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彼女は湯かき棒を背負う

1

 突然だが、湯かき棒をご存知だろうか。

 湯かき棒というのは六十センチメートルぐらいの長い柄にレンコンみたいな円盤をくっつけた、水色のプラスチック製品だ。

 名の通り、風呂の湯をかき、熱湯をぬるま湯に変貌させるすぐれものだ。

 百均のTHE・風呂コーナーにおいてあったりなかったり、沖縄には売ってなかったりとなかなかお目にかかれないため、見つけたら迷わず買っていただきたい。

 さてなぜ、俺がそんな話をいきなりし始めたかといえば理由がある。

 高校へ初登校の日、俺の目の前に湯かき棒を背負った女子が歩いていたからだ。

 重要だからもう一度言っておこう。

 俺の目の前に湯かき棒を背負った女子が歩いていた。

 なぜ湯かき棒を背負っているかは知らない。知ったこっちゃあない。

 ただ、俺が唯一わかるのはその女子が同じ学校のセンパイだということだけだ。

 センパイは紺色のブレザーに緑の帯リボン、赤と黒のチェックのスカートという制服にスレンダーなその身を包んでいた。

 俺が通う弓形(ゆみなり)高校は一年生が赤、二年生が緑、三年生が青と、帯リボンとネクタイの色が決まっているため、目の前を歩くセンパイが何年生かという判別は簡単だった。

 にしても、なぜに湯かき棒なのか。そしてなぜ背負っているのか。

 気になった俺はセンパイに視線を注ぐ。見ればほかのやつらもセンパイを、というか湯かき棒を凝視していた。

 けれどセンパイはそんな視線に慣れているのか、それとも気づいていないのか、見向きもせずに学校へと歩いていく。

 俺がセンパイの横に並んだとき、センパイの赤みがかったショートヘアが風にたなびき、泣きぼくろが見えた。それが少しだけ印象的で、胸がちくりと痛んだ。

 それが一目ぼれなのかどうか、経験のない俺にはわからなかった。


2


 それから三日経った。けれどあの日以来、俺はセンパイに一度も出会っていない。

 夢か幻か、はたまた錯覚か、どれも似たようなものだが俺がセンパイに出会うことはなかったのだ。とはいえ、それほどまでに会いたいのかと問われれば、正直なんて答えればいいのかわからない。

 それでも妙に気になったのは確かなのだ。

 ――そんなこともあり、俺はプラスチックの弁当箱に入ったオニギリをむさぼりながら、向かい合ってメシを食う友人、凡田(ぼんた)鞍馬(くらま)に話しかけていた。

「なあ、ボンクラ。湯かき棒を持ったセンパイって知ってるか?」

 凡田鞍馬ことボンクラはボサボサ頭をかきながらコンビニのサンドイッチを食べていたが、俺の言葉に驚いて手を止める。

「オール、まさか知らないの?」

 ちなみにオールというのはボンクラが俺につけた迷惑ここに極まれりなニックネームだ。そして仕返しと言わんばかりに俺はボンクラというニックネームをさずけてやった。もっともボンクラが自分のニックネームを喜んだのは予想外だったが。

「知ってるのか? 俺は入学式の翌日、見かけただけだぞ」

 オニギリを食べ終わった俺はコンビニ売りのコロッケを食べ始めた。朝に買って弁当箱のなかに入れっぱなしだったので熱がこもって外側の衣がふやけていたが、かじるとサクサクの衣はやや健在で、ホクホクでアツアツのジャガイモが口のなかでクリームのようにとろけた。

「知ってるもなにも結構有名な人だよ。湯かき棒を持っているって印象のほうが強いけど」

「でなんでその人が湯かき棒を持ってるか、知ってるか?」

「そんなのぼくが知るわけないさ」

「ごもっとも」

「でも気になるんだったら訊いてみたら?」

「本人に、か?」

 直接訊くのはなんだか失礼な気がした。そもそも俺はセンパイの教室すら知らないのだ。それに残り少ない昼休憩を消費して上級生の教室を闊歩するのには抵抗がある、などとしぶってみる。

「いや本人じゃなくても妹なら事情を知ってるんじゃないの?」

「妹?」

「うん、あそこの席の大山(おおやま)紅葉(もみじ)さん」

 ボンクラはサンドイッチを頬張りながら、指をさした。

 俺は振り向いてボンクラが指すほうを見る。机をはさんで右上の席、そこにはこぢんまりとした弁当箱から卵焼きをつまみ、小さな口を申し訳程度に開いて食べる女子がいた。彼女が大山紅葉らしい。

 大山は指さされたことに気づいたのか、俺と視線が合う。

 確かに大山は俺が見かけたセンパイに似ていた。

 というかなぜ今まで気づかなかったのかと自分のマヌケさに嘆息してしまう。

 それほどまでに大山はセンパイに似ていた。けど俺がわからなかったのも無理はないと言い訳っぽく主張しておく。輪郭や目元なんかはセンパイにそっくりだが、髪型が違うのだ。センパイと同じく少し赤みがかった髪色をしているものの大山の髪は長い。

 さらに違いを言うのならば、ふらちな話だが胸だ。胸が違う。センパイはスレンダーな体型だったが、大山の胸は大きくグラマラスな体型だ。こんな小都市ではなく、東京とかならグラビアモデルとかの誘いが来るだろう。俺がスカウトマンなら絶対するね。

 合った視線をそらし、ボンクラのほうへと向き直る。

「あれ、訊かないの?」

「どちらにしろ、失礼な気がしてな」

 言って、コロッケをかじる俺の耳もとに「お姉ちゃんがなんで湯かき棒を持っているかなんてあたしも知らないから」と声が届いた。

 再度振り向いてみると大山はお弁当を食べる手を止めて、俺たちのほうを見ていた。

 なぜ訊きたいことがわかったのかと思う俺の口から「なんで?」と自然に言葉がこぼれた。すると大山はするりとこう言った。

「この距離で聞こえないほうがおかしい」

 ごもっとも、と俺は納得する。対して、大山は少し不機嫌なように見えた。

 もしかしたらセンパイと姉妹だと気づいた何人もの人が湯かき棒について尋ねてきてうんざりしているのかもしれない。

 ありがとう、と俺はお礼を言って、再びボンクラのほうへと向き直ってコロッケを腹に詰め込んだ。満腹感が俺の腹を満たす。コンビニのコロッケはやっぱり神だ。

「午後からはチーム分けだったよね」

「その前に一個授業をはさむがな」

「それはそうだけど、それを言うのはヤボでしょ」ボンクラはぼやいたあと、こう続けた。「それでさ、ぼくはあえてオールとは違うチームを選ぶから」

「うん、全然いいぞ。勝手にしろ」

 俺が即答するとボンクラはこけるようなモーションを取って、

「ちょ……ちょっとはさびしいとか言ってよ」

 そんなリアクションに呆れつつ、

「つってもそんなに長いつき合いでもないよな、俺たち」

 俺は出会って四日目の友人に軽口を叩いてやった。


3


「二〇一三年、世界は激変しました」

 ごく当たり前の知識を社会科教師は口に出すことでその事実を俺たちに再度認識させる。

 俺はまどろむような眠気が蔓延する教室のなか、黒板に書かれた内容を必死にノートに書き写して意識を保っていた。眠らせろコノヤローと本能が訴え、ふざけるな寝るんじゃねぇ、と理性が否定する。昼ごはんを食べた直後の昼下がり、春のポカポカした陽射しに照らされ、熱気がこもった教室で寝るなというのには無理がある。春眠って言葉もあるし。

 それでも俺は必死で耐えていた。授業を真面目に受けようという使命感からだ。

 そんな俺の耳もとに寝息が聞こえてくる。

 後ろの席に座っているボンクラの寝息だ。それが寝てしまえというような悪魔のささやきに聞こえる。けれど俺は必死こいてノートに文字を書き込み、本能と悪魔のささやきに抵抗した。白旗を振るわけにはいかない。

 二〇一三年、世界は激変した。

 世界各地に突如現れた〔(ゲート)〕。それに伴って環境汚染が進んだ。

 そして見たこともない怪物が現れる。その怪物、通称〔異界生物(シャドー)〕は影のように黒くなってすぐに消滅してしまったが、それでも当時の〔(ゲート)〕を調査した政府によって〔(ゲート)〕はもうひとつの世界――現在では〔異界(シェオール)〕と呼ぶようになった――とつながっていることが判明した。

 そして〔(ゲート)〕が出現してから一ヶ月後、〔(ゲート)〕の向こうから現れた〔異界王(ソドム)〕を名乗る何者かが「この世界を征服する」と宣誓した。

 先んじて出兵した自衛隊、諸外国の軍隊は全滅しており、人々は〔異界王(ソドム)〕の出現に恐怖した。挙句、〔異界王(ソドム)〕の出現に合わせて攻撃を開始した某国の最新鋭戦闘機部隊も、いともたやすく撃破され、手も足も出なかったことがその恐怖に拍車をかけた。

 誰もが世界の破滅、崩壊を覚悟したが、〔異界王(ソドム)〕はその後、なぜか再び〔(ゲート)〕へと潜り、〔異界(シェオール)〕へと帰っていた。しかしその代わりに、その日を境に地球の環境汚染が急激に進むことになった。

 政府の見解によればどうやら地球の大気や土壌は〔異界王(ソドム)〕の体質に合わないらしく、〔異界王(ソドム)〕は地球を自分の体質に合うものに変えてから征服しようとしているということらしかった。真相はよくわからない。なぜなら自衛隊の出兵に合わせ、〔異界(シェオール)〕の調査におもむいた研究団体は全滅したからだ。

 データの絶対数が足りないとかなんとか、そこらへんはやっぱり俺にもよくわかっていない。

 そして事態を重く見た世界各国は|国際環境維持機構《Organization of International Environment Keeping》、通称OIEKを設立した。と同時にそれに加盟した日本は環境省地球環境局に異界(シェオール)汚染対策課を創設。

 さらに近年の研究により、世界をむしばむ環境汚染は〔魔力(エーテル)〕と呼ばれるこの世には存在しない力によるものと判明する。

 〔魔力(エーテル)〕汚染が進むと年寄りほど偏頭痛や嘔吐に悩まされるようになった。けれど若者にその症状はあまり起こらず環境省は適応力や抵抗力の違いだと判断する。

 そのため、環境省は〔異界(シェオール)〕の調査をする人材〔潜者(ダイバー)〕を育成するために文部科学省と提携して〔異界専門学科(ダイビングコース)〕のみを持つ高校を設立した。

 俺が通う弓形高校もそのひとつだ。

 つまり俺は〔潜者(ダイバー)〕としての教育を受けるためにこの高校に通っていた。もちろんこの学校に通っている間は見習い扱いなのは言うまでもない。

「現在――二〇二五年は〔魔力(エーテル)〕汚染が一時的に止まり、停滞期と呼ばれていますが、いつまた感染が再発するのかわからないのが現状です。この停滞期を迎えたきっかけは、二年前、面舵(おもかじ)大全(たいぜん)という人物が〔異界王(ソドム)〕に攻撃を加え、偶然にもダメージを与えられることができたことに起因します。そのときの戦闘で〔魔力(エーテル)〕がこちらにあふれ、環境汚染はかなり進みました。しかし、その結果、〔異界王(ソドム)〕が人類を警戒するようになり、停滞期へと移行することができました。面舵大全のせいで環境汚染が進んだと責める人間もいますが、結果的に〔異界王(ソドム)〕の侵略を食いとめたことで彼を英雄視する人がほとんどです」

