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某月某日、  作者: 銀月
3.そして、某月某日

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14.守り給い、幸え給え。

『“大いなる母の聖なる御名にかけて、これなる者に慈悲を”』

 聖水と輝く粉を振り撒いて、司祭がゆっくりと祈りの言葉を唱えていく。

「く、クララちゃん、(もとい)はどうなるんだよ」

「――大丈夫だ」

「ほ、ほんと? ほんとのほんとに大丈夫? ねえ、上城くん……死んじゃったりしないよね?」

「大丈夫だ。だから、お前たちも大地の女神に祈るんだ」

 どんどん血の気が失われ、基の顔色は今や白を通り越して土気色だ。心臓だって動いているのかどうか、呼吸だって続いてるのかどうか……。

 クラレンスの顔色だって悪い。大丈夫だと、半ば自分に言い聞かせるように繰り返すばかりで……。


 クラレンスの奉じる大地の女神が降ろす神術には、死者を蘇らせるものもある。だが、それは大いなる母として女神を崇める、あの世界の住人あってこそのものだ。そこを離れ、こんな遠方の、女神の声も遠いこの世界で、はたして奇蹟を期待することができるのか。

 司祭の紡ぐ長い長い祈りと儀式に、どうか我らの祈りを聞き届けたまえ、とクラレンスも必死に祈りを捧げる。



 * * *



「さすがの妾であっても、死生を自在になどは無理な話じゃ。

 そうだの……国産みの神々ですら、死は儘ならぬことであったという。国津神たる妾に如何ともし難きことであるのは、おぬしにも理解できよう?」

「――そっか。じゃ、俺やっぱり」

 ちらりと見えた人集りの中に倒れていたのは自分だった。真っ赤に染まった胸元をはだけて、祥真が必死に心臓マッサージをやっているのも見えた。


 もともと覚悟の上だったのだ。


 自分には半分でも耐えられない傷かもしれない。だが、イシュカは人間よりずっと頑丈で体力もある。

 なら、これはうってつけの方法であるはずだ。

 これでイシュカが元に戻ってくれればいい。


「ふむ……じゃが、どうやら天津神が降りてくるようじゃ。これは僥倖であるのう。巡り合わせか、おぬしの日頃の行いゆえか……」

「え?」

 あまつかみ? と呟いて、基は天を見上げた。

 心なしか明るいように感じて……でもこれはどちらかと言えば天からのお迎えというやつじゃないのだろうか。

「いすかは、どうなるのかな……」

 ぽつりと呟いた基に、黒姫はまたくつくつと笑う。

「先程申したであろう。おぬし次第じゃと」

「俺次第って、わかんないよ……」

「しかたあるまい、教えてやるが……よいか、おぬしは魔を封ずる人柱、つまり、楠姫と同じものと成ったのじゃ。おぬしはその身と生命をもって魔を(くだ)し、民草を救い……と、まあ、この後祀られて神となるか否かはあやつら次第だがの」

「――は?」

 基はぽかんと皆を見下ろした。

 祀られて、神になる?

 ……そんな馬鹿な。

「なんじゃ、実感が湧かぬのか。

 今は、人間どもの信心も薄くなっておるからしかたないことではあるが……ああ、だが、ただひとつ確かなことはあるぞ。あの魔はおぬしが封じ、(くだ)したのだから、これからはおぬしの眷属じゃ」

「けん、ぞく?」

 何を言ってるのか。

 神がこんなに親切にあれこれ教えてくれるなんて思ってもいなかったし、何より、自分がこんなことで神になるとかなんとか、そんなのありえない。

 それに、眷属なんて。

 自分はそんなの望んでない。

「おお、そうとも。あれはなかなかに力のある魔じゃぞ。そも、古来より、討伐された悪しきものが改心し、己を打ち倒したものに誠心誠意尽くすことで贖罪となす逸話など、珍しくなかろうが」

「そんなの……じゃ、いすかは」

「魔としての性格は、おぬしが封じたと申したであろう。今後はおぬし次第だが、毒気も抜けて無害なものとなるであろうな」

「――よかった」

 なら、きっと大丈夫だ。

 気が抜けて、ふわふわ浮いてるはずなのにへたり込んでしまった。

「ほう、天津神には珍しく、地のものに慈しみと愛情の深い女神のようじゃ」

 天はどんどん明るくなる。見上げた黒姫は少し眩しそうに目を眇め、自分を抱く男の腕をとんとんと叩いた。

「では、妾はもうこのあたりで戻るとしようか。あの姫神と妾のかわいい右近も、これに懲りて妙なものには手を出さぬだろうしな」

「え、俺は……」

「おぬしは呼ばれておろうが。いっさいを流れに委ねよ。なるようになる」

 コロコロと笑う黒姫は、「滅多に見られぬものじゃったわ」と機嫌が良い。男はそんな黒姫を抱えたまま一礼すると、くるりと踵を返し立ち去った。


 あとに残された基はぽかんとふたりを見送って……それから、思い切り身体を引っ張られたような気がしてぐらりと揺れる。

「え? なんだ」

 大きな手に掴まれたのか押されたのか、よくわからない力にぐいぐいと引き込まれるように感じて、「うわ!」と声を上げる。

 落ちる、と思ったとたん、パッと目が開いて……。


「そうそう、妾から天津女神に、あれは子供に対する情の深い魔のようじゃと申し上げておいたぞ。そうじゃの……あれじゃ、昔、海を越えて渡来した鬼子母神という鬼神がそのような女神であったが、あれによく似ておるようじゃとな」


