ヒキコモリ魔法使いは勇気がほしい:序章
――私は勇気がほしい――
午後8時、A県のあるアパートでは愉快な笑い声が響いていた。
「く、っくっく、あははははははは!!」
「笑い事ではないのです」
テレビを指差して腹を抱えて笑っているこの男は、山上黒兎。
そして男をお手製のハリセンで容赦なく叩いている少女は、山上鞠という。
二人は、巷で噂の狐さんが出演したオカルト系の番組を見ていた。
「しかし、君も案外おこりっぽいんだな。僕ならあんな事ぐらいで怒らないぞ」
「くろたは感情が麻痺しているから、普通の人間の気持ちなんて分からないのです。1ミリも理解できないんでしょう」
「いや僕にだって、感情はあるさ。現に今こうして笑っている。これが感情っていうやつだろう?」
さわやかな笑顔を見せて、鞠の頭を撫でる黒兎。
この黒兎という男は、優しそうに見えて、意外と腹黒い。故に憎しみとほんのちょっぴりの愛情を込めて黒兎の事を鞠は『くろた』と呼んでいる。くろたを漢字で書くと『黒太』。黒くて神経がず太い。彼にぴったりの愛称である。
しかし、黒兎の優しさを知っている鞠はいつもそんな彼に逆らえなかった。今回の件だって、黒兎が原因だった。
『困った。お金が無い』
ちっとも困った風ではない黒兎がそう言ったのは、先月のことだった。
最近は仕事が無く、それによりお金が無いのは必然。これは当然の結果だ。「働きなさい」鞠は冷めた目で黒兎に抗議する。
そんな鞠を見て、申し訳なさそうに、あくまで顔だけは申し訳なさそうにして、黒兎は言った。右手には狐のお面。左手にはA4サイズの紙。紙には大文字で『あなたの周りの超能力者さん:番組出演者募集中』。
『と、言う訳でこれに出てくれるかな?鞠ちゃん』
そしてこの番組がきっかけで、この1ヶ月の間に雛はテレビで様々な活躍をした。
狐の面を付け、黒一色の服を着て、隣には謎の狐男を引き連れて登場する鞠の容姿はかなり目立ち、二人はそれなりに資金を稼ぐことができた。ちなみに狐の面を付けたのは、単に顔を隠すためである。結果的にその怪しげな格好が世間には受けたのだが。
そして1ヶ月の最後の日、鞠はちょっとした予言をした。自分の言葉は嘘ではないと示すために。まあ、それは建前でただ怒りを発散させるためなのだが。
しかし、愉快だな。と、黒兎はもう一度わらった。今度は本当に嬉しそうに。
予言をする前の日のことである。
自分の悪口が書いてあるサイトを見て、ぐちぐちと呪いの言葉を呟いていた鞠がほんの一瞬だけ動作を止めた。
普段から一緒にいる黒兎じゃないと分からない、その一瞬。
パソコンの画面にはこう書かれていた。
件名 でかい方の狐だけどさ
でかい方の狐とは、確認するまでもなく黒兎の事である。おそらくは好くないことが書かれている。
それからパソコンを閉じた鞠は一人呟いた。 『許さない』 小さな声だったが、黒兎には確かにそう聞こえた。
あの予言が自分の為とは限らないが、自分の為に怒ってくれたのなら、本当に嬉しい。
それに自分はそれぐらいには、彼女と仲が良くなっているだろう。そう確信できた黒兎は小さな声で、独り言のように呟いた。
「ありがとう」
上山黒兎という人間はとんでもなく素直じゃないのである。