9.神との距離の取り方は。
「」→日本語
『』→アーレスの大陸公用語
というくくりでお送りしています。
※神関係者には言葉の壁がないので、普通にちゃんぽんな会話が成立しております。
『クラレンス、こちらの神のありようと、あちらの神のありようは、何が違う?』
突然イシュカに尋ねられて、クラレンスは首を捻る。
『何かあったか?』
『いや……まだ、何もない。でも、少し気になることがあって』
歯切れの悪いイシュカの言葉に、クラレンスは眉を寄せる。
『気になることとは?』
『あちらの神は、信者がいなくなると神としての“死”を迎えることになるだろう? でも、こちらの神は違う。死なないけど、神ではないものになってしまうというような話を聞いた』
『ああ』
クラレンスは頷いた。
『……“神”というもののありようが、おそらく違うんだろう。アーレスの神々は……稀な例外はあれど、そもそもの初めから神として誕生し、信者の祈りを吸い上げ糧とすることで神としての生を得ている。
だが、こちらの神は他者から“神”として祀られることで“神”と呼ばれる生き物になるようだ。その違いではないかと、わたしは考えている』
『“神”という生き物?』
『わたしの想像でしかないが……アーレスで“邪悪の神髄”に触れられたものが悪魔に“変容”することがあるだろう。ああいうことが起きるのではないかと』
おそらく、クラレンスもこちらに来てすぐに疑問に感じたのだろう。こちらとあちらでは、神というものがまったく違うものに思えるのだから。
『“変容”なの、か……』
『……これは、わたしの仮説でしかないがな』
クラレンスが考え込むような顔のまま、述べた。
『もちろん、アーレスの神々と同じように、最初から“神”として生まれた神々もいるのだろう。だが、少なくともこの地で“神”とされている鳴滝殿のような方は、“神”に“変容”した別なもののように思える』
イシュカにはどうも理解し難いことに思えたけれど、クラレンスからすれば、そう考えたほうがいろいろなことがすっきりするようだ。
ああ、でも、だからひとに忘れられても生きていられるし、“祟り神”のようなものに変わってしまったりもするのか。
イシュカもそう考えてやっと納得する。
楠姫も、もとは人間だったと言った。死後、祀られることで“神”という生き物に“変容”し、生まれ直したのか……。
楠姫が今の可愛らしい神のままでいるには、どうしたらいいんだろう。
『それで、お前は何を気にしているのだ』
『え?』
『何かが気にかかるから、わざわざわたしのところに来たのだろう?
最近山の上の寂れた神社に通っているようだが、何かあったか?』
クラレンスには、お見通しだったのか。
ごくりと喉を鳴らして、イシュカが身を固くする。
『何も、ない。ないけど……楠姫が、寂しそうで……』
ふむ、とクラレンスが吐息を漏らす。
たしかに、あの山の上の小さな神社は不便な場所にあり、訪れるひともあまり多くはないようだ。専任の神主も居らず、この鳴滝神社の神主である滝沢殿が兼任だったか……。
『……こちらでは、人外にあまり深く肩入れすることは忌避されることなのだと聞いている。神々なら、なおさらだ。神々に、ひとの理は意味をなさないのだとも言うしな。
我々は厳密には人間という種族ではないが、それでもこちらでの扱いとしては人間だろう。お前も、あまり関わり過ぎないように注意すべきだ』
『でも』
そんなことを言ってたら、楠姫が祟り神に変わるかもしれないのに。
イシュカを制するように、クラレンスが片手を上げる。
『深く関わるなというのは、こちらの人間が、長年の神との関わりを経て辿り着いた結論なのだ。従ったほうがいい』
『……でも』
『これは、神から神でないものを守るためでもあるのだそうだよ』
まだ納得いかないようなイシュカに、クラレンスは頷いて見せた。
『お前の種族は、どちらかといえば人間よりこちらの“神”寄りと言えるだろう。ならば、なおさら注意すべきだ』
クラレンスがそう言うなら、そうなのだろうか。
イシュカは不承不承ながらも頷く。
けれど、右近に“術”の使い方を教えてもらうという約束があるのだから。言い訳めいたことを考えながら、やはりイシュカは楠姫の社へと向かった。
何もかもに流されてるような現状でも、自分に……自分の能力をきちんと使うことができるようになれば、何かが拓けるのではないかと思えるのだ。
「ええと……それでは、始めましょうか」
いつものような柔らかい物腰で、右近がにっこりと微笑む。楠姫は本殿の入り口にちょこんと腰掛けて、楽しそうにこちらを見ている。
鳴滝神社の洪とここの右近は、同じ神使なのにずいぶんと違うのだなと、いつも思う。楠姫と鳴滝の神としての性格の違いゆえなのか、それとも、もとは蛇だという洪と狐だという右近の、種族の違いによるものなのか。
「お腹の、このあたりに何かを感じませんか?」