 黒姫のそんな言葉が聞こえた。

 基は思わず「意味がわかんないよ!」と大きな声を上げようとして……喉がひりひりと痛み、掠れた声しか出ないことに気づいたのだった。




「基!」

「上城くん!」

 自分を覗き込むふたりが、歓声を上げる。え? と周りを見回せば、いつの間にか寝かされて囲まれていて……恐ろしいくらいに身体がだるい。

「俺……?」

「大いなる母の奇蹟のおかげだ。まだ、完全に回復とはいかない。一日は安静にする必要がある」

 クラレンスもホッとした顔で見下ろしていた。その横にはあの司祭もいて、まだぶつぶつと祈っているようだ。

「いすかは……」

「あそこに倒れたまま……ん?」

 険しい表情に変わったクラレンスの視線の先に、基も目を向けた。頭を振りながら、イシュカがゆっくりと起き上がるところだった。

 警戒してか、クラレンスが剣を引き寄せる。

 けれど……。

「いすか」

 起き上がろうとして力が入らず、基は這うように身体を引きずった。

「基!」

「上城くん!」

 慌てて止めようとするふたりを、基は押しとどめる。阻むように駆け寄るクラレンスの仲間たちも手で制して、基は「いすか」と呼んだ。


「――もとい」

 ふらふらと立ち上がり、覚束ない足取りのイシュカが、基の横に倒れ込むように膝をつく。そのままペタンと座って伸ばされた基の手を握る。

「もとい、ごめん……ごめん、なさい」

「いすかは、悪くないよ」

「でも」

「だって、いすかは、子供の俺を守ってくれたんだから」

「でも、もとい」

 握った手を撫でながら、イシュカはごめんなさいを繰り返す。

「だから、今度は、俺がいすかを守る番なんだよ」

 ふんわり笑って、基はイシュカの手を握り返した。

「でも、ごめん。今は、ちょっと、しんどい……」

 ようやく安堵したのか、基はぱたりと頭を伏せて気を失ってしまった。



 * * *



「つまりさ、基くんがいすかさんを折伏したわけ」

「しゃくふく?」

「知らない? まー、仏教用語だし、厳密には違うけど、基くんが身体張っていすかさんを良い方に引っ張ったってこと」


 結局、基は一週間ほど寝込むはめになった。

 司祭の話では、“死んでいた”のはほんの数分のことで、なら、だいたい一日寝てれば回復するはず……だったらしい。

「こればっかりは、神術でも治すことはできないんですよ」

 イレインと名乗った司祭は、クラレンスと同じ女神の教会で、彼とは長い付き合いなのだと笑った。


 祥真と和泉は学校だ。

 寝込んだ基は、「風邪をこじらせて」という診断書を取り付けて、今週いっぱいは講義も休んでいる。

 一週間のうち半分以上を寝たきりで過ごして、体力はすっかり落ちてしまった。取り戻すのに何日かかるだろうか。


「で、折伏して、いすかはどうなったんだよ」

「ええと、鬼の力、出てこなくなった」

 もじもじと身動ぎをして、イシュカが決まり悪そうに告げる。

「え?」

「使えないんだ。おなかの火も、感じない」

「――俺が考えるに、あれは完全に魔の力だったからね。

 あれからいろいろ聞いたけれど、要するに、自分の力の魔が強くて、それに引き摺られちゃったわけ。いすかさんも、楠姫さんたちも」

「なんだそれ」

 あははと笑う八潮に、基は思い切り顔を顰めた。

「ほんと、なんだそれだよねえ。俺が言った“呑み込まれてる”ってのは、つまりそういう意味なんだ」

 イシュカはますます肩身が狭そうに身を縮こまらせた。眉尻が下がって「すまない」とまた繰り返す。

「まあ、たしかに、いすかさんのせいではないね。

 そもそもいすかさんが自分の力のことを知ったのは、クラレンスが余計なことを言ったからだっていうし、本来なら少しずつ少しずつ慣らして覚えてくのをいっきに目覚めさせたのは、楠姫さんとこの白狐のせいだっていうし」

「な、それって、つまり全部くららのせいかよ!」

「で、でも、あれでクラレンスは我が教会ではベテランの優秀な聖騎士なんですよ。彼なりに、あれこれ善かれと……」

 食ってかかる基を、イレインはまあまあと宥めにかかる。八潮はただ、あははははと大笑いするばかりだ。


 やっぱりクラレンスは気に入らない。そもそも、初めて会ったときからロクなやつじゃないと思ってたんだ――そう呟く基に、イシュカはやっぱり「すまない」と眉尻を下げるばかりだった。


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