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某月某日、  作者: 銀月
3.そして、某月某日
9/24

1.やっと現れた。

「」は日本語、『』は異界語でお送りしております。

 どうしても勝てない。悔しい、と(もとい)は唇を噛み締める。


「まだまだお前は隙が多い。決まり切った場所しか狙われないのに、全部に気を配れなくては話にならん」

「クララちゃん相変わらず無茶言うね」

「だな」

 竹刀を取り落とした基に向かって滔々と薫陶を垂れるクラレンスの顔を見ながら呟く和泉(いずみ)の言葉に、祥真(しょうま)も頷いた。

 剣道自体は4年程度の経験でも、その前に聖騎士として10年近い実戦経験とそれ以上の訓練をしてきたやつと同じことやれとか、どう考えても無茶だろうに。

「……わたしを打ち負かしたいというなら、その程度できなくては無理だよ」

「うわ、クララちゃんのドヤ顔半端ない」

「リアルでただイケ(ただしイケメンに限る)を地で行ってるんだししょうがないんじゃないか?」

 クラレンスは、好き放題言う和泉と祥真をちらりと見やる。

「……いい加減、クララではなくクラレンスだと、覚えてくれないか」

「え、だってなんかクラレンスよりクララちゃんのほうがしっくりくるし。ねえ、祥真」

「だな」

 じっとりと祥真を見て、クラレンスは目を細める。

「……次、祥真に交代だな。基は少し休め」

「え? 俺別に趣味の範疇でやってるだけだから、そんなムキにならなくていいですよ師範代」

「つべこべ言わず来い」

「いや、俺、師範代みたいな殺伐ワールドで生きてるわけじゃないですしあくまでスポーツの一環としてやってるわけですし」

「早く来いと言ってる」

 顎で呼ばれて、祥真は渋々と立ち上がった。


 入学して1年が過ぎた。

 今は最初の春休みだ。3人とも、実家までたいした距離があるわけでもなく、それなりにアルバイトを抱えたりもしているので、帰省は適当なタイミングで3日のみの予定だ。


 基の目標は、入学当初こそ「いすかより強くなる」だったが、いつの間にか「クラレンスを打ち負かす」にシフトしていた。おかげで、部活だけでは飽き足らずにクラレンスの所属する道場に入門までしてしまったくらいだ。

 なぜそこまでクラレンスを倒したいのかと祥真に問われて基がぼそりと零した答えは、「あいつ、いすかを怖がらせたから」だった。やはり基はブレないと、祥真は思う。

 しかし何をどうしてイシュカを怖がらせたのか、基にもよくわからないというのでクラレンスに確かめてみると、結果は「種族の本能みたいなものだから仕方ない」だった。

「わたしは祖先に天使(エンジェル)を持つ天界の血を引く種族で、イシュカは人間と悪魔(デヴィル)の混血だ。通常、悪魔は天使を本能的に恐れて敵視するものだから、わたしを怖いと言ったのだろう」

「はあ、なるほど」

 そういうものなのかと、祥真と和泉は頷いた。天使とか悪魔とかにわかには信じ難いが、クラレンスがやたらキラキラしていてモテるのは天使の末裔だからなのかと、なんとなく納得できたから。

 基はどうやらナチュラルに“クラレンス”イコール“いすかの敵”と認定して、ますます打倒クラレンスに燃えていたが、いいんじゃねえの? と祥真は放っておくことに決めた。

 概ね平和だし、目標があるのはいいことだしと。


「じゃ、バイトだからここで」

「おう、またあとでな。飯はどうする?」

「適当に買うから、俺のぶんはいいや」

「わかった」

 ようやく稽古を終えて、道場から町のほうへと向かう基に確認すると、祥真は手を振った。


 基と祥真は2LDKのマンションにルームシェアをして暮らしている。基の母の、これだけは譲れないという条件に従った結果だった。祥真が同じ学校なのだから、どうかふたりで住んでくれと。

 どうも、母にとってあの行方不明事件は相当なトラウマになってしまっているらしい。それもあってか、祥真も祥真の両親も、生まれた時からの付き合いであることだしと二つ返事で了承してくれた。

 誰かが一緒なら、何かがあっても大丈夫だろうと。

 そうは言っても、そこは男ふたりの共同生活なので、それなりに適当に緩くやっているわけだが。




 週に2度の家庭教師のアルバイトを終えて、基は帰路に着いた。ここから自宅マンションまで、徒歩で20分といったところだ。

 いつものようにショートカットの公園に踏み入れ、片隅のベンチに座る。クラレンスに再会してから日課になったこと……あの指輪をはめて、いすかに教えられた通りの言葉を唱え、じっと念じるためだ。

