11.九層地獄界から来た悪魔が。
八潮は、この鳴滝神社を預かる滝沢家の次男だ。
鳴滝神社は長男が継ぐことに決定している。
八潮は兄のように正式な神主の資格を持つわけでも専門の勉強をしたわけでもない。就職だって家とは関係ないところへという、気楽な立場だ。
もっとも、神職としての能力が長男よりも高かったおかげで就いた仕事もその特技を活かしたものだし、その仕事のおかげでこうして洪に呼び出されてはいいように使われることも多いのだけど。
「洪さんから、“魔の者”はクラレンスの管理下だって聞いたんだけど、その“魔の者”って何なの」
洪に呼び出されて久しぶりに帰宅した八潮に、クラレンスはどこから話したものかと考える。
「まず、わたしが“事故”でここへ現れたことは話しましたよね。わたしの故郷にはさまざまな種族が入り混じって暮らしていることも」
「たしか、聞いたと思う」
ちらりと思い返しながら、八潮は先を促す。
「その“事故”であちらからこちらに来た者が、もうひとりいたんですよ。“イシュカ”という名前の魔人が、最近こちらに辿り着いたんです」
「魔人?」
「ええ。九層地獄界の住人たる悪魔と人の混血です」
「――はあ?」
たしかに人外と人間の婚姻譚だの混血だのがないことはないけれど……と、八潮はブツブツ呟いて顔を顰める。
「よりによって悪魔の混血って、それが“魔の者”? 大丈夫なの?」
「大丈夫だと、わたしは判断したんですが」
「洪さんが、気配が増してるっていうんだよ。だから、それなりに見逃せないレベルの話だと思うんだよね」
心持ち困ったように、クラレンスの眉尻が下がる。あちらとこちら両方での観察と、クラレンスの聖騎士としての力を総合しての判断だったのだが……こうも異を唱えられるようでは、判断を早まったのかもしれない。
「で、そのイシュカって、最近ここへは?」
「いや、顔は見ていません……が」
そういえば、その気配というのは、イシュカが顔を見せなくなってからの話ではないだろうか。
つまり、ここへ来なくなった理由に原因があるということなのか。
クラレンスの眉間にくっきりと皺が寄る。
「居場所はちゃんと抑えてあるんだよね」
「はい。あちらでイシュカが世話をしていた子供が……」
「へ? 子供? どういうこと?」
ああ、やはり最初からすべて説明しなければだめかと、基とイシュカと魔法嵐の事故と、クラレンスは順番に掻い摘んで話し始めた。
* * *
「やっぱり、おかしいと思う」
「何がさ」
部屋に帰ってくるなりの基の言葉に、祥真はもぐもぐと夕飯を食べながら返した。
「あ、今日は和泉が唐揚げ作ってくれたんだよ。これ、お前の分だから」
「うん……」
いったん荷物と上着を置いて戻ると、基は取り分けられた唐揚げとサラダを引き寄せてご飯をよそった。
「で、何がおかしいんだ?」
席について食べ始めた基に、もう一度祥真は尋ねた。どこか浮かない顔で、基は料理を口に運ぶ。
「――いすかがさ、山の楠姫神社で、鬼の力の修行をしてたんだ」
「へえ? いすかお姉さんて、鬼の力なんて使えるんだ」
「火の力が使えるとかで、そこの神社の神使だとかいう狐に教わってた」
「狐先生? 狐が鬼の力の使い方なんて教えられるんだ?」
こくりと頷く基は、何が気に入らないのか、顔を顰めたままだ。
「で、基はそれの何が引っかかってるんだ?」
「あれは……いすかの火は、よくない」
「よくないって?」
「わからない。でも、とにかくよくないと思う」
もしゃもしゃとサラダを頬張って、基はひたすらに口を動かしている。
今ひとつ要領を得ない基の言葉に小さく息を吐くと、祥真は口の中のものを味噌汁で流し込んだ。
「使えるものを練習したいんだろ? 別に悪いことでもないんじゃね?」
「わかってる。でも……うまく言えないけど、よくないとしか思えないんだ」
あの赤い炎は、どこか禍々しかった。
“禍々しい”と形容するしかないような気配で……あの白狐の神使は気になったけれど、それよりもあの炎の赤が忘れられないのだ。
「とにかく、いすかの様子もなんかおかしくてさ……」
「あ、そういえばそれ、和泉も言ってたな。女豹とか俺様っぽいとか」
浮かない顔のまままた頷く基に、祥真もううむと考える。
「明日、クララちゃんに話してみたらどうだ? クララちゃんはあれで爺さんみたいな歳だったろ。年の功で何か知ってるかもよ」
「そうしてみる」
「俺も、和泉に気をつけておくように、メッセ送っとくし」
最後の唐揚げを口に入れて、基は頷いた。
単なる気のせいならいいのだけど、と考えながら。
身体の中に炎が渦巻いている。
その炎は、弱まるどころかますます勢いを増していて……。
『呑み込まれそう、だ』
「ん? いすかお姉さん、何か言った?」
「あ、いや、なにも」
テレビのチャンネルを変えながら、和泉が振り向く……と、そこで、和泉のスマホがいきなり鳴った。
「あ、祥真からメールだ」
