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某月某日、  作者: 銀月
3.そして、某月某日

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16/24

8.少しだけ寂しい。

 最初の記憶に残っているのは、気がつくといきなり目の前に広がっていた岩だらけの埃っぽい荒野と、そこに佇む赤い女性(ひと)だけだった。


 次に、どこまでも続く空と平原。そして、焚いた火のほかに何も灯りのない真っ黒な夜。

 見たことのない街並みに、見慣れない顔立ちの色とりどりの人々と、聞きなれない言葉。


 そして、怖い夢を見て目を覚ました自分を優しく抱き締めて、低く静かに宥める声。いつまでも「大丈夫」を繰り返し、優しく背を撫でる腕。

 呼ばれていた名前は自分の本当の名前ではなかったけれど、それが自分を指す呼び名であることは既に刻まれていた。

 もう、その呼び名がもともとの自分の名前であったようにも思っていた。


 なのに。


「ずっといっしょだよ」

 そう約束して指切りまで交わしたのに、引き離された。

 黒い裂け目に呑まれて、掴んでいた手はいつの間にかもぎ取られていた。


 いつの間にか懐かしいはずの家に戻っていて、母に抱き締められていたのに、最初は違和感ばかりを感じていた。


 ようやく、子供心に、戻ってしまった、もういないのだと理解して、絶望した。

 いくら思い出そうとしても、どうやって“あちら(鬼の国)”に行ったかなんて覚えていなくて、どうやったら行けるのかも皆目見当がつかなくて、途方に暮れた。


 ……祥真(しょうま)にいろいろ言いながら、自分自身、二度と会うことは無理なのではないかと考えていたのだ。


 でも、やっと再会できた。


 嬉しいことなのに、イシュカは未だに戸惑っているように見えた。

 大きくなってしまった自分に、慣れない暮らしそのものに、戻る方法もないことに……こちらの、何もかもに。

 だから、イシュカの拠り所になりたい。イシュカを支えるのは自分でありたい。それなのに、力が付いていかないことが悔しくて苛立って、どうにかできないかと考えて……。


 けれど。


 “迎えは必ず来る”

 “イシュカは、自分であちらとこちらを行き来できる”


 クラレンスの言葉が、(もとい)を打ちのめす。

 いつかイシュカが去ってしまうというなら、自分は何をどうすればいいのか。




「ねえ、いすかはその、“じげんわたり”ができるようになったら、帰ってしまうの?」

 楠姫が茶を啜りながら尋ねると、イシュカは少し俯いた。

『よく、わからないんだ』

「わからないの?」

 首を傾げられて、イシュカはこくんと頷く。

『別に、あっちに誰かが待ってるわけでもないし……帰りたいかって訊かれると、どっちでもいいって思う』

「そうなの? 家族もいないの?」

『……育ての親はもういないけど、実親は、たぶん、どこかにいると思うんだ。けど、いるとしたら悪魔(デヴィル)のほうの親だろうし、別に会いたくはない。

 会ったところで、たぶん殺し合いになるだけじゃないかな』

 楠姫は右近と顔を見合わせた。

「ずいぶん殺伐としてるのね。魔のもののことはよくわからないけど、なんだか野生の生き物みたい。それはあんまり親とは思わなくてもいいんじゃないかしら」

 楠姫の呆れようにイシュカはちょっと笑う。

『野生の生き物か……そのほうが、よっぽどよかったかもしれないな』

「まあ。でも、帰るお家がないのなら、ずっとお社(ここ)にいてもいいのよ? そうしたら、ここも少しは賑やかになって、私もうれしいわ」

 楠姫もそう言って笑う。

『ありがとう。今のところ寝場所には困ってないから、いざという時にお願いするよ』

「いすかなら、いつでも歓迎するわ」


 くすくすと笑いながら、楠姫は、もしいすかが来てくれたらという話をする。なんなら、ここに泊まりに来るだけでも歓迎だと。

 いすかも、楠姫にこんなにも歓迎されることがうれしくて、『では、近いうちに、改めて泊まらせてもらおうかな』と呟いた。


 そうしていつものように、夕暮れ前に(やしろ)を辞して石段の降り口を踏み出そうとしたところで、右近が呼び止める。

「あの……」

『ん?』

「楠姫様のお言葉を、どうか真剣に検討していただけませんか」

『え?』

 いつもの柔らかい笑みではなく、やや真剣な顔でそんなことを言いだされ、イシュカは目を瞠る。

「いすか様にここに来て欲しいというのは、楠姫様の紛うことなき本音です。昔ならいざ知らず、今ではここまで登ってくる参拝者もあまりなく、妖の訪れもなく……楠姫様はもうずっと寂しがっておいでなのです」

『ああ……』


 たしかに、この神社は最低限の手入れはされているが、それだけだ。はじめてここへ来てからほとんど毎日のように訪れているけれど、ほかに人がいるのを見たことがない。


「ですから……いすか様なら妖としても十分に力をお持ちですから、望むなら神使としてここへお迎えすることもできるでしょう。その時は、私も口添えいたします。どうかご一考ください」

 眉尻を下げて困ったように微笑む右近の姿に目をやって、本殿の中にいつもひとり座っている楠姫を思い出す。

『神使はともかく、ずっとこっちにいることは考えてみようと思う』

「ありがとうございます」

 では、と軽く頭を下げて、イシュカは石段を降りていった。


 あちらの神は、信者がひとりもいなくなって忘れ去られてしまえば、力を失いおおいなる混沌の海に沈んで消えてしまう。こちらの神は、じゃあどうなんだろうか。人に祀り上げられて神になるのだとしたら、その祀り上げた人がひとりもいなくなったら?

