12.祟り神になる。
イシュカがじっとこちらを伺い見ている。
すぐにでも駆け寄りたいのに、基の足はなぜか動かない。
「――基くん。ここの祭神の由来って、知ってる?」
「え?」
八潮にいきなり訊かれていったい何のことかと、基は視線で問う。
「この神社って、うちの管轄なんだよ。五十年くらい前は専任の神主がいたんだけど、ほら、神社経営って結構厳しいから」
「はあ」
「とうとう神主不在になった後、十年くらい経ってやっとうちの管轄ってことになったんだよね」
「それが、今、何か関係あるんですか」
「うん。今代の神主は俺の親父さんだけど、あの人もなんだかんだ多忙で手が回ってないんだよ。本職の他に道場やってたりするだろ? それに、子供会も人が減ったとかで、この神社でやってたはずのイベントもいくつか廃止になってるし、それで、どうしてもここはちょっと放置気味っていうか……」
「だから!?」
まったく要領を得ない話に、基はつい怒鳴り返してしまった。八潮はイシュカから視線を外さず、ひたすらに伺いながらどうしたものかと考えている。
「楠姫さん怒ってると思うんだよな。なんたってもとは人柱だ。鳴滝川治水の尊い犠牲ってやつなのに、この扱いはどういうことだ、ってさ」
「で?」
「楠姫さんの本質は元怨霊で祟り神だ。そりゃ普通に考えて、放置されっぱなしでロクに面倒見てなかったら怒るでしょ」
「――はあ?」
「しかもああいう魔の者との親和性は激高なわけ。まさに今、悪い方向に馴染んでる最中だったんじゃないかな。そこに俺がうっかり打った柏手がトドメを刺すことになって、アチャーって感じ」
今度こそ、基はイシュカをじっと見つめた。
イシュカの後ろにはあの白狐の神使がいて……そのさらに後ろに、童女と言っていいくらいの年齢の女の子がちょこんと座っていた。
『ここで合ってるんだよね』
『そのはずだ』
結構歩いてるはずなのに、なかなか辿り着かない。おまけに、道行く人々の誰もがぎょっとした表情で自分たちを振り返る。
それでもへらへらと笑って手を振りながら大きな弓を背負い直す弓使いに、傍らの長衣姿の魔術師が首肯した。
『それにしても変わった場所だけど、なんか平和そうだ』
背に負った盾の角度を直しながら、戦士もきょろきょろと辺りを見回した。だが、自分たちのように武器を携えた者はひとりもいない。騒ぎや喧騒の音も聞こえず、大騒ぎするものもいない。
何より、細い路地だろうがどこだろうが、軽装の女がひとりでふらふら歩いていることにも驚いてしまう。
『あ、あれだな。あの赤い門だ』
自然と足早になる集団を避けるように、人が割れた。皆、彼らを遠巻きに眺めようとしているらしい。
時折聞こえる“こすぷれ”という言葉は何のことかなと魔術師は首を捻り、いや、それよりまずは確認するほうが先だと思い直す。
『あ!』
『いたよ、あれだろ』
黒髪で背丈が低いというのがここの人間の特徴なんだろう。おかげでこれだけ人が多いというのに、目的の人物は探しやすかった。
『おい、クラレンス!』
『やっと見つけた!』
呼ばれて振り返った金髪の偉丈夫が、目を丸くする。
『お前たち……!?』
『まさかこんな遥か彼方に飛ばされてるとか、間抜け過ぎかよ』
『めちゃくちゃ苦労したんだからな。あちこちで占術頼むのだって手間だったし、三年もかけてわけわかんないほど次元越えて来たんだから労えよ!』
「クラレンス、彼らは?」
わあっと集まったクラレンスの仲間たちは、口々にあれこれを訴える。彼らにとってはどうやら三年、クラレンスにとってはほぼ五年ぶりの再会か。
『いつか来ると思ってたが、意外に早かったな』
『当たり前だろ。俺たち有能なんだからさ』
「クラレンス、彼らは何者かと聞いてるんです」
『いや、本当に驚いた』
わちゃわちゃ騒ぎ立てていっこうに話を聞かない彼らに洪が盛大な雷を落としたのは、このすぐ後だった。
「ねえねえ、なんか変じゃない?」
