彼女は湯かき棒を守る
1
センパイの警戒心はなくなったとは言えなかった。
けれど宮直先輩が泣きついたおかげだろう、なんとなく俺に対する警戒心が薄れたように思えた。
宮直先輩の男性恐怖症を治すお手伝いを全力で行うのはもちろんだが、感謝の意を込めて、あとでコンビニ売りの神コロッケでも差し上げようと思った。
「今日は〔魔石〕の実習を行う」
〔異界〕に入った俺たちは以前、蜥猫蜴蛇と戦った木々に囲まれた草原に班ごとに並んでいた。
そこにセンパイの姿はなかった。
けれど妹の大山紅葉だけはいた。
「今日はお前はいるんだな」
そう声をかけて少し後悔した。もしかしたらイヤミっぽく聞こえたかもしれない。
けれど大山は気にした様子もせず、
「あたしはいつもどっかに行っちゃうお姉ちゃんを勝手に追いかけてるだけだから……」
「でも、お前も……その……センパイについて行って〔異界王〕を探したいんだろ」
「そうだけど……なんでそのことを知ってるの?」
「教科書にだってお前の両親が殺されたことは書いてあるんだから察しはつくだろ」
「そっか。そうだよね。けどお姉ちゃんはあたしがついてくることをすごく拒むんだ。初日だって、お姉ちゃんについて行ったんだけど、途中でまかれて迷子になったんだから」
「ってことは、今日は気づいたら、いなかったってことか」
「そうよ」
そう呟いた大山の顔はどこかさびしげだった。それ以上大山はなにも語らず、俺はそのまま薬袋先生の話に耳をかたむける。
「〔魔石〕は大気中にただよう〔魔力〕を使って〔魔法〕を作り出すことができる。一般人にその存在はあまり知られてないため、初めて見るやつも多いかもしれないが、自衛のためには覚えておいて損はない」
詳細は教科書に載せてあるから見てくれ、と薬袋先生は言い放ち、プリントをトドビーバーに渡した。トドビーバーは先生に渡されたプリントを学友たちに配る。
プリントが回ってくる前に俺は教科書を開き、〔魔法〕の項目を見る。
最初には薬袋先生が言っていたようなことが載っており、その後に〔魔石〕は組み合わせることで〔魔石〕単体が持つ効力以外の効果を発揮することと、俺たちの世界に〔魔石〕を持って帰るのは環境保護法違反になり罰せられることが書いてあった。
プリントが回ってきたため、横にいる音乗にプリントを一枚渡したあと、後ろの八咲にプリントの束を渡す。
プリントには今日の実習内容が学年ごとに書かれていて、一年は〔魔石〕を使用して〔魔法〕を体験する、とある。
「むはー、面倒っす」
宮直先輩の呟きを聞いてプリントで二年の実習内容を確認するとあらかじめ書かれた〔魔石〕を組み合わせて、どんな〔魔法〕が発動するのかを試す、とあった。
「じゃ、とっとと移動するっす。〔魔石〕はアララト鉱山にあるっすからね」
そう言って宮直先輩は木々の上を指す。今日は〔魔力〕が薄いのか、この前は見えなかった山が姿を見せていた。その山は笑う太陽とにらめっこするように岩肌が目と口を作っていた。
俺たちは宮直先輩に連れられてその鉱山へと向かって歩いた。俺たちを誘導するときの宮直先輩は後ろに俺や今見、蘆永がいても我慢している、と本人から聞いた。ただそうやって気を張らすのもよくないので、俺はなるたけ今見、蘆永が宮直先輩の後ろにいかないように配慮している。
そして音乗はやはり〔異界〕が怖いのだろう、今日もずっと俺と手をつないでいた。最初は手をつなぐたびに俺をにらみつけていた八咲だったが、最近はそういうこともなくなった。というかなぜにらまれていたのか俺には見当もつかない。
この森には蜥猫蜴蛇しか出ないらしいので、俺たちはシトラスの匂いをつけていた。
これで蜥猫蜴蛇との遭遇はないだろう。
ただ、アララト鉱山に近づくにつれ、棲息分布が変わってきたのか、初めて見る〔異界生物〕が二種類も姿を現した。一種類は空に、そしてもう一種類は俺たちの正面に。
しかもそいつらは俺たちを見つけるなり襲いかかってきた。
正面にいる〔異界生物〕たちはコモドドラゴンのような肢体に火傷したような皮膚を持ち、カブトムシの顔と角を持っていた。
そいつらはトカゲのように地面をはいずりながら、猛スピードでこちらへ迫ってくる。
一方、空を飛ぶ〔異界生物〕たちもいななきながら俺たちの頭上を飛び回っていた。
鱗におおわれた巨大な鳩の顔にキツツキのくちばし。オンドリの胴体からはえるのはタカのような大きな翼。そして、胴体と同じぐらいの大きさの尻尾が後ろに伸びていた。その尻尾はおたまじゃくしの尻尾によく似ている。
その空飛ぶ〔異界生物〕の先頭にいる一匹がこちらの先頭にいる宮直先輩にとがったくちばしを向けて襲いかかってくる。それはまるですさまじい貫通力を持った槍の刺突だった。先頭の一匹にならってV字型に並ぶ後ろの〔異界生物〕も宮直先輩に狙いを定め、電光石火の速度で滑降してくる。
震えっぱなしの音乗を守るように俺は剣囲盾を構えるが、その頃には宮直先輩は走り出し、地面を蹴った。
すると、宮直先輩の足下から複数の青いビー玉のような球体が飛び出た。
そしてその青い球体は地面をはう〔異界生物〕へと向かっていく。
放たれたその球体は青く光り出し、大きくとがったつららへと変貌。氷の槍は、はい寄る〔異界生物〕の肢体を貫き、そのまま凍結させる。
休むことなく、宮直先輩は疾風のごとく疾走。急降下してくる先頭の〔異界生物〕のくちばしに突錐槍を突き立てこじ開け喉を貫く。そして喉を貫いたままの槍を力任せに横なぎに払い、殺到する後続の〔異界生物〕を一気に叩き落とした。
「ま、こんなもんすね」
平然と呟きながら、槍に刺さったままの〔異界生物〕を振り落とす宮直先輩に俺たちは唖然としていた。
「宮直先輩、強いんですね」
「いや、うちで中の下ぐらいじゃないっすか? それにのちのちわかると思うっすけど石甲山椒と蛙鳩怪鶏は弱いほうっすよ」
そうは言うものの、宮直先輩は謙遜して言っているように思えた。
「で、前に蜥猫蜴蛇を燃やした炎や、さっきのつららに変化したのが、〔魔石〕ですか?」
鉱山へと向かいつつ、俺は気になったので質問していた。
すると手をつないでいる音乗が、
「あれは〔青狐石〕ですわ。使用時にはつららに変貌して相手を凍結させるんですの」
当然のように言い放つ。やっぱり知ってるんだな、と感心する俺は音乗を〔異界〕のことをなんでも知っているという立ち位置で見ていた。
「うん。その通りっす。ってか音っちがいるなら、もうプリント埋まる感じすね?」
「けど実物を見てやらなきゃずるいですよ」
「オールっちは勤勉っすね」
宮直先輩に感心されたことが妙に恥ずかしく俺は話題を変える。
「そういえば、なんで〔魔石〕がある位置がわかったんですか?」
「あー、あれはこういうときのために埋めておいた〔魔石〕を使っただけっすよ。〔魔石〕がないと〔魔法〕は使えないっす。けど〔異界〕から持って帰るのは禁止されてるし、どっかに置いとくと誰かが使うし、そうなりゃ埋めるしかないっすよ」
独創的な答えを返した宮直先輩は歩き出す。
そしてようやく俺たちはアララト鉱山にたどり着いた。石甲山椒と蛙鳩怪鶏に何度か遭遇したが、宮直先輩にアドバイスをもらって、なんとか俺たちでも倒すことができた。
到着直後「あ~るかんしぇる~はこっち~」と言って後野さんが鉱山のなかへと進んでいった。
「待つっすよ、祭っち!」
宮直先輩の制止の声も聞かず後野さんはどんどん進んでいく。
「オールっちたちはここで待っとくっす。うちと祭っちで大量に採ってくるっすから」
宮直先輩は慌てて後野さんを追い、鉱山のなかに消えていった。
俺たちは宮直先輩の指示に従い待つつもりだったが、今見だけはその指示を無視して鉱山に入ろうとしていた。
「おい、今見。どこに行く気だ?」
「鉱山に入る。なンでおれがあのヘアゴム女の指示に従う必要があるンだ。それにこの班のとある先輩は常に好き勝手に動いているだろ。だったらおれだって、好き勝手に動かせてもらうさ」
今見はセンパイをダシにして、自分が規律を乱すことを正当化しようとしていた。けれどセンパイが勝手に動いているのは事実なので俺はなにも言い返せない。
「あたしたちの気も知らないで……」
唯一、言葉を発したのは大山だ。
「ふん。親が〔異界王〕に殺されたら勝手に動いていいのかよ」
今見の言い方に許せないものを感じた俺は思わず腕をつかむ。
「今見! 止まれ!」
「なんだよ、リーダー気取りかよ。おれを誰だか知ってるのか? おれはてめぇらの武器や鎖防護服を作ってる武器製造会社の御曹司だぞ。今までは我慢してやってたンだ。これからは自由にやらせてもらう」
だからどうした? 今見がの御曹司だからと言って、自由にやっていい理由にはならない。それとこれは屁理屈かもしれないが、そもそも俺たちの武器を作っているのはという会社であって今見自身ではない。だからそれも理由にはならない。むしろそういう理由を並べて勝手な行動を取る今見に腹が立つだけだった。
今見は俺の腕を振り払い、鉱山へ入っていく。
「待てよっ!」
俺は腹立たしさを抑えきれず、もう一度今見を止めようと叫ぶが、今見は無視して鉱山に入っていく。
さらに蘆永も鉱山に向かって歩き出した。
「お前も好き勝手に動くつもりか?」
「そういうつもりはありませんよ。ただ今見さんひとりでは危ないでしょう。彼、自分は御曹司だのなんだの言うくせに、弱いんですよ。知ってます?」
くすりと笑って蘆永が今見のあとを追っていく。
そして俺と女子三人が残された。
「どうすんだ?」と八咲が尋ねてくる。
「……待つしかないだろ」
俺たちまで勝手な行動を取るわけにはいかない。目立たないが蘆永は強い。だから今見を任せておいていいだろう。
俺は鉱山近くの岩に座る。鉱山の入り口付近には石甲山椒や蛙鳩怪鶏が現れることなく、おだやかな空気が流れていた。
しばらくして宮直先輩が後野さんと連れ立って鉱山から出てきた。宮直先輩は色とりどりの〔魔石〕を持ってきた。
「大量ですね」
「オールっちたちが初めて〔異界〕に来たとき、祭っちは〔魔力〕の濃さを探知したっすよね。あれみたく祭っちは〔魔石〕の埋まっている場所もわかるんすよ」
だからほかの班と違ってここで採掘できるっす、とさらに宮直先輩はつけ加え、言葉を続ける。
「この鉱山は全種類の〔魔石〕が採掘できるすけど、その代わり見つけるのが難しいっすよ」
「けど後野さんがいるから簡単に見つけられるってことですか」
宮直先輩は、そういうことっす、と頷き、
「ちなみにほかの班はここじゃ効率が悪いから違う場所に行ってるっす」
なるほど。だからほかの班はいないのか、と今更ながらに納得する。
「ってあれ、今っちアンド永っちはどこっすか?」
宮直先輩は今見と蘆永がいないことに気づき、俺に確認する。しかも俺との距離が意外と近い。慣れたのか無意識なのかわからないが、近づいたことで以前はわからなかったシトラスの匂いがマスク越しに鼻に届く。
「宮直先輩の指示を無視して今見が鉱山に入って、それを追って蘆永も……」
「そうなんすか……、出会わなかったことを考えるとたぶん、入ってすぐのY字路で左に行ったってことっすね」
「大丈夫なんですか?」
「この鉱山は〔異界生物〕が住んでないっすから大丈夫っすよ。〔魔石〕が見つからなくてあきらめて帰ってくるはずっす」
さあ、とっとと実習やるっすよ、と言って宮直先輩は持っていた〔魔石〕を地面に転がした。
「そういや、これ、どうやって使うんだ?」
もっともな疑問を八咲が呟く。俺もそれは思っていた。
「簡単っす。使いたいって意志が〔魔石〕に伝われば発動するっす」
つまりっす、そう言って宮直先輩は赤い〔魔石〕をにぎる。
放り投げる瞬間、こう叫んだ。
「火炎球!」
すると〔魔石〕が赤く光りだし、やがて丸まった炎へと変わり、近くにあった古木を燃やした。
「使いたい、って意志がありありと見てとれたっすよね」
「そういうの言わないといけないんですか?」
RPGやマンガでは必殺技や魔法名を叫ぶのはある種のお決まりだが、実際に言うとなると少し恥ずかしい。
「言うのが手っ取り早いし、使ってますって感じがするっすけど、当然、念じるだけでもいいっすよ」
「なるほど」
言いつつ俺は宝石を積み上げたような山のなかから緑の〔魔石〕を手に取る。
「オール、それは八咲に向けて投げてみるっす」
「なんか悪意を感じるんですが……」
そう言いつつも俺は言われた通りに八咲へと緑の〔魔石〕を投げる。
「うわ、バカかてめぇ!」
俺が自分へと投げてくるとは思わなかった八咲は咄嗟に黄色の〔魔石〕を俺へと投げてきた。
黄色と緑の〔魔石〕が交差するように発動する。
緑の〔魔石〕が緑色に輝き、そして消えた。なにも起こらないと思った俺だったが、それは違った。とたん、八咲に扇風機の強ぐらいの風が襲いかかり、スカートをめくりあげる。
とはいえ、俺の眼前には八咲が投げた黄色の〔魔石〕が変貌した人間の頭ぐらいの大岩が迫っていて、それを剣囲盾で防ぐので精一杯だった。
そのためスカートの中身は断じて見ていない。ラッキーチャンスだったとか思っていない!