 社会科教師が教科書に記載された内容を自分なりの言葉で饒舌に語り出した頃には眠りを誘う睡魔の猛攻もピークを迎えていた。

「さて、〔異界王(ソドム)〕に対して有名な兵器がなかったというのは第一次異界探査時に判明していますが、なぜ、大全氏はダメージを与えることができたのでしょうか。それには、〔反魔金属(オハロフ)〕と呼ばれる鉱石がからんでいると言われています。ちなみに〔反魔金属(オハロフ)〕は現状では八個しか見つかっていないため、〔異界王(ソドム)〕に抵抗しうる手段としてOIEKにひとつとG7に加盟する七国にひとつずつ管理されています。その〔反魔金属(オハロフ)〕を入手したのが大全氏に同行した大山蘇鉄(そてつ)氏、その妻の(しの)氏とその息子、紫苑(しおん)氏です」

 その社会科教師の言葉に大山が顔を伏せた……ような気がした。真面目そうな大山も眠いのだろうか。

 俺は眠いよ。とてつもなく。俺の理性が睡魔に白旗を振りやがった。

 すまん寝る、と誰に言うこともなく開き直った俺が半開きのまぶたを閉じて、机に屈しようとした瞬間、終業のチャイムが鳴る。

 そそくさと社会科教師が去る頃には教室にただよっていた睡魔の集団はフェードアウトしていた。明日の退屈な時間までフェードインすることないだろう。

 俺は緊張が解けてあくびをしてしまう。同時に立ちあがって、背筋を伸ばして緊張をさらにほぐす。

「オール、授業中は寝ちゃダメなんだよ」

 すると眠たさ全開でうつろな目をしたボンクラの言葉が俺の耳に入ってきた。正直、殺意が芽生えた。お前に言われたかねぇよ。

「行くぞ!」

 怒りを露わにして俺はボンクラの袖を引っ張り、講堂へと向かう人の波に入り込んだ。

 そうして俺たちは人波に流されるまま、廊下を歩き、ものの数分で、講堂へとたどり着く。

 そこには赤、緑、青、様々な帯リボンやネクタイをしめた男女――〔異界専門学科(ダイビングコース)〕三学年二クラス合わせて総勢百十二名が所せましとひしめきあっていた。もっとも今日誰も欠席してなかったらの話だが。

「ほら、並べ並べ!」

 学年主任兼異界(シェオール)実習担当の女教師、薬袋(みない)甘利(あまり)先生の声が飛ぶ。

 猫耳のようにとがった髪型はわざとなのか確認したいところだが、残念なことに俺にそんな勇気はない。先日、「先生の髪型は……」と質問しようとした物好きな男子が薬袋先生の鉄拳で吹っ飛ばされたさまを見てしまったからだ。

 それ以降、薬袋先生のご機嫌を損ねる=死亡フラグという法則ができあがり、一年にまたたく間に広がった。

 だからだろう、薬袋先生の言葉に従い、一年全員がすぐに整列する。

 いや一年だけではない、二年や三年も、すぐにその言葉に従った。ご機嫌を損ねる=死亡フラグという法則はもしかしたら学校全体にもとから存在しているものなのかもしれない。

「それじゃあこれからお前ら全員で十八のチームを作ってもらう。何人で組めばいいかわかるな?」

「九人であります」と前列の男が敬礼した。その男は薬袋先生に質問しようとして殴られた物好きな男子だった。

「そう、その通り。今日は欠席者がいないから、あまりなく作れるはずだ。取りかかれ!」

 薬袋先生の声に合わせて全員が列をくずす。

 だが、俺は動かなかった。そんなに慌ててどうする、ってひとりクールぶってみたかったからだ――というのは冗談で。

 俺は動き回りながらセンパイを探すよりも立ち止まって周囲を見回したほうがいいと判断したのだ。

 その判断が吉と出て、すぐにセンパイを見つける。こんなときにも湯かき棒を背負っているから見つけやすかった。

 センパイの周囲には二年生がひとり、と一年生がふたり――うちひとりは妹の大山だ。

 女子ばっかりで組もうとしているのかもしれない。そんな推測を立てつつ、なんとなく俺はセンパイに近づいてみる。

 どうしてか、急激に胸の奥が痛んだ。少し胸を押さえてうずくまる。どうにも止まりそうもない。センパイが首を左右に振ってなにかを探しているのが一瞬だけ視界に入った。

「どうしたの、お姉ちゃん?」「なに、探してるんすか?」と大山やかたわらにいた二年生の声が飛ぶ。

 あまりにも胸が痛むので俺は少し後ろにさがって、そのままその場を去り、講堂の隅へと逃げた。

 その頃には胸の痛みは治まる。目をつむり、胸の鼓動だけに耳をすますと、ドクンドクンと正常にリズムを刻んでいた。

 あれはなんだったのか、よくわからない。

「さて、どうしたもんか……」

 俺はひとり呟く。

 少し困った。なにせ俺の現在の友人はたったひとり。ボンクラのみだ。

 そのたったひとりの友人は昼休憩にこう言っていた。

 あえて俺と違うチームを選ぶ、と。

 そのときは別にいいぜ的な感じであしらったが今考えれば正直、ボンクラの発言の意味がわからない。今来た人でも理解できるように三行で説明してほしい。

 けれどなんであれ、ボンクラはおそらく有言実行するだろう。現に今も「ぼくとチームを組まない? れっつはーれむだよ!」と笑顔で女子に話しかけている。顔だけ見たらカワイイ系の男子に分類されるボンクラだが、その女子には断られていた。

 当然だと思う。ハーレムを作ると公言するバカがどこにいるんだよ。そういえばボンクラが俺に話しかけてきたのも、俺が中性的な顔立ちをしていて男にも女にも見えるからだった。「あっ、それって男装してるわけじゃないんだね」とかあっさり言ってきやがったな、そういえば。今思い出しても腹が立つ。悪気はないとしてもな。

 閑話休題。

 なんにしろ、ボンクラが入ったチームに入るという作戦は使えそうになかった。

 さて、どうしたもんか……。

 とはいえ俺はあまり深刻に考えてなかった。そのうち、誰かが誘ってくれるだろという受け身で俺は講堂の隅をぶらつく。

 すると「ひぃ」とか「キャア」とか悲鳴があがっていることに気づいた。気になって近づいてみると「ご、ごめんなさい!」と悲鳴をあげて男子がこちらに逃げてきた。女子も「勘弁して」とか腰を抜かして大げさに泣いていた。

 俺はそんなやつらの間をぬって前に進む。すると開いた空間の真ん中にひとりの女子がいた。赤い帯リボンだから同学年だろう。

 その女子は俺を見つけ、こちらを向いた。俺は思わず「ひぃ!」と声を出しそうになった。出してはいない。一目見た瞬間、絶句した。顔は引きつって強ばり、マジビビりましたという表情を形づくっているに違いない。

 俺をビビらせたその女子はとても長い髪をしていた。透き通った黒髪で、後ろ髪は膝下まであった。ずいぶんと長いがまるで日本人形のように美しくて綺麗だ。

 けれどそれよりもなによりもその女子を印象づけているのは、目だ。

 その女子はまるでその目でにらみつければ人を射殺せるんではなかろうかと思うほど鋭い目つきをしていた。目元にくまがあることでそれがより一層、際立っている。

 なるほど、誰もが恐怖するだろう。

「なあ、お前」

 その女子は男っぽい声で俺を呼んだ。

「な、なんだ……?」

 未だ恐怖を引きずったままの俺は少し上ずった声で訊き返す。もしかしたら暴力を振るわれるんではなかろうか、そんなことを考えてしまっていた俺にその女子は予想外のことを言った。

「オレとチームを組まないか?」

 その女子は自分のことをオレと呼んでいた。それに触れるべきか触れないべきか一瞬考えたが、触れないことにした。もし逆鱗に触れたら間違いなく殺される。そんな気がした。

「ダメか?」

 なにも反応を示さなかった俺をにらみつけるようにその女子が見つめる。

 少しビビった俺はその女子の目尻に少しだけ涙が溜まっていることに気づいた。

 俺は思わず納得した。おそらくこの女子は目つきが悪いことを自覚している。それでもチームになんとか入りたくて、いやがられるのを覚悟の上で声をかけていたのだろう。

 そう考えると逃げたやつら……ひどいな。逃げることはないだろ。もっとも俺も他人のことを言えたもんじゃないが。

「なあ、ダメか?」

 俺が逃げ出さないと気づいた女子はもう一度俺に懇願する。

 目つきは相変わらず悪いものの、その瞳孔の奥には、少し優しさが見えたような気がした。俺の思い込みでも構わない。

「ああ、いいぜ。俺もどうやってチームメイトを作ろうか迷っていたところだ」

 俺は精一杯の笑顔で返答した。まだどこかにこの女子に対する恐怖心があるのか、多少ぎこちない笑みだった。

「マジかよ。ありがとう、ありがとう」

 それでもその女子はニコリと笑いながら俺の手をにぎりしめ何度も上下に動かした。

「落ち着け、って!」

 俺が落ち着かせようとするとその女子は自分のあまりのはしゃぎぶりに気づいたのか、顔を赤らめて手を離した。

「すまん。取り乱した。かなりの人数に話しかけたのに全員に逃げられたから、嬉しくてつい……」

 どれだけの人数に話しかけたんだよ、と尋ねそうになったが彼女が傷つくのではないかと考えて、言うのをやめた。

「俺は(かい)徹夜(てつや)。よろしくな」

「こっちこそ、オレは八咲(やつざき)凛子(りんこ)。よろしくな」

 八咲というらしい彼女が右手を差し出したので俺は左手を差し出し、ふたりでがっちりと握手する。とても柔らかく温かい手だった。

「なあ、失礼を承知で訊くが女……だよな? 女装してるとかじゃないよな?」

「女だよ。悪かったな、胸がなくて」

 八咲はにぎりしめた俺の左手を強くにぎりなおし、にらみつけてきた。痛さと怖さが同時に襲ってくる見事なコラボレーション。全然嬉しくない!

「そこまでは……言ってない……けどごめんなさい。そして痛い! 離してくれ、頼むから!」

 なぜだか謝った俺に満足したのか八咲はにぎった手を放した。尋常じゃない握力で俺の左手が破壊されそうだった。

 痛みを和らげるように左手を振りつつ、「さて、あと七人だな」と呟いた。

「オレとチーム組んだ時点で残り物と組まされそうだけどな」

「そう悲観的になるなよ、なんとかなるもんだって」

 少し悲しい表情で呟いた八咲に、楽観視している俺はあくまで前向きな一言を告げる。

 そしてふたりして講堂をうろちょろし始めた。しかしながら俺の後ろに続く八咲を見て、俺を誘おうかどうか迷っていた人たちは逃げ出していく。

「やっぱ、残り物だよ、オレら」

 今にも泣き出しそうな表情で呟いた八咲は講堂の壁に背を預け座り込んでしまった。俺も八咲の隣に座る。

「ま、福もありそうだし。それはそれでいいんじゃないの?」

 やはり俺は楽観的だった。いやはげましたつもりですよ、これ。

「あるのは余り物だろ。残り物にはないだろ」

 今にも消えそうな声で八咲がぼやいた。

「どっちも一緒だろ」

 俺が思わずそう呟いたときだった。俺の胸が痛み出した。ドクンドクンと波打つ鼓動が、ズキンズキンとうずき出したのだ。この痛みは……!

