好きからも高評価を得ている。

 そして、奈々と光彦の故郷でもある。

 光彦が通っている知切高校は、街の北東部にある。県立の進学校でありながら、部活動にも力を入れている。その中でも特に有名なのは二つの部である。

 幾度となく甲子園大会に出場している、野球部と。

 昨年団体戦で全国優勝を果たしている、剣道部だ。


 そして、後者においてレギュラーを勝ち取り、団体戦の先鋒に選ばれたのが――。

 「あ、破けた……」

 他ならぬ香川光彦、その人だった。

 「どうした、香川」

 小手を裏返し眺める光彦に、長身の少年が声をかける。知切高校剣道部男子主将である荒川だ。やや目が細いものの涼しげな顔立ちであり、締まった体つきは侍を思わせる。

 「いえ、小手の皮が破けてしまって……」

 面、胴、小手などに始まる防具は、その役割を果たすべく丈夫に作られている。とはいえ使い込めばすり減るもので、定期的なメンテナンスが必要になってくる。

 その中でも特に修理回数が多いのは、小手だ。

 内側に張られた皮は、他の部位と比べ薄い。日々の稽古で酷使していれば、それだけ修理の頻度も上がる。

 「先日も修理に出していたな。予備はあるか?」

 「あります。よくダメにするので買っておきました」

 ふむ、と荒川は頷きつつ、神妙な面持ちで語り出した。

 「了解した。――部室にある小手を使ってもいいんだぞ」

 「……いつからあるか分からないあれですか? ちょっとカビてる……」

 「ご明察。ここに除菌スプレーもあるぞ」

 「…………えっと…………」

 「冗談だ」

カラカラと笑う荒川を見て、光彦は内心ほっとする。

 「(主将が言うと本気に聞こえるんだよな……よかった)」

 「定期的な修理が必要なのは、稽古を積んでいる証拠だ。頑張れよ」

 「ありがとうございます!」

 やりとりが終わると同時に、休憩も明けた。再び稽古が始まる。



 「おー、いてて……」

 竹刀袋を肩に提げ、光彦は一人道を行く。

 本日は土曜。本来ならば学校は休みであり、家でのんびりと過ごすことも可能である。

 が、しかし。

 知切高校は進学校だ。学業に力を入れるとなれば、土曜も講習がある。平日うんざりするほど勉強し、しかも土日すら放してはくれない。おまけに予備校もあるとなれば、予定のない日を探す方が難しい。

 「(土曜も補講だもんなあ……しかもその後に部活ときてる)」

 文武両道に励もうとするなら、なおさら休みはない。授業が終わりしだい部活動が始まる。剣道部の稽古は苛烈なものであり、肉体的にもヘトヘトになる。

 土曜の午前中は補講。

 午後は稽古。

 夜は予備校。

 「しんどい……」

 と、実感のこもったつぶやきも漏れるというものである。

 学校から自宅までは、徒歩で二十分ほどかかる。自転車を使うこともあるが、今日は歩くことにした。自転車を修理に出しているのだ。

 タイヤの調子が悪いまま使っていたのだが、とうとう三日前にパンクしてしまった。その上中のチューブまでダメになったというから笑えない。

 「(小手も自転車も修理。俺、最近本当にツイてないな)」

 とぼとぼと情けない調子で歩いていると、ばったりクラスメイトに出くわした。不機嫌な猫のごとく、他を寄せ付けない雰囲気の少女である。背はやや低く、体も細い。髪型はややハネ気味のショートカット。ドクロをかわいらしくデフォルメしたグッズをよく身につけており、ヘアピンにも付いていたりする。

 「よう西野! 元気か?」

 声をかけると千里は振り返り、露骨に嫌そうな顔をした。

 「……香川か。あたしに何か用?」

 「いや、特になんもないけどさ。いたから声かけただけ」

 「ならいいけど」

 「西野はどっか行く途中か?」

 千里は面倒くさがりつつ、けだるげな調子で返答した。

 「……ライブハウス。好きなバンド来るから」

 なんてバンド、と光彦が尋ねようとする前に、千里は会話を打ち切った。

 「……あたし、もう行くから」

 スタスタと去りゆく後ろ姿を見送りながら、光彦はひと言返した。

 「また学校でなー!」

 千里は一度立ち止まり、すぐにまた歩き出した。

 夕日を受けて、その影は細く伸びている。


 