しかしながら八咲は
「見やがったな、オール!」
大地を引き裂かんばかりの怒号をあげて襲いかかってきた。
それを見て宮直先輩が爆笑していた。いや宮直先輩のせいですから。
「見てない、見てない!」
襟首をつかまれた俺は必死に弁明する。
すると八咲は「じゃあ何色だったか、答えてみろ!」と尋ねてきた。なぜその質問なのか意味がわからない。
……これ、答えないとダメなの?
とりあえず八咲が履いてなさそうなのを選んで……「えーと、青と白のストライプ?」と答えてみた。
「ばっちし見てんじゃねぇーかよ!」
まさかの一致に俺が困惑した。意外とかわいいタイプのものが好みなのかよ!
「……最低ですわね」
音乗の言葉が俺に追い討ちをかける。
「許してやれっすよ、凛っち。こいつテキトーに答えただけだから。だってこいつ、八咲が投げた〔魔石〕を防ぐので精一杯だったっすもん」
俺の助けを求める視線に気づいた宮直先輩が、笑いながら八咲をさとす。
「本当かよ?」
「本当、本当!」
俺は泣きそうになりながらそう訴える。
「ちぃ、今回は宮直先輩に免じて許してやるよ」
そう言って襟首から手を離す八咲。
「うちに感謝するっす」
「というか宮直先輩がまいた種じゃないですか」
「さてなんのことっすか」
とぼけてきた宮直先輩に俺は呆れはしたものの、楽しげな顔を見て俺はそれ以上責める気にはなれなかった。
で、と仕切りなおすように声を出した八咲はこう確認してきた。
「ようは緑の〔魔石〕は風を起こすってことだな?」
「ああ、そうみたいだ。そして俺は二度と使わないと心に決めた」
もうあんな目には遭いたくない。
「ま、いい心がけなんじゃねぇーの」
八咲がなぜか感心する。
「で黄色の〔魔石〕が岩を作るってことか」
俺が確認するように呟く。
「〔黄獅石〕の効果はそれでいいですわ」
音乗は当たり前のようにさらりと〔黄獅石〕と言ったが、黄色い〔魔石〕のことを指しているのだろう。
「ちなみに赤が〔赤角石〕、緑が〔緑蠅石〕という名前ですわ」
さらに〔魔石〕には橙色の〔橙蠍石〕、紫色の〔紫驢石〕、藍色の〔藍蛇石〕があるらしい。宮直先輩の持ってきた〔魔石〕のなかにもそれらがあったが、今回は四つの〔魔石〕の効力だけを試すようにプリントに書かれていたので、ほかの〔魔石〕を試すのはやめておいた。さっきのようにスカートをめくりあげても困るし。
「あとは男子ふたりが戻ってきたら帰るとするっすか、時間も時間っすから」
宮直先輩は胸の谷間から懐中時計を取り出し、時間を見ながらそう言った。
2
「うああああああああああああっ!」
悲鳴をあげて今見が鉱山から飛び出してきたのはそれから数分後のことだった。その後ろには笑顔の蘆永が続く。
さらにその後ろには、家ほどもある巨大な〔異界生物〕がいた。
その〔異界生物〕はカバのような大きな頭を持ち、その頭から羊のようなねじれた角がはえている。さらに岩のような表皮におおわれた胴体は牛の体に酷似していた。その胴体から伸びる蛙のような足をばたつかせて、まるで悶えるようにこちらへ向かってきていた。
「鉱山には〔異界生物〕がいないんじゃなかったんですか?」
「いないはずっすよ。だから誰かが連れてきたとしか思えないっす」
宮直先輩がそう答えたのとほぼ同時に、その巨大な〔異界生物〕が口からよだれまみれの人間を吹き出す。
「お姉ちゃん!」
大山が叫んだ通り、その人間は確かにセンパイだった。
センパイのことだ、なにか策があって化け物の口に飛び込んだのだろう、〔異界生物〕が暴れていたのはセンパイを口に含んでいたためだ。地面に着地したセンパイは再びそいつへと向かっていく。よごれで少し汚いがその美しさは健在。手には湯かき棒……ではなく鉄殴棒を持っていた。湯かき棒は背負ったままだ。
「音乗……あいつはなんなんだ?」
「知りません。初めて見ますわ」
「あれは牛蛙馬獣ですよ」
音乗に代わって答えたのは蘆永だった。
「意外だって顔ですね。心外ですよ、それは。こう見えてぼくも案外いろんなことを知ってるんですよ」
「そりゃ、悪かった。で、対処法とかは知ってるのか?」
「火炎球で焼き払うのがベストだと思いますね」
「センパイ! 一気に焼き払います!」
蘆永の言葉を聞いた俺は牛蛙馬獣に向かっていくセンパイに大声で叫ぶ。
けれど、俺の声が聞こえなかったのか、センパイは跳んだ。ありえない跳躍力だった。センパイの足は橙の光と緑の光をまとっている。それが〔魔石〕を組み合わせた〔魔法〕だと理解。
そのままセンパイは牛蛙馬獣の目玉に鉄殴棒を叩き込む。
痛みに咆哮をあげた牛蛙馬獣は怒り狂い、後ろ足で立ちあがり、勢いをつけて前足で地面を叩く。鎚のように振りおろされた蛙足で地面が砕けた。とたん、すごい震動が襲いかかる。
その後、牛蛙馬獣は痛みからか動かなくなる。
震動は予想外だったが、センパイは俺の言葉を理解して隙を作り上げたのだ。
転倒しそうになるのをなんとかこらえ、〔赤角石〕を投げようとした俺たちだったが……俺たちよりも早く後野さんが牛蛙馬獣に向けて〔赤角石〕を投げた。
ところが〔赤角石〕が変貌した炎は牛蛙馬獣に向かうことなく、後野さんの体を包み、しかもその炎は天を焦がすほどの火柱となる。
「祭っち!」
異変に気づいた宮直先輩が後野さんに駆け寄ろうとするが、危険を察知して八咲が抱きとめる。
後野さんを包んだ炎は後野さんを黒こげにしたのち、宙に浮いて球体になり、牛蛙馬獣に襲いかかり、一瞬にして灰にした。
けれどそれだけでは止まらない。
巨大な火炎球はそのままいきなり向きを変え、牛蛙馬獣を見て腰を抜かしていた音乗のもとへと向かっていた。
「音乗っ! 逃げろっ!」
俺は叫びながら音乗のもとへと走る。〔異界生物〕を倒すことに夢中になって、怖くて動けないチームメイトのことを忘れるなんて最低だ。だから俺は必死だった。
「今見! なんとかしろっ! 音乗を守れ!」
音乗の近くに今見がいることに気づき、俺はなおも走りながら叫ぶ。
「なンとかだと!? ふざけるなよ! どうにかできるわけないだろっ!」
今見は自分が巻き込まれるのを恐れて後ずさる。
間に合うのか?
火炎球の移動する速度は俺の走る速度よりも速い。
けれど俺はあきらめない。
音乗の涙が目に映る。それは諦念のようにも思えた。
それでも俺はあきらめない。
待ってろ、音乗っ!
