4.怖いやつに会った。
「ビオ、ほら、ちゃんとフードも被らないと、日差しにやられるぞ」
「いすかは? いすかはかぶってないよ」
「私は暑いのは平気なんだ。でも、ビオはそうじゃないんだから、気をつけないとな」
「ビオもおおきくなったら、いすかみたいになる?」
「それはどうだろうな」
昼、ビオにしっかり暑さ避けのマントを着せて、いつものように市場広場へ行った。
今日の昼食は、鳥の串焼きだ。
この辺りに多くいる野鳥を捕まえて捌き、よくタレに漬け込んだものを小さく切って串に刺して炙ったものだ。
「ほら、こうやって、ちゃんと冷まして、ひとつずつゆっくり食べるんだ」
大人なら一口で食べられる大きさの肉でも、まだ口が小さいビオは持て余してしまう。ひとつずつ別な串に刺して、少しずつ齧らせると、気に入ったのかおいしそうに一生懸命食べだした。手や口の周りがべたべただが、終わってから共同井戸に連れて行ってちゃんと洗ってやればいいだろう。ついでに服についてしまったところも洗えばいい。今日の日差しなら着ていてもすぐに乾く。
「いすか、おいしい」
「そうか、よかったな。あとは何が食べたい?」
「ぱん!」
「いつもの焼いたチーズを載せたやつだな。これを食べ終わったら買いに行こうな」
「いく!」
ビオはあまり好き嫌いをせずによく食べるので、とても助かる。ビオを拾った当初はどう見ても良い家の子供だと思ったし、こんな露店のものなど受け付けないのではないかと心配だった。だが、むしろ予想外に大喜びで食べてくれるので、ほんとうによかった。
「いすか、たべたよ」
そう言って差し出したべたべたの手と、口の周りも簡単に拭ってやる。
「じゃあ、次はパンだな」
「ぱん!」
ビオは嬉しそうに言って座っていた積み石から飛び降りると、私の手をぐいぐい引いて歩きだした。いつものパン屋は露店ではなく、広場から少し離れたところに店を構えているのだ。
「ビオ、あまり急ぐな。危ないぞ」
周りをろくに見ないで先を急ぐビオに注意を促すが、どうも耳に入っていないようだ。
「いすか、ぱん!」
パン屋が見えてきたと、私を振り返りながら言うビオは、気をつけろと言っているそばから人にぶつかってしまった。
どん、と思い切り体当たりをしてしまい、もちろん身体の小さいビオのほうが弾かれて尻餅をつく。
「ビオ!」
慌ててビオを助け起こしながら、「子供がすまん、申し訳ない」と謝りつつ相手を見上げた。
そこに立っていたのは、少し驚いた表情の……全身を鎧に固めて腰にはきらきらと仰々しい飾りのついた鞘に収めた長剣を佩いた……。
「いや、わたしは問題ない。子供に怪我は?」
「びお、だいじょうぶ。へいき。びお、つよいから、なかない」
「そうか」
にこりと笑って、「ならよかった」とビオの頭を撫でる彼の姿を見て、私は呆然としてしまう。
「“神混じり”……の、聖騎士」
ぽかんと呟いてから、私は慌ててビオを抱えて立ち上がる。
「あ、の、すまなかった。子供は、大丈夫だ。そ、それじゃ」
慌ててひとつお辞儀をして、私は足早にその場を立ち去った。聖騎士は首を傾げて私をじっと見ているようだったが、私はそれに構わず、とにかく急いでその場から逃げ出した。
「いすか、どうした?」
抱えられたビオに尋ねられて、ようやく歩を緩める。
「あ、ああ、ビオ、すまん。パンはまた今度でもいいか? もう、宿に戻ろう」
「いすか、ぐあい、わるい?」
「いや、大丈夫だよ……ごめんな」
あの、内から輝くような金と銀の色合いの髪と目に、真珠を混ぜたような肌の色。何よりあの醸し出す雰囲気は、間違いなく、あの聖騎士が“神混じり”と呼ばれる天上の住人の血を引く種族であることを示していた。
「なんで、こんなところにいるんだ」
私は気付かれてしまっただろうか?