 「(やっぱ西野はそっけないなー。でも、ああいう奴ってなんかほっとけない)」

 歩道橋を渡り、右の角を曲がる。自宅まであと五分ほどで到着する地点だ。

 「(ま、完全におせっかいなんだけど……)」

 なぜ気になってしまうのかと考え出して、すぐに答えに至った。

 「(……あの子と重ねてんのかな。ダメだな俺)」

 かつてクラスメイトだった少女・嵐山奈々。

 凄惨な事件に巻き込まれ、光彦とともに生き残った彼女だが――現在どこでなにをしているのか、まったく分からずにいた。光彦が思い出す彼女の姿は、いまだに小学生のままだ。

 一緒に図書委員の仕事をしていた時、奈々はいつも楽しそうだった。


 最後に見た彼女の姿は、血塗れで傷だらけで。

 泣いていたのだ。

 泣かせてしまったのだ。

 自分があの時踏み出せていればと、駆け寄れていたならと後悔に苛まれない日はない。何も出来なかったのだとしても、ただあの男に殺されるだけだったとしても。


 香川光彦は、守りたかった。

 好きな女の子の前でカッコつけてやりたかった。

 奇怪な文様が張り巡らされた、死の横たわる教室においてなお――彼は大切な人々のために戦いたかった。

 しかし現実には、ただ机の下でガタガタ震えていただけだ。

 ちっぽけなプライドも正義感も恋心も、すべてがコナゴナになって砕け散った。

 

 生き残ってしまった、と思った。絶望に心を満たされて、生きていることを悔やみ続けたこともある。だがそんな彼を、母は抱き留めてくれた。生きていてよかった、と泣いてくれたのだ。喜んでくれたのだ。

 生きよう、と思った。

 せめて今度はかけがえのない人を、守れるように――強くなりたいと願った。

 「もう逃げない」

  握った拳を掲げ、決意を語る。



                2



 黄昏時の空を、天狗と雷獣は行く。

 「(ああ、憂鬱だ……)」

 声には出さず、奈々は心の内でぼやいた。三宅の指令により、故郷である知切市へ向かわなければならないためである。二度と帰らないと決めた場所へ再び赴くとなれば、気持ちは沈む。

 「おいおーい、大丈夫か?」

 肩口に乗ったカンナは、彼女とは対照的に楽しげだ。「怪しまれちゃ困るし」と言うなり、自分に術式をかけて小さくなった彼は、もはや一風変わったペットにしか見えない。

 「……問題ないよ」

 「本当か? すげぇ嫌そうな顔してたけど」

 「別に、してない」

 若干ムキになって反論すると、カンナは急に真面目な顔で応じた。

 「まァ気乗りしねえよな。三宅様から事情は聞いた。加藤景光の事件に巻き込まれちまったんだろう、嬢ちゃんは。しかもその現場は俺たちの目的地と来てる」

 奈々たちに課せられた指名は、知切の街へ赴き――かつて景光が術式を使った場所を調査することだ。奈々が通っていた小学校のことである。

 彼女の養父であった嵐山春樹は、激戦の末敗れた。

 彼女のクラスメイトたちは、恐怖の中還元されてしまった。

 奈々と光彦の二人を除いて、誰もが景光に殺されたのだ。

 「……命令だから、仕方ないさ」

 頬の傷をなぞりながら、奈々は気落ちした声で答えた。彼女の顔には三カ所、景光に付けられた傷がある。右目の下、右顎、左の頬に今なお残るそれらは、一見して痛々しい印象を与えるものだ。

 何か悲惨な出来事があったのだろうと、人々に負の予感をさせるものたち。

 景光への復讐心が、熾火のようにくすぶりつつ、燃え続けていることの証明でもある。

 「あんまり無理すんなよ。俺もできる限りのサポートはするさ」

 「――ありがとう」

 嵐山一族へ復讐するため、景光は小学校を襲った――奈々はそう認識している。春樹と奈々を殺すために降り立った彼は、生徒たちをも巻き添えにした。

 「(許せない……)」

 五年の間、景光は何も事件を起こしていない。だが、ひとたび動けば甚大な被害が出るのは間違いない。彼の手の内で踊らされているように思えて、奈々は歯噛みする。

 それでも奈々は飛ぶ。

 事件の真相を知りたいと願い、同時に景光への明確な殺意を胸に秘めて。

 香川光彦という、事件の生存者である少年を想いながら。



                  3

 