「うおおおおおおおおっ!」
俺は剣囲盾を構え、そして音乗と巨大な火炎球の間にすべり込んだ。
火炎球が爆ぜる。
「オーーーーーーーーール!」
八咲が絶叫する声が明確に聞こえた。そう明確に。
やがて煙が晴れると、俺の目に驚くチームメイトたちの姿が映る。
俺は生きていた。構えていたはずの剣囲盾は燃え尽きていたが俺自身は無傷。
かばった音乗は気絶したが無傷だった。よかった、と胸をなでおろす。
音乗を背負った俺はみんなのもとへ歩み寄る。
「心配させんなよ」と八咲に小突かれ、「なにが起こったっすか?」と唖然としていた宮直先輩が呟いた。
「わかりません」
俺がそう答えると、センパイが近づいてきて、なぜか湯かき棒で俺の肩を叩いた。
センパイが現れたときから痛み出していた胸の痛みがさらに増した気がしたが、またいつも通りの鼓動を刻む。
「なに、してるんですか?」
「なんでもないわ。気にしないで」
センパイは俺の疑問を軽くあしらってから、黒こげになった後野さんに近寄るみんなに問いかける。
「それよりも祭はどうなったの?」
こんなときでも冷静な蘆永が首を横に振った。
「嘘だろ……」
宮直先輩が顔を引きつらせ、
「死んだのか?」
泣きそうになりながら八咲が尋ねてきた。
蘆永が首肯する。俺も涙目だった。
「あれはなんだったんだ? 俺たちと同じように〔魔石〕を使っただけだよな?」
その問いかけにチームメイトは誰も答えなかった。
まるで悲しみに支配されたかのように静寂がつつみ込む。
「それについては我が語ろう」
そんななか、声が響いた。耳に届くのではなく、直接脳に響いた。
そして後野さんの体に〔魔力〕が立ちこめ、姿を形づくっていく。
現れたのは〔異界生物〕だった。その〔異界生物〕はワシのような体を持ち、その体色は赤紫に染まっている。けれど胸元から首をおおうマフラーのような羽毛は金色に輝き、フクロウの頭から孔雀のような鶏冠をはやしていた。胴体からのびる孔雀のような尾は先端に行くほど赤くなっている。
〔異界生物〕がなんで後野さんの体から……!?」
「っていうか、〔異界生物〕は喋れるのか……」
「正確には〔魔法〕を使ってそちらの言語体系に合わせているのである」
俺の呟きに目の前の〔異界生物〕はそう語る。
「まさか、お前が祭っちをあんな目に遭わせたんすか」
「それに対しては、そうである、とも言えるが、そうでないとも言える」
「どういうことだよ?」
「まあ、待つのである。まずは先んじて、〔別界〕のお主らが我らに名前をつけたように我はお主らふうに自己紹介するのである」
そう言った〔異界生物〕は、我は赤紫梟雀である、と簡潔に述べた。
「ちなみに〔別界〕というのは我らの世界をお主らが〔異界〕と呼ぶのと同じである」
赤紫梟雀は蛇足としてそうつけ加えて、ここからが本題である、と話を続けた。
「簡潔に言えば、マツリ嬢は生き返るのである。そもそもマツリ嬢にとって、今回が初めての死というわけではないである」
「いい加減なこと言わないでよ!」
まるで親の仇が目の前にいるような鋭い目つきでセンパイは赤紫梟雀をにらみつける。
「いい加減ではないのある。マツリ嬢は蜥猫蜴蛇に殺されているのである。今から一年ぐらい前に」
「それって、うちらが一年生のときじゃないっすか」
「じゃあ、あのサプライズで、ってことですか……」
「お主らの言っていることがよくわからんであるが、とにかくマツリ嬢は一度死んでいるのである」
赤紫梟雀はそう断言し、そして自分の偉業をたたえるかのようにこう語った。
「しかし、我の力を持ってしてマツリ嬢は生き返ったのである。とはいえ副作用が出てしまい、少しばかりボーッとしてしまっているのであるが、助けるためには致し方ない、と思ってほしいのである」
「でも、ちょっと待てよ。なんでお前は後野さんを助けたんだ?」
「理由であるか?」
俺が頷くと赤紫梟雀は声を張り上げ、
「そんなのは簡単である。愛である。我は生まれてこのかた、誰かを愛するなんてことはなかったわけであるが、驚くべきことに我はマツリ嬢を見た瞬間、恋に落ちたのである。初めての墜落である」
「だから助けた、って言うのか?」
「「そんなの信じられない!」」
センパイと大山が同時に叫ぶ。
「〔異界生物〕が人間を助ける? そんなこと、ありえない」
「なにを言っているのであるか? 事実、我はマツリ嬢を助けた。そしてこれからまた助けるのである」
「嘘。そんなのは嘘よ」
センパイが信じられないのも無理はないのかもしれない。なにせ、〔異界王〕に両親を殺されているのだから。
「本当である。とはいえ、そう簡単に信じてもらえぬか……」
「俺は、俺は信じるぞ」
それでも、俺は赤紫梟雀を信じる。
「ちょっとオールくん! なにを勝手に!」
「センパイ、落ち着いてください。もし、こいつの言っていることが嘘なら、こいつはここに現れた時点で俺たちを殺している、そうでしょう?」
「でも、それすら罠かもしれない」
「そこまで疑ったら、キリがないです」
「けどやつらは〔異界生物〕なのよ。信じられるわけないわ」
センパイの憎む気持ちはセンパイの心の奥深くに根付いていた。
「でも、それでも俺は信じます。それにこいつは後野さんを助けようとしている」
「だから信じるっていうの?」
「だからってわけじゃありません。けど俺は――」
「不毛な言い争いはやめるのである。我は本当のところ、お主らの信用なんぞどうでもいいのである。〔別界〕では愛は無償のものなのであろう。ならば我は我の愛ゆえに無償でマツリ嬢を救うだけである」
そう断言して赤紫梟雀は後野さんの体へと近寄る。
「待ちなさい」と怒鳴るセンパイを俺が抑え、大山を八咲が抑える。
「マツリ嬢は我が体内に入っているゆえに、〔魔力〕が過剰に反応する。よって〔魔法〕を使わせるのは好ましくないのである」
後野さんの〔魔法〕が暴走した理由を述べた赤紫梟雀は後野さんの体へと吸い込まれるように消えた。
――変化が起こる。
黒こげになった後野さんの身体が脱皮するように一瞬にして生まれ変わり、ぱちりと目を開ける。一緒に黒こげになった服ももとに戻っていた。
後野さんは生き返った。
「あれ~、どうしたの~?」
ね~、どうしたの~? と事情を尋ねるように大山に近づく。
「近寄らないで」
大山は憎悪を込めた視線を後野さんに送っていた。
〔異界王〕に両親と兄が殺されたから、〔異界生物〕が許せず、そしてそんな〔異界生物〕に助けてもらった後野さんが気持ち悪い。
だから近寄らないで、大山はそう言っているのだ。
後野さんが両手で顔をおおい、声を殺して泣き出した。
後野さんは自分のなかに赤紫梟雀がいることを知っているのだろうか、だからこそ気味悪がられたことを泣いているのか、それともなにも事情を知らずに、突き放されたことを泣いているのか、でもそれはどちらにしたって……
「そんなのって、ないだろ……」
俺が泣きそうになりながら呟くと「知らない」と言って大山はどこかへ歩いて行ってしまった。
そしていつの間にかセンパイも消えていた。
「なンだったンだよ、今の……」
未だ状況が把握できてない今見が呟いた。
いつも笑顔を浮かべている蘆永はいぶかしんだ様子で後野さんを見つめている。
八咲に、宮直先輩、そして俺はただただ唖然としているだけだった。
そこには虚しさだけが残った。
俺が背負う音乗が目覚め、俺たちの雰囲気を読み取ったのか、こう尋ねてきた。
「どうかしたんですの?」
なにも事情を知らない音乗がこのときばかりはうらやましかった。
3
俺は落ち込んでいた。
赤紫梟雀が出てきて以来、後野さんに対する大山の態度は妙によそよそしくなった。
センパイもセンパイで実習中どこかに行ってしまうのは以前の通りだが、例えば実習前とかでも後野さんに話しかけたりはしなくなった。
後野さんは後野さんで、ボーッとしている時間よりも、事情がわからずオロオロしている時間のほうが長くなっていた。
なんとかしなければ、と思う反面、なにもしてない自分がいる。
宮直先輩はなんとかしようと動いていたが、自分はその手伝いすらできてない。
俺はただ、焦るだけ。
そのせいか、ボンクラが話しかけてきても、「ああ」とか「そうだな」としか答えなくなった。
「そんなのオールじゃない! どうしたんだ。ぼくのオールを返しておくれ」
ボンクラが変なことを叫ぶほど、俺は落ち込んでしまっていた。誰がお前のもんだ、とかツッコミをしてくれよオール、というボンクラの叫びも耳に入らない。
そんなときだ、落ち込んだ俺を見かねたのか、八咲がこんなこと言い放った。
「今日の帰り、デートするぞ」
思わず呆気に取られた。開いた口が本当にふさがらなかった。……正気か。
とはいえ、どうやら八咲の言い方的に俺に拒否権はないらしく、俺は頷いていた。
夕方、気まずい実習を終えた俺は、八咲と校門で待ち合わせし、繁華街へと向かった。
「悪かったな、突然誘って」
向かいがてら、八咲が謝った。
「謝ることないだろ。まあ、突然は突然だったけど」
「お前が落ち込んでるのが悪いんだ」
つまり、八咲は俺をはげまそうとしてるのか。
それにしても方法がデートとは……なんて不器用なやつだ。ほかにやりようがあるだろ。
それでも俺は思わずニコリと笑って、お礼を述べた。
「ありがとな」
「べ、別に気にしなくていい。……それにお礼もしてないしな」
「お礼? なんの?」
「ああ、お前がチームメイトに誘ってくれたそのお礼だ」
「それこそ、気にしなくていいのに」
「だぁー。うっさい。とにかく行くぞ」
顔を真っ赤にして八咲は叫ぶ。
「へいへい、おつき合いしますよ」
八咲は俺の手をまるで接着剤でくっつけたかのように強くにぎって引っ張った。
「引っ張らなくても歩くって」
「うっさい。音乗はいつもにぎってるだろ」
「あー、わかった。わかったから。少し歩幅だけ縮めてくれ」
でどこに行くんだ? そう言葉を続けて尋ねると八咲は「いいから、来い」とまた怒鳴って俺の手を引っ張っていく。
はげまそうとしてくれているのだから俺はなにも文句を言わずに、手をにぎったまま八咲について行った。
***
「で、ボーリングですか……」
「なんか文句あっか? 落ち込んでるときなんかは身体を動かすのが一番だろ」
「〔異界〕でいっつも動かしてるけどな」
「あんな陰気な場所と比べんな。気分が違うだろ、あと雰囲気とか!」
「まあ、そりゃそうだな。ありがとよ」
「だから、お礼とか別にいらねぇし」
そう言って、八咲はボールを持って、ピンめがけて投げ――
ガーターに落ちた。頭上のテレビモニターに「アッチャアアア!」とすっ転ぶウサギが表示される。
「……」
得意じゃないんだな、という俺の表情が見てとれたのか、八咲が「なんだよ!」と怒ってきた。
「いや、すまん。八咲は自分が得意だからボーリングに連れてきたと思ってな」
それがおかしくて俺はいつの間にか笑っていた。
「そう。それだよ。お前はノーテンキに笑っておけよ」
八咲がわざとガーターを狙ったのかどうか、それはわからない。けれど俺が笑ったのを見て、八咲はそう言った。
それを聞いて俺はもう一度笑った。
少し元気を取り戻した俺が話を持ちかけたのは、一ゲーム目が終わり、二ゲーム目に入った頃だった。ちなみに現在のスコアは俺が百五十ぐらいで八咲が百六十ぐらいとどっこいどっこいだ。
「なあ、八咲」
「ん、なんだよ。改まったような口ぶりで」
「ぶっちゃけ、お前は後野さんに対するセンパイとか大山の態度……どう思う?」
事情を知らない音乗や端から期待してない今見はともかく、俺は八咲がなにを思っているのかを知りたかった。
八咲はその言葉を無視するかのようにピンへとボールをぶつける。
ピンが全て倒れ、頭上のモニターに「ヤッタアァアア!」と飛び跳ねて喜ぶウサギが表示される。
「オレは大山先輩たちにとやかく言うつもりはないよ。オレもふたりの気持ちはわかるから」
「どういうことだよ?」
「オレの親父は自衛隊だった、って言ったらわかるか?」
