2.ままならない。
「」は日本語、『』は異界語でお送りしております。
翌日、再び神社の道場で、一同……基、祥真、和泉、そしてイシュカとクラレンスが揃って顔を合わせていた。
本当ならイシュカと基だけでよかったのだが、ぜひにぜひにとついてきた祥真と和泉の顔に浮かんでいる隠しきれないものを見て、こいつらのこの好奇心は絶対に猫を殺すタイプのものだろうなと、クラレンスは考える。
「ひとを呼んでくるから、そのまま待っていろ」
「ひと?」
不審げな顔をする基をちらりと見て頷く。とりあえず、関係者であれば彼の言う“許容範囲”であるはずだし、問題はなかろう。クラレンスはそう判断して立ち上がり、イシュカに視線を向ける。
『イシュカ、ここで生活をするうえで、絶対に知っておかなければならないことがある。そのまま待て』
神妙に頷くイシュカを確認すると、クラレンスは道場を後にして本殿へと向かった。
「洪殿、少しお時間を戴いてもよろしいですか」
「ああ、わかってます」
本殿の入り口から声を掛けると、人気のないはずの中から返答が返ってきた。やや面倒臭そうな、若い男の声だ。
「昨晩わたしの同郷の者がこちらへ参りました。その者との顔合わせをお願いしたく、ご足労戴きたいのです」
「構いませんよ。それが私の仕事ですし。おや、これはまたずいぶんな魔の気配だ」
本殿の扉を開けて出てきた男はちらりと道場へと目を向ける。ふああとひとつ欠伸をして、「それにしても、本当にあなたの世界とここは、繋がっているのですね」と独りごちた。
「待たせたな」
道場に戻ったクラレンスはひとりの若い男を連れていた。白装束を纏った男はうえから下まで、髪も肌も真っ白で、目だけが赤い。
「私はこちらに祀られている水神、鳴滝様にお仕えしている“洪”と申します。以降、お見知り置きを」
にっこりと笑って綺麗にお辞儀をする洪に、慌てて4人も頭を下げる。
「え、と、神主様? でも、ここの宮司で神主は滝沢師範で……」
少し混乱したように呟く祥真に、にい、と洪が笑う。
「私は神主ではありませんよ。神にお仕え、神の意向を伝えるもの、すなわち神使です」
“神使”という言葉にぽかんとする3人をよそに、イシュカだけが首を傾げた。
『しんし?』
『神にお仕えする高位の天使のようなお方だと考えろ』
すかさず入ったクラレンスの説明に、イシュカは慌てて頷いた。けれど、天使という割にあまり畏怖や重圧のようなものが感じられないのはなぜだろう……と考えながら。
「昨晩こちらへ参ったというのはあなたですね?」
いきなりじっと見られて、イシュカは思わず背筋を伸ばした。何かすべてが見透かされているような、そんな気配についびくびくと怯えてしまう。
「ふむ、きれいに化けて、きちんと分もわきまえて大人しくしているようですね。よい心掛けです。そのままこちらの法を遵守し、うまく人間に溶け込みなさい。くれぐれも、このクラレンスのような天のものと聖魔の諍いなど起こして、水神を刺激することがないように」
洪は笑みを浮かべたまま全員を見回し、静かに続ける。
「こちらの最大の決まりごとは、“人間たちのルールに従い、うまく溶け込むこと”と“諍いを起こさないこと”のふたつです。それ以外にも細かいものはありますが、一番重要なのはこのふたつと考えてよろしい。水神様の心をいたずらに乱さぬため、あなたのような者にはすべて、これを守る義務があります」
呆気にとられたまま、ただ頷いていたイシュカは、はっと我に返って『言葉が』と小さく言った。
「神々に言葉の壁など存在しませんよ。神にお仕えする我々もまた同じです」
くすりと笑う洪に、イシュカはますます恐縮して身体を縮こまらせた。
「あの……質問です」
和泉が片手を上げて、おずおずと、しかし、好奇心を隠しきれない表情で尋ねる。
「何でしょう?」
「ええと、まんいち諍いを起こしたら、どうなるんですか?」
目を細め口で弧を描いて、洪はまたくすりと笑う。
「水神様がお目覚めになり、荒ぶります」
「え?」
「あなたのような若輩者は知らないのでしょうが、こちらに水神として封じ奉られた鳴滝様は、かつては今と比べ物にならないくらい、とても気性の荒いお方でした。神として祀られて数百年経つうちにだいぶ落ち着きましたが、それでも何かが起こればすぐに機嫌を損ねて荒ぶります」
こほん、と咳払いをひとつして、洪は続ける。
「何しろ水神ですから、鳴滝様のご気分次第で大雨、大水、旱魃と、水に関わる大きな災厄が何かしらこの地を襲うでしょう。ちなみに、鳴滝様のお気に入りは大水でとにかくなんでも押し流してしまうことですから、おそらくここら一帯が平地となってしまう可能性は高いでしょうね」
「え……」
断言する洪に、さすがの和泉も絶句する。
「もっとも、鳴滝様が荒ぶるより先に、そのような不埒な者こそが滅びを迎えることになるでしょうが」
さらに続けて洪はまたにっこりと微笑んだ。心なしか、その微笑みがとても恐ろしいもののように感じて、和泉はごくりと唾を飲み込む。
イシュカは、自分の知る神とこの水神は、同じ神であるはずなのにずいぶんと違うもののように感じ、少し呆然としていた。
『そんな神が、いるんだ……』
「あなたのお国がどうかは知りませんが、こちらの神々は必ずしも人間を気にかけるものばかりではありません。それに、人間たちが鳴滝様を神としてこの地に封じ奉ったのですから、鳴滝様は立派にこの地を治める水神であらせられます。くれぐれも失礼のないように」
