2.「無理」ってそりゃないだろう。
「上城くん……あの、よかったら……その、私と、お付き合いを……」
「ごめん、無理」
たぶん、全力の勇気を振り絞って告白したのだろうその女子は、基のにべもないひと言にぽっきり心が折れたのか、目にいっぱいの涙を溜めて走り去ってしまった。
「……お前さ、もうちょっと言いようがあるんじゃねえ?」
「だって、無理なものは無理だ」
女子がいなくなったのを確認して俺が出て行くと、基は座り込んでぼそぼそと呟く。
「身も蓋もなさすぎだって」
「じゃあ、祥真ならどう言うんだ?」
「もっと、友達でいましょうとかあるだろ」
「……期待させるほうが、残酷だ」
ふたりで無事に志望高校に合格して、海津高校2年になった。希望進路と自分の適正と相談した結果、俺は理系コースで基は文系コースだ。
“鬼の国”が時空を超えて行かなきゃならない場所ならやっぱ物理だろ、と考えて体当たりした結果、俺はどうにかなったが基は玉砕したというわけだ。
そして、高校でも文武両道を目指した結果、基は剣道部でもかなりの結果を出して、成績も張り出される中に入ってるくらいをキープし……ついでに見た目もまあそこそこだったおかげで、こうしてリア充予備軍を歩いている。
「勿体ねえよなあ」
「……別に、勿体なくなんてないし」
これだ。今年に入ってから、こうやって呼び出されては告られるという、まさに青春謳歌! ってことになってるくせに、当の本人にはまったくそんなつもりもその気もなく。
挙げ句の果てに、断り文句は「無理」だ。何が無理なんだよ。
「それにしてもさ、もうちょっと言葉選ぼうぜ。うちの姉ちゃんが、女子に恨まれると地獄を見るって言ってたし」
「他にどう言えばいいんだよ。無理なものは無理なのに」
俺は、はあ、と溜息を吐く。こいつ、意外に融通が利かないんだよな。
「だいたいさ、無理って何が無理なんだ? やっぱ角がないから?」
にやにやしながら訊くと、基はかあっと赤くなって顔を顰め、俺を睨みつけた。やっぱそういうことかよ。
「でもさあ、4歳の時のたった数ヶ月だろ? もし、“いすか”が“鬼の国”にいるんなら、もう10年以上経ってるんだぜ?」
「……わかってるよ」
いやわかってない。その憮然とした顔は絶対わかってないだろう。
「今ごろ、“いすか”お姉さんだって良い人見つけて結婚したりしててさ、子供だって産まれてるかもしれないんだぞ」
「わかってるってば!」
基の機嫌は急降下する。いやだがしかし、そこはちゃんと考えておかなきゃいけないところだ。
「……お前のそれ、保育園時代に先生に初恋しましたってやつを拗らせただけなんじゃねえ? いい加減さ、そうやって一刀両断に拒絶するんじゃなくて、周りもちゃんと見ろよ」
「……」
基はぷいとそっぽを向いてしまった。まあ、基だって本当は心の奥底でわかっちゃいるんだろうけどな。
「ともかくさ、もうちょっと断り文句は練り込んどいたほうがいいと思う。
和泉が言ってたんだよ、お前の断り方が結構酷いって、噂になってるって」
「……別に、酷いって言われたって構わないし」
「お前、進学校のイジメ甘く見てんじゃねーぞ。頭いい分、陰湿に来るんだからな。それに、さっきの子に片思いしてる男子だっていないわけじゃないんだ。男の逆恨み舐めんなよ」
今度は基が溜息を吐いた。
「めんどくせえ」
「しゃーないだろ。人付き合いってやつなんだからさ。お前、“いすか”以外にももっと気を遣えよ」
基は“いすか”のことには一生懸命なくせに、その他はわりとどうでもいいと考えてる節がある。だから、上城のおばさんだってやたらと基を心配するのだ。進学だって、このままじゃ自宅から通える大学限定になるぞ。自宅通学できるとこにはたいした学校がないってのに。
「なんていうかさ、もっといろんなことに興味持ってますって、ポーズだけでもいいから取ってみろよ。断るのも“無理”のひと言じゃなくて、友達がだめなら、今いろいろ忙しくてそんな暇ないとか、いっそのこと他に好きな人がいるとか、そういうのもあるだろ?」
「結局断るんだから、一緒だろ?」
「全然違うって……後に与える印象が全然違うだろ。もうちょっと考えろよ。そういう態度の積み重ねで、おばさんの安心感も変わってくるんだって」
「……そうかな」
基はもう一度溜息を吐く。
きっと、心の底から面倒臭いと考えているんだろうが、基ももう少し取り繕うことを覚えたほうがいい。いい加減、子供だからって許される年齢は過ぎつつあるんだ、お互いに。
「ああ、いたいた!」
「あ、和泉」
校舎の角からいつの間にか来た和泉が手を振っていた。基が顔を顰めて、俺を見る。
「柄元さんまで……」
「祥真に聞いてたし、さっき、早希ちゃんが行くの見えたから、もう終わったのかなって。
上城くん、また“無理”って言っちゃったんでしょ」
「事実、無理だし」
顔を顰めたまま小さく言う基に、あははと和泉が笑う。
「上城くんて、ある意味バカ正直だよね。素直に本当のこと言っちゃうんだもん」
「正直は美徳だって言うだろ」
「上にバカが付いたら美徳じゃないよ。モノは言いようっていう言葉があるでしょ?」
「……祥真、笑ってないでこいつなんとかしろよ。お前の彼女だろ」
基に向かって言いたい放題の和泉に笑っていたら、こっちに矛先が向いた。