それだけで十分理解できた俺は頷く。
〔扉〕が出現してまもなくの頃、研究者とともに陸上自衛隊のいくつかの部隊が〔異界〕に行って、そして〔異界生物〕に殺された。八咲の父親は、その自衛隊員のひとりにだったのだろう。
「だからオレは大山先輩たちに共感もできる。けど、共感はしたくねぇんだ」
俺は八咲の言葉を黙って聞いていた。
「……オレの親父はオレたちを守るために死んだんだ。だから〔異界生物〕に殺されたなんて思いたくない。恨みたくない。恨んだら、親父が守ってくれたって気持ちが薄まる気がする」
「強いな」
俺の口から自然と言葉がこぼれた。けれど八咲には届かなかったのか、そのまま八咲は話を続ける。
「けど大山先輩たちは〔異界王〕に家族を殺された、と思ってるんだと思う」
「つまり、誰かに殺されたか、誰かのために死んだか、っていう……なんだその……解釈、とは言いたくないが、解釈の違いってことか」
「まあ、そうだな。それで大山先輩たちは復讐にとらわれすぎている。〔異界生物〕を目の仇にして、だから〔異界生物〕が後野を助けたことを認めたくないんだと思うぜ」
「そっか。そうだよな……」
被害者の気持ちは、被害に遭った人にしかわからないというがその通りだ。俺はセンパイの、そして大山の気持ちなどまったくわかってなかった。理解しようなどと思ってなかった、それは確実に俺が悪い。
けれど後野さんによそよそしい態度を取るのは、違うと思う。
当面の課題が決まった気がする。
「ありがとな。お前に話してよかったよ」
「いいから、とっとと次投げろよ」
八咲は照れるのをごまかすようにそう言った。俺はボールを投げる。
俺の意志を示すかのようにボールはピンを全てなぎ倒した。
続いて八咲がボールを投げ、またもストライクを取る。「ヤッタアァアア!」と頭上でウサギが飛び跳ねる。
「ところでさ、八咲が弓形に入ったのはやっぱり親父さんのようになりたかったからとかなのか?」
「そんな高尚なもんじゃねぇーよ」
八咲は昔を思い出すようになつかしく笑い、
「オレには親友がいたんだ。そいつがこの町から引っ越すことになってな、そのとき、そいつと約束したんだ。この街にまた戻ってくるから、そのときはまた遊ぼうって」
で、その後父さんが死んでオレも転校したからよ……、そう言ってまた八咲は微笑んだ。
「じゃ、その親友のために戻ってきたのか」
「ああ、つってもこのスマホのキーホルダーしか手がかりがないんだけどな」
スマホを取り出した八咲は、そこにぶらさがる、ツギハギだらけの熊のキーホルダーを見せた。
俺はそのキーホルダーをどこかで見た気がした。記憶の糸を探り、そして思い出す。
「それ、小学生のときに、はやってたやつだよな。どこかで見た気がしたんだ」
「そんなにはやってたか、これ」
「じゃなきゃ俺、たぶん、それを見ただけじゃわからない気がするぞ」
「だとしたら、親友を見つけるのは難しいかもしんねーな」
「ま、それ持ってるやつを見かけたら教えてやるよ」
「ああ、頼む」
「でも、親友探すためならこの学校に入らなくてもいいよな?」
俺がそう尋ねると、八咲はかなり嫌な顔をして、
「バカだから、弓形にしか入れなかったんだよ!」
「……すまん」
俺は怖じ気づいて即座に謝った。
それからボーリングの間、八咲は終始不機嫌だった。俺は八咲のご機嫌を取るため、というわけではないが、せっかくのデートらしいので、楽しんでもらうために、ボーリングを終えたあとも、八咲に振り回されることにした。
夕食時になり、解散となった頃には八咲も楽しんだのか、ちらほら笑顔を見せてくれるようになった。
それで一日が終われば、おそらく楽しい思い出として残ることになったのだろうが、残念ながらそれをぶち壊しやがった出来事が、八咲を家まで送る、その帰り道に起こった。
4
「櫂徹夜だな」
人通りの少ない道を八咲とふたりで歩いていたときのことだ。突然現れた、サングラスをかけた黒服の男に俺はそう声をかけられた。
「いや、違うけど」
あからさまに怪しい人物に「はい、そうです」と親切に教える必要などなく、俺はわざとすっとぼけた。おそらくこのあと、B級映画にありそうな言葉を吐くんだろうなと予想する。
「嘘をつくな。調べはついている」
だったら訊くなよ、俺は予想通りの言葉にさらに呆れる。
「おとなしく我々についてきてもらおうか」
その言葉を合図に前後からふたりずつ、黒服が現れる。最初に名前を尋ねてきたやつを合わせて五人。
その五人は見たこともない銃を持っていた。その銃は楕円のボンベをつけた水鉄砲に似ている。百均のおもちゃ売り場に置いてありそうで正直、ダサい。
俺は反射的に手をあげ、無抵抗の意志を示す。
俺が手をあげるのにならって八咲も手をあげた。
「銃を見せただけで、降参するなんて素直でいいな」
リーダー格の男は物わかりのいい俺たちに感心し、俺たちに近づいた。
俺は隣の八咲を見る。八咲は俺と視線が合うと、くすりと笑った。
八咲は俺が降参なんてするわけがないとわかっているようだった。
その通りだ、
「降参なんて、するわけねぇだろうが!」
俺は近づいてきたリーダー格の男の股を蹴り上げた。ぞくに言うキン蹴りだ。
男は飛び跳ねるように股を押さえ、そしてうずくまる。
「撃て! 殺さなければいい!」
それでも任務を遂行しようとマヌケな体勢で叫ぶ。
こいつらが何者なのか知らないが、〔異界生物〕よりは怖くなかった。
それに〔魔力〕の影響で銃は使いものにならないことをこいつらは知らないのか。
男の叫び声よりも早く八咲は前にいる男へと走り、スカートなのをお構いなしに、男の頭めがけて電光石火の回し蹴りを放った。
フィギュアスケートの回転ジャンプよりも派手に回転しながら男は倒れる。残っていたもうひとりの男は八咲の迫力に怯えて、悲鳴をあげた。
その男は八咲ににらみつけられ、足がすくんだのか、その場から動けずにいた。
八咲はその怖じ気づく男に近づき、その男の股を蹴りあげた。
「ひぎぃ!」
自分でやるのは平気だけど他人のを見ると思わず守りたくなるのが男の本能だよな、と自分の股を思わず隠した自分に言い訳しつつ、
「逃げるぞ!」
俺は倒れるふたりの男をまたぐように走り出す。
後ろから「撃てぇ、撃たんか!」というリーダー格の男の声が聞こえたが、残るふたりの男は撃つことをためらっているようだった。おそらく脅しの道具として使う程度にしか言われてなかったのだろう。
後ろを振り向くと、悶えから立ち直ったリーダー格の男が銃を構え、そして撃った。
銃弾は発射時に消費される莫大な運動エネルギーを〔魔力〕に干渉されて、まっすぐ飛ぶはずはない。でも俺はほとんど反射的に、
「伏せろ!」
八咲の体におおいかぶさり、地面に伏せた。その俺の背中を銃弾がかすめた。
「なんで銃が使えるんだよ!」
八咲が愚痴を吐き捨て、俺たちは起きあがり、低い体勢のまま角を曲がり、その後も全力で走りぬけた。
俺たちはしばらく走って、近くにあった公園の土管のなかに身をひそめた。
すると八咲が問いかけてきた。
「オール。なんなんだよ、あいつら」
「知らん。心当たりもまったくない……いや、もしかしたら……」
そう言いかけてやめる。八咲は気になったのか「なんだよ。言えよ」と問い詰めてきた。
「すまん。気のせいだ」
「だけどあの黒服野郎、オールの名前を知ってたぞ?」
「ああ」
「オール、お前……あいつらになんかしたんじゃねぇの?」
「してないことぐらい、さっきの見てればわかるだろ」
「まあ、そりゃそうだろうな」
「ま、なんにしろ、明日、薬袋先生にでも相談してみる」
そうすればあの〔魔力〕のなかでも撃てる銃についてなにか知ることができるかもしれない。なにせ、〔異界専門学科〕の先生は俺たち以上に〔異界〕に関することに詳しい。
警察に頼らないのは、〔潜者〕は一部だが警察が持つ権限を持っているからだ。〔異界〕関連なら、結局〔潜者〕任せになってしまうため、警察を通すと手間になる。
「まあ、それがいいかもな」
それからしばらく俺たちは土管のなかに隠れて、本当にたわいもない話をした。デートの延長戦みたいなものだ。
その話の終わりは実に唐突で、八咲のおなかが鳴ったのが合図だった。
「……オレの、じゃねぇよ」
気まずさをごまかすように八咲が言い訳したので「悪い、俺の腹の音だ」と俺が言い訳しておいた。
「……ったく、しょうがないやつだな」
八咲は笑いながら土管を出て、俺たちは歩き出した。
「コンビニでコロッケでも食って帰るか」
それから俺はコンビニでコロッケをふたり分買って、神社の石段に座って食べた。
「おいしいな」
アツアツのコロッケをかじった八咲が感想をこぼす。
「だろ。神なんだよ、コンビニのコロッケは」
サクサクの衣に染み込んだソースがなんともいえない味を出している。アツアツなのもおいしさを底上げしていた。
それから俺は八咲を家まで送って、自分のボロアパートへと帰った。
俺たちを襲った謎の黒服たちが待ち伏せしていたらどうしようと思ったが何事もなく夜は更けた。
***
そして翌日、俺と八咲は朝イチで職員室におもむいた。当然、昨日の黒服たちのことだ。
「なんだ、お前ら、なんか用か?」
薬袋先生は俺たちがおもむくなり、眠たげな目をこちらへと向けてきた。猫耳のような髪は湿気にやられたのかどうかはわからないが、へにょーんと垂れ下がっている。
「ちょっと、相談がありまして」
俺がそう言うと、薬袋先生は俺と八咲を交互に見て、
「駆け落ちの相談になんて乗らないぞ」
きっぱり言い放った。
「なわけねーだろ!」
八咲は顔を真っ赤にして職員室に響き渡る大声を出した。
ノーキンやほかの教師の視線が集まったことに気づいた八咲はそのまま顔をうつむかせる。
そんななか、薬袋先生は平然と、
「冗談はさておき、相談ってのはなんだ?」
「昨日の放課後、街中で変な集団に襲われました」
俺がそう言うと薬袋先生はしばらく考え込んでいたが、
「学校内でのことじゃないのか……だったら門外漢だわ。あたしゃ女だけど」
と軽口を叩いてきた。薬袋先生は実習以外では親しく話すこともないので堅苦しい人だと思い込んでいたが、話してみると意外とラフだった。機嫌を損ねる=死亡フラグは授業中もしくは髪型について触れたときだけなのかもしれない。
「けど、そいつら。銃を……しかも〔魔力〕のなかをまっすぐに銃弾が飛ぶ銃を持っていました。だから学校外とはいえ、〔異界〕関連じゃないですか」
「〔魔力〕の影響を受けない銃だと?」
「ああ、オレも見たぜ。確かに銃弾はまっすぐ飛んできた」
「ということはオールくんの勘違いということではないということだな」
「いやちょっと待ってください」
「どうした?」
「どうしたもこうしたも木下もありません。なんで薬袋先生までそのニックネームを知ってるんですか?」
「いや、ボンクラくんだったか。あの子に教えてもらってな。ちょうどいい機会だし呼んでみたんだ。気にするな」
「気にしますよ。俺は先生にまでニックネームで呼ばれて殺意を覚えましたよ」
「そこは敬意を覚えろよ」
言い返した薬袋先生は、言葉を続ける。
「ま、なんだ。その〔魔力〕の影響を受けない銃のことについては初耳だ。こっちでも調べておくことにする。オールくんと凛子はとりあえず、またその集団に襲われないようにさびしい夜道とか歩くんじゃないぞ。なんだったらアベックで行動するんだぞ」
俺は後半のボケを無視して、話を進める。八咲が反応して喚いていたが、そっちも無視する。
「なにかわかったことがあったら、教えてくださいよ」
「内容によりけりだが、その時は校内放送で補習の呼び出しと称して呼んでやるよ」
「すげー迷惑ですよ、それ」
気にするな、と薬袋先生は言い返し、俺はげんなりした。だから気にするっつーの。
職員室から出て廊下で、八咲がこう言った。
「ま、とりあえず一安心ってことでいいんじゃねぇーの」
けれど俺は不安を拭えなかった。
5
