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某月某日、  作者: 銀月
3.そして、某月某日

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13.祓除。

 和泉(いずみ)にはカッコイイこと言ってみたけれど、何をどうすればいいのかなんて、祥真(しょうま)にもさっぱりだ。

 何しろあんな炎をまともに受けたら、間違いなく生命がヤバイ。炎を避けつつイシュカと白いのを押さえ込むなんて芸当も、祥真にできるわけがない。


 けれど、あの男は何か考えついたのか。

 (もとい)に耳打ちして、ふたりがバラバラに動き出すのを確認して、祥真もまたこっそりと移動した。祥真が止めるとしたら、イシュカではなく白いほうだろう。女の子を抱き上げて動きづらくなっているなら、なおさらだ。

 ゆっくりゆっくり息を潜めて、社の裏手を目指して祥真は移動する。




「――いすか!」

『それは私の名ではないと言ったろうが』

 基は眉間に皺を寄せる。

 日本語のように発音を変えた名ではダメだというなら、それなら……。

「イシュカ、火はやめるんだ!」

 子供の頃と、今と。イシュカの名はどう発音されていたかを思い出す。

 イシュカは少し驚いたように目を瞠り、それから、にいいと口角を釣り上げて笑った。いつものイシュカからはまるでかけ離れた、嫌な笑みで。

『お前が正しく私を呼べるのは、気に入らないな』

「どういうことだよ、イシュカ!」

『こういうことだ』

 イシュカが地を蹴った。瞬く間に基の前に迫り、鋭い鉤爪の生えた片手を振り上げて振り下ろす。

 反射的に身体を沈めた基の髪がひと房、宙を舞った。

『ほう?』

 一瞬だけ呆然として、基はすぐにそのまま地面を転がる。クラレンスとの手合わせを思い出せ、と呟きながら。


「楠姫様!」

 と、イシュカの背後で白狐が声を上げた。

 イシュカの注意がわずかに逸れる。

 パッと立ち上がって、今度は基が突進した。タックルの要領で、イシュカの腰を目掛けてどんとぶつかっていく。

『何を』

「イシュカ、やめるんだ」

『うるさい!』

 手を振り上げるイシュカにがっちりしがみ付いたまま、基は目を瞑った。


『――イシュカ!』


 馬のいななきとともに、声が降る。

 イシュカがチッと舌打ちをした。力任せに身を捩り、基の腕を振りほどいてさっと後ろに飛び退る。

 そこに騎乗したクラレンスが降り立って、基を庇うように立ちはだかった。

「くらら……」

「怪我はないか。あとは、わたしに任せろ」

 いつもの袴姿のまま、けれど大きな盾と輝く剣を掲げてイシュカを睨みつけながら、クラレンスが静かに告げる。

「くらら、いすかに何を……」

「あれは魔人だ。半分、悪魔(デヴィル)の血を引く邪悪なる生き物だ」

「――くらら!」

「今となってはお前のいすかではなく、悪魔(デヴィル)のイシュカなのだ。諦めろ」

「何言ってるんだよ! ふざけるな!」

 けれど、クラレンスは激昂する基に構わず剣を構える。姿勢をやや低くし、『行くぞ』と呟いて天馬に拍車をかけた。


 クラレンスの突撃を躱しながらイシュカは炎の鞭を振るうが、それはクラレンスの盾に阻まれる。

 何度も何度も、空中に舞い上がったり、地上に降りたりしながら何度も、クラレンスとイシュカの斬り合いは続く。

 しかし、クラレンスは、以前本人自らが言っていたように、こういう荒事の経験は深いのだろう。天馬を巧みに操って閃く鞭と渦巻く炎を避けながら振るった剣が、イシュカの腕を捉える。