イシュカは和泉を振り向いた。“スマホのメール”が、魔術師の送る“伝言”のようなものだとは理解しているが、そんなものを和泉のような普通の人間までが使いこなしてしまうというのは、未だに信じがたい。
スマホを眺めていた和泉がくすくす笑い出した。イシュカのほうへと身を乗り出して、「ほら」と画面を向ける。
「上城くん、いすかお姉さんのこと気になってしかたないみたいだね」
「もとい?」
そういえば、今日は楠姫神社にまで現れたのだったな、と思い出す。
そうだ、基のことも問題なのだ。
基のことは嫌いではないし、むしろ好意を持っている。けれど、それが男女の間に生まれる感情と同じものかと訊かれると、首を傾げてしまうのだ。
そもそも、誰か他人をそんな対象として見たことなんてないイシュカには、その感情自体が未知のものでしかない。
「たしかに、いすかお姉さんの女豹みが増したせいで心配なのはわかるけどさ、上城くんはヤンデレの気があるのかな」
「めひょう? やんでれ?」
随分とわかるようになったはずなのに、和泉の使う日本語は、たまにさっぱりわからなかった。おそらくは“スラング”というものなんだろう。借りた辞書をめくっても、載ってない言葉が多いのだ。
「それで、いすかお姉さんの鬼パワーってどんな感じなの?」
「おにぱわー?」
「山の上の神社で練習してるんでしょ?」
「ああ……」
どんな感じ、と言われても、どう言葉にしていいのか悩んでしまう。
「つよくなってる……と、おもう。ふくれてる? こぼれ……いや、あふれる? むずかしいな」
「ふうん? 強くなって漏れ出しそう、ってとこなのかな? まあ、身体を動かすにしても、訓練しなきゃできないことって多いしね」
うん、いつものいすかお姉さんだ。
話しながら、和泉は少しほっとする。
テレビのコマーシャルに目をやりながら辞書をめくるイシュカは、俳優が何を言っているのかを調べようとしているらしい。もっとも、文字自体完璧に覚えたとは言い難いので、辞書にはイシュカ自身の手で真っ黒になるくらいの書き込みもされている。
イシュカは“戦士”という体育会系に違いない商売だったせいか意外に勤勉だし、だから鬼の力の練習にも真剣に打ち込んでるということなんだろう。
ふう、と伸びをして「いすかお姉さん、そろそろ寝ようか」と声をかける。イシュカは小さく頷いて辞書を閉じ、畳んだ布団を広げ始めた。
* * *
ますますストーカーみたいだ、と自嘲気味に考えながら、基は離れた場所からイシュカの“鬼の力”の訓練を眺めた。
クラレンスと話をするのは後回しだ。祥真にはああ言ったけれど、クラレンスを頼るのはやっぱり癪に触る。
それにしても、今日は昨日よりも炎の勢いが強いようだ。
いったいどこまで強くなるのだろうか。
本当に大丈夫なのか。
渦巻く炎の赤は、ますます濃くなっている。赤というよりも真紅といったほうがいいかもしれない。
――それに。
イシュカが“鬼の力”を使えば使うほど、嫌な気持ちが膨れ上がって落ち着かない。心臓がバクバクと嫌な鼓動を打つ。けれどこれは、イシュカが“鬼の国”に帰ってしまうかもしれない不安とは別……な、はずだ。
「君が、基くん?」
急に声を掛けられて、基は顔を上げる。
見たこともない男が、にこにこと笑いながら基の少し後ろに立っていた。年の頃は、たぶん基より十近く上だろうか。
「俺は滝沢八潮。クラレンスを居候させてる鳴滝神社の次男だ」
「はあ……上城基です」
鳴滝神社の次男とやらが、いったい何の用なのか。基は訝しげに八潮を見返したが、へらへらと笑っているだけだ。
「あれが、クラレンスの同郷の“魔人”? すごいねえ。凄まじい力だな」
「え?」
「うちの神様の神使がやたら心配するから様子を見に来たんだけど……たしかにあれは不安になるね」
不意に目を眇める八潮に、基もイシュカへと視線を戻す。
「たしかに、すごく危ないと思う」
「それ、どういう……」
ゴォ、という音とともに、イシュカがまた火柱を作る。基はハッと振り向いた。昨日よりもずっと大きく赤い炎が噴き上げて、まるで爆発か何かのようで……。
「あの、火が……よくないな……」
ぽつりと零すような八潮の言葉に、基はキリと唇を噛み締める。自分と同じように、あの炎を良くないと感じる人間がいるんだ、と。
「あれは、火というより……」
八潮が急に眉を寄せた。じっと炎を見つめつつ考え込み、ひとつ頷くとスッと両手を胸の前で合わせて――。
パァン、と澄んだ音が境内に響き渡る。
とたんに、イシュカがこちらを向いてにいっと笑った。
その顔がいつものイシュカと違っていて、基は大きく目を見開く。
『この世界にも、司祭がいるのだな』
まただ。
また、イシュカがあっちの言葉で喋っている。なのに、意味がわかる。
これは、良くない兆候だ。
『いや……司祭というよりも、神の力をその身に降ろす、依代か?』
「――ごめん。余計なこと、したかも」
「え?」
チ、と軽く舌打ちをして、八潮がしまったなと呟いた。