その日の昼休憩、俺はかすかな不安を抱えたまま、コロッケをむさぼっていた。そのうまさに少しだけ不安が薄れたような気もしたが、なくなりはしなかった。
とはいえ、その不安感を表情に出して八咲やほかの学友を同じ気持ちにさせては意味がない。俺はできるだけいつも通りを装うように務めた。
「ねえ、聞いてるかい、オール。ぼくはね、つくづく不幸の星のもとに生まれたんじゃないかと思うんだ。昨日もね、トドビーバーってば……」
「なあ、その愚痴、また聞かないとダメか」
最近のボンクラの話題はトドビーバーについてばかりで正直、滅入る。
トドビーバーがぼくばかりをしごいてくるだの、トドビーバーがチームメイトの呼び出しに使いたいからとしつように電話番号を聞いてくるだの。
俺に言わせればトドビーバーがお前に気があるんじゃないのか、ってな話だが、それは言わずにおいた。
ボンクラの愚痴にうんざりしていたそんなときだ、
「オールくん、呼んでるよ」
クラスの女子が俺を呼ぶ。ボンクラのせいで俺が認めてないニックネームが学校全体に広がってしまっていたが、もうどうしようもない。
愚痴り続けるボンクラを放っておいて俺は席を立つ。
薬袋先生がなにか情報を手に入れたのかもしれない、そんな期待を胸に教室の入り口まで行くと、そこには、
「俺を呼んだのって音乗かよ」
「わたくしじゃ悪いんですの」
「ああ、ごめん。悪くない、全然悪くない」
俺は言い方が悪かったのを言い繕う。
にしてもいちいち俺を呼び出すとはなんの用だろうか。急を要するものじゃないのなら、実習の前でもいいはずだ。
「でなんの用?」
「あの……その……」
俺が尋ねると音乗はもじもじとなにか言おうとするのをためらい、何度も視線を行き来させる。
そして意を決したのか、音乗は神妙な面持ちでこう言った。
「オールさん! あ、あなたを我が家の食卓へご招待しますわ!」
「いや、別にいいよ」
だってそうだろう。いきなり理由もなしにそんなこと言われたら誰だって、断るさ。
「な、なんでですの。せっかく、わたくしが夕食を食べさせてあげようとしていますのに!」
「いや、俺が音乗の家で夕食食べる意味がわからないんだけど」
俺は正直にそう伝える。
「いえ、あの……それは……聞いたんですのよ。宮直先輩から」
すると音乗はたどたどしい言い方で言葉を紡ぐ。
「暴走した火球からあなたがわたくしを助けてくれた、と。ですから、なんと言いますか……そう、これはお礼なのですわ」
「いや、気にしなくてもいいんだが」
「お黙りなさい! わたくしがこうやって誘っているのですから、あなたは、はい、と頷けばいいんですの!」
音乗の言葉はどことなく強気で、どうしても俺を夕食に招待したいという意志がありありと見てとれた。
さて、どうするか? 俺は悩んだ挙句、ひとつ質問を投げかけてみる。
「ちなみに、音乗。お前んちの今日の夕食はなんなんだ?」
「コロッケですわ」
「行く!」
何を隠そう、俺はコロッケが大好物なのだ。
6
コロッケの誘惑に負けた俺は放課後、音乗とともに音乗の家へと向かった。
八咲に一緒に帰ろうと誘われたが、今日は用事があると断ると少しだけさびしそうな顔をした。
そんな顔を見て、明日は一緒に帰ろうと決意。たまにはこっちから誘ってみるか。
そんなこんなで音乗の家に着いた。
学校から音乗の家まで俺と音乗はずっと手をつないでいた。
「なんで手をつないでいるんだ」という俺の疑問に「いつもつないでいるじゃありませんか」と言い返された。
それは〔異界〕での話で、しかも手をつないでいるのは怖がる音乗を落ち着かせるためだが、こっちでも手をつなぐってことはこっちも怖いってことなのか。よくわからん。
閑話休題。
俺が勝手に抱く音乗の家のイメージは豪華絢爛。西洋風の容姿に似合う、メイドとかいそうな、そんな家。
けど実際はそんなことはなかった。たどり着いた音乗の家は新しく開発された住宅街の住宅メーカーが一斉に売り出した、いくつもの建売住宅が立ち並ぶなかのひとつだった。
「さあ、遠慮せずに入ってよろしくてよ」
玄関の扉を開ける音乗にうながされ、俺は音乗の家にあがる。もちろん、お邪魔しますの一言は忘れない。
リビングに案内され、俺はうながされるままにソファーに座る。
「少し待っていてください。今、作りますから」
そう言われて、さて困った。
まさか音乗の手作りだとは思わなかった。コンビニだとすぐに買えるから、もうあるものだと思い込んでいた。
というか、できるまでひとりでなにをしておけというんだ、音乗は……。
困り果てた俺はとりあえずあたりを見回した。するとおそらく音乗の父と母、そして幼い音乗の三人が写った写真があった。成長の記録なのか右から順に音乗が成長していっている。
けれど俺はあることに気づいた。ある写真を境に母親の姿がないのだ。
口に出すのがはばかられたが俺は思わず尋ねてしまった。
「音乗……、母親ってさ、いるの?」
そう尋ねたとたん、不気味な静寂があたりを包んだ。
キッチンのコンロが火を噴き出す音だけが聞こえた。
やがて音乗は言った。
「母はこの世界の〔魔力〕汚染がある程度進み、わずかな〔魔力〕でも存在できる〔異界生物〕がこちらに来て、そして……」
その後の言葉を言うのを音乗はためらっていた。けどそこまでで、十分に伝わった。
すまん、と俺は謝って、それでもこう尋ねた。
「音乗は……〔異界生物〕を、〔異界〕を恨んでいるか?」
「いいえ」
今度は即答だった。
「わたくしの母も父も環境省の人間でしたの。それで母は不用意に〔異界生物〕に近寄って……ですから自業自得の面もありますの」
そうは言うものの、音乗の言葉からはさびしさがありありと見てとれた。
けれど八咲と同じく音乗も〔異界〕を恨んではいないようだった。
しばらく間を置いて、俺は音乗の気を紛らわすように喋り始める。
「けど、これでわかったよ」
「なにがですの?」
「音乗が〔異界〕の知識をたくさん持っている理由だよ。両親の影響だったんだな」
「まあ、そうですわね」
音乗が頷く。
俺は音乗の写真が並ぶ棚の隅に飾ってある祖父――面舵大全の写真を見ながら遺言を思い出していた。
環境省には気をつけるんじゃ。
祖父は遺言状にそれだけ書いてそれ以外にはなにも教えてくれなかったが、『環境省』という言葉が出てきたぐらいだ。
環境省がなにか関係しているはずなのだ。
「音乗、すまないが……トイレ、貸してくれないか」
「ここを出て、廊下をまっすぐですわ」
丁寧に教えてくれた音乗だったが、俺はトイレに行くつもりなんて端からなかった。向かうのは音乗の父親の部屋だった。
とはいえ、音乗の父親の部屋がどこにあるかなんてわからない。
俺は廊下に出て、とりあえずトイレのほうへ向かってみる。するとトイレの近くに階段と、そして部屋があった。
その部屋の扉には音乗が幼い頃に作ったものだろうか『旋律パパの部屋』と粘土細工で作られた看板がかけられていた。間違いない、ここが音乗の父親――旋律さんの部屋だ。
俺は物音を立てないように扉を開ける。どうやら鍵がかかっていないようだった。扉の隙間からなかを覗き込んで誰もいないことを確認すると忍び足でその部屋に入っていく。
事務用のデスクにはミニノートPCとなにかの資料だろう紙が大量に積まれていた。左右の棚には見知らぬ本から〔異界〕の教科書まで様々な〔異界〕の本が置いてあった。
俺は床に散らばる資料の間をぬって、デスクへと向かう。
視線の先には〈重要〉と朱印された資料がある。そこにどんな情報が載っているかわかりはしないが、それでも〈重要〉なものには違いない。
そう思って、俺がその資料に手をかけた瞬間――扉が開き、声が飛んだ。
「誰だい、キミは?」
俺は慌てて振り向くとそこにはどこぞの研究所にいる博士のような男がいた。剃るひまがないのか、無精ひげをはやしている。おそらくその人が旋律さんだろう。こうなった以上、言い訳はできない。
「えっと、俺は音乗……さんのチームメイトで……、それであのすいません」
「謝ったということは、勝手に入ったってことでいいのかな?」
「すいません」
そうか、と旋律さんは納得したように呟き、俺をデスクのイスに座るようにうながす。
「先に自己紹介だけしとくとボクは音乗旋律。かるめるのパパさ。でとりあえず、二、三、質問するよ」
積ん読になっている本の上に腰をかけた旋律さんは俺にそう言い渡した。
その言葉に俺は頷くしかない。
「まず、キミはボクの部屋に入るため、かるめるを利用したのかい?」
「……どういう意味ですか?」
「ボクが環境省の人間だと知ったからこそ、かるめるに近づいたのか、ってことさ」
俺がとぼけたと思ったのか、このときばかりは、旋律さんの目差しが厳しくなった。
「それは違います。俺は今日ここで音乗の父親、つまりあなたが環境省の人間だと知りました」
そうか、と旋律さんは笑顔を見せ、「なら安心した」と胸をなでおろす。
「でキミはオールくんでいいんだよね?」
「えっ……ああ、まあ」
いきなりニックネームで呼ばれたことに驚く俺を尻目に旋律さんは笑い、「ああ、娘がよくキミの話をしていてね」
まあ悪い男ではなくてよかった、と旋律さんは小さく呟いた。
「で、オールくん。ボクの部屋に入った理由をもちろん話してくれるよね?」
あくまでも優しい笑顔を見せる旋律さんの顔を見ながら、
「俺はとある鉱石を探しているんです。教科書にも載ってない鉱石のことを知りたくて、環境省のかたならそういった資料をお持ちかもしれない、と思い勝手に忍び込みました」
すいません、と俺はもう一度頭をさげる。
「なるほど、研究熱心だね」
それを聞いて旋律さんは納得したように俺のほうへと近づき、資料の山の中腹から資料を一気に取り出す。
「鉱石についてはこの資料に今まで見つかったものが全て載っているはずだよ」
そう言って取り出した資料の束を俺に渡してくる。
「いいんですか?」
「いいもなにも調べたいことがあるんだろ。ボクは研究熱心な子には寛大なんだ」
本来なら勝手に忍び込んだ俺を怒るべきはずなのに旋律さんは俺を許し、さらには資料も貸してくれた。
「ありがとうございます」
俺がそうお礼を述べると、閉まっていた扉が開き、音乗が顔を覗かせた。
「オールさん、こんなところにいましたの。どこに行かれたかと思いましたわ」
「ごめんよ、かるめる。お父さんが少し話をしたくて、オールくんを部屋に呼んだんだ」
「あら、そうでしたの」
「それより、もしかしてごはんできたのかな?」
昨日、張り切……と続いた旋律さんの言葉は慌てた音乗にふさがれる。
「さあ、オールさん。リビングに移動しますわよ」
旋律さんの口をふさいだままの音乗にうながされ、俺はリビングへと移動した。
そして俺を待っていたのは、ありえないほどうまいコロッケだった。しかもかぼちゃコロッケだ。きつね色の衣はサクサクでかぼちゃはいい具合に柔らかい。コンビニのコロッケが神だとしたら、このコロッケは超神だろう。
「こんなうまいコロッケを作れるなんて、かるめるは将来は立派なお嫁さんになれるよ」
思わず旋律さんが言った言葉には俺は何度も頷く。
音乗は照れて頬を朱色に染めていた。
7
おばさんに頼まれた買い物の帰り、私は夜道を歩いていた。
「あれはどこにある?」
すると突然、黒服にサングラスの、まるで大統領のSPのような格好の男が話しかけてきた。
「あれ、ってなんのこと?」
私はなにもわからずに尋ねる。
けど、私はなんとなくだがあれがなんであるか、気づいた。
もしかして、兄さんの生前、〔反魔金属〕を狙って襲撃してきたってやつかもしれない。
湯かき棒は風呂場に置いてきたので兄さんの返事はない。
私は兄さんたちが亡くなって環境省の質問攻めに遭った。当然、そのとき、私は兄さんから全てを聞いていたのでしらばっくれた。
それから数年間、兄さんは警戒しろと言い続けていたけど、わたしはもうなにも起こらないと思っていた。
だから〔異界王〕を殺すことばかりを考えてきた。
なのに、なんで今更、こいつらはやってきたの?
