6.お茶に招待された。
クラレンスに言われたことや、基のことが頭の中をぐるぐる回って、もういい加減限界だと思った。
もともと、そこまで難しいことをあれこれ悩むのは得意ではない。悩むくらいならそこから立ち去ってしまえばいいし、悩みの元から離れてしまえばそれ以上悩まなくて済む。
今までずっとそうしてきたのに、自分の慣れ親しんだ場所と違うこの世界ではそうもいかず、未だに勝手もわからないまま、あれこれと追い立てられる日が続くのだ。
クラレンスのもとを辞してからふらふらと適当に歩いているうちに、町のはずれにまで来ていたらしい。ふと、古い石段が上へ延びていることに気付いた。入り口には苔の生えた石の鳥居があるということは。
『ええと、この石の門があるところは、神殿の入り口だったか』
鳥居には何か文字のような紋章のような何かが描かれ装飾された板が掲げてあったが、イシュカにはもちろんそれが何だかわからない。ここに祀られた神がどんなお方かを示しているんだろう、と思ったくらいだ。
日が傾き始め、山の陰が掛かって薄暗くなり始めてはいたが、自分は夜目が利くしと、イシュカは昇ってみることにした。
何より、あのおっかない水神以外にも、こんな近くに神が祀られているということに少し驚いたのだ。
『結構高いんだな』
石段はかなり上まで続いていた。町のあるところはもちろん平地だが、このあたりは町を外れるとすぐ小高く山になっているような地形だ。山の間を縫って流れる鳴滝川が作った平地に町ができたということだろう。
後ろを振り返ると、だいぶ暗くなってきたためか、ぽつぽつと町に明かりが灯り始めていた。
『……上から見る明かりは、あまり変わらないんだ』
しばし、ぼんやりと町を見下ろしながら、イシュカは呟いた。荒野にいるときも、空から町の明かりを眺めるのは好きだった。ここのようにいろいろな色で賑やかな明かりではなかったが、橙色の揺らめく火がたくさん灯る光景は、とても幻想的で綺麗なものだった。
……この世界には、月がひとつしかない。中途半端な大きさの月が、ひとつだけ、空に輝いている。
あっちの主たる月よりも小さくて、従たる月ほど小さくもない。それでもきちんと満ち欠けがあって……ええと、こちらの世界では、何か複雑な仕組みがあって、そのせいでまるで月が満ちたり欠けたりしているように見えるのだったか、と考える。あちらは、起こる事象の何もかもに魔法が深く関わっていた。けれど、こちらは逆に、起こる事象のほとんどに魔法は関わっていないのだという。
自分が知ってる魔術師の魔法は“古い魔法”と呼ばれてて、こちらにその使い手はもうほとんどいないのだともいう。
「科学技術や工業製品という、もっと簡単で便利なものに取って代わられてしまいましたから」
……とは、洪の言葉だったか。才能と訓練が必要な魔法より、誰でも簡単にすぐ使える科学技術で作られた道具は、あっというまに発展して世に広がっていったのだそうだ。
……人間だけでなく、妖と呼ばれる人外の種族の間にも。
再び石段を向いて、また一歩ずつ昇り始める。上まで昇りきったら、いったいどんな神がいるのだろうか。
ゆっくりと昇り、辿り着いた先には、段の終わりを告げる石の門がまた置かれていた。この神殿を護るという神獣を模した一対の石の獣も、その門の両脇に置かれている。年月によりだいぶ擦り切れてはいるが、それでも伝わってくる神々しさは、ここに住む神がまだ健在であることを示している。
神殿は古いが、まだまだ人が訪れ、手入れもされているのだろう。雑草などに荒らされた様子もなく、質素ながらも十分に手は行き届いているようだ。
境内はしんと静まり返っていた。クラレンスの世話になっている、あの神殿とはだいぶ雰囲気も違う。
人の気配はなく、明かりもたったひとつ、社殿の前の小さな電灯がぼうっと小さくほんのりと周囲を照らしているだけだった。そのせいか、周囲の闇をいっそう濃く感じてしまう。
イシュカはなんとなく一礼し、一歩踏み込んだ。水神の使いに口煩く叩き込まれた作法に則り、入り口の手水場で手と口を清め、社殿の前で二礼二拍一礼を行う。