 

 夜は更け、時刻はすでに十時。

 大いに楽しんだライブも終わり、西野千里は家路に着く。

 「(これからも定期的に来てくれるって言ってたなぁ。ああもう、幸せだ。それだけを励みに頑張れる)」

 千里にとって、日常生活は決して楽しいものではない。

 小学六年生の時に両親が離婚し、千里と弟は母に引き取られた。父に付いていった兄とは離ればなれになり、以後はたまにしか会っていない。

 当時のことを思い出すたび、彼女は強い苛立ちと無力感を覚える。

 父と母の仲が日に日に悪くなっていくのを、千里と兄は強く感じていた。まだ幼い二人はあれこれと両親に働きかけ、少しでも元のようになってくれるよう努めていた。

 ある晩のこと。

 夫婦喧嘩は熾烈を極め、怒号が響き渡っていた。皿の割れる音を聞くたびに、千里は不安でたまらなくなった。部屋の隅で弟と泣いている時、兄は懸命に兄弟を励まし続けた。

 「大丈夫だ。お前たちはなにも悪くない。きっと大丈夫だ」

 兄は、妹が無力感に襲われているのを知っていたのだ。

 誰よりもその言葉を求めていたのは、他ならぬ兄だったと分かったのは――それから数年後のことだ。

 「……遅いんだよ」

 小さく吐き捨て、角を曲がろうとした時――見知った人物に出会った。

 「うおっ、と! ああ、西野か」

「香川? どうしたの、こんな時間に」

 「そこで飲み物買おうと思ってさ」

 光彦はそう言って、数メートル先にある自販機を指差した。

 「ここ、結構珍しい缶コーヒー置いてんだ。それが欲しい時は、まあわざわざ買いに来るってこと」

 「物好きねぇ……」

 半ば呆れて肩を落とした時――千里の背に、悪寒が走った。

 光彦も同じく何かを察知し、反射的に上を向いた。

 

 「アララ、気付いちゃったァ?」


 奇妙なほど甲高い声の主は、烏。二人は思わず、目を疑った。

 「なっ……喋って、る……?」

 そして、烏を従えているのは――翼を持つ、奇妙な男。

 「――!?」

 景光は、笑った。

 「お前には何の縁もない。だが、ここで出会ってしまったからには――目的を遂行するための贄になってもらおう」

 怪人の如き男と、喋る烏。千里は事態をまったく飲み込めず、パニックになりかけた。目の前で起きていることが何なのか、把握できない。納得もできない。理解が及ばない。


 しかし、直感が告げていた。

 この男は、自分を殺すつもりだと。


 景光が手を下そうとした、その時――閃光が走った。


 「ぬ!」

 次の瞬間、景光と二人の間に立っていたのは、天狗の少女。

 「殺させないぞ、景光!」

 「――あの時の娘か。ふふふふ、こう成るとは……面白い……」

 恐るべき速度で術式を組み上げ、景光はなおも、笑う。

 「面白いなッ、嵐山奈々!!」

 「あらし、やま……?」

 懐かしい名を耳にし、光彦はわずかに放心した後に、突然現れた少女を見た。

 「奈々、なのか……!?」

 知らないはずの少年に名前を呼ばれ、奈々はとっさに後ろを向き――気付いて、しまった。


 「光彦、君……?」

 

 知切の街に、再び役者は揃った。



                  4



 「どこを向いている!」

 隙を見せてしまった当然の産物として――奈々は景光の強襲を受ける。すぐさま反撃するが、相殺するのがやっとだ。

 「ぐ……!」

 四方八方から迫り来る魔手はあまりに素早く――すべてを受けきるのは至難の業。それでも少しずつ反応速度を上げ、反撃を試みる。

 「やるな、やるな嵐山奈々!」

 「(……速すぎて、式が撃てない……!)」

 「奈々、上だッ!!」

 カンナが叫ぶと同時に、景光の式が閃く。

 「喰らえ、存分にな!」

 かろうじて奈々も式を展開し撃ち込むが、防ぎきれない。

 