それから、何かしら便宜を図ってもらわなければならないときは、町にある質屋を訪ねろ等、この地に住まう上での細々とした注意点を聞かせてから、洪は本殿へと戻っていった。
普段、彼は人間には姿を見せず、何かしら問題が起きた場合だけ水神の代わりに出てくるのだという。
「クララちゃんが何かやってるのかと思った」
和泉がそう漏らすと、クラレンスは「わたしがお仕えするのは大地と豊穣の女神であって、水神鳴滝様ではないからな」と即答した。
「じゃあ、なんでここに世話になってるんだ?」
「わたしが次元を超えて最初に現れたのはこの神社だった。その時に洪殿にお会いして、彼の仲介で滝沢殿の世話になることに決まったのだ」
祥真の疑問に答えて、クラレンスは、ふ、と笑った。
「ちなみに我が女神の祠を置く許可も戴いたぞ。小さいながらも既に完成し、こちらでの作法に合わせて女神の聖印を御神体として納め、お祀り申し上げている。お前たちも我が女神に祈りを捧げていけ。入信するなら、わたしが祝福を授けよう」
「……今はいいです」
「そのうちに」
神妙に、しかしきっぱりと断った祥真と和泉にクラレンスは若干むっとした顔になったが、すぐに気を取り直して今後のことを打ち合わせた。
「それにしても、羨ましすぎるくらいボンキュッボンだ……いすかお姉さん、胸、触ってもいいかな」
きょとんとするイシュカに、手をわきわきさせながら近寄ろうとする和泉を、祥真が押しとどめる。
「和泉さん、そういう羨ましいことは後でふたりの時にやってください」
「柄元、あんまふざけるなよ」
ちぇーっと口を尖らせてから、和泉はイシュカに腕を絡めた。
「祥真はともかく、基くんはもっと羨ましがっていいからね。いすかお姉さん、今日は一緒にお風呂入ろうね。
それじゃレッツゴー!」
そう言って和泉はイシュカを引っ張り店内へと突入する。良さそうな服を選んでは、和泉はあれこれとイシュカに話しかけつつ合わせていった。もちろん、通じてはいないのだが、なんとなく雰囲気でイシュカも笑って聞いている。
洪に教えられた質屋で、クラレンスのアドバイス通りにイシュカの手持ちの金貨を売った後、まずは生活必需品の購入をと町へ出たのだ。
質屋の主人だという“潤”がどことなく洪に似ていると感じたのは、きっと気のせいじゃない。よくわからないが、たぶんそういう仕組みができているものなのだと、イシュカ以外の3人は無理やり納得することにした。
「それにしても、やっぱ、いすかお姉さんのサイズは難しいなあ。日本の標準規格じゃ小さすぎるんだよねえ、いろいろと」
「そうなのか?」
「んー、アメリカ系のカジュアルショップなら、なんとかいけるかな。そこ行って普段着をいくつか買って、あと下着はちゃんと専門店行こう。専門店ならたぶんあるからさ」
当のイシュカはもちろん、基も祥真もさすがに女子の服飾事情はわからないので、ここは和泉頼みだ。あちこちの店を引っ張りまわされているイシュカは、行った先々であれやこれやと身体に当てられ渡されるままに、とっかえひっかえ目を回しそうになりながらひたすら試着だ。
ただ、ファスナーやボタンなど、あちらとこちらでは服の構造がかなり違う。和泉はイシュカと一緒に試着室に入り、服の着方もひととおり教えた。
その後は、またひたすら服を物色して試着だ。
「なあ、柄元。本当にお前のとこにいすかを泊めて大丈夫なのか?」
「大丈夫だよー。布団はもうひと組あるし、言葉もあの本とクララちゃんのおかげで片言ならなんとかなるし、あんま心配しないで」
心配そうについて回る基にあははと笑って、和泉はバンバンと背中を叩く。
「まあ、ほんとは基くんが一緒に暮らしたいのはわかるよ? なんたって、ずっと会いたくて仕方なかったいすかお姉さんだもんね。
でも、おばさんとの約束があるんだから、あと3年我慢してがんばって独り立ちしないとね!」
またいくつも服を持ち、イシュカの手を引いて試着室へと向かう和泉に、基は、はあっと溜息を吐いた。
本当は、イシュカがこっちに現れたらあれこれ世話を焼いたり教えたりということの全部を自分がやりたかったのに、クラレンスや洪、さらには和泉にまでその役割を持って行かれてしまった。
自分はいったい何をしているのか。
ずっと憮然としたままの基を慰めるかのように、祥真がぽんぽんと肩を叩く。
「何考えてるか、わかるよ?」
「……」
「まあでも俺ら未熟者だし、仕方ないんじゃねえの?」
むっとして黙り込んでしまう基を、祥真はまあまあと宥めて、肩を竦めてみせる。
「クララちゃんも、あれで結構こういうトラブルにも慣れてるみたいだし、こっちに来てからの4年で着々と自分の地盤作ってるだろ。気に入るとか気に入らないとかはともかく、ああいうところは参考にすべきだと思うんだよ、俺は」
「……わかってるよ」
そう、わかっている。わかっていても、最低あと3年は親の脛を齧り続けなければならず、その後もうまく就職して仕事が軌道に乗るまでは……なんて考えると完全な独り立ちには数年かかってしまうだろう。
あれこれと人の世話を焼く前に、まず自分の足元をしっかり固めるべきだなんてことは、基にだって十分わかってる。
それでもやっぱり、イシュカを助けるのは自分だけでありたかったと基は考えてしまうのだ。
世の中は本当に儘ならない。





