涙
7時に目覚まし時計が鳴った。大木は着替えて、今日も自転車で上條の会社へと向かった。片道45分はかかるだろうか、昨日とは少し違う道を進んでみた。今日も快晴で暑い日になりそうだ。昨日は夜ご飯を食べて間もなく寝てしまった。早く寝たからか体は軽かった。
すれ違うスーツ姿の人、作業着の人、カジュアルな格好の人、みんな仕事に行くのだろうか…。毎日働いているんだと大人の厳しさが分かったような気がした。
「おはよー」上條が会社の前で立っていた。
「おはよー、今日でペンキ終わらすからね。」上條が笑顔で答えた。
二人で道具をもち倉庫に向かった
「今日、どこにご飯食べに行く?」上條が聞いた。
「行きしなにカレー屋さん見つけたからそこにしよ」
「ああ、あそこ曲がった通りのとこのね」
そんな話をしながら作業が始まった。今日ははじめから二人だった。上條、大木は真面目な性格だったので、もくもくとペンキを塗っていった。下の方は塗り終えることができた。
倉庫前の地面に座り、コンビニで買った昼御飯を食べた。昨日よりは体が慣れたようだ。おにぎりを食べながら倉庫の壁を見上げた。
「後は上だけやね」大木が汗を流しながら言った。
「綺麗になってきたなー」
はじめは風化して塗装が錆びてポロポロ落ちそうな状態だったが、 ペンキを塗るだけで見映えが良くなってきた。上條、大木はともに達成感がわいてきた。
(さーあと少し頑張ろう)上條は思った。
(もう少しで終わりだ)大木は立ち上がった。
上條がはしごを登っていった。ここ二日間で何度も見た光景だ。はしごから上條が降りたら大木は次の場所に移動させる。この繰り返しが続いた。15時すぎには最上部だけになったので上條は屋根の上にのる事にした。屋根の上から壁と屋根の境目の仕上げ塗りを始めた。度胸のある上條は屋根づたえを横に移動しながら丁寧に塗っていった。上條が屋根の上にいるので、大木ははしごから手を離し、地面に置いてあるはけや塗料の蓋などの道具を片付け始めた。
「おちたー!!」
(えっ何かあったんかな?)
大木は女性の声の方を向いた。
「落ちた!!落ちた!!」
60過ぎのおばさんだろうか、屋根を指差して叫んでいる。
(えっ?あっ!!)屋根を見上げたが上條がいない!!大木は事の重大さに気づいた。(上條が屋根から!!)屋根が抜けて上條は倉庫内に落下した。こちら側からは中を見ることができない。(あっー!)声がでない。急いで反対側の出入口へと大木は走った。血の気がひいてくる。倉庫の中はどんな物が置いてあるかわからない、7メートルぐらいは高さがあるはずだ、モズのはやにえ、最悪の状況になっていないかと頭によぎる。ドクッドクッと心臓の音が半端ないくらいに響いてきた。
友達が死ぬかもしれない、さっきまで話してた友達が目の前で死んでるかもしれない、胸が締め付けられてきた。
大木は出入口につくなりドアを開けようとしたが鍵がかかっている。
(優くん!)ガラス越しに中を見た。しかし落ちた場所は奥の方で見えない
(やばい!早く社員に!!)上條の姿が確認できない時間がたつにつれ、大木の恐怖がますますふえてきた。
事務所に走っていき中にいた社員に上條が屋根から落ちた事を言った。
「えっー!!」
みんなは驚き倉庫の鍵をもち、事務所にいた全員で再び出入口に走った。ダメかもしれない。死んでる姿を見るかもしれない(神様…)祈るようにもう一回ガラス越しに倉庫内を見た。
「立ってるー!!立ってるー」
大木は叫んだ。ガラス越しに上條は立って歩いて来てた。坂本主任が倉庫の鍵を開けた。
「優くん大丈夫!!」
「ああ…」
「怪我は?」
「たぶん…」
その続きは言えなかった。上條は至って冷静だったが、心臓は今まで経験したことのないくらいの速さで鼓動していた。体のどこが痛いかなどわからない。とにかく歩ける、助かったとしか考えが浮かばなかった。薄暗い倉庫内の大木は天井を見た。奥の方にぽっかり穴があいてあった。その穴から太陽の光が射し込んでいた。
(こんな高いところから)大木は上條がまず生きてる事に感謝した。
社員たちと一度事務所の応接室に入った。坂本主任だけが残り、大木、上條の三人になった。上條の右頬に擦り傷があった。上條は応接室のふかふかした椅子に座って出された冷たいお茶を一口飲んだ。
「すいません…」上條は謝った。
「いいよ、いいよ。大丈夫か?」坂本が言った。
「はい、多分打撲ぐらいだと…」
まだ大木は何ともいえない胸の締め付けがあった。上條が無事だと分かってもおさまらなかった。
「脚立とか道路に置きっぱなしなので片付けてきていいですか?」
「ああ、お願いね。昨日と同じ場所でいいからね」
坂本が大木に言った。大木は上條を見て出ていった。まだいつもとは違った上條の姿だった。
倉庫に着くと道具はそのままで脚立が壁にもたれてあった。脚立を折り畳み、大木はまず運んだ。再び戻り塗料などを運んだ。(あと一回だ)道路には何もなくなった。大木は最後の道具を両手に持ち、片付け場所にたどり着いた。そこには上條が立っていた。
「大ちゃんありがとう」
「いいよ、いいよ。それより本当に大丈夫?」大木は何度も聞きたかった。
「大丈夫やで」上條は笑った。その笑顔を見て大木は涙が込み上げてきた。まだ生きてる事が信じられないぐらいだった。涙が流れた。なぜだろう。分からない。でも涙が流れた。手で顔を隠した。上條は生きているんだ、大丈夫なんだ。大木は切り替えることができたような気がした。涙を流しながら大木は上條の顔を見た。
「まあ無事でよかったよ」
大木は上條に言った。涙がやっと止まった。