「図星刺されたからって、俺に振るなよ。和泉、もっと言ってやっていいぞ。こいつこのままじゃコミュ障一直線だし」
「だよねえ。人の気持ち慮って言葉を選べなきゃ、後々困るのは上城くんだよ」
「なんだよ、ふたりでそんな上から目線かよ」
不貞腐れたように言う基を無視して、いきなり和泉がぽんと手を叩いた。
「あ、そうだ。そんなことより、ふたりとも先輩がまだ部活来ないのかって探してたよ。週末、練習試合があるんでしょ?」
「あ、いけね。基行くぞ」
「ああ」
立ち上がって、「じゃ、後でな」と和泉に手を振ると、基とふたりで武道館に急いだ。
「そうだ、基。再来週あたり、お前のとこに和泉と一緒に試験勉強しに行くから」
「はあ? なんで俺のとこなんだよ」
ふと思い出して、ジャージに着替えながら言うと、基は呆れたように俺を睨む。
「和泉が、お前のあの本見たいんだってさ」
「……お前、言ったのかよ」
不機嫌になる基の肩を、俺は「まあまあ」と叩いた。
「すんげえ興味あるみたいだぜ。ロゼッタストーン解読みたいなことができるんじゃないかって。だって、基、少しは読めるんだろ?」
「ほんの少しだけだよ」
「少しでもとっかかりがわかれば、結構読めるようになるんじゃないかってさ。和泉、なんか歴史とか文化とかに興味あるみたいなんだよ。見せてやってくれないかな。
だいたいさ、俺らふたりで見てるだけじゃもう限界あるだろ? ここらで新しい風入れようぜ」
基はじっとり目を眇めたまま、半分呆れた声で返す。
「……新しい風ってより、単に祥真が柄元さんと“鬼の国”のこと共有したいだけじゃないか」
「あ、バレた?」
へへ、と笑う俺に、基は本格的に呆れ顔だ。
「まあでも、俺の言うことももっともだと思わねえ? 実際、俺と基だけじゃいろいろ出尽くしてるしさ」
「そうかもしれないけど……」
「じゃ、そういうことで」
俺は基の背中をバンバンと叩いて、「先に行ってるからな!」とさっさと武道場へ行ってしまった。
「おじゃましまーす」
「おじゃまします」
約束の、翌々週の土曜日に、俺と和泉は基の家を訪ねた。
「うわ、祥真の部屋より片付いてる! 本も多いね」
「まあね」
「うっせ。それより基、早くあれ出してくれよ」
はしゃぐ和泉をよそに基を急かすと、「ああ」と頷いて机の引き出しを開ける。そこから取り出したのは、例のカバンだ。
「それが、問題のカバン?」
ちょっと丈夫な布をしっかり縫製しただけに見える……いちばん似ているのは、キャンバス地で作ったちょっとアウトドア向けなデザインのウエストバッグだろうか。どう見ても、A4どころかB5のノートがギリギリ入る程度の大きさしかない。
「和泉、見てろよ」
俺の言葉にごくりと唾を飲み込む和泉をちらりと見て、基はカバンに手を突っ込む。その手を引くと、にゅっという擬音がぴったりくるような調子でどでかい本が出てきたのだ。まるで四次元ポケットからでかいものを取り出した時のように。
「え、うそ」
「すごいだろ?」
ぽかんとする和泉に、にやにやと笑いながら俺が言う。
「……これがあったら、辞書と教科書持ち歩くの、楽だね」
「最初の感想がそれかよ」
けれど、呆気にとられたままじっとカバンを見つめる和泉の、続けての呟きに俺は脱力した。
「え、いや、すごく驚いたよ? 本当に驚いたよ? でも、そう思ったんだもん!」
慌てる和泉の言葉に、ぶっ、と基も噴き出した。
「確かにそうだ。そっか、そういうことに使えばよかったのか」
くっくっと笑いながら、基までそんなことを言い出す。
言われてみれば今までずっと、基の“鬼の国”グッズの出し入れしかしてなかったけど、確かにちょっと勿体なかったかもしれない。
「……あ、剣道具の持ち運び、すげえ楽になるんじゃね? 入るかな」
「今度試してみようか」
ひとしきり笑って、それから改めて「じゃ、本題だ」と床の上の本に注目した。
本は全部で4冊だ。基曰く、文字を覚えるための本と絵本が1冊ずつに、なんだか小難しい図鑑が2冊。基は文字の本と絵本ならかなり読めるし理解できるけど、図鑑のほうはタイトルくらいしかわからないらしい。読んでみようとしたけど、わからない単語が多すぎて断念したという。
「多分、向こうの動植物のことが書いてあるんだと思うんだ。絵と、解説がセットで」
「へえ……確かにそんな感じ」
覗き込む和泉にゆっくりと慎重にページをめくってみせながら、基が説明する。
「……あれ、紙と違う? 分厚くて……もしかして羊皮紙かな? 装丁も革みたいだし、糸で綴じてあって……手書きだよねきっと」
「たぶん、そうかな。材質はよくわからない」
「絵本に書いてあることの意味はわかるんだよね」
「うん」
「……なんか、面白そう。ねえ、何ページか写真撮っていい? デジカメ持ってきたんだ。でさ、あと、上城くん、絵本と文字の本の対訳作ってよ。それ手掛かりに読み解けないか、試してみたい」
「できるんだ?」
「わかんない。でもさ、ロゼッタストーンみたいに、絵本の対訳使って言葉を推測してくとかできそうじゃない? ヒエログリフみたいに解読できたら楽しそう。何が書いてあるのかな。図鑑っていうくらいだし、やっぱり絵の生き物のことなんだよね」
和泉はノリノリで広げたページを撮り始めた。
後から思い返すと、俺たちの進路が定まったいちばんのきっかけは、この件だったのかもしれない。