二重否定
って不思議ですねえ。皆さん、二重否定ってどんなときに使いますか?
たいていは、ぼかすときに使うと思います。中途半端な感じのときに使いますよね。
「好きじゃなくはない」
みたいな。
……何だか、例えが悪い気もしますが。
けれど、高校のとき、古典で習いました。
「二重否定は強い肯定!」
古典の先生はそりゃもう、呪文のように言っていましたよ。
不思議ですねえ。強い肯定がいつの間にか、弱い肯定になっているなんて。
…………。それだけなんですけどね。
けどそれじゃあ、書く意味がないのでちょっと調べてみましょう。
そも、二重否定には肯定の意味を表す「緩叙法」と否定を表す「否定呼応」というのがあるようです。今回の趣旨とは外れますが、否定呼応についても。
否定呼応とは二つの否定語が対応して一つの否定表現をつくるものです。対応しているから「呼応」というんですね。
例えば、「何も」「全く」「ほとんど」「絶対」などは文末の「~ない」と対応して一つの否定表現を作っています。
ほら、『全然大丈夫』は文法的におかしい、とかよく言われますよね。若者の日本語は狂っているって。(いやあ、耳が痛い)
本来上記の言葉は否定のときにしか使わなかったんですね。
英語でもこういう表現があります。I don't know nothing.(僕は何も知らない)とか。ただ、今の英語では好ましくない表現のようですね。
さて、否定呼応は置いておいて、本題「緩叙法」です。以下Wikipediaよりコピペ。
緩叙法(かんじょほう、Litotes)とは、修辞技法の1つ。直接的な主張をせずに、その逆の意味のことを否定する方法をいう。例えば、「良い」という代わりに「悪くない」といい、「愚かな」という代わりに「賢くない」という方法。
緩叙法は主張を控えめにする目的で用いることもあれば、強調する目的で用いることもある。例えば「満更でもない」は「少しはある」という部分肯定の意味に使うが、「それを悲しまないものはなかった」は「すべての人が悲しんだ」という肯定の強調のために使う。しかし必ずしも意味が明確に表現されるわけではなく、文脈、またその言語に特有の文化的背景によって異なる場合も多い。
はてさて、知りたいことが全くわかりませんでした。「主張を控えめにする目的で用いることもあれば、強調する目的で用いることもある」そんなざっくばらんに言われても……。
まあ、よく考えれば現代文でも強い肯定使うなあ、ってくらい。ただ、上の例、芝居掛かった台詞だなあ。
先の、「二重否定は強い肯定」と言うのは漢文の話です。言わば(言わばと言わずとも)外国語です。国の文化の違い、で済ましちゃいましょうか?
参考文献 Wikipedia(参考というかほとんど)