「やっと見つけたわ!」

 俺が軽く胸を押さえながら、見上げるとそこには案の定、センパイがいた。名前は未だに知らない。

 見つけた、ということは俺を探していたのだろうか? けどそれはなんでだ?

「なにか用ですか?」

 胸の高鳴りを隠すように俺は尋ねる。

「用といえば用ね。とりあえずまずは私とチームを組みなさい!」

「唐突だな……」

 センパイの言葉に八咲が呟き、俺が頷いて同意する。

「言っとくけど俺、この子とチームを組んでますよ」

 八咲を指してセンパイに問いかける。

「それがどうしたの? だったらその子も私とチームを組めばいいだけの話じゃない」

 俺と八咲は思わず顔を見合わせた。驚きだった。

「センパイ、きっと福がありますよ」

 だから俺は自分たちを皮肉ってそんなことを言ってみた。

「さあそれはどうかなあ。だって私はあなたたちが余り物だとも残り物だとも思ってないから」

 センパイはニコリと笑いながらそう言った。もしかしたらセンパイは俺たちのやりとりを聞いていたのかもしれない。八咲の顔に自然と笑みがこぼれる。

 そしてセンパイは俺たちふたりの手を取り、「行くわよ」と俺たちを引っ張りあげた。

 俺はセンパイの手を離し、スラックスについた埃を払い落とすと、依然手を引かれ続ける八咲とその手を引くセンパイのあとに続いた。

 胸の痛みは止まらない。けれど増すこともない。いつもとは違うリズムを刻み続けていた。

「ふたりほど勧誘してきたわ」

 センパイは三人の女子の前に着くなり、そう言った。八咲とセンパイも含めてチームメイトに女子が五人。ボンクラどころかほかの男子が見たら恨めしそうな、うらやましそうな表情をするだろう。

「えと、よろしくお願いします」

 俺は丁寧にお辞儀する。すると三者三様の答えが返ってくる。

 三人のなかで唯一緑の帯リボンをつけた二年生の女子――は「男……っすか?」と少し俺の性別を疑ったような声を出した。ボンクラも勘違いしたような顔だ。やはり俺の顔は一目では見当がつかないらしい。

 その女子はなぜかブレザーの上に紺の体操服を着て、スカートの下に膝上までの長さのレギンスを履いていた。髪型は独創的で十ヶ所ぐらいをゴムで縛っておさげを作っている。

「男ですよ」と返すと、その女子は胸を両腕で隠して一歩さがり「うちは宮直(みやすぐ)美澄(みすみ)っす、よろしくっす」と答えた。

 宮直先輩が俺を恐怖するように一歩さがったことが俺の心を傷つける。

「美澄は男性恐怖症なのよ」

 それならそうと最初に言ってほしかった。気さくな喋り方だから男女の分け隔てなく話しかけても大丈夫だと思っていたのにっ!

 少しだけうなだれる俺のかたわらで「で、こっちが私の妹の……」と言葉を続けるセンパイ。その声をさえぎって「大山のことなら知ってます。同じクラスなんで」と俺が説明する。

「あら、そうなの。じゃあ紹介は省いて、もうひとりのチームメイトね」

 言いながらセンパイは少し陰りがある女子を俺たちの眼前に押し出した。その女子は俺たちを前にしてもなお、足場を求めているかのようにユラユラと揺れていた。

 揺れるたび、灰色に近い黒色の前髪が揺れ、その後ろに隠れていた瞳が見える。けれどその瞳は俺たちではなく、はるかかなたを見ているようだった。

「彼女は後野(うしろの)(まつり)。一年生だけど留年してるから年齢は私たちと同じよ」

 センパイはざっと自分のチームメイトについて説明する。

「マツリは祭だよ~。よろしくね~」

 ニヒヒ、と笑うその姿はなんだか不気味だ。

「ま、こっちはそんなところね」

 そう言ってセンパイは自己紹介を終わろうとする。けれど肝心な紹介が省かれていた。

「お姉ちゃん、自分の自己紹介はしたの?」

「ああ、忘れてたわ」

 センパイは大山が指摘するまで気づかなかったらしい。

「私は大山躑躅(つつじ)。紅葉の姉よ」

「じゃ、先輩もあの大山蘇鉄の娘さん……?」

 センパイの自己紹介に八咲が声をあげた。

「センパイの親父さんを知ってるのか?」

 俺が尋ねると八咲は呆れた様子で、こう言った。

「さっき授業でも言ってただろ。〔反魔金属(オハロフ)〕を見つけた……」

 睡魔と戦っていた俺の記憶にはそんなものはなかった。あとでノートを見て確認しよう。ちゃんと書き写してあるといいけど。

「ええ、そうよ。その大山夫妻の娘で合っているわ」

 八咲の質問に答えたセンパイはそれきり黙りこくった。

 気まずくなったので、俺は「ええっと、あの」とへどもどした挙句、自己紹介をした。それに八咲も続く。

「で残りの三人はどうするんですか?」と俺は続けてセンパイに質問する。

「もうこの時間になるとだいたい二、三人でグループができあがったりしてるからね、それを狙うのがベストよ。だけどひとりだろうとふたりだろうとチームに入りたいと言うなら、来るものは拒まず。去るものは拒むよ」

「去るものは追わずじゃないんですね?」

 センパイのスタンスが少しおかしくて、俺は笑いながら尋ねる。

「勝手に去っていったらほかの人が迷惑するじゃない!」

 するとセンパイは堂々とした態度で持論を展開してきた。昔、なにかそういう出来事があったのだろうか。

 なんにせよ、周囲を見ると九人チームができあがっているのは四、五組であとはまばらだった。完成したチームを除いて最多人数の集団が俺たちの六人であとは三人だったり四人だったりする。

 三人のグループは俺たちと組めばチームが完成するのだが、やはり八咲がいるのが怖いのか誰も話しかけてこようとはしなかった。

 だからセンパイは俺たちに「ここにいて」と指示を出したあと、主に三人グループを中心にチームを組まないかと話を持ちかけた。けれど誰も首を縦に振らない。

 自分がいるのが原因ではないのだろうかと感じ取った八咲がまた落ち込む。

 どうにもその姿は見てられなかった。なんとかしようと思う気持ちが募る。

 けれど俺が勝手に動いてもいいのだろうか、といつも楽観視的なくせに、今日は先輩たちが多いだけに遠慮が生まれた。だが、遠慮なんてしているひまはない。

 俺は動き出した。

「なあ、ちょっと話があるんだが」

 俺は未だひとりでたたずんでいる女子に話しかける。その女子は肩までのびた髪にウェーブがかかっていて、西欧っぽい顔立ちをしていた。八咲が目つきの悪い日本人形だとしたら、この子は上品な西洋人形といった感じだ。

 そのせいか、ここにいるのが不釣り合いにも見える。さらにその容姿は、どこぞの令嬢なのではないかと俺にひとりよがりな推測をさせる。

 だからこそ、誰も彼もが話しかけることをためらって、彼女は未だにひとりなのかもしれない、と勝手に決めつけた。

「なんですの?」

「俺のチームに入ってくれ」

 彼女の少し戸惑う声が耳に入ったとたん、俺はすぐさま用件を伝えた。

 すると彼女は笑顔になった。けれど彼女は咳払いをして、すぐにもとの表情に戻した。まるで嬉しさを覆い隠すように。

「仕方ありませんわね。あなたがそう言うなら入ってやらないこともないですわよ」

「そうか、助かるよ」

 お礼を述べた俺は、こっちに来てくれ、とその女子の手を引いて、チームメイトがいる場所へと帰った。

 俺が戻ると見知らぬ顔がふたりほど増えていた。どちらも男子だ。

「そいつらは?」「その子は?」

 俺とセンパイの声が重なる。

 お互いが先にどうぞと譲り合うやりとりがしばらく続き、結局センパイが折れて話を始める。

「このふたりは今見(いまみ)井蛙(せいあ)くんと蘆永(あしなが)瀬也(せや)くんよ。どこのチームにも入ってなかったから勧誘したの」

 今見と呼ばれた男子はかなりの仏頂面でずれた眼鏡を直していた。俺と視線が合うと「なンだよ」と反抗的に答えてきた。なんてムカつくやつだ。

 対照的に蘆永は「よろしく」と俺に笑顔を振りまいてきた。モテそうな顔立ちでなんとなくムカつく。さらにどことなくわざとらしく見えるその笑顔に俺は少しだけ気持ち悪さを覚えた。

「でその子は?」

 センパイの言葉に誘導されて、

「ええと……こっちも同じ理由ですよ。彼女は……」

 名前を教えようとしたところで、俺はまだ名前を尋ねてないことに気づく。

音乗(おとのせ)かるめるですわ」

 俺が勧誘した女子――音乗はそれを察して名乗った。

「かる……める……? ハーフなの?」

 センパイが戸惑って尋ねる。

「いえ、日本人ですわ。かるめるとひらがなで書くんですの」

 音乗はくすりと笑い、「変わった名前ね」とセンパイが驚き、小さく呟いた。

 それからはほかのチームが組まれるまでたわいのない会話が続いた。「今日の朝、なに食べた?」とか「お前、頭いいの?」とか。もちろん質問したのは俺じゃない、今見だ。ちなみに俺はその会話のなかでセンパイに「どうして湯かき棒を持っているんですか?」とそれとなく、さりげなーく尋ねてみた。

 するとセンパイは「ひ・み・つ」とまるで小悪魔のように俺にささやいた。耳に吹きかかる息がくすぐったく、けれども心地よい。

 俺はセンパイが理由を教えてはくれないだろうとうすうす察していたから、そんなに落胆してなかった。むしろこの質問をすることでセンパイの気分を害してしまったらどうしようとそればかりが不安で不安でたまらなかった。けれどセンパイは嫌な顔をしなかったのだから、俺の心配は杞憂で終わって一安心だった。

 そしてセンパイとそんなやりとりをする間もずっと俺の胸は痛み続けた。理由は未だにわからない。

 しばらくすると薬袋先生がチームごとに整列をうながし、俺たちもそれに従う。薬袋先生が配るメンバー登録用紙に自分の名前を書いて、解散となった。

 センパイが「また明日」と手を振ったので俺も手を振り返した。

 気づけば胸の痛みは引いていた。俺はセンパイに一目ぼれでもしたのだろうか。


4


 また明日とセンパイは言ったものの、翌日、センパイに会うことはなかった。

 ようするに帰るときの常套句だったわけだ。

 実習は一ヶ月後から始まるので、それまではたまに学校で見かける程度だろう。

 それよりなにより今、俺たちは学校のグランドに不気味にそびえ立つ〔(ゲート)〕の前にいる。〔(ゲート)〕の高さは三百メートルとかなり大きく威圧感があった。見た目はヨーロッパかどこかにある中世風のお城の扉によく似ている。その扉だけがポツンとあるイメージだ。

