泣く少女
教室へ戻ると、もう浦辺は先に戻っていたが……意外だったのは、森川沙羅も自分の席にいたことだ。
話が違うじゃないか? と友人の方を見たが、向こうはこちらの視線を避けていた。
そりゃまあ、彼女が先に戻ってた可能性もあるから、責めるようなことでもないが。
だいたい、証拠もないし、僕が彼女に問い正すこともできない。
チャイムが鳴った瞬間、普通に森川と視線が合ったけど、彼女の方は感じよく微笑んだのみだった。
これじゃ、「昔、なにかあった?」なんて訊いたら、僕が馬鹿みたいだ。
だから僕は、そのままだったら、友人の話は極力聞かなかったことにして、森川とは普通に今まで通り接していただろう。
しかし……午後の授業も六時限目に入り、そろそろ日課になっているユウリのお見舞いのことを考え始めた途端――僕は異変に気づいた。
ちょうど、授業が半分ほど過ぎて、あともう少しで放課後という時間帯だったと思う。
僕は窓際の後ろという好ポジションなので、古典の先生が教科書を読み上げるのを聞き流し、なんとなく窓の外を見ていた。
森川に注意を払っていたわけじゃないし、「それ」が見えたのはあくまでも偶然だ。
それまでは逆光だったし、むしろ眩しくてロクにガラスにさえ映らなかった。
しかし……たまたま雲が陽光を覆い隠し、僕は偶然見てしまった。
ほんの束の間のことだったが、横に座る森川の姿が、鮮明に映っていた。いつ見ても笑顔か冷静な顔か……それだけしか見たことがなかったのに、その時は違った。
なぜか、僕を見て泣いていたのだ!
教科書に集中する振りはしていたが、間違いなく横目で僕を見て泣いていたっ。
笑うとかならともかく、泣くっていうのはどいういうことだ!?
それも、結構滂沱の涙で、席がこんな後ろじゃなければ、他の生徒だって気づいただろう。
驚いた僕が密かに集中し、もっとよく見ようとしたんだが……どういうわけか、森川は僕が見ていることに気づいたらしい。
ちょっとそっぽを向いたかと思うと、多分ハンカチで顔を拭いたのだろう、次に前を向いた時は、全然普通の顔だった。
熱心に教科書を読む、勉学少女、そのものである(事実、彼女は成績もいい)。
だけど……さすがに今のを「ああ、気のせいだったか」とは思えない。
潤んだ瞳とかならまだしも、実際に涙を流して僕を見つめていた……横目ではあるけど。
これが気にならないわけがない。
だから僕は放課後になってから、あえて友人の警告を無視し、自分から森川に近づいた。
お互い、人の目が平気なタチでもないだろうから、校門を通り過ぎたあたりで声をかけたのだ。
幸い、途中までは彼女も同じ方向みたいだし。
「森川!」
……と後ろから声をかけるのとほぼ同時に、彼女は振り向いた。
ボリュームのあるツインテールがふんわり舞った他は、別にいつもと同じ様子だった。
「沙羅でいいってば」
「いや……さすがに女の子を名前で呼び捨てするのは勇気いるよ」
「入院している幼馴染みさんは、例外?」
その時のみ、目が真剣だった気がする。
というか、僕は森川の前でユウリと話したことがあったろうか? まあ……見舞いに来てくれたらしいから、その時にでも聞かれたのかもしれないけど。
「まあ、例外というか昔からそんな感じだしね。それより――」
素早く話題を変えようとした途端、森川へ笑顔のままで頷いた。
「バレちゃった?」
「……たまたま窓に映ったんだよ」
「ふう……用心してたのにな」
ため息をつき、首を振る。
「あまり、間宮君に余計な心配かけたくなかったもの」
「見てしまったからには、気になるよ」
僕は言葉を選び、肩をすくめた。
「だから、聞かせてくれないか? どうして僕を見て泣いていたんだ?」
「う~ん……単純そうで、すごく答えるのが難しい質問なの、それ」
森川は切れ長の瞳をひたと僕に当て、大真面目に言った。
「間宮君はもう忘れてるかもだけど、あたしはずっと昔に貴方に逢っているのよ。お陰で今でもほら、こうしてじっと見つめていると――」
……驚いたことに、僕を見つめたまま、森川はまた泣き出した。
白磁の頬を伝わる涙に、さすがの僕も言葉を失ってしまった……そこまで印象的な出会いだったのだろうか……彼女と。
「間宮君の生涯が、幸せなことで満たされますように……その願いが叶うなら、あたしはなんでもするわ」
泣き濡れた瞳で僕を見つめながら、森川はそっと手を握ってきた。