 楠姫が消えてしまったりすることも、あるのだろうか。


 神でない、定命のものは寿命が尽きれば死を迎え、魂は(アケロン)を渡り、九層地獄界(インフェルノ)十天国界(パラティーゾ)のどちらかふさわしい場所に振り分けられる。そこでまた世界(アーレス)の何者かに生まれ変わるのを待つのだ。

 だけど、“アーレス”の神は忘れ去られればそこで完全に消えてしまう。神に生まれ変わりはなく、消えた神の力は新たな別の神に引き継がれ、神が消えた後もずっと続いていく。


 今までなんとも思わなかったけど……もし、こちらの神も忘れられれば同じように消えてしまうのだとしたら、楠姫が消えてしまうのはとても寂しいし、嫌だと思う。




「いすか」

 なんとなくまっすぐ帰る気になれなかった。(こう)なら、そんな忘れられた神の行く末を知っているのではないかと考え、鳴滝神社へと向かうと、基がいた。


「もとい」

「いすか、今帰り?」

「そう。だけど、洪に、ききたいことがあって、神社にいくところ」


 基は鳴滝神社の方向を振り向く。


「何が聞きたいの?」

「……こっちの、神のこと」


 ふうん、と生返事のように返しながら、基はまたイシュカに向いた。


「俺も一緒に行こうか」

「でも、もといは、かえるんじゃないの?」

「今日はバイトもないし、大丈夫」


 半ば強引に同行する形で、基はイシュカについて神社へと向かった。クラレンスは既に離れに戻っているのか、境内に姿は見えない。

 イシュカはまっすぐ本殿へと向かい、『洪殿』と呼びかける。


「……いったいどうしました?」


 数度の呼びかけの後、からりと正面の引戸を開けて出てきた洪は、赤い目を眇めてじっとイシュカと、その後ろの基を見やった。


『あの……教えてほしいことがあるんだ』

「何をでしょう?」

『この世界の神のことを』

「何を知りたいのですか?」


 洪は口角を上げて笑みの形を作る。どことなく威圧感のようなものを感じて、イシュカはごくりと喉を鳴らした。

 基はそんなイシュカに、なぜ急にそんなことを気にしだしたのだろうと首を傾げる。


『この世界で、ひとが祀ることで神が神となるのなら、その祀ったひとがいなくなったら、神はどうなるんだ?』

「……そんなことでしたか」


 洪は笑むように目を細めて、ふ、と息を吐いた。イシュカはその言いように軽く目を瞠る。


『そんなこと?』

「ケースバイケースです。その神の性格と力によりますが、たいていは祟り神として災いをもたらすものになりますね」

『祟り神……?』


 ひとに災いをもたらすのに神? あちら(アーレス)で言うところの、“悪しき神々”のようなものだろうか?

 けれど、単に悪神になるのとは違うようにも思えて、洪の言葉を待つ。


「ひとだけではなく、この世に災いを振りまく神です。土地を腐らせ、実りを奪い、疫病を振りまき、天候を崩し……まあ、災いとはそんなところでしょうか」

『そうなったら……』

「さあ。この近辺であれば、鳴滝様がどうにかするかもしれませんが、なんとも」

『え?』

 水神は、この地を守る神ではないのか。

「鳴滝様のご気分次第でしょうね。鳴滝様はそういう性格の神ですから」


 ことも無げに言う洪に絶句する。ひとに祀られ、祈りを捧げられているのに、ひとのために動かない?

 なら……。


『なら、ひとはどうすればいいんだ?』

「もう一度、祟り神となった神を祀り、鎮まっていただくか、妖に堕ちたものとして力のある神職が抑えるか……そのようなところかと」

『神を、ひとが?』


 呆気にとられるイシュカに、洪はくすりと笑う。


「神とて絶対ではありませんから」




 鳴滝神社を出てからずっと、イシュカは何処と無く上の空のままだった。

 あの可愛らしい楠姫が祟り神になってしまうことなんて、起こるんだろうか。

 呆然とそんなことばかりを考えて、基の呼ぶ声もろくに耳に入らない。


「なあ、いすか、いったいどうしたんだ?」

「……あ、うん」

「そうじゃなくて、いすか!」


 ぐいと腕を掴まれて、イシュカは驚いた顔になる。


「え?」

「……いすか、何か悩んでるんだろ? 話してくれよ」


 目を瞠るイシュカに、基はぐいと迫る。その姿に、かつて“いすかをまもるよ”と言った子供(ビオ)の姿が重なって。


「俺、頼りないかもしれないけど、いすかの力になりたいんだ。だから、何か悩んでることがあるなら……」

「あ、の……ごめん、ありがとう、もとい」


 基の必死なようすに、イシュカはふっと笑ってしまう。基はそれに気づいて少々むっとした顔になってしまうが、それすらも子供(ビオ)に重なって、なんだか懐かしい気持ちになってしまう。


「ええと、なやみは、わたしのことじゃなくて……だから、じかんがほしい。もうすこし、ひとりで、かんがえたい」

 だから、少しだけ待っていてくれ、そう言って、イシュカは基の頭をくしゃりと撫でた。


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