 ……ずっと一緒にいるって、指切りまでしたじゃないか。なのに、なんでいすかがいないんだ。クラレンスはここにいるというのに。

 そんなことを、ほんの少しだけ恨みがましく思いながら、指輪をはめた手を額に当てて、じっといすかのことを考える。

 クラレンスがここにいるということは、いすかだってここに現れるかもしれないということなのだ。クラレンスが、“魔法嵐”という事故は思念の影響を受けると言った。なら、自分が一生懸命念じたら、いすかも今すぐここに現れるかもしれない。


「いすか、いつになったら来るんだよ。早く来いよ」


 ──急に、がさりと植え込みから音がして我に返り、基は顔を上げた。結構大きな音だったが、犬でもいるのだろうか。だけど、今時、野良犬なんているものだろうか。

 ……まさか、誰かが潜んでいた?

 音のした方向を、じっと透かし見るように目を眇める。


「……誰か、いるのか?」


 思い切って声を掛けると、また植え込みが揺れた。やはり誰か……人が潜んでいる?


「おい……」


 警戒しながら、ゆっくりと近づくと、植え込みの中にいた者がいきなり顔を出した。

 その、突き出された顔を見て、ゆっくりと現れた姿を見て、基はぽかんと口を開けたまま固まってしまう。

『……ここはどこだ?』

 頭から伸びた、山羊のように緩く巻いた角。

 うねるような長い髪。

 その髪の間から覗く、尖った耳。

 背に負った大きな皮の翼。

 そして、街灯の明かりを受けて金にきらめく目。


「……いすか」

 子供の頃に毎日聞いていた声で、ほとんど忘れかけていた発音の言葉が脳裏に蘇る。

『ここは、びおの、くにだよ』

 基の口を突いて出た言葉を聞いて、出てきた女……イシュカは、驚きに目を瞠った。自分の名前を“いすか”と発音する人間にはひとりしか心当たりがなかったし、自分のことを“びお”と呼ぶ人間にもひとりしか心当たりがなかったから。

『……ビオ? ビオの、国?』

 ごくりとイシュカの喉が鳴る。目を細め、窺うように首を傾げ、ひたすら基を見つめる。黒い髪に、黒い目の男の子。

『……ビオ? まさか、ビオ?』

「いすか!」

 基はイシュカに走り寄る。

「いすか、会いたかった、いすか」

 勢いのまま抱きついた基に、そのままぎゅうぎゅうと抱き締められて、イシュカは驚きながらも苦笑を浮かべた。

 あの小さいビオよりも力は強くなったし大きくなったが、仕草や表情は小さなビオのままだと感じられて抱き締め返し、ぽんぽんと背を叩く。

『本当に、本当にビオなのか?』

 いすか、いすかと名前を連呼する基の頭を撫でながら、イシュカは、あの魔法嵐は、自分たちにいったいどれだけのことをしでかしてくれたのかと考える。

『……ずいぶん大きくなったんだな。背も、私とそう変わらないくらいじゃないか……私より少し大きいくらいか? なのに、相変わらず泣き虫だ』

「だって、いすか」

 イシュカの肩口に顔を埋めて泣きじゃくる基の背を、優しく叩く。

『……あの時みたいにわんわん大泣きして。ほら、顔を見せてみろ』

 イシュカは布を取り出して基の顔を起こすと、いつかそうしたみたいに顔を拭ってやった。くしゃくしゃになった顔を拭われるままに、基はただ、『ずっとまってたよ。まってたんだよ』と繰り返した。