「へ、何が?」
前方がどことなく薄暗く感じて、和泉は祥真の手を引いた。
「なんか、ホラー映画でフラグ立ってるみたいな?」
「和泉、それよくわかんないけどなんかわかる」
なんとなく行きたくないなと感じて、祥真の足取りも重い。
けれど、昨夜の話は気になっているし、このようすでは実際に何かあるんじゃないだろうか。
ふと、石段の先を見上げた祥真の視線の先で、一瞬、火事でも起きたかと見紛うような盛大な火柱が上がった。順当に考えて、あれが基の言ってた“鬼の力”の火なんだろう。もっと穏やかなものを想像していただけに、たしかにこれは尋常じゃないと思ってしまう。
それに……基が言ってたように、あまり良いものにも思えなかった。
「でもさ、いすかお姉さんなんだよね?」
「そのはずだよな?」
「あとさ、神社って普通悪いものは入れないんじゃないっけ?」
「え、でも神社で肝試しとかやったじゃん?」
和泉と祥真は無言で顔を見合わせる。
「とりあえず行ってみようよ。ほら、確認は大切だし」
「クララちゃん召喚笛とかねえのかな」
ここにクラレンスがいたら心強いのに肝心な時にいないんだよな、などとブツブツ話しつつ、ふたりはゆっくりと石段を登る。
ようやく境内の入り口に到着するころには、前方から何度も何度もゴゥッと炎の渦巻く音とともに、誰かの高笑いする声までが聞こえてきた。
どう考えても普通じゃないない。
祥真と和泉はまた顔を見合わせる。
正面からどうどうと入るのではなく、石段を少し外れて、狛犬や鳥居に身を隠しながら境内を覗き込むと……。
「え、ちょ、どういうことこれ」
「何? 何でこんなんなってるの!?」
巧みに赤い炎を操るイシュカと青い狐火を操る白狐神使が、基ともうひとりの男をからかうように追い立てていたのだ。
その後ろでは、童女が楽しそうに笑っている。
ごくりと喉を鳴らして、祥真が「和泉」と呼んだ。
「な、何、祥真」
「お前、今すぐ鳴滝神社からクララちゃん呼んでこい」
「えっ、でも、祥真は」
「俺は、基となんとかするから」
「なんとかって」
「いいから早く行けって!」
どんと背中を叩かれて、和泉は戸惑いつつも走り出す。
基も祥真も、もちろんイシュカも心配だけど、たしかにこの場をどうにかできそうなのはクラレンスくらいだろう。
「きっ、気をつけて、無理しないでね!」
「ああ」
植え込みの陰に隠れながら、祥真もゆっくりと移動を始めた。
* * *
にい、と笑うイシュカは、明らかにいつもとは違っていた。
『この国の“神”というのは、ずいぶんとか弱い存在なんだな』
「いすか!」
『それは私の名前とは違うな、かわいい坊や?』
いったいどうしたんだよ、という基の呼び掛けも無視してくすくす笑いながら、イシュカは皮の翼を広げる。
「基くん、あれ、完全に呑まれてるよ」
「どういう意味だって」
「いやだから、悪いほうに呑み込まれてるってこと。とにかく、道具を持ってきてもらわないとどうにもし難いな」
八潮はポケットからスマホを取り出した。何をどうするにしても、最低限、御神酒くらいないことには、どうしようもない。
「熱っ!」
ヒュッと風を切る何かにスマホを叩き落とされて、八潮は反射的に手を引っ込めた。手の甲に小さな火ぶくれができていて、八潮はチッと舌打ちをする。
『“伝言”は送らせないよ』
笑いを含んだ声で告げるイシュカの周りに、赤い炎が渦を巻く。
『――さて楠姫様。人間たちへのお仕置きはどうしよう?』
「いすか! 何言ってるんだよ! こんなのやめろって!」
『お前はかわいいが……お前の声はどうも気に障るね』
また、ヒュッと音を立てて何かが飛んできた。危ない、と力任せに腕を引かれてよろけた後を、閃く炎が鞭のようにしなって空を切る。
「炎の鞭とか、映画の悪魔みたいだな」
『楠姫様は、寂しくてお怒りなんだよね』
