スターリングラード ~着任~
コンラート・フォン・ネールバウアー伍長を乗せた輸送列車は補給拠点へと到着した。
輸送列車を降りた瞬間、刺すような寒さがネールバウアーを襲う。つい半年前まで北アフリカに居た彼にとって、ここはかなり冷える地域のようだ。
周りを見渡すと、廃墟ばかりが目に付く。爆撃の痕、銃痕、煤で汚れたボロボロの建物。スターリングラードはまさに戦場と言える場所であった。
ネールバウアーは他の兵士と共に、軍用のトラックの荷台に詰め込まれ、司令部の置かれた廃墟へと向かう。悪路を走るトラックの荷台は、乗客の不平など嘲笑するように揺れる。
しばらく走ると、ゲートの前で停車する。警備の歩哨が書類を確認しているのが見えた。
また笑うようなトラックの乗り心地を味わっていると、痔持ちになると車内の上等兵がぼやく。
吐く息の白さが体感温度を更に下げながら、トラックはようやく止まった。
司令部は廃墟に置かれていた。戦争前は何かの庁舎であっただろう大きめの建物で、中庭には仮設テントが集まっている。慌ただしく走る衛生兵や、武器の整備をしている兵士が目につく。
ネールバウアー達は司令官室へ出頭する。司令官はフリードリヒ・フォン・パウルス中将である。
秘書に通されたネールバウアー達が最初に目にしたのは、ペットのガチョウに餌をやっている司令官の姿であった。ネールバウアー達に気付いたシュミット参謀長の咳払いで、パウルス司令は振り返った。シュミット参謀長もパウルス司令も、かなりの美形で長身である。
余談ではあるが、パウルス司令が20代の頃は「高貴な殿下」という渾名で女性から嬌声を浴びていたのであった。
パウルス司令は立ち上がり、ネールバウアー達の敬礼に答礼した。
「諸君、よくスターリングラードへ来た。諸君らはこれからソ連兵と戦ってもらうことになる。ここは少々過酷な環境であるから、気を抜くと長生きはできんぞ。私からは以上だ。」
パウルス司令からの訓示も終わり、彼にはkar98kが支給された。そして、ラルス・ニーデルマイヤー少尉の隊への参加命令が下った。
小隊の詰め所となっている仮設テントまで行き、ニーデルマイヤー少尉に着任挨拶をする。
「伍長、君は狙撃は得意かね?」
ネールバウアーは敬礼したまま首を傾げた。
「狙撃…でありますか?」
その質問にニーデルマイヤーは頷き、続けた。
「そうだ。このスターリングラードでは敵狙撃兵によって我が軍は多大な損害を強いられている。君が司令部でこの小隊の補充要員の命令を受けたのも、先日の戦闘で敵の狙撃兵の待ち伏せによって死者を出してしまったからなのだ。」
ニーデルマイヤーの口調に淀みは無かったが、目の下のクマで彼の疲労が読み取れる。
「私の隊の今後の任務は、その狙撃兵の撃退になってくるだろう。だが、敵の狙撃兵が何人居るか、また潜伏先も装備も、皆目見当がついとらん。情報がないことには撃退はおろか、最悪接敵もままならん。」
そこで少尉はクシャクシャになった煙草に火を点ける。
「…そこでだ。私は隊を2つの分隊に編成し、敵のあぶり出しを実行しようと考えている。私と他数名が囮役として先行し、隊長補佐の曹長と残りの隊員で迂回ルートを採り、敵狙撃兵からの攻撃を受けた際の索敵、可能であれば撃退にかかる。」
ニーデルマイヤーはネールバウアーに向き直り、煙草を差し出した。
「という訳だが、君は狙撃は得意かね?あと、一服どうだ?」
ネールバウアーは支給されたkar98kの点検をしながら悩んでいた。
彼は以前、北アフリカ戦線で歩兵を務めていた。が、それまで彼は銃撃戦の経験はあっても、狙撃主対狙撃主のスナイパー合戦など経験したこともなかったし、敵の補給拠点の制圧が主な任務であった。
更に、負傷によって後方送りになった彼は1カ月後の退院の後、このスターリングラードへ着任したのだが、ここは北アフリカと環境が違いすぎるのである。
「…よし。」
ネールバウアーは貰った煙草を揉み消し、隊長の居るテントへと向かった。
スターリングラード=旧ソ連の地名。ここで激しい戦闘が行われた。
パウルス中将=実在の人物。北アフリカ戦線のロンメル将軍とは友人同士。ペットのガチョウを溺愛していた。渾名の件も実話です。
シュミット参謀長=パウルス司令と結構似ているタイプの冷静な軍人。「諸君、10分間で決断し短い理由をそえよ」が口癖。
kar98k=旧ドイツ軍の代表的なライフル。ボルトアクション方式(短発銃)
狙撃=主に身を隠し、敵を狙い撃つ戦法。
狙撃主=スナイパー。
北アフリカ戦線=イタリア軍が敗走した結果、ロンメル将軍の指揮する戦車部隊が進軍する。