「っ、つ……?」

 激痛の走った腕を押さえて、基は思わず膝をついた。押さえた指の間からじわじわと赤い血が滲み出し……痺れるような痛みに、基は歯を食いしばる。

『良いのか聖騎士』

 くっくっと、イシュカが嘲るような笑い声を上げる。

『何のことだ』

『私を斬れば、あの坊やもただでは済まないが』

『なに?』

 振り返ったクラレンスの視線の先で、基が赤く染まった腕を押さえていた。一瞬だけ訝しむように目を眇めて、すぐに思い出した。

『“同調の指輪”、か……』

 思い切り舌打ちをして、クラレンスはゆっくり馬を下がらせる。

「基、指輪を外せ!」

「指輪……?」

 基は、再会した日からずっと嵌めたままの、銀の指輪に目を落とす。

 迷子になってもすぐに見つけられるように、万が一怪我を負っても大事ないように、イシュカがくれた銀の指輪……この指輪をくれた時、イシュカは念じれば相手の居場所がわかるんだと言った。それから、基の負った怪我も、イシュカが引き受けられるんだと。

 つまりそれは、イシュカの怪我を基が引き受けられることでもあって……。

「――外さない」

「基!」

「絶対、外さない!」

 あはは、とイシュカが笑う。

『残念だな、聖騎士。それとも私の腕を切り落とすか? もちろん、そうなれば坊やも腕を失くすことになるだろうが、指輪の効果はなくなるぞ』

 クラレンスが、ギリ、と歯を軋ませる。


『クラレンス!』

「祥真! 上城くん!」


 石段を駆け上がって、和泉が飛び込んできた。倒れこむように両手をついてぜいぜいと息を切らせて、それでも祥真の姿を探して境内を見回す。

 その後ろから、若干息を切らせてはいるが、まるでファンタジーゲームから抜け出てきたかのような出で立ちの一団が走り込む。

 ちらりとそれを確認して、クラレンスはふっと息を吐いた。

『悪魔イシュカ。もうお前の勝ち目はないぞ』

『――それは、どうかな』


 大きく目を見開いて、その一団を見つめる基に、いつか司祭だと自己紹介をした者が走り寄った。

『“おおいなる母の慈悲において、この者に癒しを”』

 腕にかざした手がぽうっと光り、たちまち痛みが消えていく。

『もう、大丈夫ですから。悪魔(デヴィル)は私たちが倒します』

「え……」

 今、イシュカを倒すと言ったのか。

 子供の頃のようにはうまく聞き取れなかったけれど、それでも、“悪魔(デヴィル)”と“倒す”はわかった。

『だっ……』

 痛みと痺れが去って、けれど手が震える。

 彼らはクラレンスの仲間だ。なら、本当に、いつかの魔物のように、イシュカを殺してしまうのだろう。

だめ、だよ(ナイ)