くっくっと笑いながら、イシュカが一歩踏み出す。じりじりと下がって石段へ走り出そうとするふたりを、今度は青い狐火が阻む。
『だって、人間の都合に振り回された挙句の放置だ。ああ、本当にかわいそうな楠姫様。こんなに顧みられないなんてね』
「だから親父にあれほど言ったのに!」
「どういうことなんだよ!」
八潮はどうにかこの場を離れられないかと、境内を見回す。だが、ヒュンヒュン唸る炎の鞭と青い狐火がそれを許さない。
「たぶん、あの魔人の火だよ。あの火はこの世の火じゃない、彼岸の火で、しかも死の穢れを帯びてるな。つまり、神域に死の穢れを呼び込んだせいで場が澱んで、楠姫様が堕ちたんじゃないかと思うんだ」
「そんなことってあるのかよ!」
「あるんだよ。で、モノによるけど、堕ちた神っていうのは元の祟り神に戻ったり怨霊に戻ったりして結構めんどうなんだ。
楠姫さん、あの見かけで結構過激派だったみたいだし、怨霊ってより、祟り神になってるんじゃないかな」
社の階段からひょいと飛び降りた童女が、白狐に甘えるように手を伸ばす。抱き上げられて、白狐の耳に何事かを囁いて、またくすくすと笑っている。
急に狐火が襲いかかってきて、八潮と基は慌てて身を低くする。
『この土地の人間はここに神がいることを忘れてしまったわけだが……忘却は罪なんだよ。当然だろう? あんなにがんばって鳴滝を治めて皆を救ってきたのにな。何より、勝手に殺して勝手に恐れて勝手に祀り上げて、なのにすっかり忘れ去るなんて、本当に勝手なものだ。
楠姫様は、もっと怒っていい』
あははと笑って、イシュカは楠姫を煽る。
相乗効果ってことかと考えながら、八潮はふと手水舎に目を止めた。
この状況で清水はないよりマシか……と呟いて、基に耳打ちする。
「あそこの水が使えるようなら祓いをするからさ。基くん、どうにか悪魔と楠姫さんの注意、引きつけられる?」
「祓いって?」
「とりあえず、澱みをなんとかしたらなんとかならないかなってさ」
少々頼りなげに笑って、八潮は「頼むよ」と基の肩を叩いた。
「クララちゃん!」
境内でクラレンスの姿を見つけた和泉が、その場に倒れ込むようにして足を止める。ひぃはぁひぃはぁと肩で苦しげに息を吐き、駆け寄るクラレンスに縋り付いて、和泉はまた、「クララちゃん! クララちゃん!」と繰り返した。
「どうした和泉、何があった?」
「たっ、たいへんで、その、山で、いすかお姉さんと、上城くんと、なんかもういろいろたいへんで……祥真が残ってて、とにかくたいへんで、たいへんがたいへんで、とにかく危ないの! 助けて!」
相当慌てているのか、いつもなら大抵のことを端的にきちんと説明できるはずの和泉は、ただ山を指差しておろおろと支離滅裂に単語を並べるだけだ。
クラレンスは思い切り顔を顰めて山を仰ぐ。洪もじっと山を見つめて、「まさか、堕ちた?」と呟く。
さっき再会したばかりの仲間たちは、ぽかんとそれを眺めているだけだ。
「わかった、すぐに行こう」
『え? クラレンス、なんだって?』
『お前たちも手伝え』
クラレンスが立ち上がり、離れへと走り出した。
皆、訳がわからず呆然としつつもさすがにクラレンスの仲間というべきか、各々手持ちの武具を確認し始める。
『クラレンス、何があったって?』
が、クラレンスは答えず、縁側の袋を取ってピィーッと指笛を吹き鳴らす。すぐに空の一点から滑るように白い馬体が降りてきた。
『わたしは先に行くが――』
『いや、ちょっ、クラレンス、何があったんだってばよ!』
『お前たちはその娘に案内させて後から来ればいい。話はあとだ!』
大きな翼を持つ白い馬の鞍にひらりと跨ると、クラレンスは鋭い声とともに馬体を手のひらで打った。呆気に取られた仲間を残して、真っ白な天馬は大きないななきとともにたちまち空を駆けて飛び去ってしまう。
『――くっ、クラレンス! 少しくらい説明しろってんだあっ!』
弓を振り回して怒鳴る、弓使いの声だけが後に響いていた。