「今日の午後は、なにをするんだろうねえ」と〔(ゲート)〕を見て呟くボンクラに「知らん」とそっけなく返す。俺の近くにはボンクラのほかに大山と音乗と八咲がいた。ボンクラと大山は同じクラスだが、ほかふたりは違うクラスだ。

「なんでここにいるんだ?」

「チームメイトではありませんか」

 音乗の言葉に「そうだ、そうだ」と八咲が同意する。今日も八咲は目の下にくまを作っていて相変わらず怖い。音乗や大山は八咲が恐くないのか、もう仲良くなっているように見えた。

 ちなみにチームメイトである今見と蘆永はそれぞれ別の人とつるんでいた。

「今日は皆さんに一ヶ月後に備えて武器を選んでもらいます」

 星型メガネをかけている個性的な教師の言葉に全員がざわついた。

「はい、静かに。キミたちが武器を持つのは〔異界生物(シャドー)〕にどんな形状の武器が有効なのか、それを確認するためです。しかしそれともうひとつ、自衛の役割もあります。実習中は鎖防護服(チェーンメイル)が配布されますが、それだけでは十分とは言い切れません。自衛のためにも慎重に武器を選んでください」

「オール、聞いたかい、武器だよ、武器」

「大げさだろ。俺は〔異界生物(シャドー)〕と戦うのが目的じゃない、〔異界(シェオール)〕の調査が目的なんだ。武器が必要とは思えない」

「それは大間違いですわ」

 俺とボンクラの話を聞いていた音乗が話に割り込む。

「自衛の役割もあるとおっしゃっていたでしょう?」

「それがどうしたんだ?」

「武器は〔潜者(ダイバー)〕の生存確率を三十パーセントも引き上げるというデータもありますから、調査が目的でも持っていて損はないと思いますわ」

「へぇ、よく知ってるな」

 俺は思わず感心してしまう。

「そ、そんなこと常識ですわ、常識」

 なぜか顔を赤く染めて照れる音乗の横から八咲が俺に尋ねてきた。

「ところでオール、お前はどんな武器にするんだ? やっぱり剣か?」

 どうするかなと言いかけて、俺はとあることに気づく。

「ちょっと待て、八咲。今なんて言った?」

「え、聞こえなかったのかよ。……するんだ?」

「いや変なところピックアップすんな。最初のほうだ」

「オール、って言ったんだが……」

「なんで……そのニックネームを八咲が知ってんだよ」

「凛子さんだけじゃありませんことよ、オールさん」

「そうよ、オールくん」

 音乗と大山も俺のことをオールと呼んだ。

「マジかよ……」

 俺はorzみたいな感じで地面にへたり込む。

「えへへ、ぼくが教えたんだよ、オール。すごいだろ!」

 すごくねぇよ。やってくれやがったな、ボンクラ。

 悪意はないとはわかっているが、俺があまりそのニックネームを気にいってないことをお前は気づいていないよな。

oar()all(徹夜)、どっちもオールだもんな。でオレたちは発音的にはどっちにすべきなんだ?」

「好きにしてくれ」

 俺はあきらめた。この調子ではおそらくセンパイたちもオールと呼ぶことだろう。

「ほら、お前たちも入れ」

 だべっていることに気づいた担当教師が俺たちを〔(ゲート)〕近くの建物に入るようにうながす。一見、講堂のように思うが、建物に入るとがらりと雰囲気が変わる。

 俺は思わずその光景に圧倒され息をのんだ。そこにはありとあらゆる武器が収容されていた。そう何を隠そうそこは武器庫だった。建物に入るときに『武器庫』って書いてあるしな。広さは講堂ぐらいあるが、棚やケースに武器が大量に収納されているため、狭い印象を受ける。

 入学前から噂は聞いていたが、入ってみれば驚きしかなかった。

 そこから好きな武器を選び、申請することで俺たちは〔異界(シェオール)〕での武器使用が可能となる。その武器を使って〔異界生物(シャドー)〕の弱点を探るってことか……。確かにすんなり倒せるようになれば、〔異界(シェオール)〕の探索もスムーズになる。けどそれでいいのか?

「なにを選ぶんだい、オール」

「なんで他人事なんだよ。お前も選ぶんだろ」

「ぼくは剣って決めてるから。だってなんだか勇者みたいで格好いいだろう」

 言いながらボンクラはあたかも剣をにぎっているように、上下左右に素振りをした。

「お気楽だな」

 ボンクラは本当にお気楽だ。〔異界(シェオール)〕にもゲーム感覚で行くような感じなんだろう。

 それを俺はうらやましくもあり、うとましくもあった。

 さてと、俺は気を取り直して武器をながめた。

 なにか身を守れそうなものがいい。自分の目的のためにそれを優先すべきだと考えて歩いているとずいぶんと奥まで入り込んでしまう。まわりには誰もいない。

 戻るか、と考えて振り向くと立てかけてある横長の盾が目に入る。長さは目算で百八十センチメートルぐらいだろうか。盾は武器って扱いなのかと思いよく見てみると、両端に剣身が三つ放射状についていた。

 到底その武器で戦えるとは思えない。これはないな、と思ったものの、俺はやはり武器を持つことに抵抗があった。〔異界生物(シャドー)〕を倒すことが俺の目的じゃないからだ。〔異界生物(シャドー)〕に自分が襲われたり、チームメイトが襲われたりしていれば倒すかもしれないが、自分から倒しにいこうとは思わない。

 そんな反骨精神から俺は盾を選択することにした。

 そうして武器庫から出ると学友たちに奇異の目で見られた。

「それを選択するなんてオールのセンスには脱帽だよ」

 教師にその武器――剣囲盾(ソードシールド)というらしい――を申請するなかボンクラが俺に話しかけてきた。

 ボンクラは長さ八十センチメートルほどで「く」の字型の刀身と中央をふくらませたにぎりが特徴の百合葉剣(ソースン・パタ)を選んでいた。そういえば剣を選ぶとか言っていたな。

「男のくせに守りに入るとは少し見損ないましたわ」

 音乗にそんなことを言われてしまい言葉を失う。身を守ることを優先したの確かだが、そういうものなのだろうか。

「そういう音乗はなにを選んだんだよ?」

「わたくしはこれですわ、攻めている感じがしませんこと?」

 音乗は俺に鍔がS字になっている剣を見せつける。長さはボンクラの百合葉剣(ソースン・パタ)よりも短く、六十センチメートルほどだ。S鍔剣(カッツバルケル)というらしい。

 それが攻めってことなのだろうか、確かにSMという観点で見ればSは攻めだが、音乗本人が気づいてなさそうだから指摘するのはやめておこう。

 音乗の後ろ、八咲と大山も武器を選択し終えていた。

 八咲は猪の牙のようにも槍の穂先のようにも見える剣身を持つ長さ百センチメートルの猪槍牙剣ボア・スピアー・ソード

「なんだよ、文句あるのか?」

 八咲は俺をにらみつける。

「文句なんてないさ。ただ、どうしてそれを選んだのかと思ってな」

「ああ? そんなの直感だよ」

 八咲はそう言ってのけた。

「なるほど。お前らしいよ」

「だろ」

 そう言って八咲は猪槍牙剣ボア・スピアー・ソードで素振りを始めた。

 俺は視線をさまよわせて大山を探す。大山は星殴棒(モルゲンステルン)を選んでいた。五十センチメートルぐらいの柄に三十センチメートルぐらいの楕円球がつき、その球にトゲが放射線状に突き出ている打撃武器だ。センパイの湯かき棒の真似でもしたのだろうか。

「よし、全員が武器を選びましたね。次はマスクの使いかたを説明します。各自、申請時にマスクはもらっているはずですよね?」

 俺は申請時にもらったマスクをポケットから取り出す。それは粉塵マスクにとてもよく似ていた。

魔塵(まじん)マスクというんですのよ、これは」

 教師が説明を始める前に音乗が呟いた。

「これは空気中にただよう〔魔力(エーテル)〕を遮断し、清浄な空気だけを取り込むものですの。今わたくしどもはマスクをつけずに生活していますが、お年寄りのかたは〔魔力(エーテル)〕に対する抵抗力が低いため、これを日常生活でもつけていることがありますのよ」

 音乗の説明と同じことが教師の口から飛び出たが俺は聞き流す。

「音乗、なんでそんなに詳しいんだ?」

「こんなの常識ですわ」

「そういうものかね」

 なんとなしに俺は呟いた。音乗は常識と言うが、少なくとも俺は知らなかった。

「ちなみに空気中にただよう〔魔力(エーテル)〕は一定以上の量を持つ運動エネルギーに干渉して誤作動を起こさせますの。ですから莫大な運動エネルギーを消費して移動する自動車や飛行機、拳銃なども使いものにならなくなりましたの。武器庫に銃器がないのもそのためですわ」

 教師もウンチク的にそういう話をしていたが、俺は既に音乗から聞いていたので特になんの感慨も抱かなかった。

 先生、ご愁傷様。

「明日から一ヶ月間、武器の練習をしてもらいますので覚悟しておくように」

 教師の説明が終わると同時に授業も終わる。

 掃除当番ではないので俺はそのまま帰宅。今日は胸が痛むことはなかった。


5


「あと三周!! おら、急げ! おら!」

 基礎訓練科教師の声が飛ぶ。

 俺たちは走っていた。これがグランドをただ走るだけならまだいい。

 俺たちは昨日自分たちが選択した武器を持って走ることを義務づけられていた。

 つまり俺は剣囲盾(ソードシールド)を持って走らなければならないのだ。さらに鎖防護服(チェーンメイル)を着て、だ。

「男のくせにだらしないですわね」

 汗だくで走る俺に一.五キログラム程度のS鍔剣(カッツバルケル)を腰の鞘に入れて走る音乗が追い抜きざまに言い放つ。

「オール、もっとがんばらなきゃダメだよ」

 ボンクラが前を走る音乗の跳ねるお尻を見ながら俺にそう言ってきた。だから俺はとりあえずゲンコツを食らわしてやった。異論は誰も無論ないはずだ。

「なんだよぉ、むぅ」

 頭を押さえながら俺を追い越したボンクラもS鍔剣(カッツバルケル)と同じ程度の重量の百合葉剣(ソースン・パタ)を腰にさげている。

 対して俺は約十キログラムもある剣囲盾(ソードシールド)を背負って走っていた。鈍重な亀のようなさまだ。

 けど俺はがんばっていると主張したい。なぜなら俺の視線の先には周回遅れの今見がいるからだ。今見は適斬適突剣(バスタードソード)を踏襲したと云われるにぎりの長い片手半剣ハーフアンドハーフソードを背負っている。長さ百五十センチメートルの片手半剣ハーフアンドハーフソードの重さは約三.五キログラム。にもかかわらず今見は俺よりも遅い。

 とはいえ、そんなのは言い訳にしかならない。俺はほかのやつらより一周遅れていて、同じチームメイトの蘆永には三周も差をつけられていた。

 その蘆永はさっそうと、そして軽快に走っていた。けどそりゃそうだ、と思う理由もある。

 蘆永の選んだ武器は鋏蠍虎爪ビチャ・ハウ・バク・ナウ。発音するだけでも舌をかみそうなそれは手のひらに収まる程度の棒に横に曲がった爪が四つほどついた武器だ。蘆永はその棒の先端についている穴に親指を入れ、四つの爪の間にほかの指を入れてにぎっていた。