「知らないとは言わせない。一度は持っていないと思ったが面舵大全の孫と接触した以上、やはり持っている可能性がある」
意味がわからなかった。面舵さんの孫となんて私は会ってなどいない。
あっちが知っていて、こっちが知らないなにかがある。それを訊き出さなければならない。
「面舵さんの孫って誰? そんな子、知らないわ」
「また、しらばっくれる気か? お前は自分でチームメイトに入れたらしいではないか。櫂徹夜を!」
その言葉に私は驚いた。櫂徹夜――オールくんが、面舵さんの孫?
オールくんは一言もそんなこと言わなかった。言ってこなかった。
面舵さんは、家族になにも喋らなかったのか、それともオールくんが知っていてなお、しらばっくれているのか、それはわからない。
けど訊いてみないといけない。
でもそもそもこいつらはどうやってオールくんのことを調べたのだろう。
いやでもそれよりもまずはオールくんと会って話をしてみるべきだ。
「いいこと、教えてくれてありがとう」
「なに? 知らなかったのか!」
自分が口をすべらしたことを理解して、その男は銃を取り出す。拳銃ではない、ボンベのようなものがついたおもちゃの水鉄砲に似ている。兄さんが言っていたものだと気づく。だから私は油断しない。そいつが私の口を封じようとその銃を構える。
私は逃げようとはせず、そいつが銃を撃ってくるのをずっと待った。
そいつがトリガーを引く。
銃から出た弾丸は〔魔力〕と空気を切り裂き、まっすぐ私に向かってくる。そうまっすぐ。私は〔魔力〕が切り裂かれている場所を察知して、避ける。
〔異界〕に一年以上潜り、そして〔魔力〕の切り裂かれるさまを見ている私には避けるのは簡単だった。
「ちぃ、やはり見習いとはいえ〔潜者〕相手にひとりはきついか」
そう呟いた男は口笛を吹く。するとどこかにひそんでいたのだろう、さらに数人の黒服が同じ銃を持って現れた。さすがにこの人数をひとりで相手にするのは無理だ。
そう思ったときだった、出てきた黒服が膝からがくっと倒れた。
なにが起こったかわからなかった私に声が届く。
「女の子ひとりを大人が寄ってたかっていたぶろうとするのは感心できないですね」
そう言って私の視界に入ったのは蘆永くんだった。
「どうしてキミが……」
「夜道を散歩するのが趣味でして……大山先輩に会ったのは偶然ですよ」
「まあなんだっていいわ。それよりもありがとう」
「お礼を言うのはまだ早いですよ。大山先輩は逃げてください」
「キミはどうするの?」
「僕は残ったやつを蹴散らして、また散歩にいそしみます」
「そんな……キミだけじゃ無理よ」
そう言い放った私だったけど、目の前に広がる光景を見て、言葉を失った。
蘆永くんは私と話しながら、しかも私が気づかないうちに、ほかの黒服を倒していたのだ。
「蘆永くん……キミはいったい……?」
「はは、まあ気にしないでください」
そう言って笑う蘆永くんは、初めからいた黒服の襟首をつかんでいた。
「くそ、なんだ貴様は!」
「なんだっていいでしょう。とりあえず、あなたたちは邪魔ということです」
そう言って蘆永くんはその黒服の頭をコンクリートに思いっきりぶつけた。
「さて、終わりましたね」
あたりを見回して誰もいないことを確認した蘆永くんは、
「それでは散歩に戻ります」
そう呟いて去っていた。
私は唖然としていた。彼が助けてくれた理由がわからないのだ。
けれど考えてもらちがあかない。私は家路を急いだ。アイスも溶けてしまうし。
***
家に帰った私はアイスを冷凍庫にしまって洗面所から湯かき棒を取り、自分の部屋に向かった。
「兄さん、今日ね、怪しい集団に襲われたわ。たぶん、あれ、環境省の人間よね?」
――それは本当か? だとしたら……〔反魔金属〕を持っているということがバレたということだ。けど、どうしてだ?――
「そんなの私は知らないわ。それよりも、そいつらからいいことを教えてもらったの。面舵さんの孫についてのことよ。ちなみに兄さんはその孫についてどれくらい知っているの?」
――じいさんのお孫さんはじいさんの死後、親御さんと一緒に引っ越したから、よくは知らないね――
「面舵さんの親族を探そうとはしなかったの?」
――今日はやけに質問が多いね?――
「いいから答えてよ。探そうとしたの? しなかったの?」
――しなかった。というよりできなかったね。あの頃は環境省が〔反魔金属〕をしつように狙っていたからね、そんなひまはなかった。あいつら、配布された〔反魔金属〕ひとつじゃ満足できなかったんだよ――
「だから兄さんたちは十分な準備もできないまま〔異界王〕を倒しに行った、ってことね?」
私は今更ながらにその事実を再確認する。
――そう。それで〔異界〕が閉じるはずだった。けど結果はわかるだろ?――
「うん。それで母さんと父さんは殺された。それでも兄さんは〔反魔金属〕を失わないために、そして利用されないために湯かき棒に隠した」
――全ては〔異界王〕を倒して〔異界〕の脅威を取り除くためだ。そして環境省の陰謀に利用されてもダメだ。って話がずれてるね、早くそのいいことってのを教えてくれよ――
「うん。であのね、どうやらオールくんって、面舵さんの孫らしいの」
――な、なんだってー!?――
兄さん、ふざけてるでしょ。
――そこはあえて言葉に出さないんだね――
紅葉がお風呂からあがったみたいだからね。おばさんは独り言だと思って気にしないけど、紅葉は気にしてくるから。
――オールくんがじいさんのお孫さん……なるほど、確かにそれはいい情報だ。だけどデマってことはないのかい?――
わからないわ。けど確かめてみる価値があると思うの。
――それはそうだけど、オールくんはおばあちゃん似なのかな。全然似てないよね――
気づかなかった言い訳をここでしないでよ。
――と言うけどね、躑躅。人間、意外と気づかないものだよ――
だから気づかないのも無理はない、って言いたいの?
――ま、そういうことだね。それと、自分もオールくんと話をするのは賛成だ。なんだかんだ言って彼は怪しいよ。まあ最初に疑っていた〔異界王〕関係の線はなくなったけどなにか隠してるっぽいね。もしかして大全さんから〔異界王〕の欠片を受け取っているのかもしれない。それなら環境省が狙う理由もわかるし――
なら、明日、オールくんに話を訊いてみるわ。
私は兄さんにそう告げた。けれど蘆永くんに助けられたことはなぜか言わなかった。
8
数日後、俺は薬袋先生に呼ばれ職員室へと向かった。
冗談だと思っていたのに、薬袋先生は本当に補習を口実に俺を呼んだ。
そのせいでボンクラには「補習とはオールはおバカさんだね」と言われる始末。
どう責任取るつもりなんだ、と胸中で毒づきながら職員室へとたどり着く。
途中、放送の意味に気づいた八咲が「オレも行ったほうがいい?」と尋ねてきたが、呼び出されたのが俺だけだったので、断っておいた。
職員室に入ると薬袋先生の隣にはセンパイがいた。
なぜいるのか尋ねるひまもなく薬袋先生の誘導で俺とセンパイは生徒指導室へとおもむく。
移動中、センパイが隣にいるからか、また胸が痛んだ。
「でどうして、センパイが?」
生徒指導室にたどり着いた俺はセンパイに尋ねる。
「ちょっと先生に相談しに行ったら、キミも同じ状態だって聞いてね」
「もしかして、センパイも、あの変なやつらに」
「ええ。けどこれであいつらが言っていたことが本当だって確信に変わったわ」
「どういうことですか?」
「どうもこうも、オールくんって、面舵大全さんの孫でしょう?」
「……」
言葉につまった。祖父のことに関しては隠すつもりもなく、けれども言うつもりもなく、だからこそバレた今は妙に気まずい。
「ええ、そうです」
言葉につっかかりながらも俺は肯定する。
「なんで隠してたの?」
「言う必要がないからです」
センパイの質問に淡泊に答える。
「どこまで知ってるの?」
なにをだろうか、そして遺言で口止めをされている俺はどこまで言ってもいいのだろうか。
迷った挙句、「環境省に気をつけろ、とだけ」と俺は呟く。センパイはそれを聞いて「全然知らないのね」と残念そうに呟いた。
「ラブラブ中のところ悪いんだが、本題に入っていいか?」
いいですよ、と俺は呟き、ついでにこう言ってやる。
「ってか俺たちがラブラブ中に見える先生の目を疑いますね」
「はは、すまんね。視力が悪いんだ」
「視力のせいにすんじゃねぇよ、眼鏡してねぇだろうが」
「と場が和んだところで話を始めるよ、ふたりとも。ちなみにわたしゃ、コンタクトだよ」
俺のツッコミを流して、いや利用してセンパイとの会話を終わらせた薬袋先生は俺たちがなにか口出しする前に口を動かし、言葉を呟いた。
「さっきキミたちの話にも出たけど、キミたちを襲ったのは環境省だ」
「やっぱり……」
薬袋先生の言葉を聞いたセンパイがそう呟いた。センパイはなにやら知っているようだった。
「やっぱり、って……センパイ、なにか知ってるんですか?」
「昔、面舵さんが亡くなったあと、環境省のやつらがしつこく家を訪ねてきたことがあるの。それで兄さんたちが適当にあしらうと、兄さんたちは見知らぬやつらに襲われたのよ」
「それが今回、俺たちを襲ったやつと同じってことですか? けど、なんで今更……なんのために?」
「なんで今更かはわからない。けどやつらがなんのために私を、そしてオールくんを狙ったのかはわかるわ」
「なんでですか?」
と尋ねつつも、俺はなんとなく気づいていた。
おそらく環境省のやつらが欲しがっているのは祖父の胸に寄生していた〔異界〕の欠片だ。音乗の家から帰ったあと、旋律さんから貸してもらった鉱石の資料を調べてみたが、あの欠片がなんなのかわからなかったが、それを欲しがっているのなら、環境省は胸の欠片がなにかを知っているのか。
「本当にわかってないの?」
センパイは俺の胸のうちを見透かしたように怪しみ、まあいいわと続けて言った。
「面舵大全が〔異界王〕の身体の欠片を持っていると思ったからよ。やつらはそれを欲しがっている」
それは衝撃の一言だった。驚いてはいけない、と思いつつも俺は衝撃のあまり、驚いてしまった。いや驚かざるをえないだろう。だって俺が祖父から否応なしに受け継いだ〔異界〕の欠片は、〔異界王〕の身体の欠片だったのだから。
「その顔、やっぱりなにか知っているのね?」
「いや……その……」
「知ってるのなら教えて! それがあれば……」
そこまで言ってセンパイは口を閉ざした。
「それがあれば……なんですか?」
だから俺は尋ねた。センパイはそのまま無言を貫いていた。
すると存在を忘れてしまうぐらい静かにやりとりを見ていた薬袋先生が言った。
「それがあれば、〔異界王〕がその欠片を取り戻すために動き出す。そうだろ?」
けれどセンパイはうんともすんとも頷かない。
「そうすれば、復讐しやすくなるものな」
センパイは答えを見透かされ、薬袋先生をにらみつける。
「オールくん、仮にキミが知っていたとしても言う必要はないよ」