『あれ? 君は大陸公用語がわかるんですか?』

『――だめだ(ナイ)! いすかに、てを、だすな!』

『あっ』

 司祭の腰に下げられた短剣が目に止まる。とっさに手を伸ばし、奪い取って転がるように走り出す。

 イシュカを殺させない。

 イシュカにも殺させない。

 そのためには、イシュカを止めて……。


 ふと、楠姫を巡り、白狐と争う祥真と和泉が見えた。

 暴れ川と呼ばれた鳴滝川を鎮めるために犠牲となった楠姫……イシュカが、神に匹敵するというなら、もしかして。


 ――なら。


「いすか!」

 基は、空を舞い争うイシュカとクラレンスの真下に立って声を張り上げる。

「基、下がっていろ!」

「嫌だ、下がらない!」

 いったい何を始めるつもりかと、イシュカとクラレンスが基を見下ろした。

「いすか、やめろよ! もとのいすかに戻れよ!」

『何を言うか。これが本来の私だと、何度も言ったろうが』

「やめないなら、いすか」

 基は、手の短剣を自分に突き付ける。恐ろしさに手が震えるけれど、このままイシュカが殺されるより、ずっといい。

 クラレンスが顔色を変える。

 イシュカも、大きく目を見開く。

「基やめろ! 手を離せ、基!」

『何、何を……』

「いすか、頼むから、これで止まってくれ」

『お前……何をする気だ――』

「鎮まれ、イシュカ!」

『――やめろおおおお!』

「基!」


 パァン、と柏手を打つ音が響き渡った。

 手水舎の湧き水を撒いて、パァンパァンと高らかに手を叩く。

「天清浄 地清浄 内外清浄 六根清浄と 祓給う……」

 八潮の祝詞がゆっくりと澱みを消していく。


『“この大地に生きるものすべてを守護する、大いなる母よ”』

 八潮に唱和するように、不思議な響きの言葉が流れ出した。

『“この地に生きるものに慈しみを、あなたの愛と安らぎを……”』

 司祭が胸に下げた聖なる印を握り締め、祈りの言葉を紡いでいく。


「もっ、基! 基基基!」

 楠姫を放り出して、祥真が走り来る。

 イシュカがふらりと揺れて空から落ち、続いてクラレンスが舞い降りる。天馬の背から飛び降りて基に駆け寄ると、剣を置いて赤く染まった身体に手をかざす。

『“大いなる母の慈悲にかけて、この者に癒しの奇蹟を”』

「基、しっかりしろ! 目を覚ませよ!」

「しょ、祥真、心臓マッサージ、早く! そっ、それから救急車……救急車救急車、何番、何番だっけ」

 基のシャツを破るようにはだけて、祥真は必死に胸を押す。震える手で何度もスマホを取り落としそうになりながら、和泉は必死に番号を押す。

『クラレンス、代わって!』

 祈り終えた司祭が、クラレンスを押し退けて膝をつく。腰に下げた袋を探りながら、素早くようすを見て取った。

 仲間たちも、少し離れた場所から見守っている。

『――この世界でも可能かどうかはわかりませんよ。でも、母たる女神のお力に頼ってみましょう』



 * * *



「今どき人柱など、思い切ったことをするものだのう、小僧のくせに」

「え」


 気がつくと、ふわふわと身体が浮いていた。

 どこも痛くないし、どこも苦しくなくて、基はおかしいなと首を捻る。


「あの、あなたは……?」

「黒姫様ですよ。このお向かいの、黒蔵山の()り神にございます」

「黒姫様?」

「はい。こちらが大変に騒がしく、このまま放っておいては出雲からの介入も免れなかろう、ようすを見ると仰いまして」


 いつの間にか、基のそばに男がいた。イシュカの後ろにいた白狐のような白装束の白い男だ。腕には若い女を横抱きに抱いている。まるで、時代劇か何かのような鮮やかな着物の女で、派手な帯を締めて、口元を扇子で隠してゆかいそうに笑っている。


「妾の狐がな、泣いておったのだ」

「は? 狐?」

 いきなり何の話を始めるのか。

 思わず顔を顰める基に、パタリと畳んだ扇子で基の後ろを指し示す。

「あの右近は、元は妾のお山に住むかわいい狐でな」

「え、右近……って、楠姫の」

「おお、そうとも。その昔、人間の小娘に懸想をしてな。どうしてもついていきたいのだと申すから送り出してやったというに、このざまじゃ。

 あの姫神を止められぬと、このままでは祟り神に堕としてしまうと泣いておったが……つくづく情けない奴じゃの。主人を穢れより遠ざけて守るも下僕(しもべ)の役目だというに、みすみす自らまでが呑まれてしまうとは」

 呆れた口調なのに、黒姫の言葉はどこか柔らかい。


 示されたほうへと目を向けると、楠姫を抱えてへたり込んだ白狐の右近がいた。それから、あちこちに水を撒きながら、時折手を打つ八潮もいる。

 そして、ぐるりと視線を巡らせれば、何かを取り囲む人集りと、だらりと皮の翼を広げて地面に横たわったままの……。


「いすか!」

「ほうほう、おぬしが封じた魔か」

 封じた? と、基は胡乱な目で黒姫を見返した。

「鳴滝の竜は寝汚く眠ったまま起きぬし、このままでは、竜を治める者のよしみで妾が出張って天誅を下さねばと思うておったところじゃ。だが、おぬしはようやったの。通力も持たぬただびとのくせに己を人柱に魔を治めるとは、なかなかの働きであったぞ」

「そんな……」


 黒姫の言葉に呆然としてしまう。

 基はただ、イシュカを止めて、元に戻って欲しかっただけなのだ。“封じる”なんて、イシュカはどうなってしまうのか。


「それじゃ、いすかは……」

「ふむ……贄となったのはおぬしじゃ。おぬし次第ではあるな」



神としての強さは

鳴滝≒黒姫>>>楠姫

となってます

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