腹を指差しながらの言葉に、首を傾げながらイシュカも集中してみた。
──よくわからない。もっと集中すれば何かを感じるのだろうか……と、眉を寄せて目を瞑る。
ひたすらにじっと集中し……一瞬、何か熱さのようなものを感じて、イシュカは目を開いた。
『熱、みたいな……渦巻いてる、みたいな……』
「では、それがいすかさんの持つ力のもとでしょう」
『これが?』
一度自覚した後はずっと、もやもやと燻るように感じ続けるこれが、自分の力なのか、とイシュカは考える。
単に、クラレンスの言うとおり、魔法のような能力が使えるなら使いこなせるようになりたいと思っただけなのに、いざとなったら怯んでしまうのはなぜだろうか。
「その力を、形にするのです。その形にするやり方は種族にもよりますが……」
右近は、手のひらを上にして、そこに青白い火の玉を浮かべた。
「たいていの種族には、生来備わっているものでして……同族同士で遊びなどを通じて、成長とともに自然と学んでいくものなのです。例えば、言葉や身体の動かしかたのように」
ぽかんと、右近の狐火を見つめながら、イシュカも考える。
『言葉、か……』
「いすかさんの場合、周囲に同族がいなかったということで、発現するのが遅かったのではないかと思います。
……そうですね、では、その力に集中して、どんな形を取りたがっているかを感じてください」
『どんな姿?』
「はい。力には、方向性というものがありますから。その、行きたい方向を察知し形を与えてやれば、力を発現させることができるでしょう。
最終的には、その方向を操ることもできるようになるはずですよ」
右近の説明に半信半疑ながら、イシュカは自分の内に渦巻く力に集中する。これが取りたがっている形とは、なんだろうか。
もやもやとしたそれが、どんな形になるのか……イシュカは集中を深める。なぜだか、渦巻くそれに飲み込まれそうな気すらして……。
「いすかさん!」
右近の呼び声に、ハッと我に返った。目の前の大きな深紅の火柱が一瞬で消えて、右近がほっと息を吐く気配がした。
『あ……』
呆然とするイシュカに、楠姫が走り寄った。
「いすかさん大丈夫? 急に火柱が上がるから、びっくりしたわ」
『あ、その、すまなかった』
心配そうに覗き込まれて、イシュカは頭から霧を払うかのようにぶんぶんと振る。
「いすかさんの力はどうやら思ったよりも大きいみたいですね。
初めてであれ程までに大きな火柱を発現させるなんて……」
珍しく緊張をはらんでいるかのような右近の声に、イシュカは思わず身を固くした。
『やめたほうが、いいんだろうか』
「いえ。一度表に出たのですから、もう出さずにいることは無理でしょう。それに、力の発現だって、こうも大きくなっていては時間の問題だったでしょうね」
右近に苦笑されて、そういうものなのかと眉尻を下げる。
「ある意味、ここで発現してよかったかもしれませんよ」
宥めるように言われるが、ではこの先また火を出してしまったらまずいのではないか。
「ですから、まずは抑えかたを練習しましょうか」
『抑えかた?』
「妖力を抑えきれない子供に学ばせる方法です。これでどうにもならなくなると、外から封じるしかなくなりますが……」
「大丈夫かしら」
イシュカ本人よりも不安そうな表情を浮かべて自分を見上げる楠姫を、右近は安心させるように微笑む。
「いすかさんはもう十分に大人ですし、そうはなりませんよ」
右近に励まされ、イシュカは“抑えかた”の練習を始めた。
「クラレンス」
珍しく本殿から出てきた洪に呼ばれて、クラレンスが振り向いた。手に持っていた木刀を下げ、「何か?」と尋ねるクラレンスに、洪はにいっと笑う。
「あの魔のものは、何をしているんです?」
「何を、とは?」
訝しげなクラレンスに、洪はわずかに目を瞠り首を振る。
「魔の気配が増してます。わかりませんか?」
ちらりと山を振り仰ぐ洪につられて、クラレンスも山を見る。
「気配が増している、とは……」
「言葉のとおりですよ」
はあ、と洪はもう一度大きく息を吐いた。この、アーレスという場所から来たものは、力はともかく感覚が鈍すぎるのではないだろうかと考えながら。
「魔自体はともかくとして、彼らはしばしば穢れを呼び込む原因を作りますから。
あれはあなたがご自分の庇護のもとに置くと決めたのでしょう? ならば、きちんと管理していただきたい」
咎めるような洪に、クラレンスは眉を顰めてもう一度山を見た。
「あそこの神は、人だった時分も今も、未だ幼いままですからね。
余分なことをしでかしたのでなければ良いのですが」
クラレンスは、山をじっと見つめる。
「イシュカと楠姫殿が、よくない影響を与え合っていると?」
「そこまでは知りませんよ。私は全知ではないんです。
ただ、あまり鳴滝様を刺激するようなことは、控えていただきたいものですね」
じっと山を見つめたまま目を眇め、クラレンスは頷いた。