薬袋先生はそう言って、俺を廊下へと追いやり、自分も廊下へと出た。
「いいか、あいつに教える必要はないよ」
薬袋先生はもう一度、そう言って去っていく。
生徒指導室には唇を噛みしめるセンパイがいた。
センパイは祖父が持っていた欠片を、自分の復讐に利用しようとしていた。
それほどまでにセンパイは復讐にとらわれている。
俺にはなにができるんだろうか。俺がそれを考えるのはおこがましいのかもしれない。
けれどそう考えたうえで、やはり〔異界王〕の欠片が今、どういう状況であるかを教えるべきではない。そう決めた。
昼休憩が終わるチャイムが鳴り、掃除当番でもない俺は実習へと向かった。
その日、センパイは実習には現れなかった。
9
「今日は〔異界生物〕をあまり見なかったっすね」
宮直先輩がそんなことを言って〔異界〕から〔扉〕を潜り、俺たちの世界へと戻る。
俺も「ええ、そうでしたね」などと言って後ろに続く。宮直先輩は俺に対してだけは近寄れるようになっていた。とはいえ、俺がなにげなく手を動かしたり、頭をかこうと手をあげたりすると、ビクッと身体を震わせたりする。
俺たちが〔異界〕から戻ると、弓形高校は大混乱に陥っていた。
〔異界生物〕がグランドにあふれているのだ。
〔異界生物〕が俺たちの世界に出てくるということは実は意外にあることだ。
〔魔力〕が微量でも生きることができる〔異界生物〕は〔異界〕でも食物連鎖の下位にいるため、こちらに逃げてくることがある。
〔潜者〕なら対処できたりもするが、一般人にはその〔異界生物〕だけでも脅威だ。
もっともそれは昔の話。今は俺の祖父、面舵大全が世界を停滞期にした代償として〔魔力〕汚染は一気に進んでしまい、ある程度凶悪な《異界生物》も〔扉〕を潜ってくるようになり、そいつらは〔潜者〕見習いでも少し手こずる。
その〔異界生物〕がグランドにひしめいていた。
「なんなんすか、これ?」
「俺にわかるはずがありませんよ」
宮直先輩の戸惑いに俺も同意する。
実習から戻ってきたら既にこの状態だったのだ。
今見やボンクラ、トドビーバーはグランドにあふれる〔異界生物〕と戦っていた。いやその三人のなかでまともに戦えてるのはトドビーバーぐらいであとのふたりは必死に逃げ回っているという表現が正しい。
蘆永の姿は見えない。実習に出てないセンパイの姿も。
「なにが……起きてますの?」
俺の手に引かれて戻ってきた音乗が、グランドの状況を見て震えた声を出す。続く八咲や大山もこの光景に絶句していた。
犬のような顔に猪の牙を持ち、狼のような四肢を持つ二足歩行の〔異界生物〕犬狗猪鬼に、豚の顔に猪の牙、熊のような毛皮と体格を持つ二足歩行の〔異界生物〕豚熊猪鬼。それに蜥猫蜴蛇もいる。
そしてにぎり拳ぐらいの大きさの〔異界生物〕が雲のように空をおおっていた。その〔異界生物〕はハエの顔に蝶の胴体、バッタの足を持つ、飛蝶蝗蠅だ。
「行くっす!」
宮直先輩のかけ声とともに走り出した俺たちだったが、とたん、後野さんが倒れた。
「祭っち、大丈夫っすか?」
宮直先輩が急いで近寄ると、後野さんから〔魔力〕が噴き出ていた。俺たちがその光景を見るのは二度目だ。
そこから噴き出た〔魔力〕は姿を形づくり、赤紫梟雀になった。それを見て音乗が気を失った。
「この状況はお前の仕業なのか?」
「いやはやそれは大いなる勘違いである」
「どういうことだ?」
「なぜなら我がこのような状況にする意味がないのである」
「確かにな」
後野さんに惚れきっている赤紫梟雀が、好きな人を危険な目に遭わせるような状況を作るはずがない。
「じゃ、なにしに現れたんだよ」
「我は警告しにきたのである」
「警告っすか? そりゃご苦労っすね。でもこいつら程度なら戦い慣れてるやつらも多いっす」
宮直先輩がそう言うと、赤紫梟雀は首を振り、
「違うのである。この世界でマツリ嬢が死ねば、我が生き返らせることができないという警告である」
それを聞いて八咲が思いついたことをそのまま言葉に出した。
「もしかして、あんたは〔魔法〕で祭っちを生き返らせていたってわけか?」
「その通りである。とはいえ〔別界〕のお主らがいうところの〔魔石〕で作る〔魔法〕のようなまがいものとは違うものであるがな」
「お前ら、〔異界生物〕は〔魔石〕以外で〔魔法〕を作り出せるのか?」
「当たり前である」
そう言った赤紫梟雀の細い足がぶれた。
「ふむ。時間である。これ以上〔別界〕に顕現していたら周囲の〔魔力〕が枯渇し、我の存在は消えマツリ嬢も死んでしまう」
くれぐれもマツリ嬢を殺さぬように頼むのである。
そう警告した赤紫梟雀は再び黒いもや――〔魔力〕となり、周囲にただよう〔魔力〕とともに後野さんの体に吸い込まれるように消えていった。
「好きな女を守るために人に頭をさげにきたってことっすかね?」
宮直先輩が俺に尋ねる。
「案外、いいやつかもしれません」
「あたしはそうは思わない」
赤紫梟雀が現れてからずっと、赤紫梟雀をにらみつけていた大山がそう呟いた。
「どう思うかは人それぞれだ」
センパイと同時に大山の復讐心も、どうにかしないといけない。そうは思いつつも、今は言い争っているひまはない。
「それじゃ、行くっすか!」
「期待してますよ、宮直先輩!」
「そっちこそっす。祭っちと音っちは任せたっす」
「任せてください」
赤紫梟雀の出現で気絶した音乗と、意識がまだ戻ってない後野さんを守るように、俺は剣囲盾を構える。
「こっちだ、おらっ!」
八咲が吼えると、複数の犬狗猪鬼が反応し、八咲を取り囲む。
八咲は猪槍牙剣を構え、犬狗猪鬼に向かう。引きつけてくれるのはありがたいが、少し気負い過ぎだ。
「そんなに気負っちゃダメっすよ」
宮直先輩も同じように感じたらしく、八咲に注意をうながし、そして地面を蹴った。
そこから出てきたのは赤い〔魔石〕――〔赤角石〕。
「火炎球!」
宮直先輩が叫ぶと〔赤角石〕が火炎の球に変わり、先頭の犬狗猪鬼が炎に包まれる。
宮直先輩はそのままそいつを突錐槍で突き刺し、近くにいた犬狗猪鬼へと炎のかたまりを振り回した。宮直先輩はそのまま八咲に襲いかかっていた犬狗猪鬼へと迫り、業火の槍の乱舞を披露。
「いやあ、たまたまこっちに落ちてた〔魔石〕をたまたまここに埋めといてラッキーだったっす」
犬狗猪鬼を焼きつくした宮直先輩は悪びれた様子もなく、しらじらしく舌を出した。
一方の大山は豚熊猪鬼へと挑みかかっていた。
その豚熊猪鬼にボンクラが百合葉剣で切りかかるが、岩のように硬く、ゴムのような弾力を持った腹の脂肪に跳ね返されていた。
大山もその腹へと星殴棒を横なぎの打撃。ボンクラの振るった百合葉剣と違い、トゲのついた円鎚は豚熊猪鬼の固い腹を破砕。豚熊猪鬼は苦悶の表情を浮かべて後ずさった。続けて、大山は顔面へ強烈な一撃を見舞い、強靱な牙を折る。もはや棒立ちになった豚熊猪鬼へ痛烈な連撃を繰り出す。
目の前の敵にあるだけ全部の憎悪をぶつけていた大山は、犬狗猪鬼が横合いから迫っていることに気づいてない。犬狗猪鬼は星殴棒を振りあげた隙に無防備になった大山の横腹に噛みついた。鎖防護服を着ていなければ肉までえぐり取られていただろう。
不意を打たれた大山は星殴棒を振り回し、犬狗猪鬼を払いのけて憎悪を込めてにらみつける。しかし犬狗猪鬼は怯みもしない。一方、大山に殴られ続けて傷だらけの豚熊猪鬼はよろめきながらも太い足を踏ん張って、岩のごとき拳で殴りかかった。
星殴棒の柄で防ごうとした大山だったが、横から犬狗猪鬼が噛みついてきて、引きずり倒された。
そのとき、
「どっせい!」
気合と怒りが混じりあった言葉を叫びながら、重戦車のような体躯のトドビーバーが大山をかばうように立ちはだかり、豚熊猪鬼の振りおろした拳をトドビーバーが戦打切斧の柄尻で返す。大山は犬狗猪鬼の腹を蹴って立ちあがり、星殴棒を犬顔へと振りおろす。犬狗猪鬼は体ごと倒れ、〔魔力〕を噴出。
「余計なお世話よ」
「じゃかしい。あたいは余計なことが大好きなんじゃい!」
図太い声でトドビーバーが言うと大山はくすっと笑って、豚熊猪鬼の砕けた腹に強烈な蹴りを放つ。よろめく豚熊猪鬼の顔めがけてトドビーバーが、胸めがけて大山がそれぞれが強烈な一撃を放つ。豚熊猪鬼は大地へと倒れ、〔魔力〕を噴き出した。
そこまではチームメイトたちを見る余裕があった俺だったが、空から飛蝶蝗蠅が襲来して、そんなことはしていられなくなった。
飛蝶蝗蠅は俺の近くを飛び回り、そして跳び回り、すれ違いざまにカマイタチのようなものを発生させ、俺のスラックスを切り、肌に切り傷を負わせてきた。切り傷よりもスラックスが破れるほうが生活費の少ない俺は大ダメージだった。
俺は剣囲盾を振り回して飛蝶蝗蠅を叩き落とそうとするのだが、拳大程度の飛蝶蝗蠅を剣先で斬ることはできず、盾で叩いても、大した破壊力はないため、ほとんど効果がない。
だからちっとも数が減らない。
脱いだ制服を広げ、後野さんと音乗の上に被せたことが功を奏したのか、飛蝶蝗蠅は動き回る俺ばかりを狙ってきていた。ふたりに危害が加わらないのは幸運だが、このままでは俺がやられてしまう。
必死に剣囲盾を振り回していると犬狗猪鬼と戦っていた八咲が猪槍牙剣を乱暴に振り回しながらこっちへと向かってきた。
「なに、やってんだよ!」
「どうにもこうにも武器の相性が悪すぎてな、一匹も落とせない」
助けに来てくれた八咲も猪槍牙剣では飛蝶蝗蠅を斬ることはおろか当てることすらできず、苦戦していた。
「ちょこまかと、うっとうしい!」
イラついた八咲は吼え、でたらめに猪槍牙剣を振るっている。あんなことをしていたらそのうち、疲れてやられてしまう。
俺は剣囲盾で飛蝶蝗蠅を追い払いつつも、周囲を確認し、なにか使えるものがないか探した。
ふと今見の姿に目が止まる。今見は武器をどこかに落としたのか、それとも捨てたのか、どちらにしろなにも持たずに逃げ回っている。
今見は必死に逃げ回りながら、スマホを取り出し、なにかをしようとしていたが、〔異界生物〕の攻撃を避けたはずみにそれを落とす。
しかも豚熊猪鬼に踏まれて一瞬にして壊れた。
スマホを壊した豚熊猪鬼はそのまま、今見へと鋭い爪を振りおろした。
やられる! と思ったとき、何人かの上級生が助けに入り、かろうじて今見を救い出した。
「大丈夫か? 武器がないならさがってろ!」
今見を救った上級生のひとりが叫ぶも、今見は腰を抜かしたのか、その場に座り込んでいた。
俺はさらに周囲を見回し、そして見つけた。
「八咲、少しだけここを離れる!」
どこ行く気だよ、という八咲の声を無視して俺は剣囲盾の剣身を八咲の背後を守るように突き立て、全力で走った。そんな俺に飛蝶蝗蠅の幾匹かが追従、襲いかかってきた。
構わず俺は走り、今見が落とした片手半剣を拾い上げる。
この剣よりもはるかに重い剣囲盾を持ち慣れている俺はいとも簡単にそれを拾い上げる。
両手で片手半剣を持った俺は標的も定めずに思いっきり回転切りを放つ。切っ先は空を切った。けれどそれでいい。