 撃ち尽くせなかった式が、背後の二人に及ぶその時。

 奈々は反射的に加速し、その前に立ちふさがった。

 「奈々ッ!!」

 超高密の式が、少女を襲う。

 「奈々ーッ!!」

 被弾した奈々の体は、ふわりと宙に浮き――地面に叩きつけられた。

 「が、はっ……」

 「わずかな間ではあるが、楽しかったぞ。嵐山」

 景光がさらなる一撃を加えようとするその時、千里は何もできずにいた。

 だが、光彦は違う。

 どんな地獄が待ち受けていようと、彼はもう逃げない。

 だからこそ今、地面を蹴り――景光の眼前に現れる。

 「光彦君――!!」

 ああ、また大切な人を失ってしまうのかと、奈々は泣き叫び。

 信じられない光景を、見た。


 「……!?」

 景光の攻撃を喰らったはずの彼は、無傷で。

 なおも、立っていた。


 「なぜだ……お前たち、なぜ生きている!!」

 訳が分からず、景光は叫ぶ。

 「嵐山奈々、雷獣、女……なぜ、なぜだ!!」

 「(やっぱりそうだ、あの人間……景光に認識されていない!!)」

 違和感のある景光の言動から、カンナは真実に至り――光彦を呼んだ。

 「香川光彦! お前に伝えなくちゃいけないことがある!」

 「ああ、なんだ!?」

 一転して冷静になった光彦が応じると、カンナはある言葉を告げた。


 「お前がいれば――奴を倒せる!!」


 三宅から受け取った札が発動する。

 言霊使いを撃破できる唯一の術式「文字渦」を施した、文字通りの切り札だ。しかし、使用者にはかなりの負荷がかかる。文字を表出し、言葉を織りなす「文字使い」でさえ、最後には手放さざるを得なかったほどの、精神的負荷が。

 「本当、か?」

 「ああ! かなりのリスクを伴うが、お前なら――あの状況下で敵の前に立てるお前になら使える!」

 「――やってやるさ」

 痛みを堪え立ち上がった奈々の手を取り、彼は笑う。

 「あの時とは違うってことを見せつけてやる。俺は――俺たちは、勝つ!!」



                    5


 

 文字渦の役割は、防御と支援。

 景光の猛攻を防ぎきり、言葉によって仲間を援護するのだ。

 「はああああッ!」

 奈々の攻撃は次第に速度と威力を増していく。

 「ぐッ!」

 「攻撃式五連、来い!」

 「なめる……なッ!!」

 景光の発した衝撃波を、光彦の文字が防ぐ。

 「やらせるかッ!」

 「なぜだ……なぜ私の攻撃が通用しない」

 押されつつある中、景光は『言霊』を展開した。彼の発する言葉すべてが、高威力の精神攻撃となる。


 『嵐山奈々、お前はなぜ生きている? あの時死んでおけば良かったものを』

 『お前さえいなければ、仲間は殺されなかったのかもしれないのだぞ』

 『私に復讐するため、牙を研いできたのだろう? そのためにすべてを犠牲にしてきたのだろう? お前の人生とはかくも無駄なものだったな!』


 ふらつきながらも、奈々は抵抗をやめない。

 「違う!」

 かつて己の存在を呪い、数え切れないほど死を願い続けた少女は、言霊を否定する。

 彼女には、ともに戦う仲間がいる。大切な人が、いる。

 

 もう、一人ではないのだ。

 

 「嵐山景光、私はお前に負けない! お前がどんなに責め立てようと無駄だ! 私の人生は――無駄なものなんかじゃないんだ!!」


 その一撃が、景光を穿った。

 「がああああッ!!」

 自らを言霊によって縛り、狂気の中にいた男は、薄れゆく意識の中にかつてを思う。仲間たちに囲まれ、笑っていたかつての自分を――。

 

 「勝った……のか」

 「奈々!!」

 「嬢ちゃん!」

 「あんた、大丈夫!?」

 孤独だった少女の元へ、皆が駆け寄ってくる。

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