 ぐすぐすと鼻をすする基に手を引かれ、イシュカはドアの前に立っていた。きょろきょろと、見慣れない建物の内部を物珍しげに見回しながら。

『ここは?』

『びおの、いえ』

 ガチャガチャと鍵を開けてノブを捻ると、中から「おかえりー」と呑気な声がかかった。

『誰か、いるのか?』

「ん? お客?」

 イシュカの声が聞こえたのか、玄関から続く廊下を確認するように、リビングの入り口からひょいと顔が覗く。

「基、誰か連れて……え?」

 祥真があんぐりと口を開けたまま、基の横のイシュカを凝視した。

「基、お前、それ……」

「いすかが、来たんだ」

「マジで、いすかお姉さん?」

 基と祥真を交互に見ながら、『どうすれば、いい?』とイシュカは首を傾げた。

「とっ、とりあえず、早く中に入ってもらえ」

 イシュカは角も翼もそのままだった。鎧も付けたままだし剣も下げているのだ。よく誰にも見咎められなかったなと、祥真は慌てて手招きをする。

 こくりと頷いた基に『いすか、くつ、ぬぐ。なか、はいる』と声を掛けられて、イシュカは言われた通りに靴を脱いで裸足になると、おずおずと一歩踏み出した。


「えっとさ、これからどうするつもり?」

「もちろん、いすかはここにいるんだ」

 念のためにと祥真が尋ねると、基は何を当たり前のことを訊くのだという顔で即答した。やっぱりかと祥真は頭を抱える。

「いや待て。それはアウトだ」

「なんで」

「おばさんとの約束、忘れたか。羽目を外さず安全かつ健全な大学生活を送るというルールを守るうえで、俺たちは互いに監視役だ。守れなきゃ速攻で連れ戻されるぞ。おばさんはやると言ったら本気でやる人だって、忘れたか?」

「……」

「不貞腐れてもだめだ。とりあえず、和泉を呼ぶから待て」

「お前が黙って……」

「無理。あと3年あるんだぞ。無理に決まってるだろう? 抜き打ちでおばさんたちだってここに来るんだ。ついでに言えば、俺ら成人もまだで、未成年だし被扶養者なんだぞ」

 至極冷静かつ当然の意見に、基は黙り込んでしまう。その隙に祥真は身振りでイシュカに椅子を勧め、和泉に連絡を入れた。


 30分後、イシュカを囲んで基、祥真、和泉、おまけにクラレンスまでが座っていた。なんだか包囲されて詰問されるような気がして落ち着かないなと、イシュカは考える。

「……なんで、くららまでいるんだよ」

「だって異世界トリップの先輩だし、出身地一緒だし、通訳だって必要でしょ? 来てもらったほうがお得だから呼んだのよ」

「明日だっていいじゃないか」

「説明は迅速に的確に、よ。いすかさんだっていろいろわからないことが多くて不安なの、想像できないの? クララちゃんならそこんとこちゃんと説明できるでしょ」

 ぎゃあぎゃあと言い合う基と和泉と、それをどうにか宥めようとしている祥真をちらりと見やってひとつ溜息を吐いてから、クラレンスは口を開いた。

『イシュカ、それで、お前はあの嵐に巻き込まれてからどれくらい経ってるんだ』

『どれくらいも何も、あの裂け目に呑み込まれて、気がついたら茂みの中に立っていて、大きくなったビオが目の前にいた。

 ……その、彼は本当にビオなんだよな?』

『ああ。ちなみに、ここはビオの出身次元だ。ビオは15年前にこちらに戻ってきたらしい。わたしは4年前にここに飛ばされてきた』

『え?』

『魔法嵐の事故だ。魔術師の“門”とは違う。時差が出たんだろう。それと、“変装”の魔道具はあるな? この次元は基本、人間しかいない。だから人間に化けておけ。髪と目と肌の色はビオを参考にしろ』

 頷くイシュカを確認し、それからもう一度溜息を吐くと、クラレンスはまだ言い合いを続ける基と和泉に目をやった。

「お前たちいい加減にしろ。いい歳のはずだろうに、子供か」

 ようやく黙ったふたりに、クラレンスは続けた。

「とりあえずは、和泉、イシュカを泊められるか?」

「大丈夫だよ」

「え」

 何か反論を述べようとした基を、クラレンスはじろりと見て黙らせる。

「なら、イシュカの住居は後々考えよう。あとは、言葉か」

 しばし考えて、クラレンスは口を開く。

『まずはこちらの言葉を覚えなくては話にならん。お前はしばらく和泉のところに逗留し、わたしのところへ通え』

『お前のところ?』

『そうだ。わたしはこちらの神の神殿に世話になっている。言葉とこちらの常識を教えてやる』

「言葉なら、俺だって……」

「お前に、あちら(アーレス)の言葉が話せるのか? 完璧に」

 思わず声を上げた基は、クラレンスにぴしゃりと言われて黙ってしまった。

「……わたしはこういう事態に備えた訓練も受けている。だから、いちいち盾突くのはやめろ。お前はもう少し大人になれ」

 ぐうの音も出ず、しおしおと基は項垂れた。


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