回転切りによって空気とそのなかをただよう〔魔力〕がかき乱れる。
その結果、空気中の〔魔力〕を操り運動エネルギーを調節して飛行していた飛蝶蝗蠅は思うように飛べなくなった。なかにはきりもみに回転して地面にぶつかったやつもいる。俺は倒れたそいつらを無視して八咲たちのもとへと戻る。
そしてまたその片手半剣を大きく振り回して風を起こし、飛蝶蝗蠅たちのバランスをくずしていく。バランスをくずした飛蝶蝗蠅を俺と八咲が一匹一匹、叩き潰す。叩き潰された飛蝶蝗蠅は緑の血を飛散させ、〔魔力〕を噴出し、絶命。
「待たせたな」
そう言ってようやく薬袋先生が〔扉〕から姿を現す。ほかの教師も一緒だ。
実習の終わりはばらばらなため教師たちが最後に〔異界〕を見回る。そのせいで連絡が遅れ、こっちに戻ってくるのが遅くなったのだ。
薬袋先生ほか教師らが各々の武器を取り出し、慣れた手つきで〔異界生物〕たちの討伐にあたると俺たちが苦戦していたのが嘘のように駆逐殲滅していく。
俺は先生たちの手さばきに少しだけ嫉妬した。
10
グランドの〔異界生物〕を掃討した薬袋先生は全員が生存していることを確認後、ケガ人を保健室に向かわせるなど対応していた。
比較的外傷の少ない生徒はそのまま帰宅となった。
――が、俺はそのまま帰宅とはならなかった。
音乗の家を知っている生徒が俺しかいないため、俺が気絶した音乗を家へと送ることになった。
ちなみに眠ったままの後野さんは宮直先輩が送るらしい。
ということで俺は音乗を背負い、夕日が沈む街中を歩いていた。
音乗の家までは繁華街を通ると時間がかかるため、俺は途中から道をそれ、路地裏に入った。
路地裏に入ると中華料理店のゴミ捨て場や裏玄関に溜まっている生ゴミなど、都市生活の裏側を見ているようで意外と面白い。
俺はそのまま路地裏をぐんぐん進み、途中で迷ったことに気づく。なにせ、ここらへんはなじみがなく、音乗の家にも一回しか行ってない。
そんな俺が近道だからと言ってうろ覚えの道を行くべきではなかったと後悔。
T字路の左右どちらに進めばよいかわからず、俺は自分の直感を頼りに左に進む。
たどり着いた先は行き止まりだった。
けれど落胆するよりも前に、眼前に広がる光景に俺は絶句していた。
そこにはかつて俺を狙った黒服たちの死体が転がっていた。
少しだけ唖然としていた俺はすぐに気を引き締め、周囲を警戒する。そして誰かが隠れていないか物陰を確認していく。音乗を背負ったまま、誰かに出くわしたら、逃げ切れる自信はないからだ。
そのとき、死体のひとつが動いた。壁にもたれた男はまだ生きていた。
俺は音乗を背負ったまま、駆け寄りしゃがみ込むと、大丈夫か、と尋ねる。
「その声……櫂徹夜か……」
その声に聞き覚えがあった。俺を襲い、そして俺がキン蹴りしたリーダー格の男だ。
「なにがあった?」
俺が問いかけると、男は少しためらいを見せたものの、開き直ったのか、それとも最期に俺に伝えておこうと思ったのか口を開いた。
「〔異界生物〕だ。お前たちを見張るため学校の周囲に部下たちを展開していたら、いきなり襲われた」
「グランドにいた〔異界生物〕たちはもしかしてあんたたちを狙って……」
「そうだろうな。やつらはなぜか我らの部隊を見つけたとたん、襲いかかってきた。ほとんどのものはその場でやられ退避しようとした我々もここで……」
「あいつら、確かに数は多かったけど、そんなには強くはなかっただろ?」
「いや、〔異界生物〕には人間に変身できるやつもいた。そいつが……お前も気をつけろ」
「ご忠告どうも。けど俺に取っちゃ、あんたたちのほうが怖い。あんたたちは何者だ?」
「答えると思うか?」
「環境省に送りこまれたってことは、わかっているんだ」
「フン、三分の一正解というところだな」
ニヤッと笑ってそう呟くと、男は首をたれた。
「おい、しっかりしろ!」
俺は男を抱き起こして揺さぶった。
既に事切れていた男の首はぐらぐらと揺れ、唇の端から血がこぼれ落ちた。背中に当てた手のひらに、なにやら硬いものが当たる。
抜き取ってみるとそれは俺たちを襲ったときに使った銃だった。
もしかして〔異界生物〕が襲ったのはこいつらがこの銃を持っていたからだろうか。
俺はその銃をかばんにしまって、T字路に戻った。今度は反対側へと進み、広い道路に出て、音乗の家を見つける。
決意して俺は音乗の家のチャイムを押した。
廊下を走る音がして、扉が開き、旋律さんが現れる。
「キミか……学校から連絡は受けてるよ。かるめるを届けてくれてありがとう」
旋律さんにうながされて俺は音乗を二階の部屋に連れて行き、ベッドに寝かせた。
俺はかばんに入った銃を取り出して言った。
「お話があります」
旋律さんは銃を見て、表情を一変させ、
「なぜ、それを……?」
うめくように言った。
「知ってるんですね?」
俺の問いかけに旋律さんは「場所を変えようか」とだけ呟いた。
旋律さんにうながされ、俺は旋律さんの部屋へと移動する。
初めてここに来たときのように俺がデスクの前に、旋律さんが積ん読の本の上に腰をすえる。
さて、と最初に声を出したのは旋律さん。
「それをどこで?」
俺が持つ銃を指さし、尋ねる。
俺は今日の実習後に起こった〔異界生物〕の襲来、そしてここに来る途中、〔異界生物〕に殺された男と出くわしたことを話した。
「なるほど、そういう経緯があったのか。この銃をよく持ち帰ってくれた」
と旋律さんは俺をほめた。
俺の頭に疑問符が浮かぶ。
「ああ、混乱させてすまない。これでやつらの悪事があばけると思ってね」
「悪事って……旋律さんは環境省の人間ではないのですか?」
俺がそう言うと旋律さんは「表向きはね」とふふっと笑った。
「ボクは環境省に潜りこんだ政府の監査員なんだ」
「監査員ですか……」
「ああ、環境省は防衛省、そしてIMAMIと協力して秘密裏に兵器開発を行っているという情報があってね」
「じゃあ、この銃が……それってことですか……。でも兵器開発って別に違法じゃないでしょう?」
「それが〔異界〕で使うものではないとしたら?」
旋律さんの言葉に俺は絶句した。
「防衛省は環境省から〔異界〕の鉱石を支給してもらい、IMAMIに資金提供して対人用兵器を作っていたんだ」
情報だけ手に入れていても証拠がつかめなきゃどうしようもなかったけど、これで阻止できる、と安堵したように旋律さんは呟く。
「この銃はね、〔反魔金属〕を使って作られている。〔反魔金属〕の特性はわかる?」
「いや……」
俺が返答するのにつまると、
「〔反魔金属〕は運動エネルギーを加えると〔魔力〕を拡散させるといわれているんだ」
そう言われて俺は気づく。
「だから銃弾がまっすぐ飛んだのか」
〔魔力〕は一定量以上の運動エネルギーに干渉する。それを拡散してしまえば、銃弾は本来の運動エネルギーに従って飛ぶ。
「ああ。その銃弾は〔反魔金属〕でできているんだろう。そしてこの銃は、その銃弾を飛ばす専用の銃ってことかな。恐ろしいものを作り出したものだね」
「でもだとしたらなんで俺やセンパイを襲ったりしたんですか?」
「センパイというのは大山躑躅さんでいいのかい?」
俺が頷くと、なら理由は簡単だ。と旋律さんは言い、さらにこう続けた。
「まず環境省はキミのおじいさんと躑躅さんの両親からあるものを手に入れようと躍起になっていたことは知っているね」
「……というか俺の祖父が面舵大全だってバレてるんですね」
「そのくらいのことは常識じゃないかな? とはいえボクもキミが環境省に襲われるまでは正直、ノーマークだったけどね」
「なんで俺が襲われたこと知ってるんですか?」
俺がにらみつけると、
「おや、甘利さんから聞いてないんですか。甘利さんも監視役のひとりですよ」
旋律さんは優しく微笑んだまま、さらりと言ってのけた。
「じゃあ、俺の円満学校ライフは筒抜けってことですか」
ま、そうだね。旋律さんはもう一度、俺に微笑みかけ、
「躑躅さんの両親は、キミの祖父から〔反魔金属〕を受け取っていた。そしてキミの祖父は〔異界王〕の欠片を持っていた。けれどどちらも死後に行方知れずになっている。そんななか、大全の孫であるキミと大山夫妻の娘、そのふたりが接触したら、なにかあると考えるのが普通だろう」
「でも、俺たちの間になにもないことは調べればわかるはずです」
「いや、もしかしたらキミの気づいてないところで、なにか重要な事件が起こったんじゃないか?」
「なにか重要な事件……?」
俺は思い出した。重大な事件といえばあのときしかない。
後野さんの暴発した〔魔法〕が音乗に向かっていったとき、俺は身を挺して〔魔法〕から音乗を守った。あれだけの目に遭いながら無傷で助かったのは〔異界王〕の欠片の効果に違いない。
それをそのまま旋律さんに伝えると、
「それって、今見くんが目撃しているかい? もしそれを今見くんが見ていたのなら、それを父親に喋った可能性がある」
「なんで今身が関係し……」
そこで俺は気づく。今見はIMAMIの御曹司だ。だから今見が父親に話すことは十分にありえた。そして今見の父親がそのことを知れば……今見の父親は〔異界王〕の欠片が力を発現したと考えるかもしれない。
「たぶん、環境省が襲った理由はそういうことだ。でももうひとつ、わからないことがある。なぜ〔異界生物〕は環境省の秘密組織を襲ったんだろう?」
「それは俺には……なんとも……」
そりゃそうだね、と旋律さんは納得し、それから笑顔を引っ込めて、真剣な表情になる。
「で率直に聞くよ。キミは大全さんから欠片を受け取ったのかい?」
この人なら信用できる、素直にそう思った。だから言おうと思ったが、ふと祖父の遺言が頭を過ぎり、言うのをためらう。
それでも俺は頷いた。すまん、じいちゃん。
俺はワイシャツのボタンを取り、胸を、〔異界王〕の欠片を見せた。
旋律さんはそれを見て絶句していた。
「それはキミに寄生しているのかい?」
俺は首肯する。
「旋律さん、これをはずす方法ってわかりますか?」
「ごめん。わからない。調べたら、もしかしたらわかるかもしれないけど、成分を調べるためにはどうしても欠片を取りはずす必要がある」
「そうですか……」
俺は少し落胆した。
「けど、ボクはキミに協力しよう。キミはボクにこの銃を持ってきてくれた。だから恩返しというわけではないが協力しあっていこう」
なにかわかれば連絡するよ、旋律さんはそう言った。
わかりました、俺は頷くと音乗の家を出た。
進展はあった。
環境省は防衛省、そしてIMAMIと結託して〔反魔金属〕を対人用、つまりは軍事兵器として使おうとしていた。
それを知った俺の祖父は自分が手に入れた〔異界王〕の欠片も軍事利用されるだろうと推測して隠蔽した。
だから遺言にも環境省には気をつけろと書いてあったのだ。
いろいろありすぎて頭が整理できない。
けれど、俺が〔異界王〕の欠片を持っているように、おそらくセンパイは〔反魔金属〕を持っている。なんとなくだが、そんな確信があった。