 そんな武器だから重さもたかが知れたもので、ただのマラソンのようにグランドを走れた。

 さて、なぜ俺たちが武器をかついでマラソンにいそしんでいるかと言えば、「これが必要なことだから」らしい。

 基礎訓練担当の教師は脳ミソも筋肉でできているのかそれしか言わなかった。ノーキンと勝手にあだ名をつける。

「そもそもこの基礎訓練というのは、異界に入るための下地作りですの」

 ノーキンの言葉に困惑する俺たちに向かって口を開いたのは音乗。

 音乗曰く、〔異界(シェオール)〕では武器を持って活動するため、武器を長時間持ち運べなかったら意味がない。そのために武器をかついでマラソンするらしい。

 ようは体力作りってことだ。

「おら、しっかり走れー!」

 速度が落ちた俺に対してノーキンのげきが飛ぶ。俺は少しだけ速度をあげて、走り出す。蘆永はとっくに走り終わっており、さらにそのさわやかな表情から余裕がありありと見受けられた。

 その次にゴールしたのが大山。

「さすが英雄の娘は違うな」と俺の近くを走る学友がイヤミったらしく呟くのが聞こえた。俺はなんだか腹が立ち、偶然を装ってそいつに剣囲盾(ソードシールド)の刃のない側面をぶつけてやった。その学友はにらみつけてきたが「ごめん」と申し訳なさそうに謝ると、なにも言わずに走り去っていた。

 その後も次々と学友たちはゴールしていき、俺は下から二番目でゴールした。

 言うまでもないが、最下位は今見で、「もう少しがんばれ」というノーキンの言葉に舌打ちをしていた。「おれを誰だと思っている」とぼやいたのが俺の耳に入る。

「おら、さっさと並べ!」

 舌打ちに機嫌を悪くしたらしいノーキンが少し乱雑な言葉で整列をうながし、「今週はずっとこれだからな」と言葉を吐き出した。俺の体は恐怖で震えあがった。

 そんなことも知らないノーキンはやがて基礎訓練の説明を始めた。

 基礎訓練は武器選択の翌日から一ヶ月間、〔(ゲート)〕に入る初日まで行われる訓練のことを指し、第一週は体力作りのためのマラソン、第二週は動かない的に対しての攻撃訓練とマラソン、第三週は動く的に対しての攻撃訓練とマラソン、第四週は攻撃してくる的に対しての攻撃及び防御訓練とマラソン、と一週間ごとにカリキュラムが分かれているとのこと。

 ……マラソンは毎週あるんだな。

 もっともノーキンの説明は大変にわかりにくく俺は音乗から詳細を聞いた。

 チームメイトになってからよく話すようになった音乗だが、〔異界(シェオール)〕関連のことについてはかなり物知りだった。もっとも本人は「こんなの常識ですわ」と否定するのだが。

 なんにせよ、今日から一ヶ月間、俺たちは基礎訓練をすることになった。

 そして、その一ヶ月間はあっという間に過ぎた。


6


「実習だぁ~、実習だぞ~、実習だぜ~」

 晴れ渡った空の下、ボンクラが嬉しさを体現するかのように元気いっぱい夢いっぱいに叫んだ。

 一ヶ月間の基礎訓練を終えて俺たちはようやく実習にこぎつけた。この間、おれは学友たちとともにみっちり武器の使いかたの基礎を叩き込んだ。

「……とっとと自分のチームに戻れよ」

 ボンクラとは対照的に、俺は降りそそぐ太陽の陽射しにあてられ、勇気凛々元気全開とはいかなかった。

「いいじゃないか、実習が始まるまでぼくの自由にさせてくれよ。いつからオールはそんなにイジワルになったんだい!」

「俺と“あえて”別のチームになるって言ったのはお前だろ」

「それは言わないでくれよ。ちょっと後悔してるんだから」

 ボンクラのチームは八咲が「自分がそうなるんじゃないか」と危惧していた残り物で作られたチームだった。男女比は八対一でボンクラとしては残念な結果に終わっていた。

「変な気を起こさずにあのとき、素直にオールと一緒にいれば、カワイコちゃんがたくさんいるチームに入れたっていうのに残念極まりないよ!」

「一応、女子がひとりいるんだからいいじゃないか」

「ふん、あんなトドビーバー、ぼくの趣味じゃないよ」

「わがままだな」

「なんとでも言いたまえ、ワトスンくん!」

 そう言い放ったボンクラがさえわたる名推理をできるとは思えない。

「鞍馬、こっちじゃあ、早く来んかい!」

 なんだかんだと駄々をこねていたボンクラに怒声が届く。

「やばい、トドビーバーがお怒りだ!」

 ボンクラは駆け足で自分のチームへと戻っていく。

 ボンクラが駆けるほうへと視線を向けると、トドのような体型でビーバーのような顔つきの化け……ゲフンゲフン、女子がいた。……確かにトドビーバーだった。

 俺がボンクラと話している間、遠慮してくれていたのか、ボンクラが去ったのを見計らって八咲が近寄ってくる。

「どうした?」

「いや、チームメイト同士近くにいたほうが大山先輩たちも見つけやすいかなって思ってよ」

「まあ……そうだな」

 軽く返事をしたあと、俺はあることに気づいた。

「今日は目の下にくまがないんだな」

「いつもあるわけじゃねぇよ」

「ない、ほうがいいな」

 俺は正直に答えた。くまがある今までが恐ろしかった分、くまがない今日は目つきが鋭いにもかかわらず、かわいらしく見えたのだ。それどころか、切れ長の目が凛々しい顔立ちと合わさって、美人だった。メガネを取ると美人に見える女子がいるが、八咲の場合はそれがくまになるわけだ。

「そ、そうか」

 八咲はなぜか顔を赤らめ、黙りこくった。

 急に静かになると困るんだが……、という俺の胸中を八咲は察してはくれない。だから早く誰か来てくれ、と祈っていた。

 ところで実習にもかかわらず、全員が集まってないのには理由がある。

 その理由は簡単で、実習後即解散になるため、その前に掃除があるからだ。そして俺と八咲、はたまたボンクラとトドビーバーは掃除当番ではなかったわけである。

「お待たせ」

 俺の祈りが通じたのか、センパイが姿を見せる。一ヶ月間、なんの異常もなかった胸がまた再び痛み出し、鼓動とは違う音を奏でる。

「センパイだけですか」

 俺は平静を装って答えた。

「ううん、美澄もあそこにいるよ」

 センパイが指さす方向に宮直先輩の姿があった。今日はこの前よりヘアゴムで髪を束ねている数が多かった。もしかしたら日付とヘアゴムの数が連動しているのかもしれないと勝手に推測する。

 俺が視線を向けたことに気づいた宮直先輩は遠くから「……うっす」と軽く返事をしてくれたが近寄ってこない。

「まあ、なんていうかごめんね」

 それに気づいてセンパイが代わりに謝ってくる。

「男性恐怖症なんだったら、仕方ないですよ」

 そうやってセンパイと話している間も胸は痛み続けた。

 その後、音乗、今見、蘆永、大山とやってきて最後に後野さんがやってきた。

 祭はいつもボーッとしているから掃除がなかなか終わらないのよ、とセンパイがぼやいていたが、遅れてやってくる後野さんを見つめる目はまるで子を見つめる母のように優しいものだった。

 ほかのチームは全員そろって〔(ゲート)〕の前に整列していた。それにならうように俺たちも武器庫で申請した武器を受け取り、鎖防護服(チェーンメイル)を着ると〔(ゲート)〕の前に整列した。

「全員、そろったな」

 薬袋先生が声を飛ばし、学友たちがまばらに頷くのを確認する。

「それでは一斑から出発。全員が〔異界(シェオール)〕に到着後、今回の実習の目的を発表する」

 一斑はボンクラたち残り物チームだった。

 薬袋先生にうながされ一斑のリーダー、トドビーバーが閉まった〔(ゲート)〕へと平然と向かっていく。〔(ゲート)〕は固く閉ざされている。このままではぶつかるという俺の予想に反して、トドビーバーの体が〔(ゲート)〕にのめり込んだ。そして消えていく。〔(ゲート)〕が扉のように開くわけでないと初めて知って驚く。

 トドビーバーに続いて続々と一斑の三年生、二年生が続く。最後に入るボンクラは〔異界(シェオール)〕に行くのを楽しみにしていたにもかかわらず、入るのをためらっていた。

 やがて、ボンクラは〔(ゲート)〕に近づき、そしておそるおそる、まるでえたいの知れないものに触るように指の先端を〔(ゲート)〕に当て、指が〔(ゲート)〕にめり込んでいくのを確認しながら、徐々に徐々に吸い込まれるように消えていった。

 ほかの班もだいたい同じような具合だった。二、三年生はなんらためらわず、そして一年生は、期待しながらもためらって時間をかけて入っていく。

 そしてついに俺たち五班の番になった。

「行くわよ」

 魔塵マスクを装着したセンパイの少しくぐもった声に俺は息をのんだ。

 センパイはニコリと俺のほうを向いて笑い、そして〔(ゲート)〕のなかへと消えていく。そのまま、宮直先輩と祭さんが続く。

 俺の番になった。すんなり入れるだろうと思ったが、情けないことに足がすくみ、なんとなく心細くなって、後ろを振り返る。

「なに、情けない顔してんだよ」

 俺の不安げな表情に気づいた八咲が、早く行けといわんばかりに俺を押した。

 俺はその勢いで〔(ゲート)〕を(もぐ)る。

 そう、潜った。その感覚は言い得て妙だ。まるで海に潜ったときのように、俺の身体はどんどん下へと潜っていくような感覚に襲われた。視界は黒い。けれど時折、泡のような光が上へと上へとのぼっていく。いや違う、俺たちが下へ下へと潜っていくから、そう見えるだけだ。

 しばらくすると辺り一面が白く包まれ、急激に、急速に体が宙に浮く。

 そして押し出されるように俺は〔(ゲート)〕から飛び出た。八咲に押されて〔異界(シェオール)〕に入るとはなんて情けない。入る前から情けなかったのはきっと気のせいだ。

 少し落ち込み気味に視線を落とすと紫色の地面が目に入る。その地面からはえる草は赤、茶、青と色とりどりで、周囲の木々は様々な色を持つ幹を自分勝手にくねらせていた。見上げた空には笑う朱色の太陽と青色の雲に隠れて泣く金色の月が浮かんでいた。

 もっと広く景色をながめようとしたが、遠くには紫の霧が立ちこめ、視界を阻んでいた。

 俺は実感する。

 ここは〔異界(シェオール)〕だ。

 ホームルームで担任が(たね)市弓形高校管轄エリアBと言っていたことを俺は思い出した。世界中に出現した〔(ゲート)〕はそれぞれ〔異界(シェオール)〕の異なる場所につながっている。

 日本にある〔(ゲート)〕は全て〔異界(シェオール)〕にあるガルド島と呼ばれる島――偶然だと思うが日本列島とほぼ同じ面積をもつ――につながっている。

 その島のなかで俺たちが主に活動するのがその籽市弓形高校管轄エリアBだ。もちろんAもあるが、これは校外にあるため、あまり使われることはない。

 どちらも俺たち見習いが探検しても危険な目に遭うことはないといわれている。とはいえ、こちらが〔異界(シェオール)〕を自由にできるわけではないので常に死と隣り合わせであることを忘れてはならない。