“変装”の魔道具で人間のように見せかけてはいるけれど、あいつらはそういうものを見通すことが得意な種族なのだ。あんな風にじっと見られていたということは、バレたのかもしれない。
「どこの教会か、確かめてなかったな……」
「いすか?」
心ここに在らずのまま、考え込んでいる私を急にビオが覗き込んだ。
「あ……ビオ、悪かったな。なんでもないんだ、大丈夫だ」
「さっきの、わるいやつ?」
「違うんだ、ビオ」
「いすかを、いじめる?」
「違うよ、大丈夫だ、ビオ」
「でも、いすか、なきそう」
「大丈夫、泣かないから」
どうにか笑って頭を撫でる私を、ビオがじっと見つめる。
「少しの間、宿にいようか」
「びお、いすかと、おひるねするよ」
「そうだな、いっしょに昼寝をしよう」
こくんと頷くビオを連れて、私はさっさと宿に戻った。
「あら、ビオくん、おかえり」
「ただいま!」
宿に戻ると、さっそく女将さんが声を掛けてくる。
「今日は何を食べてきたんだい?」
「とり! ぼうにさして、やいたの。おいしいの」
「そう、よかったねえ」
身振りを交えて食べたものを説明するビオに、女将さんが笑う。
「そうだ、ビオくんに、これをあげようね。瓜だよ」
「ありがと!」
「あ、女将さん……」
「おやつにでも、食べてちょうだい」
「……ありがとう」
瓜を受け取ってにこっと笑うビオの頭を撫でて、女将さんが「そうそう」と私を向いた。
「大地の女神様の教会に、今、巡回の司祭様が来ているそうなんだよ。護衛は冒険者だっていうし、この子の故郷がわからないか聞いてみたらどうだい?」
「冒険者……」
司祭の巡回というなら、では、さっきの聖騎士がそれだろうか。
「あそこの教会は小さいから、冒険者は皆うちに泊まることになってるし、夕食の時にでも声を掛けてみたらどうだろう」
「あ、ああ、そうする。ありがとう、女将さん」
けれど、夕食の時間になっても、なかなか私は食堂に降りることができなかった。
「いすか、おなか、いたい?」
「大丈夫、痛くないよ」
心配そうに私の顔を覗き込むビオに、なんとか笑ってみせる。
……まだ、あの聖騎士に私の種族を知られたと決まったわけじゃない。それに、私の種族の評判は地の底でも、私はここで何か悪いことをしているわけじゃない。
深呼吸をして「お腹が空いてるだろう。待たせて悪かった。夕飯を食べようか」と言うと、ビオは「ばんごはん、なんだろうね」とにこっと笑った。
「ビオは何が食べたい?」
「おにくの、とろとろのやつ!」
「シチューか。今日は暑いから、どうだろうな」
「じゃあ、やいたの! ほねのやつ!」
「骨付き肉のローストか。ビオは肉が好きなんだな。女将さんにあるか聞いてみよう」
いつもより少し遅かったせいか、食堂は混んでいた。端のほうを選んで座り、今日のメニューを聞く。
さっと見回したところ、昼間見た聖騎士の姿は無かった。なら、きっと彼は教会に滞在するのだろうと、少しだけ安心した。
運ばれてきた骨付き肉から肉を剥がし、「こぼすなよ」と小さく切ってやる。
「びおもやりたい」
「ん、じゃあ、私の膝に乗れ。テーブルが高いからな」
ナイフに手を添え、力の入れ方を教えながら肉を切っていると、不意に「ここ、空いてますか」と声を掛けられた。私が何かを言うより先にビオが「あいてる!」と元気よく答え、先方がくすりと笑う気配がする。
「ああ、どうぞ」
そう言いながら顔を上げて、ひゅっと息を呑む。そこにいたのは、昼間会った聖騎士だったから。
「お前……“魔人”だな?」
座るなり、質問というよりは確認という口調で問われ、ごくりと唾を飲み込んだ。
「その子供、はぐれを拾ったと聞いたが、ほんとうか」