それから、境内の手近な場所に腰を下ろし、麓をぼうっと眺めながら物思いに耽った。
次元転移のやりかたを覚えれば、あっちに帰れる。
けれど、クラレンスの言葉によれば、それならそれで基ともう一度きちんと話をしろということだろう。
本当に、何もかもが突然過ぎて、溺れてしまいそうだ。
はあ、と溜息を吐いたところに「おや、悩み事でもありましたか」と急に声が掛かった。驚きのあまり勢い込んで振り向くと、そこにはやはり白い男がいた。
洪とは違い、髪は長く後ろに流したままで、目は琥珀のような深い黄色に煌めいている。
男はにぃと笑うと、「私はこちらの姫様に仕える右近と申します。姫様が、珍しい客人のようだから是非そばへ呼べと仰るのですよ。どうか招待を受けていただけませんか?」
『え? 姫様?』
「そう、こちらにお祀り奉られた楠姫様です」
お祀り……ということは、もしかして、この神殿の神だろうか。
『私でよければ……』
「それはもうぜひに。ではこちらへ」
手招かれるままについて行き、社殿の中へと誘われた。
奥に設えられた祭壇に、様々な古びた宝具らしきものと、小さな鏡がひとつ。そして、その前にはまだ年の頃が10ばかりに見える童女が、にこにこと好奇心を抑えられないといった様子で座っていた。
「まあ、来てくれたのね。さあ、こちらに座って。あなたはどちらから来たの? 西の方なの?」
「楠姫様、いきなりで驚かれていますから、もう少し落ち着いて」
「だって、ここに他の国の妖が来るなんて、滅多にないのよ。いろんなお話を聞きたいわ」
面食らった顔のまま、イシュカは呆気にとられていた。この童女が神なのだろうか。
『ええと、神様? 私はイシュカです。その、西の方ではなくて、他の次元から迷い込んでしまって……』
「まあ、迷子さんなの? 他のじげんって、どこのことかしら」
「楠姫様、そうお急ぎにならず。まだお茶もお出ししておりませんよ」
「あら、そうだったわ。ちょっと待ってね、ええと、いすかさん? 右近の淹れるお茶はとっても美味しいの。それに、今日は珍しいお菓子も買ってきてくれたのよ」
この国の者には、やはり“イシュカ”という発音は難しいのだろうか。楠姫が舌足らずに“いすか”と名を呼ぶ声に、ついこの前まで同じように呼ばれていたことを思い出す。
そうしているうちにも、少しはしゃぎ気味な楠姫を宥めながら右近は奥へと下がり、すぐに茶器と菓子盛りを持って戻ってきた。
「いすかさん、見て。きれいでかわいいでしょう? “まかろん”っていうお菓子なの。昼間、右近が町で買ってきてくれたのよ」
『わあ』
皿の上には色とりどりのマカロンが盛られていた。「最近のお菓子はとってもかわいいものばかりなの。どれにしようかしら」と楠姫は嬉しそうにあれこれと迷いながら、黄色いマカロンをひとつ手に取った。イシュカもそれではと、赤いマカロンをつまみ上げる。
「これはれもんで、その赤いのはいちごなんですって」
まるで普通の女の子のようににこにことマカロンを頬張る楠姫を見ながら、本当に、この世界の神は変わってるとイシュカは考える。
こんな風に、気軽にひとを誘ってお茶を飲もうなんて。
「最近は、ここへくる妖自体も少ないから、こうしてお話ができて嬉しいわ」
『あの、私も、こんな風に神様と話せるなんて、びっくりしていて』
「あら、私は神って言っても新参者だし、麓の水神に比べたら吹けば飛ぶような弱い神で、妖に毛が生えた程度でしかないのよ。そんなに畏まらないで」
『そうなんですか?』
「ええ。それに、もともとただの人間で、この地域の庄屋の娘だったの。右近は姫って呼んでくれるけど、武家の姫なんかじゃないのよ」
『人間から、神に?』
目を丸くするイシュカに、楠姫はやっぱりにこにこと頷く。
「麓の水神があんまり暴れるから人柱になったんだけど、その後、祟られたらたまらないからってここに祀られたのよね。ちょっと勝手だと思わない?」
『え?』