 八咲、大山、今見、音乗、蘆永という順で次々と〔(ゲート)〕を潜って〔異界(シェオール)〕へとやってくる。

 それぞれなにかしら思うところがあって呟いていたが、「ここが、〔異界(シェオール)〕……ですのね」と少しばかり震えた音乗の言葉がなぜか印象に残った。

 全員が到着したのも束の間、先行していたセンパイが「やっぱり〔魔力(エーテル)〕が濃いわ」となにやら意味深な発言をした。

「ざわざわ~って感じ~」と見た目通りゆったりとした口調で後野さんが呟く。

「祭っちがそういうなら、たぶん普段よりも濃いっすね」

「なんで後野さんが言ったらわかるんですか?」

 俺はすかさず近くにいた宮直先輩に尋ねる。

「祭っちはそういうのに敏感なんすよ」

 宮直先輩はそう言いつつ俺から離れた。「近すぎるとビビるっすよ」と小さい呟きが聞こえた。男性恐怖症なのだから仕方ないとはわかっているが、それがいちいち俺の心を傷つけた。胸も痛けりゃ心も痛いってどうなんだろうな。

「〔魔力(エーテル)〕が濃いとどうなんだ?」

 八咲は気になったのかセンパイに尋ねる。するとセンパイに代わって音乗がこう答えた。

「〔異界生物(シャドー)〕の原動力は〔魔力(エーテル)〕ですからね……濃ければ濃いほど……動きは、活発になります、わ……」

 けれど緊張しているのか音乗の言葉は途切れとぎれだった。

「でも〔異界生物(シャドー)〕はほかの〔異界生物(シャドー)〕の肉とかも食べるんだろ?」

「ええ、ですけれど……それは、ただ空腹を満たすだけに過ぎないと、言われていますの」

「なんかよくわかんないけど〔異界生物(シャドー)〕が活発に動き回るってことでいいのか?」

「ええ……そう、ですわ」

 さらによく見れば音乗は身体も震わせていた。緊張でも武者震いでもないように見えて、俺は心配になる。

「音乗、さっきからなんでそんなに震えてるんだ? 大丈夫なのか?」

「き、緊張してるのですわ。……察しなさい!」

 音乗は少しだけ俺をにらんで、怒鳴りつけた。

 すまん、と俺が謝ると「わかればよろしいんですのよ!」と音乗は言葉を紡いだが、声が震えていたため、強がりだと気づいた。

 もしかしたら音乗は〔異界(シェオール)〕にかなりの恐怖を感じているのではなかろうか。ふとそんなことを思ったが、言葉に出せば怒られそうなので言うのはやめた。

「まあ、〔魔力(エーテル)〕が多いからって恐れることはないわ」

 センパイは慣れているのかそんなことを呟いた。そう言われると少し安心する。

「よし、全員いるな」

 最後に〔(ゲート)〕を潜ってきた薬袋先生がそう言いながら学友たちを一通り見回した。

「いいか。〔異界(シェオール)〕は危険と隣り合わせだからな、勝手な行動はつつしむように」

 その言葉を放った薬袋先生はセンパイを見ているような気がした。

「さて、今日は一年生が〔異界(シェオール)〕に初めて入ったから、このあたりの地域を案内する。ということで一斑から二列で順々について来てくれ」

 そう言って薬袋先生はボンクラたち一斑を先導していく。

 俺たちは少しだけ待機となるため、列をくずさずその場に座り、近くの草をながめた。名前を調べるために手帳サイズの教科書を開く。

 俺がながめるその草は、紫と黄色が入り混じり、ところどころに赤い斑点のあるグロテスクな草だった。

「それはエリ(くさ)というのですわ」

 俺がその草の名前を教科書から見つける前に音乗が教えてくれた。その言葉で好奇心を刺激された八咲が興味深そうに覗き込んでグロテスクな色合いに顔をしかめた。

HP(ヒットポイント])MP(マジックポイント)が全回復しそうな名前だな」

 俺が軽口を叩くと、ゲームかよ、と八咲が声を出して笑い、「なにを言ってるんですの?」と音乗が不思議そうに尋ねる。

 そんな会話をしつつ俺はようやく教科書にエリ草の名前を見つけた。雑草とひとくくりにしてもいいぐらい群生している草らしい。葉の部分に毒があるという注意書きもあった。HPとMPは回復しないのか……まあゲームじゃないし当たり前か。

「……ってか、なんでそんなに詳しいんだよ」

「こんなの……常識ですわ」

 音乗は鼻高々に答えたものの、やはりまだ〔異界(シェオール)〕に慣れていないのか、どこか怯えたような目をしていた。

 四班が二列横隊で三班に続く。その後、今見と蘆永が先立って四班の最後尾に続いたため、俺も立ちあがる。

「音乗!」

「な……なんですの?」

「俺は〔異界(シェオール)〕の鉱石が調べたいんだ。お前、詳しそうだから今日は一緒に並んで歩こう」

「い、いいですわよ……仕方、ありませんわね!」

 震え続ける音乗の手を俺はにぎった。恐怖で押しつぶされそうだったのだろう。俺がにぎる音乗の手は思った以上に震えていた。

「ど、どうして、手を……」

「いやちょっと怖いんでな。にぎっておいてくれよ」

「ま、まったく情けない人ですこと」

 そう言いながらも、音乗は俺がにぎった手を離すことはなかった。

 その後ろになぜだか少しだけムッとした顔の八咲と俺たちを見てニヤニヤしている宮直先輩が続く。さらにその後ろにセンパイと大山が続き、最後尾は後野さんだった。後野さんの横には六班の女子が並ぶ。

 四班について進みがてら、俺はそこかしこに転がる石ころを見つけるたびに、しつこくその石がなんなのか音乗に尋ねていた。音乗は嫌な顔をせずに、しかも教科書も見ずに答えてくれる。

 そうやって、しばらく歩いていくと俺たちは木々に囲まれた広い草原に出た。

「班ごとに並べ!」薬袋先生の声が飛び、ふと気づいたように「躑躅はどうした?」と俺たちに尋ねてきた。

 俺たちは驚いて、後ろを振り向くと宮直先輩たちの後ろには後野さんがいるだけで、センパイと大山の姿はなかった。

「わかりません」

 俺は正直に答えた。

「あいつ……またか……」と薬袋先生は呆れたように呟き、「しかも妹も、ときたもんだ」と嘆息する。

 センパイがチーム作りのとき積極的だったように見えたのはもしかしたら今年は問題を起こさないようにしますと先生を油断させるものだったのかもしれない、と薬袋先生の嘆息を聞いて、ふと思った。

戸渡(とど)、ほかの班をまとめて待機させといてくれ」

 一斑のほうを見て薬袋先生が叫ぶと、「わかったわい」とトドビーバーが立ちあがる。

 戸渡ってトドビーバーだったのか。

「それでは、お願いします」

 薬袋先生はノーキンやほかの教師に小さくささやき、みんなして四方八方に消えていく。

「宮直先輩」

 俺はなにが起こったのかわからず宮直先輩に尋ねていた。

「つじっちがいなくなるのは毎度のことっす。今日は最初おとなしくしてたから、甘利っち先生も油断してたみたいっすね」

 だから薬袋先生は「またか」と言っていたのだ。

 センパイはなぜそう何度も授業のカリキュラムを無視して単独行動を取るのか。

 それも宮直先輩に尋ねようか、俺は少し迷っていた。

 そんなときだった、

「うわああああああああああああ」

 最初に悲鳴をあげたのはボンクラだった。ボンクラは自分の正面の木々を指さしていた。

 学友たちの目がそちらに集中する。そして木々の間にひしめくものに気づいて次々と悲鳴があがる。

「嫌な予感しかしない」

 俺は思わず声に出していた。視界の隅に今見が怖じ気づいて退く姿が映る。おそらく俺よりも先に、茂みから出てきた猫背の何者かを見たのだろう。

 そいつはふたつに割れた舌を上下に揺らしながら、猫目をギロギロと動かし周囲を見渡した。背丈はまばらだが平均するとだいたい俺たちと同じぐらいだろうか。そいつは俺たちを見つけると、喉を鳴らす。

 〔異界生物(シャドー)〕だった。

 初実習、初〔異界(シェオール)〕での初遭遇だった。

 音乗が〔異界生物(シャドー)〕の異形に腰を抜かしてへたり込む。

 俺は姫様を守るナイトのように音乗の前に出て、剣囲盾(ソードシールド)の裏側についた取っ手をにぎり、構えた。取っ手をにぎる手はかすかに震える。

 草原を囲む木々の間から、さらに〔異界生物(シャドー)〕の大群が現れる。その〔異界生物(シャドー)〕は先程現れた〔異界生物(シャドー)〕と背丈は違えど容姿はまったく同じだった。その数は五〇ぐらいか。

蜥猫蜴蛇(リニャード)……」

 音乗がうめく。

 たぶん、この〔異界生物(シャドー)〕の名前だろう。

 蜥猫蜴蛇(リニャード)という〔異界生物(シャドー)〕は黒い鱗におおわれた猫のような顔を持ち、その口からふたつに割れた舌を覗かせる。

 胴体は爬虫類の鱗におおわれ、ところどころにぶち猫のような茶色の模様がついている。しかもその模様のついている部位だけは猫の毛がはえていた。尻からは蛇のような尻尾をのばし、腹と尻尾の境目から猫のような足がはえている。腕はなかった。

 その蜥猫蜴蛇(リニャード)がシャアアと叫び声をあげた。

 すると歯の両端が一瞬で長くそして鋭く伸び、牙に変貌。

 蜥猫蜴蛇(リニャード)たちはもう一度叫ぶと、まるでそれが合図だったかのように一斉に俺たちへと飛びかかってきた。

「基礎訓練の成果、見せてみんしゃい!」

 〔異界生物(シャドー)〕を恐れもせず、トドビーバーが叫ぶ。

「うおおおおおおおおおおっ!!」

 それに応えて今見やほかの一年男子が立ちあがり武器を手に、怒号とともに走り出す。

 けれどそこに協調性はない。ただがむしゃらに目の前の蜥猫蜴蛇(リニャード)へと猛進。だからその猛々しい猪のごとき学友たちの間をぬって、腰を抜かしたボンクラや、ボーッとしたままの後野さんのほうへと何匹かの蜥猫蜴蛇(リニャード)が迫る。ほかの女子も基礎訓練を受けたとはいえ、果敢に攻めるなんてことはできず、そしてなぜか先輩たちはそんなに積極的に蜥猫蜴蛇(リニャード)を倒そうとはしてない。なにか、おかしい。そうは思うものの、腰を抜かしたボンクラを助けに行かなければならない。蜥猫蜴蛇(リニャード)が目前に迫っていた。

「八咲、音乗を頼めるか?」

 そう言い捨てた俺は八咲の返事を待たず走り出していた。

「任せとけ」

 後ろから聞こえた男らしい言葉が俺に安心感を与え、不安を噛み砕き、震えが止まる。

 俺は剣囲盾(ソードシールド)のにぎりを両手で持ち、ボンクラに噛みつこうとする蜥猫蜴蛇(リニャード)めがけて、強烈に振りおろす。三つある切っ先の中央の刃が猫顔に突き刺さり、蜥猫蜴蛇(リニャード)はそのまま絶命。黒いもやのようなものが蜥猫蜴蛇から噴き出る。