表情はあくまでも柔和だが、声は硬く厳しい。
「そ、そうだ」
「いすか?」
「大丈夫だ、ちゃんと食べろ」
場の緊張を感じたのか、不思議そうに私を見上げるビオに笑ってみせて、安心するように頭をぽんぽんと叩く。
「なぜその子供を養っている?」
「なぜって……こんな小さいのに放っておいたら、死んでしまうじゃないか」
聖騎士は目を眇め、値踏みか何かでもするように、私をじっと見つめた。
「今後はどうするつもりだ」
「どうするって……この子がもう少し大きくなったら大きい町に行って、親と故郷を探すつもりだ」
「なるほど」
何がなるほどなんだ。私の種族がどうかはともかく、後ろ暗いことなんてしていないんだから、吊るす気がないのなら放っておいてほしい。
私はちらりと上目遣いに聖騎士を見る。彼は口元だけを笑みの形にしたまま、相変わらずじっとこっちを見ているようだ。
「お、お前こそ」
ぼそりと尋ねると、聖騎士が目を細める。断罪するつもりなのか何なのか、はっきり言って怖い。
「お前こそ、私を、どうするつもりだ」
「いすか? これ、いすか、いじめてる?」
低い声で話す私を訝しむように、ビオが聖騎士にフォークを向けてしまう。私は慌ててビオの手を抑えた。
「ビオ、フォークでひとを指すな。行儀が悪いぞ。私は大丈夫だから」
「でも、いすか、むーってかお」
ビオが手を伸ばして私の眉間を撫でる。無意識に眉間に皺が寄っていたようだ。
「うん、大丈夫だから、ビオはちゃんとご飯を食べるんだ。大きくなるんだろ?」
「おおきくなる。びお、おおきくなって、つよくなる」
しぶしぶとまたビオが食事に戻り、肉を食べ始める。
と、急に聖騎士の笑う声が聞こえた。
「わたしは大地と豊穣の女神教会の聖騎士クラレンスだ」
突然名乗られて面食らう。いったい何のつもりなのか、意図がわからず私は首を傾げてしまう。
「え、あ、私はイシュカで、この子はビオ……と呼んでいる」
「くらら? いすかに、わるいことする?」
また顔を上げたビオに、“くらら”と呼ばれて少し言葉に詰まりながら、聖騎士は小さく咳払いをした。
「大丈夫だ、悪いことはしないよ」
聖騎士クラレンスはそう言ってビオに向かって微笑むと、私に視線を戻して改まったように口を開く。
「ひと月後、我々はまた都へ戻る時にこの町に立ち寄る予定だ。お前にその気があるなら、我々に同行するか?」
「え?」
「その子供の親を探したいと言うのなら、我が教会が協力してもいい」
「え、でも、どうして……」
にわかには信じられずにそう漏らすと、聖騎士クラレンスは呆れたようにひとつ溜息を吐く。
「……女神も、善なる神々も、お前が考えているほど狭量じゃないということだ。少なくとも、お前が本気で善き行いをしようというなら、我が教会はそれを妨げるようなことはしない。
もちろん、お前を連れて行くというのは、わたしがお前から目を離したくないという意味もある」
「それなら、私にはあまり選択肢がないということじゃないか」
「まあ、そうだな。だがひと月時間をやるんだ、その間に準備をするなり逃げ出すなりすればいいだろう?」
「逃げたりしたら、地の底まで追ってくるくせに」
「当然だ。“魔人”を野放しにはできない」
思わず睨みつける私に、聖騎士はにやりと笑った。
「……ビオはまだ、1日中歩けるほど身体ができてない。長旅ができるほど体力があるかもわからないぞ」
「問題ない。馬車に乗せればいい。それに、我々には司祭殿も魔術師もいる。まんいちの場合は、お前が子供に専念すればいいだろう?」
私は大きく息を吐いた。
「……わかった、ひと月後、お前たちが来たら、都まで同行させてもらう」