「右近はね、私が人間だった時から仲良くしていた白狐なの。私がこのお社に祀られた後はここにいてくれるようになって、だからずーっと一緒なのよ」
思わず傍らに控えた右近に目をやると、彼は微笑んでぺこりと会釈をした。
『こちらの神は、そうやって生まれるのか』
「いすかさんのところは違うの?」
『私がいた世界では、神はもともと天の国におわすもので……ごく稀に、神のために多大な貢献をしたものや、長年の尽力で神に近づくほどの強さを得たものが、天に召されて神になることがあるくらいだ。
天の御使いも地上に降りてくることはないし、ましてや神自身が姿を現すこともない。神は毎日ひとびとの祈りを吸い上げ糧として、その祈りに応える形でひとびとに奇跡や神術を与えている』
ふうん、と、楠姫は首を傾げる。
「なんだか、もったいぶってるのね。日本の神は、高天ヶ原にいらっしゃるような神産みの神から産まれた方々はともかく、ほとんどの多数の神々は、私みたいに人間に祀られて神になったものばかりよ。力の大小はもちろんあるけど、それでも、自分を神様として祀ってくれる土地のものたちのために、一生懸命頑張ってるの。
私は、このお山が私の土地なのよ」
たしかに、こちらの神の気安さに比べたら、あちらの神は随分と偉ぶって見えそうだなと考える。クラレンスがこんな話を聞いたらどう思うのだろうか。
「昔はね、麓の水神が荒ぶるたびに、このお山に逃げてくる人がたくさんいたの。だから、私も一生懸命、お山が崩れたりしないように頑張ったわ。
最近はもう、鳴滝川もしっかり治水されちゃって、めったに暴れなくなっちゃったけど」
うふ、と笑って、楠姫は「いすかさんのことも聞かせて」とまた首を傾げる。あちらの話をすると、あれこれと訊いては「まるで物語の国みたいなのね」と喜んで……この神は、本当に神なのだろうか。なんだか普通の人間と話をしているように思えてくるから不思議だ。
それに……まだ幼い外見の楠姫と話をしていると、まるで幼いビオと話しているように感じて、なんだか懐かしい。
「もう、随分と夜が更けてしまったわ。お家にちゃんと帰れるかしら?」
『私は真っ暗でも目が利くから大丈夫。それに……久しぶりに、飛んで帰ろうと思うんだ』
「まあ。いすかさんは飛べるのね」
『こっちに来てからはずっと飛んでいないんだけど、今なら真夜中だし、人に見られる心配もないんじゃないかと思って』
「うふふ、楽しそうね。それでは、またぜひ来てほしいわ。いつでも、好きな時に遊びに来てね。たくさんお話ししましょう」
ぎゅっと握られた手を握り返して、『また来ます』とイシュカは答える。
煩わしいことすべて忘れてただ他愛もない話を楽しんで……なんだかとても気持ちが軽くなった気がした。
社殿を辞して、境内の出口の鳥居まで、右近が見送りにと出てきた。
「ありがとうございます。久しぶりに、楠姫様の心からの笑顔を見ることができました」
ぺこりと頭を下げながら、右近はにこやかに微笑む。
「近頃、あまりひとの訪いがなく、少し寂しがっておられたので……」
『私も、姫と話ができてよかった。また遊びに来ます。今度は、何か手土産でも持って』
「姫が喜びます。ぜひに」
“変装”の魔道具を髪から外してばさりと翼を広げ、イシュカはふわりと宙に浮く。下に立つ右近にもう一度礼をして、町を目指して滑空した。あまり低くては人目についてしまうので、少し高いところを飛びながら。
きらきらと輝く町の明かりは本当に綺麗で……夜空に黒く浮き上がる山影を振り返り、ぽつりとひとつだけ灯った明かりを見やる。
“この地は魔人への偏見が薄い”
クラレンスの言葉が脳裏に浮かぶ。
こんな風に受け入れてもらえることが、こんなに嬉しいと感じるなんて、と思う。こうして受け入れて貰えて、他の種族のように普通に暮らしていけるなら……そんなことを考えてしまう。
アパートに帰り着くと、待ち構えていた和泉に「心配したんだからね!」と怒られてしまったが、イシュカはどこか上の空で、またあの神殿に遊びに行こうと考えていた。