 あれが〔異界生物(シャドー)〕の原動力〔魔力(エーテル)〕なのだろう。噴き出た〔魔力(エーテル)〕は空気中の〔魔力(エーテル)〕に同化する。

 てっきり俺は蜥猫蜴蛇(リニャード)が避けるものかと思っていた。けれど簡単に刃が突き刺さったところを見ると案外運動神経はにぶいのかもしれない。

 そう思い、蜥猫蜴蛇(リニャード)から刃を抜こうとした瞬間だった。

 二匹の蜥猫蜴蛇(リニャード)が襲いかかってきた。一匹が長い尻尾を鞭のように振り回して打ちかかってくる。俺は剣囲盾(ソードシールド)で受ける。しかし二匹目は俺が防御すると読んでいたのか盾の死角から飛び出し、鋭い牙で噛みつこうとしてきた。

 ――やられる、そう思ったとき、噛みつこうとしていた蜥猫蜴蛇(リニャード)の身体が突如として燃えあがり、なにが起きたのか見当もつかず呆然としている間に灰になった。

「本当は手助けしちゃいけないすけどね、さすがに今のやばかったっす」

 声のほうを見やると、そこには――

「宮直先輩!」俺は思わず叫んでいた。「今、なにしたんですか?」

火炎球(ファイア)っす。キミらもいずれ使えるっすから、今は気にせず戦いに集中するっすよ」

 言い放った宮直先輩は俺が盾で防いでいる蜥猫蜴蛇(リニャード)へと矢のように疾走していく。

 そして宮直先輩は手に持つ百二十センチメートル程度の金属製の槍――のちに名前を訊いたら突錐槍(アールシュピース)というらしい――をその蜥猫蜴蛇(リニャード)の横腹に豪快に突き刺した。その速さに対応できず、突錐槍(アールシュピース)の鋭い四角錐の穂先がそいつの横腹を貫通し、――いやそれだけではない、密かに近づいていたらしい三匹目の蜥猫蜴蛇(リニャード)の横腹をも刺し貫いていた。

 俺は三匹目に気づいていなかったので冷や汗をかく。

「シャギャアアアアアア」

 蜥猫蜴蛇(リニャード)の断末魔が響く。突錐槍(アールシュピース)に突き刺された二匹はそのまま絶命し、全身から〔魔力(エーテル)〕を噴き出す。

 宮直先輩は呼吸を整えながら、二匹の蜥猫蜴蛇(リニャード)を槍から引き抜いた。

 俺はその見事な手さばきに思わず感心して、たたずんでいた。

「さて、あとはがんばるっす」

 なにが起こるかを知っていたかのような宮直先輩の言葉。けれどなぜなのかを尋ねるひまもなく新たな蜥猫蜴蛇(リニャード)が襲いかかってくる。

 宮直先輩の声で我に返った俺はボンクラの襟首をつかんで、八咲の近くまで全力後退。

 八咲の近くには二匹の蜥猫蜴蛇(リニャード)の死骸が転がっていた。

「ありがとな、八咲! 音乗を守ってくれて」

「ああ、やれるかどうか不安だったがなんとか倒せた」

 震える手を隠すように八咲は言った。

「八咲! もう大丈夫だから、さがってろ。今度は俺が守ってやる」

「な、なに、を言ってやがる!」

 頬を朱色に染めた八咲は少しだけ慌てて、

「お前、ひとりでなんとかできると思うなよ。オレだってやるさ」そう宣言したあと続けて、「オレだって……守ってやる」と小さな声で呟いていたのが俺の耳に入った。

 その後、四十分ぐらい戦いは続いた。

 とはいえオレたちは森の近くで戦う学友たちが倒し損ね、こちらにやってきた五匹ぐらいの蜥猫蜴蛇(リニャード)と戦っただけですんだ。

 それでも俺たちはかなり神経をすり減らした。これが戦うことかと十分に痛感した。

 この草原に現れた蜥猫蜴蛇(リニャード)が全滅し、学友たちの歓声がわきあがる。多少の傷を負った学友はいるようだが、全員が軽傷のようだ。ノビていたボンクラは無傷で、最前線にいながら一匹も倒せなかった今見が一番多く傷を負っていると知り、少しだけ呆れた。

 そんななか俺は事情を知っていそうな宮直先輩に尋ねていた。もちろん適度な距離を取ったままだ。

「でなんなんですか、これは?」

「え、なにがっすか?」

「今更、とぼけるのはなしですよ。言ってたじゃないですか、本当は手助けしちゃいけない、って」

「むはー、もしかして、うち喋ってたっすか?」

「むしろ、無意識で言ってたんですか!?」

 俺が驚くと宮直先輩は照れるように笑って、

「本当はうちらからネタばれをしちゃいけないんすけど、これ実は一年生の基礎訓練の成果を確かめる恒例のサプライズなんすよ」

「……とんだサプライズですね」

「それはうちも去年思ったっす。なんにしろ、ネタばれしちまったすけど、甘利っち先生がネタばらししたときも、盛大に驚いてほしいっす」

「リアクション芸人じゃないんだから、たぶん、それ難しいですよ」

「つか、待てよ。これがサプライズだとしたら、どうやってあの〔異界生物(シャドー)〕たちを集めたんだよ」

 確かにそうだ。八咲の指摘に俺も思わず頷く。

蜥猫蜴蛇(リニャード)たちは今産卵期っすから、巣ごもりしてんすよ。だから巣に入れば、卵を盗られるんじゃないかって怒り出して追っかけてくるっす」

「マジっすか?」

「マジっすよ」

「うつってる、うつってる」

 宮直先輩の口調がうつった俺が驚くと八咲がそれに気づいて笑った。

「しかも今日は〔魔力(エーテル)〕が濃いっすからね、活発だったっす。大変だったすね」

 そして宮直先輩は他人事のようにそうつけ加えた。

「そういえば宮直先輩たちに蜥猫蜴蛇(リニャード)があまり近寄らなかったのはなぜなんですか?」

「実は蜥猫蜴蛇(リニャード)って柑橘系の匂いが苦手なんすよ、だからシトラスのコロンとか体につけておくとあんまり襲いかかってこないっす」

 そうだったのか、と納得する。魔塵マスクが邪魔でかすかな匂いには気がつけない。あとで嗅いでみよう。

「ということでたぶん、今日はもう終わりっすよ。うちは疲れたっす」

 宮直先輩が言い終わる頃にはトドビーバーの指示で、学友たちは来た道を引き返し始めていた。

「さてそれじゃあ今日は帰るっす」

「センパイは?」

「つじっちならそのうち甘利っち先生が見つけるっすよ」

 まるでそれが当たり前であるかのように宮直先輩は答えた。

 だから俺は気絶したボンクラをトドビーバーに預け、音乗を背負って歩き出した。

 隣にはグロッキー(お疲れ気味な)八咲。なんか芸名みたいだ。

 今見は憔悴しきった顔で、蘆永は相変わらずにこやかな顔をして俺たちの前を歩き、宮直先輩はボーッとしている後野さんの背中を押しながら俺たちの後ろを歩く。

 俺たちは〔(ゲート)〕を潜り自分たちの世界へと帰った。

 今見と蘆永が武器を返すために武器庫へと向かうさなか、

「さあて、シャワーでも浴びるっすかあ」と宮直先輩はわざとらしく叫んだ。

「行く~」

「オレもつき合う」

 後野さんと八咲がそれに同意。それを待ってましたと言わんばかりに宮直先輩はこう言ってきた。

「オールっち、お前も一緒にどうっすか?」

「……ふざけてますよね、それ。男性恐怖症の人が言うセリフじゃないですよ?」

 呆れ気味に答えた俺だが実は一瞬だけ一緒に入るシーンを妄……想像してしまったのは秘密だ。

「精一杯の冗談ってやつっす……これでもなんとかして克服しようと努力してんすから、そこんとこ察して欲しいっすね」

 にこりと笑う宮直先輩の身体がわずかに震えてることを俺は見逃さなかった。無理してまで冗談言う必要ないのに。

「俺はこのまま帰りますよ。ああ、そうだ。音乗を頼みます」

「任せろ」

 俺が背負っていた音乗を八咲が引き取る。

 その代わり俺は少したくましいところを見せようと思って全員の武器を預かったがすぐに後悔。重すぎる。

 ちょっと弱音を吐きつつも苦労の末、なんとか武器庫にたどり着き武器を返却した俺は帰路についた。


7


 家に帰った俺は熱のこもったブレザーを脱ぎ、ワイシャツのままベッドに寝転んだ。

 六畳半程度しかない俺の部屋はベッドと冷蔵庫にタンスぐらいしかない。

 少しベッドで横になると自分の汗臭さが鼻についた。

 〔異界(シェオール)〕に初めて潜っていきなり〔異界生物(シャドー)〕と戦ったのだから汗をかくのも無理はない。

 やっぱり宮直先輩たちと一緒にシャワーを浴びるべきだったかな、とアホな妄想をしてしまい、慌てて振り払う。

 体を起こし、ベッドをおりる。脱ぎ捨てたブレザーを拾い上げ、ハンガーにかけると、そのまま洗面所に移動する。

 洗面所にある脱衣カゴにワイシャツを投げ入れると、俺の上半身が洗面台の鏡に写り、俺の左胸に取りついたそれが姿を現す。

 俺の左胸には六角形の欠片が張りついている。

 元々この欠片は俺の祖父――面舵大全に張りついていた。

 俺が祖父の死に際に立ち会ったとき――ちなみに母も父も姉もその日はなぜか都合が悪く、結局俺だけが祖父の死に際に立ち会った――この六角形の欠片は動き出し、俺に張りついた。正直、わけがわからなかった。

 その後、俺は祖父の枕元に手紙が置いてあるのを見つけた。

 俺はその手紙を読んだ。

『この手紙を読んでいるとき、わしは死んでいるであろう|(と一度は書いてみたかったんじゃ。)さてお前たちには言っておらんかったが、わしの身体には〔異界(シェオール)〕の欠片が取りついておる。なんの欠片かは知る必要はあるまいて。知ってしまえば危険が降りかかるからの。さて、もしその欠片がわしの死後、わしの身体から離れたら、その欠片を大切に保存せい。そして誰にも言ってはならんし見せてはならん。特に環境省には気をつけるんじゃ。知らぬ存ぜぬを通せ。まあ、これは一応遺言ということにしておこうかの。ああ、そうじゃ、遺産は好き勝手に使ってよいぞ、大したものは残っておらんがな』

 ふざけんな、と俺は思わず怒鳴って、その手紙を破り捨てた。怒鳴り声が看護士や医者に聞こえなかったのは幸いだろう。

 この手紙|(一応、遺言)にはこの欠片自体についてなにも書かれていなかった。そしてこの正体不明の欠片は俺に取りついたまま離れない。

 誰かに取りつくなんてこの遺言にも書いてなかったのだ。あまりにも理不尽と俺はいきどおった。

 当時の俺は家族をないがしろにした〔潜者(ダイバー)〕であり研究者だった祖父をあまり好きではなかった。

 けれど遺言が渡され、俺の胸に欠片が取りついた。ある意味、託されたと言ってもいい。だからこれがなんなのかを知るためにも俺は〔潜者(ダイバー)〕になるべきかもなあ、なんて思ってしまった。今考えればなんて楽観的だろうか。けどまあ当時の俺は興味に突き動かされていたのだ。

