スターリングラード ~狙撃~
偵察部隊の狼狽はネールバウアーにとっての幸運であった。
もともと統制が取れていないうえに、手榴弾の衝撃を至近距離で受けて、仲間を狙い撃たれれば並みの人間は恐怖する。そうでなくとも彼らは任務への不安で落ち着いていられなかっただろう。
だが事実として、依然ネールバウアーの不利は覆っていない。敵はまだ8人が存在している。ここは敵の混乱を利用し、離脱すべきだろう。
ネールバウアーは敵を射撃・牽制しながら、退路の目算を立てていた。その時、突如頭を鈍器で殴られたような衝撃が襲う。
飛びそうになる意識、熱い左側頭部。その場に座り込み、そこに手を這わせる。
手を見ると赤い液体が滴っている。
熱さは次第に痛みに姿を変え、彼の口からは声にならない叫びが漏れる。被弾したらしい。
目の前の敵ではない、どこかから狙い撃たれたのだ。
ヴァシリ・ザイツェフの指揮する狙撃隊は、先程から散発的に聞こえていた銃声の方へ向かっていた。
銃声が聞こえるということは、味方がいるかもしれない。そしてここはドイツ軍陣地に程近い。銃声を聞きつけてドイツ軍は応援を寄越すだろう。味方の援護をせねばならなかった。
ヴァシリは部下2人を同行させ、残りのメンバーには撤退時の援護を命じた。退路を確保するのは必要である。傷ついた味方が居れば特に。
慎重に進んでいると、前方にドイツ兵が数人現れた。銃声を聞きつけて偵察に来たのだろう。交戦している敵に合流させてしまうと厄介だ。
「ニコライ、オットー、ここは僕が食いとめる。君達は戦っている味方を援護してくれ。」
ヴァシリは部下に言うと、狙撃に使えそうな場所を見繕い、敵を狙撃し始めた。
ニコライとオットーはそれぞれ狙撃銃を抱え、交戦しているであろう味方の元へ急いだ。
と、爆発音が向かっている先から聞こえた。手榴弾を投げたらしい。
廃墟の中を進んでいくと、50メーター程先に交戦中のドイツ兵が居た。単独で壁に隠れ、銃撃をしている。ニコライはその場に残りそのドイツ兵に狙撃銃の照準を合わせる。
オットーは状況を把握する為に、身を隠しながら移動した。どうやら他に敵は居ないようだ。ドイツ兵が狙っていた辺りを窺い、味方を確認する。数人居るが、応戦している味方は居ない。
(全員負傷しているのか?)
オットーは味方と合流する為に迂回して移動していたが、ドイツ兵の銃撃が止んだ。ニコライがやったようだ。
ニコライは撃った獲物をもう一度確認した。確かに頭部に着弾した。が、獲物は生きている。どうやらヘルメットのせいで僅かに弾が逸れたらしい。
「…運の良い奴だ。」
呟いて次弾を装填する。しかしドイツ兵はニコライの位置から死角になる場所へ逃げてしまった。
ニコライはスコープから顔を離し、オットーが味方に合流するのを確認し、移動を始める。
ネールバウアーはいったん隠れて被害を確認した。
痛みに耐えながら、被弾した側頭部を触る。耳が無い…肉も少しえぐれている。
ヘルメットを見ると、弾が貫通している。
(やはり…狙撃か…)
痛みで飛びそうな意識と戦いながら、水筒の水で傷口を洗い流す。制服を脱いで下着で傷口を覆い、ベルトを巻いて固定する。
穴の空いたヘルメットを被り、改めてライフルを抱えた。
(生きて帰れるのか…?)
自問するネールバウアーだったが、答えを出すにはあまりに絶望的な状況であった。