 だから俺は見習いとしてこの高校で〔潜者(ダイバー)〕を目指していた。

 もちろん、母と父は〔異界専門学科(ダイビングコース)〕へ進むことを反対した。祖父のようにはなってほしくなかったのだろう。けれど俺はその反対を押し切って弓形高校に入学した。

 ゆえに家を追い出されひとり暮らし。けれどまあ、姉がなぜか俺のことを理解してくれてお金を出してくれているためなんとかなっている。姉には二度と頭があがらなくなったが。

 俺は思い出を振り払うかのように頭をかき、そして風呂場でシャワーを浴びた。

 シャワーを浴び終え、寝巻き用のスウェットに着替えたところで、急激に睡魔が襲いかかってきた。

 俺はすぐさま睡魔に敗北を報せる白旗を振り、ベッドに横になった。すると眠気が俺を侵蝕し、すぐに眠りへと誘った。


8


 家に帰った私はお風呂の湯を冷ますために浴槽に張ったお湯を湯かき棒でかき混ぜていた。

 ――ちょ、熱い、熱い、熱い、って――

 すると湯かき棒が声をあげる。けれどこの声は私にしか聞こえない。

 ――もうちょっと兄を労わってくれよ――

 到底信じられないかもしれないが、この湯かき棒には兄の魂が入っている。

 私は兄の声を無視して、兄を使って湯を冷ます。本当なら入浴する人が湯をかくのだろうけど兄が憑依してからはずっと私の仕事だった。

 ――収穫がないからって怒るなよ、いつものことだろう――

 兄はわかったようにそんなことを言った。私は〔異界(シェオール)〕であいつが見つからなくていらだっているわけではないの。

 ――そう簡単に見つけれるもんじゃないよ。あいつは自分の城に引きこもっちまってるんだから――

 兄は熱さに慣れたのか、もう温度に対してはなにも言わず、私をさとすように言葉を投げかけてくる。

 ――それよりも、今は〔反魔金属(オハロフ)〕に反応した男を調査すべきだ。もしかしたら〔反魔金属(オハロフ)〕を探しているあいつのしもべかもしれない。何しろ〔反魔金属(オハロフ)〕に過敏に反応するのは、あいつらだけだからね――

 そんなことはわかっている。だから私は彼をチームメイトにしたの。

 ――もしかして、迷ってる?――

 そんなことは私自身もわからない。

 でもなんとなくだけど彼はあいつらとは違うような気がする。

 でもだとしたら兄の魂とともに湯かき棒に埋め込まれた〔反魔金属(オハロフ)〕が反応するはずがないのに。

 ――だったら確かめて見ればいい――

 どうやって? と尋ねる前に兄は言葉を続けた。

 ――簡単なことだよ。あの高校に入った理由を訊けばいい。躑躅を調べるためなんて言えないからね、きっと彼ははぐらかす。そしたら彼はきっと黒だね。真っ黒だよ――

 でもそんなに簡単にわかるわけないわ。

 ――確かにね。でも躑躅はほかに手段を思いついてないだろ。だったら試してみるべきだ。それで彼がはぐらかしたら、限りなく黒いグレー。もっともボロを出さずにきちんと理由を言うかもしれない。その場合も警戒する必要があるね。人間、自分の動機をそんなにパッと言えるもんじゃないから――

 兄の言葉は妙に説得力があった。だったら、明日試してみよう。

 私は湯をかくのをやめた。

 それは奇しくも「お姉ちゃん、そんなにお湯をかき混ぜてると冷ましすぎちゃう」という妹の声が飛んでくるのと同時だった。


9


 センパイが少しだけよそよそしくなった。

 いつからなのか、思い出してみると、初実習日の翌日だったように思える。

 余談だがその日の実習が始まる前に、薬袋先生から蜥猫蜴蛇(リニャード)襲来に関してのネタバレがあった。

 俺は既に宮直先輩から聞いていたが、「うわーお」とすごいわざとらしくびっくりしておいた。

 ……さて話を戻そう。

 その日、センパイはこう言った。

「ねぇ、オールくん。キミはなんのためにこの科に入ったの?」

 そう尋ねられて困惑したが、俺はすぐさまこう答えた。

「名前はわからないんですけど、ある鉱石を探しているんです」

 祖父は胸の欠片のことを言うなと言っていた。だから欠片を見せて、これを取り除く方法を探してますなんて言えるはずがない。

 けれどこの胸の欠片はおそらく形状からして鉱物だ。教科書に名前がないからわからないが、もしこれと同じ鉱石が見つかれば、なんとか調べて、取り除き方を見つける。

 だから俺は鉱石を探していると答えた。嘘はないはずだ。

 俺が胸中で言い訳している間にも左胸の欠片が心臓の鼓動とは違うリズムを強く刻み始める。センパイが来るたびに欠片が反応しているように思えてならない。

「そう、なんだ……」

 俺の言葉を聞いたセンパイはどことなく落胆したように去っていた。

 そしてその日から今日にいたるまで、いや……いたってもセンパイがよそよそしい。あたかもライオンを警戒する野ウサギのような目で俺を見てくるのだ。

 男性恐怖症の宮直先輩のように俺と距離を置き、返事をしても、うん、とか、そうね、とか話を切り上げてあしらうような口ぶりだ。

「どうしたんだ、大山先輩?」

 八咲が尋ねてきたが俺は「さあ」と言うしかなかった。

「もしかしたら生理が近くて不機嫌なのかもな」

 八咲が続けざまに男の俺の前でそんなことをさらりと言うもんだから、俺は対応に困った。


10


「――で、どうしたらいいんですかね?」

「その前に相談相手、間違ってると思うすよ」

 武器庫横、非常用に取りつけられた階段で、距離を取った宮直先輩が離れて座る俺に投げかける。

 俺はなぜセンパイが俺を警戒するのかがわからず、とうとう困り果てて宮直先輩に相談を持ちかけていた。

「でもセンパイと親しいの宮直先輩ぐらいじゃないですか?」

「確かに。チームメイトのなかじゃ仲がいいほうだとは思うすけど、うちもそんなに知らないっす」

「どういうことですか?」

「つじっちは抱え込むタイプっすからね、あんまり話してくれないんすよ。オールも知ってるすよね、躑躅と紅葉の両親と兄の話」

「確か、〔反魔金属(オハロフ)〕っていう鉱石を見つけた……」

「そうっす。けどその後、三人は〔異界王(ソドム)〕に殺されたんすよ。これも教科書に載ってるっすね?」

「ええ。でも、ってことはセンパイが〔異界(シェオール)〕で勝手に行動するのは……〔異界王(ソドム)〕を見つけて仇討ちするためってことですか?」

「そうっす。甘利っち先生もそれはなんとなく気づいているっすけど、本人の口からは聞いてないみたいっすよ。ちなみにうちが知ったのは今年の二月っす」

「ってことは、ほんの三ヶ月前ぐらいですか」

「そうっす。それぐらい、つじっちはなにも喋ってくれないっす」

 そう語る宮直先輩はどことなく悲しげだった。それを隠すように宮直先輩は表情を戻して言葉を続ける。

「で、話を戻すっすけど。なんだったすかね? つじっちがオールに対してよそよそしいだったすか?」

「ええ、というよりも警戒されている感じです」

「でそれがなんでかわからないってことっすね?」

 俺が頷くと宮直先輩は少し考えて、

「確か鉱石を探してるって言ったんすよね?」

 俺がどう答えたのかを確認してきた。俺が首肯すると、思い出したようにこう呟いた。

「つじっちはここに入ってきたばかりのとき、鉱石って言葉を聞くとびっくりすることがあったっす」

「……つまり鉱石になんらかのトラウマみたいなのがあるってことですか?」

「わかんないっすけど、警戒されたって言うなら、うちにはそれぐらいしか思いつかないっす」

「だったら、とりあえず言葉には気をつけるしかないですね」

「ま、けどそんなに心配することないっすよ。ようはつじっちに警戒されるのが嫌なだけっすよね? だったら、つじっちがオールによそよそしくするのはおかしいって、うちが泣きつけば一発解決っす」

「泣きつくんですか」

「泣きつくっす」

 そう言って宮直先輩は笑った。

 この人のことだ、そうは言いつつもきちんとセンパイを説得してくれるのだろう。

 とはいえ他人任せでいいのか、そう思い俺は尋ねていた。

「宮直先輩、俺、なんかできることありますか?」

「いきなりっすね。どうしたんすか?」

「いや、宮直先輩に俺の問題を丸投げしたので、なにかできることがあればなあって思いまして……」

 そう言うと宮直先輩は体を震わせながら俺に近づき、耳もとでこうささやいた。

「だったらこうやって、たまにうちと話して欲しいっす」

「どうして……?」

 宮直先輩は体勢をもとに戻して、

「言ったはずっす。男性恐怖症を治したいって」

「それは聞きましたけど……」

「だからっすよ。オールとはなぜか結構話せるっす。だからオールと話して男性恐怖症治したいんっす」

「わかりました。けど……ひとついいですか?」

「なんっすか?」

「これ、訊いちゃダメなのかもしれないですけど、宮直先輩ってなんで男性恐怖症になったんですか?」

 この科に入った理由をはぐらかす俺が言えることではないですけど、と俺は頬をかいた。

 その質問を投げかけられた宮直先輩は少しうつむいて、なにか考えているようだった。

 しばらくして宮直先輩は「うち、レイプされかけたんっすよ」と重々しく口を開いた。こちらを向く宮直先輩の顔は少し涙目だった。

 正直、その言葉だけで俺は宮直先輩に尋ねたことを激しく後悔していた。

「一年生の、七月ぐらいだったっすかね。校外の〔(ゲート)〕で実習があったんすよ。そのとき、うちはひとりで行動してたんすけど茂みのほうでなにか音が聞こえたんっす。うちは疑問に思って覗いてみたら男の〔潜者(ダイバー)〕が女の〔潜者(ダイバー)〕を襲ってたんす。それを見てうちは動けなくなって、男に見つかったんす。それで……それで……」

「もういいです。すいませんでした、軽々しく訊いてしまって」

 俺は宮直先輩の手をにぎった。震えっぱなしの宮直先輩の震えがさらに増す。けれど俺は宮直先輩の手をずっとにぎっていた。宮直先輩も拒まなかった。

「ごめん、大丈夫っす。放してくれっす」

 俺は宮直先輩の指示に従ってゆっくりと手を放した。

「俺、宮直先輩の力になります。治しましょう、男性恐怖症」

 意気込む俺に驚いたのか宮直先輩は、唖然としながらもゆっくり頷いた。

 それからしばらくふたりで静かに座っていた。もちろん、距離は離れている。

「それにしても、なんでオールとは案外楽に話せるんすかね?」

 突然、宮直先輩が疑問を呈した。突然すぎて驚きはしたが、俺はこう言ってみる。

「どっちにも見える顔立ちだからかもしれないですね」

「あー、それはあるかもしれないっす」

「だとしたら俺、生まれて初めてこの顔でよかったと思いましたよ」

 そう言うと宮直先輩は笑った。その笑みは誰も警戒してない、誰も恐れてない、自然な笑みのように俺は感じた。

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